4.新しい仲間

 新しい仲間を迎え、とげとげしい一人を除きおおむね和やかに進む談笑に区切りをつけたのは、女神の一言だった。


「さて、彩花よ。そなたはそろそろ家へ帰る時間じゃな」

「でも、まだ日は高いです。もう少し居ても……」

「駄目じゃ。神域はそなたの体に負担をかける。本来人が踏み込んではならぬ場所であるからな」


 すっかり柚良と気安く言葉を交わせるようになり、彼女がこちらの意見を尊重してくれる人だと知った彩花は、その提案に渋い顔をする。だが柚良は眉根にしわを寄せ、首を振った。無邪気な笑顔は消え、瞳は鋭さが増している。

 剣呑な雰囲気の間に割って入ったのは、ほわほわと笑う市伊だった。


「実は、こちらと外では少し時間の流れが違っている。中の時間は外に比べてゆっくり流れるんだ。長くいすぎると、外に出た後一気に体へ負担がかかる。だから今日はもう帰ったほうがいい」

「ええっ、そうなんですか。申し訳ありませんでした、柚良様。今日はこれで帰ります」

「うむ。気を付けてな」


 市伊の言葉に真っ青になった彩花はあわてて立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。竜宮城から帰ってきた浦島太郎みたいに長い時間がたっていたらどうしよう、とぐるぐる考える少女に、柚良がふいにきゃらきゃらと声をたてる。同時に笑い転げる佐京を視界の端にとらえ、どうやら自分はからかわれたらしい、と気づいた。


「なあに、心配しなくともまだ一日とたっておらぬぞ。せいぜい半日じゃ。心配することもなかろう」

「よかった……ありがとうございます。また来ます」


 いつまでも笑う佐京を肘で小突いてにらみつつ、彩花はほっと安堵の息をつく。いろいろなことが終わって安心したからなのか、少しけだるいような疲労感が体を覆う。神域の外に出なくても、半日分くらいは十分疲れているような気がした。


「ああ、そうじゃ飛焔」

「なんだ……なんでしょうか」

「そなた、彩花を送りや。これがわらわからの初仕事じゃ」


 有無を言わさぬ口調で飛焔に告げると、柚良はこっそり彩花のほうへと向き直り、ぱちっと片目をつぶって見せる。そのしぐさに驚いた少女は首を横に振るが、後に続いた女神の言葉に頷かざるを得なくなった。


「町に戻れば、優が迎えに来る。そうしたら、飛焔が新しい御使いだとしてやるがよい。彩花、そなたにしかできぬ仕事じゃぞ」

「はい、確かに承りました。柚良様……」


 そう柚良に言われてしまえば、飛焔を連れて行かないわけにはいかないだろう。もっとも彼女の様子からすれば、半分くらいは飛焔と彩花を一緒に帰らせる口実づくりに違いない。こっそりと彼のほうを見てみると、耳をぴくぴくさせたり、せわしなく尻尾が動いている。異議を唱えないところを見ると彼女に従うつもりなのだろうが、少し対処に困る命令だというのは飛焔も同じらしかった。


「白藍、飛焔にお前の首飾りをかけておやり。そうすれば、だれも手出しはできんじゃろう」

「承知しやした、柚良様。しっかり彩花を送り届けてくれよォ、使サマ」


柚良の指示を聞き、白藍が滑るように飛焔の横にやってくる。彼がにやにや笑いながら首飾りを外し、犬神の首へとかけると、飛焔は目をすうっと細めて喉の奥で低いうなり声を漏らした。


「その呼び名はやめろ、鎌鼬。名前で呼べ」

「くふっ、いい顔じゃの、御使いサマ」

「柚良様まで……」

「あはははっ」

「彩花、お前まで笑うな!」


白藍にからかわれて渋い顔をする飛焔に、笑いをこらえきれなくなって柚良と彩花が笑い出した。それにつられて笑い上戸の佐京も笑い出し、いよいよ犬神は不機嫌な顔になる。そうして耐え切れなくなったのか、ふいっと顔をそらすと、神域の入り口を目指してすたすたと歩きだした。


