第5話 精霊たちの物語

 そうこうしている内に、朝食兼昼食と夕食をご馳走になっていた。

 いくら何でも世話になり過ぎじゃないだろうか。そう思って丁寧に礼を述べると、泊まっていくと良いと族長に引き留められた。

「我々にとっては、子供は何者にも代え難い宝なんです。ましてや族長の子供ともなれば、村全体の宝です。彼を助けてくれた貴方がたは、この村の恩人なんです」

 戸惑う私たちに、ユフラは説明してくれた。

「そう言えば、他に子供の姿が見えないようだが……何処かに集めているのか?」

「子供は、キャスリース様お一人です」

「えっ?」

 私は耳を疑った。正確には分からないが、食事や酒を運ぶ者の他に、車座になって座っているエルフだけでも、三百人は超えているように見えたからだ。

「これだけ居て、子供が一人か?」

 ディレミーンも、驚いたようだった。

「ええ。我々エルフは長命な代わり、新しい命を授かりにくいのです。人間の繁殖力の、百分の一以下だと言われています」

「なるほど。ならこの歓待も、納得がいくな。ゴースト。言葉に甘えようじゃないか」

 ディレミーンは、鹿の肉のナッツ詰めで口をモグモグさせながら言った。

「そう……だな」

 これが気に入ったのだろうか。さっきから見ていると、鹿肉のナッツ詰めばかり食べている。エルフ特有の調味料が使われているようだったが、真似出来ない事もない。

 今度、作ってみよう。ディレミーンがこの村にいる間、また私の家を訪ねるとは限らなかったけど。


 客間としてあてがわれたのは、ツリーハウスではなく、木々が寄り集まって屋根を形作っている、地上の吹き通しだった。森には『鍵』がかかっているから、風雨の心配がない。だから、外から来た人間には、ここが一番安全で快適なのだろう。

 光の精霊はまだ何体かぼうと高みを泳いでいて、その柔らかな光は、空は見えないのに月を思わせた。

「……ゴースト。寝たか?」

「いや。色んな事があったからな。興奮して眠れない」

 その『色んな事』の中には、ディレミーンの誕生日プレゼントも入っていたが、私は敢えてそれには触れずに静かに言った。ディレミーンに背中を向けたまま、枕元に外して置かれた蒼い胸当てに触れていた掌を、そっと引っ込める。

 眠ろうと努力して瞑っていた黒瞳を、諦めてパッチリと開いて問いかけた。

「ディレミーンも、眠れないのか?」

「ああ。こんな幻想的な景色の中で眠るのなんか、初めてだ。俺も興奮して眠れない」

 そして、意外な事を言った。

「だから、何か物語を聞かせてくれないか。キャスリースに話したっていう、精霊たちの話が良い」

「……精霊に興味があるのか?」

「エルフに興味がわいた。そのエルフが操るという、精霊の話が聞きたい」

 エルフの美しさに初めて触れたんだろう、無理もない。枯れ果てたような酒場の禿げ親父でさえ、頬を赤らめるのだ。ディレミーンがその魅力に取り憑かれたとしても不思議はなかった。

 意外と俗物なのだな。そんな感想をいだきつつも、私はその言に従った。

「……良いだろう。ここは精霊力が強いから、好都合だ」

身体の側面を下にして背を向けていた姿勢から、木立の天井を向いて仰向けに寝そべる。

「太古の昔、この世は神々と精霊の楽園だった。ありとあらゆるものに精霊が宿り、自由に大地を闊歩しては、人間や妖精と気安く口をきいていた」

 念じると、苔むした大地から小さな土人形が三体現れて、横になったディレミーンの胸の上によじ登って通り過ぎると、土に返って姿を消した。楽しそうなディレミーンの吐息が漏れる。

「ある日、風の精霊シルフと水の精霊ウンディーネは、賭けをした。森の中に住む一人の若い木こりの心を賭けて」

 虚空に手を翳すと、長い長い髪を靡かせた半透明のシルフが、そっと微笑みを残して大気に溶けた。

「シルフは、魂を持たず普通の人間の目には見えなかったから、毎日夕刻の決まった時間に出かけては、木こりの家のドアを叩いた。そうすれば、自分に気付いて貰えると思って」

 次に私は、傍らにあったクリスタルの水差しの蓋を開けた。すると中から少量の水が飛び出して、美しい娘の面差しを形作った。

「ウンディーネは、木こりには虹色に輝いて見えた。木こりはウンディーネに恋をし、賭けはウンディーネの勝ちだったが、婚約した後に些細な事から言い争いになり、次第に木こりの心は離れていった。そしてついに、木こりは人間の娘に心変わりをしてしまう。人間に心変わりされるとその人間を殺さなければならないという制約を持つ水の精霊は、涙を零しながら木こりをその手にかけた」

 水で形作られた乙女の瞳から、涙の雫がこぼれ落ちた。そして、チャプンと音を立てて球形に纏まると、水差しの中へ自ら飛び込んで戻っていった。

「それ以来、精霊たちは人間に姿を見せる事はなくなったという」

 沈黙が落ちたのは一瞬で、すぐにディレミーンが聞いてきた。

「火の精霊は出ないのか? 四大精霊といえば、地・水・火・風だろう」

「詳しいな」

 私は苦笑した。どうやら、エルフや精霊魔法に興味があるのは、にわか仕込みではないらしい。

「火の精霊の話もあるが、危ないからここで火を使う訳にはいかない」

「ああ……そうか。そうだな」

 薄明かりの中で、こちらを見ていた逞しい頬が、幸せそうに笑った。

「今日初めて、光と土と風と水の精霊を見られた。興味深かった、ありがとう。……眠くなってきたし、そろそろ寝るとする。おやすみ」

「ああ。おやすみ」

 ディレミーンは、部分鎧を外したラフな姿で微笑んだまま目を閉じると、長剣を抱くようにして眠りに落ちていった。酒のせいもあるだろう、すぐに寝息が立ち始める。

 ……こうしていると、キャスリースと変わらないな。七十年を生きた私には、キャスリースもディレミーンも、さして年齢に差はないように思えた。暗がりの中で顔をよく見ようとすると、その思念を捉えた一体の光の精霊が下りてきて、吹き通しの中を漂った。

『アア……彼ガ起キテシマウ。ココハ照ラサナクテ良イカラ、オ行キ』

 片言の精霊語で呟くと、光の精霊はふわふわと出ていった。

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