第4話 七十歳にして初体験

 大木の樹下に幾重にも車座になって座り、エルフたちは酒を振る舞ってくれた。輪の中心には、私とディレミーンとユフラ。

 この場合の上座になるのだろうか、少し離れた大樹の根元に、族長夫妻が腰掛けて、傍らのキャスリースの頭を撫でていた。

 私はそれを目を細めて眺めてから、頭上を見上げる。枝葉が生い茂って天然の光は殆ど届かない筈なのに、間接照明のように仄明るい正体は何なのか、気になった。ランタンとは違う生命力の宿った光る球体が幾つも、高い所をゆらゆらと漂っていた。

「光の精霊か……」

「へえ。あれがそうなのか。初めて見たな」

 隣を見ると同じように、ディレミーンも銀のゴブレットを片手に空を見上げていた。

「綺麗だな」

 それを肴に、ディレミーンが一口る。

「ああ……そうだな。ユフラ、あの沢山の光の精霊は、誰が操っているんだ?」

 精霊魔法は簡単に極論すると、自然に宿る精霊に、精霊語の呪文で『お願い』をして、舐められなければ『お願い』を聞いて貰えるというシステムだ。従って、魔力が弱かったり精霊語が下手だったりすると、魔法が行使出来ない事もしばしばある。

 私もエルフの子供用に書かれた精霊魔法の書物で独学したが、最初は何も出来なかったものだ。まあ今でも、何とか使えるのは地精魔法の初級くらいだったが……。

 ユフラも見上げ、光球に流暢な精霊語で語りかけた。

『光の精霊よ』

 すると高みを漂っていたそれが一つ、ふわふわと下りてきてユフラの広げた掌の上に収まった。人の頭よりも大きな光の塊だ。

「熱くないのか?」

 興味津々なディレミーンが、恐る恐る手を伸ばす。

「火ではないから、熱くはありません。彼は、純粋な光だけの存在です」

「へええ……」

「おっと。だけど彼は、無闇に触れられる事を嫌います。迂闊に触ると、稲妻を発する事がありますよ」

「ひゃっ」

 慌てて手を引っ込める大男を、縦にも横にも二回りは小柄なユフラが、揶揄して笑った。

「はは。脅かしてすみません。ですが、光の精霊を稲妻として攻撃に使う事もあるから、嘘は吐いていません」

 そして、放鳥でもするように、ふわりとそれを空に放した。光の精霊は、ゆらゆらと揺れて再び高みの仲間たちに合流した。

「精霊魔法を使えると言いましたね。では、この森が『閉ざされている』のは分かりますか?」

 ユフラは、私を試すように色素の薄い瞳を合わせて質問する。私は期待に添おうと、自分に分かった感覚を言葉にした。

「ここに入る前に、『鍵』を開けたのは分かった」

「ああ……その感覚は正しい。私たちはこの森を『閉じ』て、普段は『鍵』をかけています。そのせいで森にこもる精霊力が高まって、簡単な精霊魔法なら、呪文の詠唱・管理なしでも具現化させる事が出来るんです。だから光を作る程度なら、子供でも出来るし放っておいても消える事はありません」

「じゃあ、キャスリースが言っていた事は本当なんだな」

「キャスリース様が、何か言いましたか?」

「『僕は精霊魔法が使える』って。悪いが、子供の見栄だと思っていた」

「ふふ、それは、キャスリース様に謝って貰わなくてはいけませんね」

 冗談めかしてユフラが言った。冗談? エルフが!

 エルフというものはプライドが高く、もっとお高くとまっているイメージが強かったが(それはミスリル銀の取り引きの際に感じる事だ)、どうやらユフラは違うようだ。人間や、ダークエルフのなり損ないの私にも、気安く言葉を投げてくる。

「どうかしましたか?」

 ビックリまなこで見詰めていると、ユフラの方から水を向けてきた。

「いや……ミスリルの取り引きの時は、人間語すら話さないのに、まさかこんな歓迎を受けるとは思わなかった」

「ああ……それは、取り引きですから。精霊魔法と同じです。値段交渉をする上で、少しでも優位に立った方が、村の為になる。ネフテルが悪い奴という訳ではないんです。察してください」

「ああ、考えを改める」

 そう言って、銀のゴブレットの中身を干した。

「おかわりは?」

「いや、今日は生まれた日なんだ。あまり羽目を外さない内にやめておく」

 途端、ディレミーンが酒にむせた。

「ああ……大丈夫か、ディレミーン。何をやっている」

 派手に咳き込むディレミーンの背中を、昨日キャスリースをあやした時のようにトントンと軽く叩いてやる。ようやく咳が治まると、ディレミーンは不可解な事を言い出した。

「何で、それを早く言わないんだ!」

「ん? 何の事だ?」

「今日が誕生日なんだろ?」

「ああ、そうだが……それがどうかしたか?」

 私の冷ややかな眼差しを受けて、ディレミーンは少し怯んだようだった。

「……誕生日には、ケーキに蝋燭で祝うって習慣ないのか?」

「ああ。そう言えば、一般的にはそうらしいな。私の場合、私の生まれた日は、母の亡くなった日なんだ。だからいつも、喪に服して過ごしている」

「なっ……」

 ディレミーンは絶句した。そして何を思ったか、上半身を倒して身を寄せると、私の顔を肩のあたりに触れさせた。

「……泣いても良いぞ」

 意味が分からない。涙声なのは、ディレミーンの方だ。

「気にしないでくれ。私は母の事は覚えていないし、もう昔の事だ」

 その時、目当てのものが運ばれてきたようで、ユフラが声をかけてきた。

「事情は分かりました。では、故人を偲びつつ、これはディレミーン殿からゴースト殿への誕生日プレゼントという事でどうでしょう」

「ああ、そうしたい。ゴーストお前、誕生日プレゼント貰った事あるか?」

「ない」

「じゃあ、俺が着けてやるよ」

 ユフラを振り返ろうとすると、肩当てに鼻先を押し付けられた。

「いや、まだ見るな。目を瞑れ。これが、サプライズプレゼントってヤツだ」

 言われた通りに目を瞑ると、手を取って立たされた。ディレミーンが後ろに回った気配がして、胸のあたりに服の上からヒヤリと金属の触れる涼感があった後、背中で編み上げの革紐を結んでいるようだった。

『光の精霊よ。真実の姿を映し出せ』

 ユフラの短い呪文詠唱の声がした。これは私でも知ってる。鏡を作り出す精霊魔法だ。

「よし、ゴースト、もう良いぞ」

「う……うん」

 ゆっくりと瞼を開くと目の前に、精霊魔法で作られた全身鏡があった。誰も私の事など気にしなかったから、私もゆっくり鏡を覗く事をしなくなっていた。

 そこには、長袖のタイトミニワンピースにミドルブーツ、ニーハイソックス、フード付きのハーフマント、いつもの黒装束の私が映っていた。

 ただ一つ、胸当てを除いて。

 深い蒼に塗られたミスリル銀の胸当てには、金色の装飾が施してあって、それが高みの灯りを反射して文字通りキラキラと輝いているのだった。

 痩せっぽちの私の胸に、サイズもぴったりだ。

 私が、黒以外のものを身に着けたのは、これが初めてだった。

「うん。似合ってる」

「そ……そうか?」

 私は何だかそわそわと落ち着かなくなって、頭を掻いたり、胸当てをペタペタと触ってみたりする。

「とても。誕生日プレゼントだ」

「あ……ありがとう」

 こう言うのが妥当なんだろうと思った。

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