11.決着

 勝負はあっけなくついた。彩花の力と本来の飛焔の力が合わさったことにより、黒犬たちはあっという間にその身を地にふせ、命乞いをすることとなった。


 今後また命を狙われる可能性を考え、今までの飛焔なら迷わず命まで奪っていた。だがとどめを刺そうとして、脳裏に一人の少女の姿がちらついた。彼女がこの場にいたなら、きっと黒犬たちの助命を願っただろう。こんなことをして彼女を傷つけた罪滅ぼしにはならないかもしれないが、もしも彼らの行く末を聞かれたとき、悲しそうな顔はさせずに済むはずだ。


「二度と俺の前に姿を現すな。そうすれば命だけは助けてやる」


 低く唸りながらそう告げると、黒犬たちは命からがら逃げだしていった。その姿が闇に消えていくのを見届けてから、木の陰にたたずむ女のほうへと向き直る。どうやら向こうからは何も言う気がないらしく、一切の表情を欠いたまま冷たい眼を飛焔へと向けていた。


(謝罪? だが、こいつに言っても仕方ない。何を言っても今は言い訳になりそうだ……)


 何から切り出してよいのかぐるぐると考えていたが、いつまでたっても思考はまとまらない。そう思って何かは口にしてみるのだが、どの言葉も尻切れとんぼに終わる。こちらへ向けられる絶対零度の視線。このままだと視線に射殺されてしまいそうだと気弱になりながら、必死に打開策を考える。

 だが思いつく言葉はなく、いよいよ進退きまわったというところで、突然何やら遠くから楽しげな声がいくつも風に乗って飛んできた。


――ふうわりふわり、天狗様のお通りだい――

――お通りだい――


 地面をける高下駄の音に、木霊たちの楽しげな声。『天狗様』とやらの闖入者ちんにゅうしゃに、飛焔は警戒心を強めて身構える。過去にも天狗たちとの交流はあったが、あまり気の合う相手ではなかったのを覚えている。この状況であえてこちらへやってきたということは、何かしらの苦言を言いに来たのだろうか。


「初めまして。焔を統べる犬神の長」


 舞い降りるように飛焔の前へとあらわれたのは、白い法衣に朱面をかぶった一人の山伏天狗だった。がっしりとした体格が多い山伏天狗にしては珍しく、痩身の若い男だ。物腰柔らかい優雅さもまた、荒くれ物の多い天狗にはあまり似つかわしくない。


「私は市伊いちい。柚良さまの使いでここへ来ました」

「……何用だ」

此度こたびの一件について、柚良さまが直接話をしたいとの仰せです」

「どうしてもか」

「はい。彩花さんが巻き込まれたことも含めて、すべてをお聞きになりたいと」


 柔らかいが有無を言わさぬ口調に、飛焔は黙ってうなずくしかなかった。この山を統べる大神、柚良がそう望んだとあっては、よそ者の自分に拒否権はない。いらぬもめ事をさらに増やさないためにも、ここは素直に応じたほうがよさそうだった。


「では、明日改めてお迎えに上がります」


 すっと頭を下げた男に向かって、飛焔はもう一度うなずく。明日の話次第でこの山にいる許可が下りるか、追い出されるかが決まる。たとえ追い出されたところでまた別の場所を探せばいいだけなのだが、この少しの間に三本杉のねぐらは飛焔のお気に入りとなっていたので、できればこのままいられたほうが嬉しいと思った。


「雫石さんは私と一緒に来てください。これから柚良さまのところへ行きますから」

「相変わらずお仕事熱心やねえ。明日まとめてでもええやろうに、甘いこと」

「柚良さまの手足となり、目耳となることが私の存在意義なので」

「ほんま気持ち悪いわぁ、あんたのそういうとこ」

「お褒めいただき光栄です、雫石さん」

「ほめてへん、ぜんっぜんほめてへん!!」


 ため息をつく雫石へ言った市伊の台詞は、なんだか聞いてはいけなかったような気がして記憶から抹消することにした。一応友人の佐京や狐、雫石も柚良の配下の妖のはずだが、この山伏天狗はどこか彼らとは一線を画している。柚良への尊敬というより、もはや崇拝に近い。そして佐京や狐、ひいては飛焔も口では全くかなわない雫石をやすやすと煙に巻いている。

