第4話

 すすむは浴槽に首のあたりまでつかり、思

いきり両脚をのばした。

 そっと目を閉じ、今日あった出来事をふり

返ってみた。

 公園を出ようとして、浮浪者みたいな男に

逢ったことは覚えている。

 あいつの声は、ブランコに乗っている時に

聞いた声と同じだ。だから逢ったこともない

はずなのにやけになれなれしかったんだ。

 それからどうしたんだっけ、と思いだそう

とするが、どうしようもない。

 まるで思い出せなかった。

 「すすむ、どう?湯加減は」

 浴室のドアがかすかに音を立てた。

 聞き耳を立てていたら、遠慮勝ちな母の声

がした。

 素直に答えるのも、癪にさわるから無視す

ることにしていると、

 「なによ、返事くらいしてくれたらいいで

しょ。心配してあげてるのに」

 彼女は怒ったのか、バタンと大きな音を立

て、ドアを閉めた。

 ちぇ、小さい子どもじゃないんだから、ち

ょっとくらい帰りが遅かったからって、浴室

まで様子を見に来なくてもいいじゃないかと

思う。

 ふいに天井を仰いだすすむのひたいに、水

滴がポツンと落ちた。

 湿気が抜けないせいだと思い、閉め切った

窓を開けようとして立ち上がった。

 壁に埋め込んである鏡に、何か映るのを目

にして、彼はぬくもっているはずの背筋がぞ

っとするのを感じた。

 ちらっと見ただけだったが、すすむ自身が

映っているのではなかった。

 肌がカメレオンの皮膚に似ているし、顔は

まるでハ虫類並み、それに髪の毛だって、あ

あ言うのもいやだ、まるで蛇のあつまりっ。

 あまりに人間離れした姿に、すすむはその

場で卒倒しそうになった。

 こんなんじゃ死んだ方が楽だと、彼は舌を

かもうとしたが、ちょっとかんだだけで痛く

てかなわないから、やめた。

 そう言えば、いつもは喜び勇んで跳んでく

るぽっけが、台所で二の足を踏んだ。

 自分の目で、自分の体を見るぶんには変わ

りはなかった。

 立派な人間の男の子である。

 鼻の下のちょび髭だって、わき毛にしたっ

て・・・・・・、それにいつも気になってい

るあそこにもちゃんと黒い毛が生えている。

 風呂からあがるのがあまりに遅いと、また

母がやって来そうだった。

 脱衣所で、洗ってもいない髪の毛を念入り

に乾かしたのは、活き活きと動きまわる蛇を

なんとかしたかったからである。

 こうなったら、家族が何を見ようとかまわ

ない。 

 すすむは、思い切って、洗いたての肌着を

身につけ、それからパジャマを着ると、脱衣

所から出た。

 どきどきしながら、みんなのいる茶の間を

通って行く。

 だが、母にせよ、父にせよ、彼を認めても

驚きの声をあげない。

 すすむに気づいて、彼らはほほ笑んだ。

 彼は、なんだ、人の目なんて、実にいい加

減なもんなんだと思った。

 自分の部屋にもどると、さっそく、手鏡を

取り出し、身体のあちこちを映した。

 残念なことに、浴室で見た姿とほとんど同

じである。

 ただ、頭の上に蛇たちがぐんなりしていた

から、ざまあみろと思った。

 これじゃ生きていけないと、ひもを取りだ

し、ベッドの柱に片方の端を引っかけ、他方

を首に巻きつけた。

 両脚を投げだすが、苦しくてたまらない。

 やはり、自分で自分を殺すのはやめること

にした。

 急にこんな身体になったんだから、またす

ぐにもとどおりになるかもしれないと思う。

 それからしばらくは、変わり映えしなかっ

たが、風呂に入るたびに、身体の変化が気に

なるようになった。

 おなかのあたりに、ぽつぽつとイボのよう

なものができて来て、それが日増しに広がっ

て来る。

 やっぱりあの浮浪者に何かされたんだ、ひ

ょっとしたら、とんでもないウイルスをうつ

されたかもしれないと思った。

 感情面でも変わった。

 思春期だから仕方ないようなものだが、そ

れ以上だった。

 やたらと怒りっぽくなり、何かあるとすぐ

に暴力をふるった。

 女の子にあまり興味がなかったが、道や学

校で異性に会うたびに、裸の彼女をあざやか

に想像してしまう。

 そんな自分がいやになった。

 すすむは、異性を目にするたびに、空をあ

おぐようにした。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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