6.神と人間

 優が去ってもしばらく、彩花の涙は止まらなかった。しばらくして泣き止んだ後も、納得のいかない様子で飛焔に何度も頭を下げた。


「ごめんなさい……私、なんてあなたに謝ればいいのか……」

「気にするな。彼とて、悪気があったわけではなかろう」

「でも、あなたの扱いだって、ひどすぎるわ」


 目の端を吊り上げ、ぐっとこぶしを握って彩花が言い返す。その様子に、飛焔は困った顔をして笑った。彼からしてみれば、優の行動に取り立ててひどいところは見られない。一族云々の話も、何も知らないからこそ脅しとして言える言葉だ。だが真っ向からそう諭しても、この少女は素直に納得しないだろう。どうやって説明してやれば、怒りをおさめてくれるのか、飛焔は頭をひねりながら言葉を返していく。


「いいや。仮の御遣いとして認めるという話も、あの男の立場からすれば当然のこと。不用意によそ者を身内と認めた後に何かあれば、取り返しがつかなくなる。それを思っての事だろう。俺にはその気持ち、よくわかるがな」

「あなたはそんなことをするひとじゃないのに! だから柚良様もあなたを認めたのよ」

「それは俺の身の上を聞いたからだろう? それだってもしかすると、嘘かもしれないぞ。俺が嘘をついていないって証拠はあるか?」

「……ない、けど……」


 むぅ、と少女が言葉に詰まる。少しずつ、感情的になっていた頭が冷えてきたらしい。この調子でいけば、もうひと押しかふた押しで大丈夫かもしれない。犬神はぱたりぱたりと規則正しく尻尾を振りながら、言葉をつづけた。


「お前ですら俺を信じる証拠を十分に上げられない。ましてやあの男からしてみれば、俺はいきなりあらわれて、自分の縄張りをうろつく得体のしれないよそ者だ。信じられる要素などどこにもなかろう」

「だから、仮の御遣いにしたっていうの?」

「そうだ。内心はきっと胡散臭いよそ者など認めたくなかっただろう。だが、お前が認めてくれといったことに免じて、俺自身を見定める機会を与えてくれたんだ」


 少女を刺激しないよう、慎重に言い回しを見極めながら、飛焔は己の見解を口にした。彼女はひどく反発したが、誰もが無条件に人を信じられるわけではない。彼のやり口は、どちらかといえば温情がある措置だった。


 順を追った飛焔の説明に、見定める機会、と彩花が言葉を繰り返して呟く。どうやら、そこが気になっているらしい。優はこの神社の主で、柚良と言葉を交わす者だという。つまりはこの町の代表のような役目だと飛焔は認識しているのだが、この少女の見解は違うようだ。


「お前は、あの神主をどのようなものだと思っている?」

「何って、ただの神主よ。この町の結界はほとんど柚良様の加護によるものだから、あの男はその力を使わせてもらってるだけ。妖退治だけは張り切ってやるけど」

「つまりは、柚良様に仕える立場の神主だということか」

「ええ、そうよ。神主って、そういうものでしょう。でも、あの人は違うの。表面上は取り繕っているけど、内心では柚良様と対等に張り合おうとして必死なのよ」


 鼻息荒く言い切った少女に、飛焔は意見が食い違う理由はこれか、と思い当った。彼女は思考が妖側に偏りすぎているのだ。自然に妖たちの意見をきいて育ってきたのだろうから、偏るのは当然かもしれないのだが、それにしたって人間側の意見が全く入っていない。神である柚良が上で、人間である優は無条件に彼女へ仕えて当たり前だと思っている。ましてや、彼女の意見に逆らうなどあってはならないことなのだ。


「柚良様と言葉を交わせるということは、この町の人間代表だということだろう。本当に対等かどうかは別として、対等であろうとすることは悪くなかろう」

「自分の力が弱いから、町を柚良様に護ってもらってるのに?」

「柚良様はこのあたりを治める山神だ。自分の治める範囲を護るのは、神として当然の義務だろう」

「当然の、義務……」


 彩花がぽかん、と口を開いて呟く。今までそんなことを彼女に言った者は、きっと誰もいなかったのだろう。だとしたら、それはそれで問題だな、と飛焔は頭の片隅で考えた。彼女のどこか人間離れしたところは、こういうところからきているものなのかもしれない。すべて推測にすぎないが、もしも自分の考えが当たっているとすればさぞ人間たちの社会では生き辛かろう、と思った。


「そうだ。神の力はまつられることで増す。ゆえに人間は神を祀り、代わりに加護を得る。神のいるところに神社があるのはそのためだ」

「ただ護ってもらってるんじゃなくて、お互いに利益があるってこと?」

「そうだ。信仰を失くした神はいずれ力を失って消滅する。だから神は人を護り、よりたくさんの信仰を得ようとする。その信仰を強くするのも、なくすのも、人間のさじ加減だ」


 こんなことすら彼女に教えていなかったのか、と飛焔はここにいない柚良の側近たちを恨んだ。これでは、優との間の軋轢あつれきが大きくなるばかりだ。彼女には何も知らないでいてほしいと望んでいたのか、意図的にわざと教えなかったのかはわからない。だが、今日この少女を家に送り届けたら、友人を問い詰める必要はありそうだ。表情には出さないように気を付けながら、飛焔は心の中で密かにそう決意を固めた。


「でもっ、信仰をなくして神様がいなくなったら、誰にも護ってもらえなくなるわ……!」

「そうだな。でも人間の意に沿わない神だったら、いないほうがましだと思うかもしれない。だからこそどちらか一方が上じゃなくて、お互いが対等なんだ」


 飛焔の言葉に、少女はもはや返す言葉すら失ったように見えた。優と柚良が対等の関係だという事実は、今まで彼女が築き上げてきた価値観が大きく揺らがせるものだろう。飛焔の言葉に反論したくても返せない、でもそんな事実は認めたくない。そんな感情がありありと見てとれた。 きっと今すぐは難しい。だが、いつかは知る事実だ。今の彼女に必要なのは、ゆっくり休んで、気持ちを整理する時間だった。


「長話をしてすまなかった。彩花、もうすぐ日が沈む時間になる。暗くなる前に、家に帰ったほうがいい」

「……そうね。そうするわ」


 帰宅を促す言葉に彩花は素直に頷き、ゆっくりと歩き出した。飛焔も人の姿となって彼女の後ろに続く。それから少女の家にたどり着くまで、結局お互いに一言も交わすことはなかった。

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