5.承認

 楽しい空中散歩は、軽やかな会話とともにあっという間に終わった。眼下に見えてくる自分の街を見下ろして、ぐっと居住まいを正す。これから自分は大事な役目を果たさなければならないのだから。気合を入れなおさなければ、今すぐ回れ右してしまいそうな自分に、彩花は深いため息をついた。


「彩花、そろそろ降りる。どこにいけばいいか、指示をしてくれ」

「町の北に、大きな鳥居があるでしょう。その前に降ろしてちょうだい」


 意識しなくともこわばる顔に何とか笑顔を浮かべ、平然を装って答える。自分の行動次第で、彼の扱いが決まるのだ。緊張するなと言われても、無理な話だった。彼に指示をした鳥居は、水城神社の入り口にあたる。結界が張ってあるここなら、犬神を伴って下りたとしても町の人に見つからないだろう。いくら妖と共存している町の人々だとはいえ、見えなくなってきているものも多い。街中で無為に混乱を招くことはしたくなかった。


「わかった。あいつも、そこにいるのか」

「ええ、いると思うわ。どうせ、ストーカーみたいに気配を探ってるんだから」


 はあ、と大きなため息をつきながら答える。表情は見えないものの、飛焔が苦笑している様子が見てとれた。ゆるゆると高度はさがり、赤い鳥居が近づいてくる。その真ん中に立っている人物をみとめ、彩花の渋面はさらにひどくなった。ぎゅ、と彼の被毛を握りしめる力が強くなったのだろう。下へ降りていくスピードが緩み、やがてぴたりと止まった。


「行かなくてもいい」

「……え?」

「柚良様の命だが、お前が嫌なら無理に行くことはない」


 思ってもみなかった言葉に、彩花はぽかんと口を開ける。柚良の命を聞かずに、自分の好き嫌いで行動していい、など今まで言われたことが無かった。なんだかんだ彩花に甘い大城山の妖たちも、柚良の命に関しては絶対服従だったのだ。そのことに今更ながらに気付き、少しばかり笑みがこぼれた。


「そんなこと言われたの、初めてだわ」

「ああ、あやつらは言わないだろうな。お前が嫌だと理解しながら、あいつのもとへ連れていくだろう」

「ええ、そうするわね。絶対に」

「だから、俺はあえて言う。お前の好きにしたらいい」


 優しく、だがきっぱりと言い切る飛焔に、彩花はますます目を丸くした。このひとは、すべてを分かったうえで自分の意思を尊重してくれるという。そんなひとは、今まで周りに誰もいなかった。家の為、街の為、大城山の為――様々な理由で自分の意思を飲み込み、我慢してきたのだ。そのしがらみを取り払い、彩花の好きに行動していい、と言ってくれるひとは、初めてだった。そのことに、言いようのない温かな感情が奥から湧き出してくる。先ほどまで重たくこわばっていた全身が、少しだけ羽が生えたように身が軽くなった。


「ありがとう。優しいのね、飛焔」

「……!! お前、名前を……」


 彩花が名前を呼ぶと、飛焔は一瞬驚いたような、うろたえたような表情で後ろを振り返った。そんなに驚くことかしら、と思う。だがそういえば彼の名前を呼ぶのは初めてだったかもしれない、と思い当たる。彼がそれ以上言い募らなかったので、彩花も彼の発言に反応はしなかった。そのまま下へ降りてほしいと伝えると、飛焔は前に向き直り、降下を再開した。


 優は飛焔の姿が近づいてくるにつれ、警戒を強めるように札を手にしてこちらを睨み付けていた。攻撃してこないのは、ひとえに彩花が背に乗っているからだ。自分が背から降りた瞬間に、攻撃してくるに違いない。そのため飛焔が地面に降り立っても、彩花は背から降りようとしなかった。


「お役目お疲れさま、彩花。さあ、そいつの背から早く降りるんだ」


 怒気を隠そうともしない優の声に、彩花は首を振って拒否を示した。今にも術を放ってきそうな雰囲気に、飛焔も警戒の色を濃くしてゆっくりと距離をとる。その場はぴりりと剣呑な緊張に包まれ、一触即発の状態となる。均衡を破ったのは、彩花の凛とした声だった。


「柚良様から、あなたへ言伝があります」

「……」

「このたび、柚良様は新たな御使いを決められました。ついては、あなたの承認もほしいとのことです。彼の名は飛焔。火をふく山の国から、こちらへやってきた犬神です。その証に、柚良様の印もあります」


