2.二匹の犬神

 俺が生まれたのははるか南、火を噴く山のふもとだった。毎日まわりの森には灰が降る、ごつごつとした岩場に囲まれた場所。度重なる降灰のせいで地下水はたまることなく地上を流れ、海に流れ込む。そのため数少ない水源を大切に守りながら、妖も人も生き物たちもみな身をよせあって生活していた。


 山が自然を破壊しすぎないよう火を噴くのを押さえ、生き物たちが暮らす森を守るのが赤犬族の役目だった。その中で俺は長の息子として生まれ、次の長となるべく育られた。父のは――ああ、「飛焔」という名は赤犬族の長に代々引き継がれる名前なんだ。だからそのときは別の名前で呼ばれていた。

 何と呼ばれていたかって? 次期の長は名を受け継ぐまで「火群ほむら」という名をつけられる。だから俺もそう呼ばれていた。


 話を元に戻そう。父の飛焔は非常に厳格な犬神だった。他人にも自分にも厳しく、決して曲がったことは許さない。悪をくじき弱きを助ける、そんな信念を明確に持っていた。自分の身内だからとひいきすることは一切なく、一族のものはもちろん周りに住む妖からも絶大な信頼を得ていた。




 すべての始まりは、父が一匹の黒犬族の子供を拾ってきたことから始まった。そのとき山は活動期に入っていて、毎日どこかしらで小規模の噴火が起こっていた。どうやら家族もろともその噴火に巻き込まれたらしい。助かったのは子供だけで、発見されたときは灰にまみれてひどく衰弱していた。だが奇跡的に命を取り留め、両親の献身的な介抱のかいもあって少しずつ回復していった。

 

 ただし、子供は一切の記憶を失っていた。どこか紫がかった黒い毛並みから、父は子供に「紫黒しこく」という名前を付け、実の息子のようにかわいがった。実の息子の俺が、嫉妬するほどにな。まあそれは冗談だが、ひねくれ者の俺とは違い、あいつは誰からも愛される子供だった。紫黒ぐらい愛想がよかったら、といつも母に言われていたな。一族のものも父に倣い、黒犬だからといって差別することは決してなかった。あいつは同じように子供たちの中で駆け回り、分け隔てなく一族のものとして扱われた。


 はじめは俺もいきなり兄弟みたいなのが一人増えて戸惑っていたが、すぐに慣れ、仲良くなった。長になるための厳しい稽古も、山々を探検して回った時も、いたずらをして怒られた時も、全部あいつと一緒だった。お互いの秘密はすべて知っているといってもいいくらい、同じ時間を過ごした――すくなくとも、その時の俺はそう思っていた。


 歯車が少しずつ狂い始めたのは、俺たちが成犬の仲間入りをしたころだった。成犬になれる年? だいたい30歳だな。長が課す試練に合格すれば、成犬として認められる。

 そのころから、あいつは時々何かに悩むような顔を見せるようになった。だが俺はあいつのそんな変化にかまってはいられなかった。成犬になると同時に、俺は正式に次期の長として「焔の煙管」を受け継ぐ儀式を行うことになったからだ。儀式は――ああ、そんなにせかさないでくれ。全部ちゃんと説明するから。


 「焔の煙管」とは長が代々受け継ぐ、焔を操るための道具だ。長はこの力を使い、山の噴火を制御する。ただし適度な回数にコントロールするだけだ。抑えすぎると力はどんどんたまっていき、いずれは抑えきれなくなって爆発する。かといって噴火させすぎると周りの環境を破壊し、森が死に絶えてしまう。だから次期の長は煙管を受け継ぐとともに、その制御方法を口伝で学ぶ。

 

 儀式といってもそんなに大層なものではない。ただ煙管に「次の継承者」だと認識させるだけだ。なぜなら煙管は継承者にしか使えない。儀式を受けて継承したもの以外は触っても力を使うことはできないんだ。ただし例外はある。だ。その場合に限り、煙管をその時所有しているものが新たな継承者となる。