 この二人にはあまり逆らわないことにしよう――かみつく雫石、それを受け流す市伊の応酬がだんだんと遠ざかっていくのを聞きながら、そう飛焔は固く心に誓った。







 同刻、白藍とともに帰路についた彩花へも柚良から使いが遣わされていた。


「彩花! 無事だったか!!」

「銀星。平気よ。けがはないわ」


 白い直衣の姿が目の前に現れた途端、叫び声とともに彩花はぎゅっと抱きしめられた。この狐は彼の妹と彩花に関しては過保護な面があり、少しけがをしただけで多大な心配をされる。少々ほこりにまみれているぐらいで、彩花にけがはない。それでもみて確認をしなければ気が済まないらしく、髪や腕、背中などをぺたぺたと触り、どこもけがをしていないかどうか確かめていた。


「ああ、怖かっただろ。あンの駄犬、今度会ったらただじゃおかねえぞ」

「彼は悪くないのよ。ぼーっとしてた私が悪いの。お願いだから怒らないであげて」

「彩花がそう言うなら……文句を言うぐらいにとどめといてやる」


 むう、とむくれながらもうなずく銀星に、彩花はありがとうと笑った。どうやら本当に怪我がないと納得できたのもあるのだろう。なんだかんだと言いつつも、この狐は彩花の意見を尊重してくれるのだ。


「銀星さま、何か用件があってこられたんじゃァないんですかい」

「ああ、忘れていたよ。柚良さまからの言伝だ。明日犬神から話を聞く際、彩花も同席するようにと言われていたよ」

「柚良さまが……?」


 白藍のことばにようやく真剣な表情へ戻った銀星が告げたのは、予想外のことだった。この山の妖をすべて束ねる大神の柚良が動くことなどめったにない。ましてやその話し合いの場に人間の彩花がいることを許されるなど、いくら当事者とはいえ本来はありえないことなのだ。その証拠に隣にいた白藍までもが顔色を変えて驚いていた。


「そこまで大事おおごとってェことですか」

「柚良さまは気まぐれなところがあられるから、真意はわからない。でも、ずいぶんと彩花のことは気にしておられたよ」


 銀星の言葉に、彩花はさらに複雑な表情になる。何か優とのことを言われるのであろうか、という危惧があった。なにより一方的に別れを告げた犬神と顔を合わせなければならないのは気まずい。

 だが同時に、彼の話――犬神がこの山へ来ることになった理由は、彩花が知りたいと思っていたことだ。なぜ彼が名を捨てたのか、捨てた名を彩花に告げた理由はなんなのか、その真意が知りたい。今日の一件でその思いは強くなっていた。


「わかったわ。いつ、どこへ行けばいいの?」

「明日白藍を遣いにやるから、との仰せだった。白藍、よろしく頼んだぞ」

「承知しやした、銀星さま。必ず仰せの通りに」


 しっかりと白藍がうなずくと、銀星は目元を緩ませてまた元の表情へと戻った。彼が気にしていないということは、あまり悪い話ではないのだろう。そう自分を納得させて、彩花は少し緊張を解いた。


「さて彩花、ここからは白藍に代わって家まで送ろう。あまり遅くなってはいろいろと心配がかかる。俺なら家まで送って行っても誰も文句は言わないだろう」

「ありがとう、銀星。白藍もここまで送ってくれて助かったわ」

「じゃ、ひとっぱしり柚良さまのところまで行ってくるかァ。またな、彩花」


 そういうが早いか、白藍はさっと身を翻し、闇夜の中へと溶けていく。その姿を見届けてから二人はゆっくりと歩きだし、彩花は帰宅の途へと就いたのだった。

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