7.三者の関係

 それからしばらくの間、彩花は山へ行かず、自室へ閉じこもる日々が続いた。朝起きて学校へ行き、まっすぐ家へ帰って物思いにふける。飛焔の話を聞いてから、なんとなく妖たちと顔を合わせるのが気まずかった。時たま白藍だけは家まで来て様子を見に来てくれたが、沈み込む彩花を外へ引っ張り出すようなことはせず、あえて理由を問いただすこともない。ほかの妖たちも彩花をそっとしておいてくれているところを見ると、もしかしたら飛焔が何か言ってくれたのかもしれない。その気遣いが、今の彩花にはありがたかった。


 大城山の端に沈みゆく夕日をぼうっと眺めながら、彩花は考えを巡らせる。今まで信じてきたものはなんだったのか。その根底すら覆されたような気がして、自分の目に映る世界が信じられなくて、怖かった。


 人間と、アヤカシと、神。心の底のどこかで、彩花は人間を侮っていたのかもしれない。人間は守られるべき存在で、神に逆らってはいけない。妖は人間を超える力を持ち、人間の上に立つもの。いつのまにか、彩花の中ではそんな意識付けが出来上がっていた。だから、疑うこともしなかった。その関係が、妖側に偏った意識であることを。


 それが間違いである、と飛焔は言い切った。彼が正しいとは限らない。彼もまた、妖たちと同じように自分が形作ってきた信念に基づき、正しいと思うことを話しているに過ぎない。だが、彩花はそれを否定する気にもならなかった。彼の論理はいまのところ、否定する点を見いだせなかったからだ。


「人と、神は対等な関係……じゃあ、妖は?」


 ぽつり、とこぼされた言葉は、暗く閉ざされた部屋の中でぐるぐるとまわる。みんな仲良く対等です、と結論付けられればそれまでだが、どうも納得がいかない。人と神はそれぞれに利害関係があり、お互いの世界を護っている。そこに妖はどのような関係性でかかわっているのだろうか。


 妖は神の眷属であるものもいれば、群をつくるもの、群や従うものを持たない者がいる。それぞれをひとくくりにしてしまうのは難しいので、大城山に限って言えば、ここの妖たちは皆柚良に忠誠を誓い、庇護を受ける代わりに眷属となることを承知した者たちである。そう考えれば、広い意味で妖たちもまた柚良に連なるものとして、人間と対等であるべき存在なのかもしれない。


 ただ、難しいところは、彼らがそう考えていないところだ。ほとんどの人間は霊的な力が使えず、彼らから見ればひ弱な存在である。その気を出せば、ひねりつぶしてしまえるほどのものだ。あえてそれをしないのは柚良が望まないからであり、掟として「やってはいけない」ことだからにすぎない。掟がなく、柚良がいなければ、彼らは町ひとつ消し去ることぐらい造作ないのだ。


「だから、柚良様は掟を作って、人間を護っているのね……」


 考えたこともなかった、妖側に課せられる掟。それは、三者それぞれの世界を護るのに必要なものだった。自分を信仰し、力を強めてくれる人間たちが妖に滅ぼされてしまわないように。庇護下の眷属たちや、人間たちを守る柚良の力が維持されるように。そこまで考えて、彩花は一つの答えに気づく。「山神」は人間と妖、二つの世界をつなぐ楔であり、戒めのような存在なのだ、と。すべてをつかみとれた気はしない。けれど、世界を形作る輪郭のようなものは、おぼろげに理解できた気がした。


(まだ全部はわからないけど……「対等」の意味が、少しだけわかった気がする……)


 頭にかかっていた靄がほんの少しだけ晴れたような感覚に、ほう、と息をつく。いつの間にか、山の端で揺蕩っていた夕日は完全に沈み、夜闇が世界を包み込んでいた。





 彩花が思い悩んでいる間、あっというまに季節は初夏から夏の盛りへと移り変わり、学校は休みとなった。通学しなくてよくなったのはうれしい。だがその代わりに、水城神社で行われる七夕祭りの準備に追われることとなった。


「やあ、彩花。今日も手伝いに来てくれたんだね、ありがとう」

「勘違いしないで。あなたのためじゃないわ」

「それでも、僕は君の顔が見られてうれしいよ」


 露骨に嫌そうな顔をする彩花に態度を変えることもなく、にっこり笑って優は神社の内へと招き入れる。一週間後の七夕、彩花は七夕祭りの神事の中で、巫女舞を奉納する。そのための確認と練習をするために神社を訪れたのだ。


「今年の御使い参列は、銀星どのと飛焔どのだそうだ」

「え……?」

「祭りがつつがなく終われば、飛焔どのを正式な御使いとして認めよう」


 七夕祭りの御使い参列、それは二つの意味を持つ。一つ目は、多くの人間に惹かれて妖たちが集まってこないようにする警備の役目。もう一つは、巫女舞をする彩花に柚良から賜った神具を授ける役目だ。今までは雫石や市伊が担うことが多かったが、今年は違うらしい。だが何よりも、彩花は優の二つ目の発言に耳を疑った。


「飛焔の事を、認めてくれるの……?」

「まだ認めるとは言っていない。彼がきちんと役目を果たせれば、だよ。僕だって、理由なく否認したりはしない。信ずるに足りるとなれば、承認はするべきだ。守り手は一人でも多いほうがいいからね」

「守り手?」

「彼らは柚良さまの御使いであると同時に、この町の守り手だ。僕たちの信仰が滞りなく柚良さまのもとへ届くよう、この町の人々を護る。それが彼らの役目だよ」


 初めて聞く言葉に、思わず彩花は訊き返す。優がこういったことを話すのは珍しい。普段は妖というものすべてに敵愾心を抱き、町へ入ってくるものは容赦なく退治する。御使いであっても、決していい顔はしない。そのため全く彩花と意見が折り合わなかったのだが、今日の優はそのような態度を見せることはなく、淡々と説明をしてくれていた。


「君には到底及ばないけれど、この町の人々は総じて潜在的な霊力が高い。そのため妖を惹きつけやすいことは君も知っているだろう?」

「ええ。だからこの町には恒常的な結界が張ってあるのよね」

「そうだ。僕が張っている水城神社を起点とする結界。柚良さまが大城山全体に張っている結界。このふたつの結界を守り、異常がないか見張るのが御使いの役目。500年ぐらい昔から続く、神と人間との契約だよ」

「神と人間との、契約……」


 優の口から語られることは、すべて彩花が今まで知ろうとしてこなかったことだった。何らかの取り決めがあること、掟にのっとって執り行われていることは薄々感じていたが、自分には関係のないことだと興味を持たなかった。だがそれこそが間違った見識を生み、自分の無知さを招いていたのだ。そのことを彩花は改めて痛感した。


「今日の彩花は珍しく素直に僕の話を聞いてくれるね。何かあったのかい?」

「……っ、なんにもないわよ……! こんな話をしてくれるのが珍しいから、聞いていただけ!!」

「興味があるなら、あとで神社の書庫にいってみるといい。僕が語るより、深い知識も得られるだろう」

「ありがとう。練習が終わった後、いってみるわ」


 まだ素直にはなりきれないが、手掛かりを与えてくれた優にお礼を言う。すると、青年は一瞬言葉に詰まり、目を丸くした。いつもそんなにぶしつけな態度しかとっていなかったのかしら、と少しだけ反省をしたが、決してそれは自分だけの過失ではないと思い直す。その後、何も言えないでいる優を置いて、さっさと彩花は巫女舞の準備に取り掛かったのだった。

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