 本当は、その話は誰にもしてはいけなかった。なのに、俺は紫黒に話してしまった。あいつなら大丈夫、俺はそう思っていたんだ。

 ――あいつが黒犬族から送り込まれた刺客だとも知らずに。




 異変が起きたのは、ある冬の暮れのことだった。その日は初めて父の同伴なしに煙管を持ち、噴火しそうな山の様子を見に行っていた。だがそろそろ帰ろうかというとき、住処のほうから火の手が上がったんだ。何事かと急いで帰った俺が見たのは、真っ赤な血に染まる父と母、そして紫黒の姿だった。今でも思い出せるよ。肉の焦げたにおいと、血のにおい。口を真っ赤に染めてうっそりと笑う紫黒。長の敵をとろうとして紫黒に挑んだ一族のものも多くいたが、皆返り討ちにされて地に横たわっていた。


 なぜこんなことをしたんだと問う俺に、あいつは笑ってこう言った。

「すべて思い出したんだ。僕は赤犬族を滅ぼすため、ここへ送り込まれたんだよ」と。

 話によると、あいつは刺客となるために記憶を封印され、火山のそばへと打ち捨てられたそうだ。火山の噴火に巻き込まれた子供を装い、父に助けられるように。記憶を思い出すきっかけは、成犬の儀式だったらしい。それを機に自らの使命を思い出したあいつは、赤犬族の最大の武器であり弱点でもある煙管を奪う機会をずっとうかがっていた。煙管さえなくせば焔を操る力は半減し、あいつが持つ水の力が上回る。だから俺が父に頼まれ煙管とともに外出したあの時が、一族を滅ぼす隙となった。


 俺は怒りで目の前が真っ赤になった。それからのことはぼんやりとした記憶しか残っていない。我を忘れて煙管の力を使い、紫黒に挑んでいったことは覚えている。だが、過ぎる力は自分をも滅ぼす。俺は自らの焔にのまれ、意識を失った。

 気づいた時には、辺りはすべて焼け野原だった。焔は両親や一族の遺体はもちろんのこと、この山の大半の森を飲み込み、焼き尽くしていた。


 紫黒の遺体はなかった。焔にまかれたのかとも思ったが、そうやすやすとやられるあいつではない。きっとどこかに逃げて、今度こそ俺の命を狙いに来る。そう確信していた。

 再会したのは、それから一か月後だった。少し離れた山の知り合いのもとに身を寄せていた俺の前に、仲間の黒犬を引き連れてあいつは現れた。

 「焔の煙管を使えるようになるために、君が邪魔なんだ。だから、僕の為に消えてよ」――そういって紫黒はケタケタ笑った。

 大勢の仲間を従えたあいつは、俺が知る名前とは別の名前で呼ばれていた。

黒嵐こくらん」。それがあいつの本当の名前だった。


 黒犬たちは圧倒的な数で山を蹂躙し、俺の知り合いや関係のない妖までも手にかけた。俺は命からがら逃げだし、何とか生き延びた。だが黒嵐をはじめとする黒犬たちは様々なところへ手を伸ばし、命を狙った。継承者が生きていれば、焔の煙管の力は使えないからだ。俺をかくまったもの、自分に従わないものは容赦なく殺す、それが彼らのやり方だった。やがて噂は広まり、黒嵐へ逆らうものはほとんどいなくなった。




 だから俺は北へと逃げ続けた。彼らの手の遠く及ばない山を探し、いろんなところを転々とした。そんな時、幼馴染の佐京の話をふと思い出したんだ。

 『はるか東の山に、大きな力を持った神が治める山がある。そこでは掟さえ守ればどんな妖でも受け入れられ、大神の庇護のもと平和に暮らせる』と。

 わらにもすがる思いで俺はその山を目指した。だが黒犬たちの追手は優秀で、やすやすと逃がしてはくれなかった。俺は山へたどり着くと同時に追いつかれ、煙管を奪われた。とどめを刺さなかったのはなんでだろうな。きっと、ほっといても死ぬと思ってたんだろう。あいつにしては、痛い誤算だったな。



 あとは知っての通りだ。彩花が瀕死の俺を見つけ、命を取り留めた。そうして幸か不幸か、俺は今でも生き延びている。

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