7.嫉妬と確執(2)

『全く、彩花のことに関してはすぐ頭に血が上る御仁よの』


 聞き覚えのある声に少女がおそるおそる目を見開く。そこには、一人の男が立っていた。特徴的な耳と尻尾を揺らし、蜻蛉かげろうの羽根のような薄青の狩衣のうしは、どこからどうみても人外の者だ。

 ぶわりと一気にぼやけた視界の向こうで、男が優のほうへゆっくりと近づいていく。何時にも増して頼もしげに見える姿に思わず安堵し、彩花はその拍子に涙をこぼしそうになった。


(良かった、きてくれた――ちゃんと、間に合った。銀星、ありがとう)


 ちらと彩花を見やった銀星はほんの少しだけ口端に笑みを浮かべた。続いて、彼の豊かな銀髪に結わえられている鈴の音色に似た涼やかな笑い声が響く。その言葉に苦々しそうに返答したのは、結界を打ち砕かれて地に膝をついた優だった。


「……これは、御使いどの」

『いかにも、我が大城山を統べる大神の御使い。そなたに会うのは幾日振りかの。しかしまあ、相も変わらず血の気が多いようじゃが』


 あきれた口調で問いかける狐に、優はかすかに表情を変えた。大神の加護を受けてこの地を守る神主は、言葉の運び手たる御使いたちの声を聴き、力を行使する。それゆえ、めったなことでは逆らえない存在である。だが普段ならすぐに意見を翻す優も、彩花のことになるとなかなか譲ろうとはしない。

 

「恐れながら申し上げますが、自分の妻になる者を護って何が悪いのですか。いくら御使いである貴方でも、少しばかり干渉しすぎなのでは?」

『干渉といえば、そなたのほうが遥かに勝るだろうて。正当防衛は攻撃を加えられて初めてその正当性が成り立つものじゃ。何もされてないうちに攻撃を加えるのは、もはやただの加害者に過ぎぬ』

「正当性ならありますとも。彼女をたぶらかした罪です!」


 厳しく優の行動を糾弾する銀星にも負けず、あくまで当然の権利だと言わんばかりに優は自分の正しさをまくし立てた。相変わらず反吐が出るような言葉ばかり並べ立ててくれる――湧き上がる怒りを隠しもせず、彩花は双方に向かって目一杯顔をしかめて見せる。その途端、銀星はさもおかしそうに笑い出した。


『彩花が妖に誑かされたじゃと? 全く以って片腹痛い話よの。その薄っぺらい口から戯言ざれごとを吐くのも大概にしたらどうじゃ。嫉妬に狂う男ほど醜いものはないぞ!』

「け、決して、そのような理由からでは……っ!!」


 きっと思い当たることもあったのだろう。優はなおも食い下がって見せたものの、必死にごまかそうとする様子が見て取れる。この分なら優が負けを認めるのも時間の問題だといえそうだった。


『確かに、妖の身ながらここまで人里に近づいてきた罪はかの犬神にもあろう。じゃが、それは彩花の身を護らんがための行動じゃ。それに、犬神はそなたの結界内には入っておらん。手を出すのは筋違いだというものよ』


 銀星は一定の理解を優に示しつつ、早まった行動をいさめた。それには優も言い返せず、ぐっと言葉に詰まる。その様子にうなずきながら、狐はなおも言葉を継いだ。


『あまりこのようなことが目立つなら、水城神社の神主は大城山の神に叛意はんい有りとみなすぞ。それが嫌ならば、今後二度とこのようなことが無いように心得よ』

「彼の者が彼女に一本たりとも指を触れないと誓うならば、私もおとなしく引き下がりましょう」


 あくまでも自分の意見を通そうとする優に、あきれを通り越し、銀星は苦笑を浮かべた。どこまでも必死で、斜め上な男のゆがんだ愛情。残念ながらまったく彩花には伝わらず、むしろ嫌な男路線まっしぐらだ。


『全く狭量な男よの。指の一本や二本触れさせてやる心の広さも持ち合わせていれば、彩花も少しはそなたを見る目が変わるじゃろうに』

「ですが――」

『ひとつ言っておくぞ、水城の。我が主は彩花とそなたが婚姻の儀を結ぶことは許したが、そなたらはまだ祝言を上げてはおらぬ。だのに、夫婦になる前から妻呼ばわりするとは何事じゃ。挙句の果てに自らの所有物のように扱うなど、以ての外よ。多くは言わぬが、少なくともそれだけはそなたのたわけた頭にしっかりと叩き込んだ上で、彩花に接することじゃな』


 銀星が必要以上の感情をそぎ落としたつめたい声がそう言い終わると、その場に沈黙が落ちた。優はというと、ぐうの音も出ないという顔をして突っ立っている。言い返すことも出来ないが、かといって唯々諾々いいだくだくと銀星の言葉を受け入れるのも癪だ、というところだろう。

 

 そうやっていつもこの二人の応酬は終わる。毎回のように決まりきった結末に、いささかつまらなさそうにばさりと尻尾を振った銀星は、興のそがれた顔で優に告げた。


『さて、そろそろ夜も深まってきた頃じゃ。彩花はわれがしかと送り届けるゆえ、そなたも自らの家に帰るがよい』

「せめて、私の手で彼女を送らせてはもらえないのでしょうか」

『大概あきらめの悪い奴じゃの。いいか、二度は言わんぞ。彩花は我が送る。そなたはさっさと自らの家に帰り、本来の役目を全うするがよい。まったく大した力も持っておらぬくせに、こんなことにうつつをぬかしておるから街の結界が緩むのじゃ……』

「……わかりました。今日のところはこれで帰ります。また、いつしか機会があればお会いしましょう。それでは」


 苦りきった表情をしつつも、優はそこまで言われてようやく折れた。顔を見れば全く納得していないことは一目瞭然だったが、さすがに耳に痛い部分も多々あったのだろう。しぶしぶ銀星の言う通りに元来た道を帰って行った。

 その後姿が完全に消えるのを待ち、傍らの銀星のほうを見やる。厳しい顔をした銀星がひとつ大きく頷き、口を開いた。


「もういいぞ、彩花。いってやれ」


 先ほどの老獪ろうかいな口調はどこかへ消えうせ、聞きなれた口調へと変わる。それが合図だった。もう、手の届く範囲に優はいない。弾かれるようにして彩花は倒れ伏す犬神の元へと駆け寄った。

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