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中学時代、たいして仲良くもない同級生に「お前、剣道部なんだから買っとけよ」などと迫られ断りきれず、修学旅行で買わされた京都の木刀が──まさかここで役立つとは思わなかった。
郊外にある高等学校は、深夜に忍び込む不法侵入者二名をたやすく通すくらい警備も防犯も手薄で、逆にセキュリティが心配になるほど。
人目をはばかり、校舎一階から伸びた渡り廊下から古びた旧校舎へ移り、その先の最上階──目指していた屋上を閉ざす扉が南京錠と鎖で固められていたが、幸いにも木刀で叩きつければ簡単に壊すことができた。
「わーはは、これで共犯確定だねっ」
崩れ落ちた鎖たちを眺め、戦力としてもっとも信頼のおける同僚が緊張感なく笑う。
自分の
「……すみません。平井さんを巻き込みたくはなかったのですが」
「いーよいーよ。わたしにも出来ることがあれば、手伝いたいもん。──命、かかってるもんね」
眉を吊り上げニーッと笑う彼女に、重く頷く。
なにもしなければきっとこのまま、最悪が訪れるのを待つだけなのだ。
ならば、可能性がゼロに近くともあがいてみせる。
「まーでも、ただやるってだけじゃあ、ちょっと燃えてこないから……袴田君、助かったら、わたしにも〝ごほうび〟欲しいな」
プードルの尻尾のように、緩く結い上げたふわふわの毛先をいじりながら口にする童顔な平井さんに俺は、できることなら、なんでもと返す。
「なん、でも」
しばしの沈黙のあと、彼女は黒目の大きな双眼に欲望の炎を滾らせた。
「じゃあじゃあじゃあ! 成功した暁には、竹中君が私の前でスッポンポンになってヌードデッサンのモデル、やってもらっていいですかあ!」
──⁉︎
根菜をぶら下げられた競馬のような勢いで
此処に来るためにそれなりの覚悟をして出てきた、それこそ
「ねっ、ねっ! ヌードデッサン!」
「ぜっ、全裸……ですか」
「イエス! ZENRA! 前々から思ってたけど竹中君〜、ケッコー良い体してるよね、厚すぎず薄すぎずな絶妙加減、くわえてこのパーフェクトなご
男に向けるとは思えぬ怪しげな眼差しと、緩んだ口角をして平井さんは両手をわきわき動かす。
本当にこの人、無茶苦茶である。
「そ……そこはせめて半裸で勘弁してくれませんか……全部はちょっと……倫理観ですとかモラルですとかコンプライアンスですとか……」
「えええええー‼︎ ナンデモって言ったのにぃ‼︎」
「うぐ……」
背に腹は変えられぬ……。
「……わかり、ました……」
「うぉーーーーヤッターーーー‼︎」
とんでもない悪魔の契約……。
歓喜でぴょんぴょん飛び跳ねる幼顔の美女。この特殊嗜好の持ち主が自分より歳上なのがまた解せない。
「へへへ、ちょっとは肩の力抜けたかな?」
「冗談だったんですか」
「まさか? 報酬はきっちり頂きますよ」
やはり平井さんはどんな時でも平井さんである……。
いかなる時、場所においても物怖じしない鋼の心、愛するカテゴリに全力投球を惜しまないこの余裕──性癖に目をつむればこの状況下においてこれほど心強い味方はいない。とでも思っておかなければ引き締めたい精神がさらに緩みそうだった。
「ふふ、まあおふざけはこのへんにしといて。……竹中君。
「……、そうでしょうか」
「変わったよ。前はこんなに無鉄砲に踏み出す感じなかったもん。誰かの力になりたいけど、不器用で、遠慮がちで、色々考えすぎて、から回って自爆するのが君だったもんね」
「そう見えていたんですか」
「あは、自分で気づいてなかった?」
「……」
「大切な人になったんだね。袴田君」
「……ほんのすこしの間でしたが、ここまで、楽しかったですから」
──竹中さんって。猫、苦手なんですか──
──聞いてくださいよぉー、まーた平井さんが俺を怪しい目つきで……──
──竹中さん、ぶっちゃけ青山さんってマジで性転換すると思います? ちょっと賭けてみません?──
──ヤグラって、喋ったりとかするんすか……? ああいや……深い意味はなくて、ちょっと気になっただけっつか、アハハ──
──今度駅前のラーメン食いに行きませんか、結構穴場なとこ知ってんすよ、チャーシューがすっげえ美味くて──
──あの……。立ったまま寝るのマジであぶねーすから、眠くなったらバックヤード引っ込んでくださいよ。俺眠くねーんで。いや、いつかの俺みたいに顔面強打して鼻血垂らされても、困るっつうか──
あのコンビニで、袴田さんは色んな話をしてくれた。
くだらない話をしたり、食事に誘われたり、歳の近い友人のように接してもらった。
「最初は、さっさといなくなって欲しいとばかり思っていました。気に入ったりなんかしたら……情が移って……いずれまた、辛くなるだけだと思って……」
──……飯がっ、うまいって……、感じるのが、いいなって、思って──
「でも、素直に慕ってくれるあの人に、自分の感情に……嘘はつけませんでした」
誰かを救いたいだなんて大そうな理由じゃない。本当は、自分が痛いのが嫌なだけだった。
それでも、誰かを怖がらせ誤解させ続ける行為に意味はあるのかと、自分のためのくせにどこかで報われたいという願いが確かにあった。
もはや
「こんな自分を信じて、頼ってくれて……ほんとうに、嬉しかったんです」
耳に残って消えないノイズに阻まれた助けを求める声。
木刀を握る汗ばんだ指に力が篭る。
もう、鈴木さんの時のような後悔はごめんだ。
「だから助けます。絶対に」
「そっか。なら、わたしがこれ以上言うことは何もないね」
「平井さん」
「ん?」
「よろしくお願いします」
「こっちこそ。じゃあ……時間もないことだし、そろそろ〝代わる〟ね」
屋上を開放するため、錆まみれの重い扉に俺が手をかけると、平井さんはそれ以上茶化すことなく最後に笑い、眠るように目を閉じた。
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