「彩花! 帰るんだろう。日が暮れるぞ、早く来い!」


ぶっきらぼうな声音は怒りを含んでおらず、彩花は笑ったまま彼の後を追いかける。そうして柚良と妖たちに見送られ、神域を後にしたのだった。





「まって、少し早いわ」

「む……すまない。人間の足は、不便だな」


 神域を出ていくばくもしないうちに、彩花は先へ進む飛焔に声をかけた。そこでようやく彼は一度止まり、後ろを振り返る。肩で息をする少女を見て急ぎすぎたことに気づいたのか、眉根にしわを寄せてぼそぼそと謝罪の言葉をつぶやいた。


「ごめんなさい。またあなたに送ってもらうことになってしまって」

「いや、お前のせいではない。それにあの男へ『紹介』とやらをしなければいけないんだろう。それならば早いに越したことはない」


 首を振ってこたえる飛焔に、今度は彩花が渋面をする番だった。町に帰ったらあの男が待ち構えていると考えただけで辟易する。神域を出てから足が鉛を付けたように重いのは、疲労のせいだけではないはずだ。


「うかない顔をしているな。そんなにあの男がいやか?」

「ええ、嫌いよ。あの人は、私から何もかもを奪っていくんだもの」

「お前にしてははっきり言うな。嫌いなものなどないのかと思っていたが」

「私、そんなに善人じゃないわ」


 目を丸くする飛焔に、彩花は自嘲する。自分はそんな風にみられていたのかと、おかしくなった。嫌いなものは、たくさんありすぎるほどなのに。


「あの男も、彼に媚びへつらう両親も、上辺しか見ない同級生も、みんな嫌い」

「ふむ。嫌いなものがたくさんあるな」

「うん……でもね、文句ばっかり言って、何も変えられない自分が一番嫌いなの」


 不意にこぼれ出た言葉は、今まで隠していた本音だった。飛焔は肯定も否定もせず、ただうなずき話を聞いている。彩花にとってそれはとてもありがたかった。どちらをされてもきっと、反発してしまう。このことは、誰にも言ったことがなかった。彩花を愛し可愛がってくれる妖たちに、こんなことが言えるはずもない。ずっと、心の底に秘めてきたのだ。


「そうか、彩花は大変だな」

「そうよ、大変なの。人間界で生きるって」

 

 神妙な顔でうなずく飛焔に、彩花は笑って答えた。今までずっと隠していたものを吐き出せて、気が楽になったのかもしれない。なんだか少しだけ、すっきりした気分だった。


「暗い話になってしまって、ごめんなさい。日が暮れないうちに、早く山を下りないとね」


 しばらくしてからぱっと顔を上げ、彩花は話を打ち切った。暗い話をするのは好きではない。なによりこれ以上話していると、どんどん心の底の本音が出てしまいそうで、少し怖かったのだ。そんな彩花の気持ちをくみ取ってくれたのか、飛焔もこれ以上追及しようとはしなかった。


「ならば俺の背に乗れ。そうすれば、あっというまに運べる」

「いいの?! ありがとう。うれしいわ」


 思わぬ申し出に、彩花はぱあっと顔を輝かせた。犬神の背に乗れるなど、早々体験できるものではない。一にも二にもなくその申し出受け入れた少女は、乗りやすいよう低くかがめられた背にいそいそとよじ登った。久しぶりに触る被毛は少しチクチクと彩花のふくらはぎを刺したが、背に乗れた嬉しさが勝ち、あまり気にはならなかった。


「振り落とされないよう、しっかりつかまっていろよ」


 その掛け声に彩花が頷くと、飛焔は空に向かってひと飛びし、森の上を駆け出したのだった。

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