 ゆっくりといい終わると、彩花は飛焔の背に手をかけたまま、ひらりと地面へ降り立つ。『新たな御使い』という言葉が効いたのだろう、札を持った手は腰の位置まで下がっていた。だがまだ油断はならない。彼の一挙手一投足を見逃さないようしっかりと前を見据えたまま、飛焔の首へ手を滑らせる。しゃらり、と涼しげな音を鳴らし、首からかけられている柚良の印を掲げてみせると、優は一転苦々しげな表情へと変わった。


「……なぜ、よそ者が御使いになる」

「柚良様はどんな妖でも等しく受け入れられる方です。彼が忠誠を誓い、柚良様がそれを受け入れられた。それがすべてです」

「僕は、みとめない」

「それは、柚良様に叛意あり、ということですか?」

「……」

「答えてください」


 憎々しげにこちらを見つめて黙り込む優に、彩花は冷静に対応した。いつも彼へ相対している銀星を思い出し、必死で感情的になりそうな自分を抑える。ここで感情的になってしまえば、彼は意固地になり決して飛焔を認めないだろう。冷静に、論理的に、一つずつ彼の逃げ道をつぶしていく必要があった。


「御使いは、柚良様と水城神社の双方に認められたものがなれる。その掟は彩花も知っているよね?」

「ええ、知っています。だからこそ、あなたへ認めてもらうためにここへ来たのです」

「なら結論は変わらない。僕はこいつを認めない。よそ者は、排除されるべきだ」


 さすがに一筋縄ではいかない。普段こそ柚良の加護をうけている優は彼女に服従の意を示している。だが彼の言う通り、御使いの承認については、柚良と優は対等に扱われるべきだった。柚良が認めたから優も認めなければならない、という掟はないのだ。『よそ者は排除されるべき』という理屈も、それなりにまかり通る理由ではある。だが彩花はそこであきらめるわけにはいかなかった。


「柚良様は、彼を大城山の妖として扱うと決められました。もうよそ者ではありません。よそ者でない以上は、排除されるべきではないはずです」

「だから、認めろと?」

「ほかに、彼を排除する理由がないでしょう。証を持ち、大城山の妖として認められた。これでもまだ認めないと言い張りますか?」

「む……」


 彩花の言い分に押されて、優は再び黙った。ここで強硬に認めないと言い張っても、なにも利益を生まないことは彼も理解しているはずだ。その証拠に、先ほど上空で彩花が浮かべていたよりもさらにひどい渋面で、懐の中へと札をしまい込んでいた。


「……わかった。ただし条件がある。一か月間、仮の御使いとして様子を見る。その間にこちらに害をなさなければ、正式な御使いとして認めよう」

「仮の御使いですって? あなたのことだから、どうせ何か仕掛けて――」

「いや、それでいい。水城神社の神主どの。寛大な申し出に感謝する。誠心誠意、柚良様にお仕えすると同時に、この土地がより良くなるよう努めよう」


『仮の御使い』という言葉に反応し、感情的になりかけた彩花の言葉を遮ったのは飛焔だった。優へと深く頭を下げると、身を低くして服従の意を示す。その様子を一瞥し、優は悔しそうに口を引き結びながら、最後に言い捨てる。


「ふん、犬神風情が知った風な口を利く。いいか、指一本でも彩花に手を出してみろ。お前だけじゃなく、一族もろとも滅ぼしてやる」

「なんですって?! あなた、言っていいことと悪いことがあるのよ!! 彼はっ、彼はね……っ!!」

「――彩花。


 あまりにひどすぎる優の言葉に、彩花は完全に頭に血が上った状態になった。彼へつかみかからんばかりに食って掛かり、頬を張り飛ばそうと手をあげる。だがその間に割って入り、感情を排した声で制したのは、当事者の飛焔だった。何も言うな、という彼の言葉に、彩花はぐっと押し黙る。唇をかみしめ、ふるふると肩を震わせて涙をこぼす彩花の姿と、ただならぬ飛焔の様子に、さすがの優も察したらしい。失言だったとは言わずとも、ばつの悪そうな顔をした後、踵を返してくるりと背を向けた。


「……忙しいから、僕はもう行くよ。飛焔とやら、責任を持って彩花を家まで送り届けろ」

「いわれずとも。時間をとってしまってすまなかったな、神主どの」

「まったく、とんだ厄介ごとだよ……じゃあね、彩花。気を付けてお帰り」

「大っ嫌いよ、あなたなんか。顔も見たくない……っ!!」


 泣きながら叫んだ彩花に、優は少しばかり困った顔を見せる。何か言おうとして口を開いたものの、結局何も言わずに去っていった。後に残ったのはほたほたと涙をこぼす彩花と、優と同じく困り顔をし、ぺたりと耳を伏せる飛焔だった。

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