百万回生きても猫

深夜太陽男【シンヤラーメン】

第1話

     ○


 休日の昼下がりの公園は人で賑わっていた。春が近く、暖かい陽だまりに猫が微睡んでいて、私はその子をひたすら撫でていた。もうすぐ春だねとか、お花見したいねなんて言っても隣にいる彼はぶっきらぼうな返事しかしない。基本的に私たちは時間の潰し方が下手で、一緒にいても会話は長く続かず黙々とした時間が流れる。そうなると私は退屈するので動物を見つけては眺めたりモフモフしたりするのだ。彼は童心に戻っている私をぼんやりと見ている。一緒にいる意味があるのか不安にもなる。

「私は猫に囲まれて一生過ごせれば、それだけで幸せだなあ」

 そんなこと言ってみると彼は困った顔をして覗き込んでくる。『僕は?』とでも言いたげな。言って欲しいのか、でも言わないでおこう。そんな表情が愛おしくもあるから。

 少し強めな風が吹く。私は長く伸ばしていた髪を整え直す。バッサリ切ってしまおうかとも考えるが、彼が髪型の好みをハッキリ言わないので迂闊にカットなどできないのだ。

「ちょっと飲み物でも買ってくる」

 彼が立ち上がると、私の手元で液体のようにふにゃふにゃしていた猫が急に彼の足元に歩み寄った。普段から彼は猫に嫌われているので珍しい、と思ったら猫は彼のつま先を前足でバリバリと引っ掻き始めた。

「どうにも好かれないんだよなあ」

 彼はひょいと猫を持ち上げて私に預けた。猫は私の手元でもまだ少し暴れていた。彼の大きい黒い目が私を捉える。『戻ってくる』なんて目で語ってくる、私は不安げな子猫にでも思われたのか。彼はうまく喋れないくせにやたらと目で訴えてくる癖があるのだ。


     ○


 大きなクラクションの音と鈍い衝突音が耳に届いた。私は猫と戯れるのをやめて音のしたほうへ行くと、急停止したトラックとボールを抱えて硬直している幼児、それから少し離れたところでうずくまって倒れている彼が見えた。状況が理解できずただ静寂の時間が流れた。幼児が大声で泣き出してようやく我に帰れた。慌ただしく蠢く景色の中で、彼だけは静止したままだった。


     ○


 風で飛ばされたボールを追いかけて道路に飛び出た幼児を助けようとして彼は駆けつけたのだと目撃者の方は言っていた。幼児もトラックの運転手も無事で、死んだのは彼だけだった。あっさりと事は進んでいき、人間社会は彼が消えてしまった世界を簡単に認めてしまった。私だけがそんな世界にうまく馴染めず取り残されているみたいだった。

 しばらく仕事を休み、仕事を辞めて離れた場所へ引っ越して新しい仕事を見つけて、ひたすら仕事をしていた。古い友人からは新しい人を見つけることを勧められたけど、そんなことは考えられなかった。

「私は猫に囲まれて一生過ごせれば、それだけで幸せだから」

 私は生まれたときからずっと猫と一緒に暮らしていた。実家にいたときも、一人暮らしをしているときも、彼と出会って同棲を始めたときも、また一人に戻ってしまい広くなってしまった部屋にも必ず猫がいた。もちろん人間の寿命に比べて猫の寿命のほうが短いから必ず別れが来るのだけれども、その度に新しい猫が部屋へ転がり込んでくるものだった。

 昔からの友人はみんな結婚して子供も産んでいるようになり、私は職場で生き遅れだとか猫おばさんだとか陰口を言われていた。そんなときに職場の男性にプロポーズされた。まだ小さい子供がいるけど独り身では大変らしい。結婚願望は特になかったが子育てには興味があった。家の猫に相談してみると『好きにしろ』なんて目で語ってきた。私は利害の一致ということで承諾した。

 それからは人並みの幸せというものを噛み締めながら過ごせた。子供が大きくなるのはあっという間ですぐに自立して家庭を築いていった。夫はそれをちゃんと見届けてから亡くなった。すっかりおばあちゃんになった私はまた一人、猫と過ごす日々に戻った。


     ○


 変な夢を見た。猫神様と名乗る直立二足歩行でやたらと偉そうな猫が『貴様は猫界に多大な恩恵をもたらしたので生まれ変わったら猫にしてやる』と言うのだ。よくわからないけど私はその猫をモフモフした。よろしくお願いします。


     ○


 夢から醒めれば私は白く長い毛並みの猫になっていた。人間だった頃の私の家の庭にいて、家の中では人間だった頃の私の葬式をしていた。

 私は慣れない体で毛づくろいしようとしていると黒猫が近づいてきた。鳴きもせず『戻ってきた』と目で語る。なんだかこの猫は彼を彷彿させるので一緒についていくことにした。


     ●


 休日の昼下がりの公園は人で賑わっていた。春が近く、暖かい陽だまりに猫が微睡んでいて、彼女はその子をひたすら撫でていた。もうすぐ春だねとか、お花見したいねなんて言ってくるけど僕はぶっきらぼうな返事しかできない。基本的に僕たちは時間の潰し方が下手で、一緒にいても会話は長く続かず黙々とした時間が流れる。そうなると彼女は退屈して動物を見つけては眺めたりモフモフしたりするのだ。僕は童心に戻っている彼女をぼんやりと見ているのが好きなのだが、やはり彼女は少し不満げだ。

