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すると、日向は少し黙りこくったあと、眉を下げ申し訳無さそうに目を細めた。
『他殺でも、苛めでもないですよ。だだちょっと……ヘマしちゃっただけです』
「それ……どういう意味だよ」
『いやぁ、一から話し出すとお恥ずかしい話でしてね』
ちゃかすな、と俺が言っても日向はごまかすばかりで、はっきりとした理由を言ってくれない。
『さっきも言ったとおり、あんまり時間がないんです……だからこの話はまたの機会にということにしてもらえませんかね、わたしのこの顔に免じて』
口端から舌を出しておどけてみせる。そんなんで俺が納得するとでも思っているのか。
『それより、先輩に謝らなきゃいけませんね。わたしがあんな死に方したから……先輩、あの後色々言いがかりとかつけられて、大変な思いしたんですよね……。わたし……こんなふうに誤解させてしまうなんて思ってなくて……、わたしの知らないところで先輩、いっぱい苦しい思いしましたよね。ごめんなさい』
おどけていたかと思っていたら、今度は黒い髪を前に流しながら、日向は丁寧に頭を垂れた。
「どうして、お前が謝るんだよ……。ばか、謝るのは俺の方なのに」
『いいえ。良いんですもう、全部わかってます。先輩があの日言ったこと、あれが全て本心じゃなかったってこと、先輩がわたしに謝ろうとしてくれていたこと……。それだけで、いい。わたしはそれだけで、救われました』
「日向」
『先輩、あのね……』
日向は俺の左手を両手で包んでこの時を待っていたと言わんばかりの笑顔で話し始める。
『わたし、一年の夏の大会で、初めて先輩のこと知ったんです。三年生の先輩と交代して、マウンドに突然現れて、相手を目で殺すぐらいの凄い顔つきのまま、周りの視線や相手チームのやじにも全く動じず、汗流しながらそこに立つ先輩……。最初に見た時、驚いたんですよ』
試合の流れは相手校にもっていかれ、一人たりとも塁には出せない、完封しなければ後はない状況だった。そこに投入された一人の二年生投手。客席までどよめかせたそいつはガタイのいい三年生とは一回りも体格の未熟な奴で、他の誰もが思った通り、日向もこの回で完封は絶対に無理だと思ったそうだ。
『そうしたら、あっという間に三振とっちゃうんですもの!笑っちゃうくらいあっさりと……!あの時のこと今でも覚えてます!わたし呆気にとられちゃって、演奏するのも忘れちゃって……』
寸分のミスすらも許されない状況下に立たされているにも関わらず、マウンドから去るまで顔つきも変えずに、投球を続ける俺を、日向は自分の役割も忘れて見入ったという。
『なにより凄いって思えたのは……、たった一人であの場所で投げているのに、先輩には全然不安や、心配とかがなくて、周りはみんなそう思っていたのに、先輩だけは、ずっと前だけ見て全力で戦ってたこと。その頃のわたしは、目立つこととか、見られることとかがとにかく苦手で、フルートも目立たないかなって思ったからから選んだわけで、自分に自信なんかなくて、自信を持つことさえしようとも思いませんでした、先輩を知るまでは――。それで先輩を見ていたら、凄いなって思ううちに、わたしも、ああなれればいいのにって思えてきたんです。いつも真っ直ぐ前だけ見てて、振り返らない、自分の道をただひたすら歩んでいる。先輩みたいに格好良くなりたいって……』
「お前、そんなこと思ってたのか……俺んこと、格好いいなんて」
『はい、先輩はマウンドにいる時だけはずっと格好良かったです……!』
だけかよ。
『先輩を自分の目標にすると同時に、わたし、いつの間にか先輩と話してみたい、もっと近くに行きたいって思うようになっちゃって……。それから先輩の前に出ても恥ずかしくないように、結構努力したんですよ』
それまで人並み止まりだった勉強も、部活も、ひたすら一番を目指し、行事や役割事にも積極的に参加した日向は、努力の甲斐あってたった一年で優等生と評されるようになった。それもこれも、地味な自分の存在を俺の耳にまで届かせる為だなんて、信じられない話である。
俺に憧れて、それで俺みたいになりたいから努力して……、今の日向ができあがったなんて。日向は日向のままだと思っていた。最初からこんな、誰にでもヘラヘラしてて、なんでもこなせる奴だって。俺がこいつみたいに、何もかもそつなくこなせりゃいいのにって、思ってたぐらいなのに。
『誰にでもじゃありません、先輩はやっぱり特別でした』
「お世辞はいいって……、俺、やな奴だったじゃないかよ」
そう言ってやれば、奴は首を振った。
『そんなことないです。わたし先輩くらい堂々としたキャラになろうって色々頑張ったけど、でも実際先輩と直接話したら、この人には敵わないなって思いましたもん。先輩はなんでもはっきりしてて迷いが無いし、自分の考えをちゃんと持ってる、わたしは……面白おかしく振るまってても、心に迷いがあったり、別のこと考えたりしてたんです』
「……そんなこと言うなんて、お前らしくないな」
『今の先輩だから、こうやって正直に話せるんです』
でもそれが嬉しいのだと、日向。
『霊感があることを先輩に黙っているのも隠しているのも、なんか嘘ついてるみたいで嫌でした』