「私は猫に囲まれて一生過ごせれば、それだけで幸せだなあ」

 そんなこと言ってくる。『僕は?』なんて聞けるわけがない。彼女はそれを見越してか意地悪げに微笑むのだ。

 少し強めな風が吹く。彼女は長く伸ばしていた髪を整え直す、ささやかな彼女の仕草が好きだった。ショートカットも見てみたいのだが、女性に髪型についてアレコレ簡単には言えなかった。

「ちょっと飲み物でも買ってくる」

 僕が立ち上がると、彼女の手元で液体のようにふにゃふにゃしていた猫が急に僕の足元に歩み寄った。普段から僕は猫に嫌われているので珍しい、と思ったら猫は僕のつま先を前足でバリバリと引っ掻き始めた。

「どうにも好かれないんだよなあ」

 僕はひょいと猫を持ち上げて彼女に預けた。猫は彼女の手元でもまだ少し暴れていた。虫の知らせを感じたみたいに、彼女は少し不安げな顔を見せるのだ。僕は彼女の目を覗き込んで『戻ってくる』と無言で伝えてみた。うまく喋れないがコレをするようにいつも努めていた。


     ●


 自販機に向かう途中、ボールを追いかけている幼児が視界に入った。親は近所のママさん会だろう、その談笑に夢中。幼児はボールに夢中。周りの人間も自分自身に夢中。このままでは幼児が道路に飛び出して迫っているトラックに引かれてしまう事実に誰も気づいていなかった。何かを迷う時間なんてなかった。いや、一瞬だけベタな展開だなんて思ったりもした。


     ●


 変な夢を見た。猫神様と名乗る直立二足歩行でやたらと偉そうな猫が『貴様は猫界において別にどうでもいい存在だけど命を救う行為は素晴らしいので何か一つ願いを叶えてやる』と言うのだ。いいから早く彼女の元へ戻してくれと言うと猫神様は困った顔して『ワシの力だと猫で復活させるのが限界よ?』なんて言う。いいから早くしてくれ。


 目が醒めると僕は猫になって彼女の手元でわしゃわしゃと撫でられていた。まだ夢の中だろうか、いやはやしかしこりゃたまらんのう。

「私は猫に囲まれて一生過ごせれば、それだけで幸せだなあ」

 彼女がそう言うと人間だった頃の僕はすごく困った顔をしていた。こんなにも表情にでていたなんて情けない、恥ずかしい限りだ。

 さっきまでいた公園だ。暖かく、そして少し強い風が吹いた。

「ちょっと飲み物でも買ってくる」

 人間だった頃の僕が立ち上がるので止めようと思い、足元にしがみつくがあっさりと引き剥がされてしまう。彼女の手元に戻されるがしばらく抵抗する。しかし今、幼児を助けない選択をしたらどうなる? 何かを引きずったまま二人は生きていったとしてそれは幸せなのか? 猫の脳では考えきれない問題に頭を悩ませていると大きな音がした。


     ●


 それから彼女は今までにないくらい泣いて、ふさぎこんで、痩せていった。しばらくして仕事に復帰したみたいだが、すぐに辞めてしまったようだ。僕は彼女と一緒にいられる時間はとにかく体を撫でさせてやり彼女の独り言を聞いてあげた。お金を稼いだり料理を作ってやったりできないなんて猫はなんて不便なんだ。

 彼女は何もかもをリセットするかの如く離れた街へと引っ越していった。ここで僕の猫としての肉体は一度死ぬが、新しい街でまた新しい猫として生まれ変わり彼女に飼われた。彼女は仕事にのめり込んでいるようで前より帰ってくる時間が遅かった。一時期は猫を見るだけで嫌なことを思い出すらしくとことん荒れていたが、僕は離れることもできず泣き伏せている彼女のそばにいるしかなかった。

 喜んだり悲しんだり無気力になったり、そんなことを彼女と繰り返しているうちに僕はまた生まれ変わって彼女と暮らしていた。ある日彼女が『今さら結婚ってどうなんでしょう?』と聞いてきた。内心複雑ではあるが、僕はもう男である前に猫だし、彼女を支えるパートナーは猫だけでは力量不足だ。とりあえず『好きにしろ』と目で伝えてみた。

 それからは共に過ごす人間の数が増えた。気弱そうだが気の利く優しい男性と、とにかく無邪気で元気いっぱいな娘ちゃん。彼女はそんな二人に振り回されながらも前よりずっと笑うようになった。僕は何度も生まれ変わり、気づけば彼女はおばあちゃんになっていた。

 男性も子供もいない部屋で彼女は横になって寝息をたてていた。

「私は猫に囲まれて一生過ごせて、幸せだったよ」

 そんな寝言が聞こえた。僕のこの肉体もそろそろ限界で、彼女の隣に寝転がった。なんだかゆっくり眠れそうだ。


     ●


 彼女が死んでも僕は相変わらず猫として生まれた。彼女の葬式をぼんやり眺めていると、庭に白猫がいた。毛並みを整えているその姿がなんだか生前の彼女を彷彿させ、とても懐かしい気持ちになった。

 僕は鳴くのが下手なので、その猫に目で伝えてみた。

『戻ってきた』

 その猫はご機嫌そうに僕についてきた。これからも、ずっと一緒だ。

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