「せっかく話してくれたのに、俺、あの時信じなかったよな……」
『いいんです、先輩はわたしのこと拒絶しなかったから。それにああいう反応の方が先輩らしくって安心しました……って、あの時もわたし同じこと言いましたね』
「そうだな、……なんか、もう何年も経ってるのに、あの頃に戻ったみたいだな」
包まれていた腕に強い力が伝わってきた。
『先輩は、面白くって、野球は強くてカッコよくって、みんなから怖がられてるけど本当はいじられキャラで、根はいい人で、たまに優しくて、わたし……そんな先輩で遊ぶのが楽しかったです!』
「サイテーだろそれ――!」
微笑みながらなんつーことを……。
『楽しい時間を、たくさんの良い思い出を、有難う御座いました』
「礼言われる程のことは……してねぇよ」
『あと、散々いじくりまわしてすみませんでした』
「その謝罪は受け取ってやるよ」
『先輩は、何年経っても変わりませんね』
「それは、いい意味でか」
『いい意味でも、悪い意味でもです』
なんだよ、そりゃ。
やっぱりこいつは死んでも日向だな。そう心の中で思ったら、日向は俺の手を握ったまま、確かめるように、おずおずと聞いてきた。
『先輩。先輩は、わたしといて、少しでも楽しい時、……ありました』
なんでそんなこと、とも思ったが。日向がどうしても応えて欲しそうにしていたから。俺は正直にその質問の回答を告げた。
「お前といるといつも退屈はしなかったよ……でもそういうのを、楽しかったって、言うのかもな」
蕾が開くみたいに、その時日向の両目が大きくなって揺れ。
『先輩……は、ほんとに、いい人ですね』
「お前、……」
『これだけ言えば、満足なはずだったのにな……。でも』
強く伝わっていた指の力が、痛いくらい跳ね上がった。
日向が、血が止まるんじゃないかって程、俺の手首を握り締めたのだ。
『でも、わたし…………、っ、もっと……もっと、もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっとっ!……もっと!!』
揺れた瞳からじわりと、大粒の雫が顔を出し。
『もっとっ、先輩と一緒に……っ、いたかったなぁ……っ』
笑った日向の頬を流れた。その一雫が皮切りとなって、日向の両目からはほろほろと透明な雫が溢れて伝う。
『あれ、……あは。だめですね、泣くつもりなんてこれっぽっちもなかったのに。先輩に、わたしのレアな泣き顔見せるなんてもったいない……』
唇を震わせて、手の甲や腕を使ってそれを拭うも日向の涙は止まらない。俺の腕にまで、ぴしゃりと落ちてくる。
『こんな泣きごと、を言うために来たんじゃないのに、なぁっ……。なにやってんだろ……わたし、ほんと、肝心なところでいつも、自分に嘘ついて、素直になれなくって……ほんとに、ダメな眼鏡……。略してダメがねですね……。先輩みたいに、自分に素直になろうって……決めてたのに……』
「なに言ってんだよ、……泣いてんなよ」
『おんなじことばっか繰り返して……、死んだ今でもっ……、あの時と変わってない……。もう、これが先輩と話せる最後の時間なのに……』
「……日向、安心しろよ、俺……なんかもう死んじまったみたいだからさ……、多分最後じゃねえよ。きっと俺も、お前と一緒に逝く運命だ……。だから、泣くなよ……」
掴まれていない方の腕で頭を軽く叩いてやれば、小さく何度か深呼吸して、日向は顔を上げた。
『いいえ……。先輩は……帰らなきゃなりません。あの人達が……、わたしを解放して、先輩を助けようとしている、あの人達が、待っているから』
名残惜しそうな表情をしたまま、日向が俺の腕から指を離していく。その最後の一本を、俺は咄嗟に捕まえようとしたものの、僅かに遅く、日向の手はすり抜けた。
『これで……お別れですね、先輩』
もう、許された時間が残っていないと、立ち上がり、俺に背を向け、隅で縮こまったままの女の前まで行き手を差し伸べる。
『さあ、いきましょう……わたしと一緒に』
「……待てよ日向――どこ行くんだ……!」
呼び止めても奴は振り向かない、なんとかして俺は日向をもう一度こちらに振り返らせようとしたが、何故かそこから、半分の視界が曇り始めて。立ち上がろうにも立ち上がれない。
『先輩、どうぞお体大事になさって下さい』
「この、ばか…ッ……まて!」
いきなり出てきて、いきなりさよならとか。ふざけんなよ!
俺はまだ――!なにもお前にしてやれていない――!
『前に、進んで下さい……、立ち止まらないで、真っ直ぐ、進み続けて。先輩は、先輩らしく……ずっとこれからも、先輩で、いて下さい』
「日向ぁッ……!」
くそ……。視界がぼやけたり、はっきりしたり。故障したカメラのレンズみたいになって、白い輝きを纏った日向の顔さえ、しっかりと捉えることもできない。
それでも指を、腕を、俺は精一杯伸ばして叫ぶ。せっかくこうして再会できたというのに、お前はまた、一人で消えてしまうのか。
『あ……最後に、いっこだけ…………、言い忘れたことが』
ぼやける視界と意識の中で。
『…………わたし』
奴が深く息を吸い込んで、覚悟を決めたように俺に大きく振り返った。
同時に涙の粒が舞って光り、長い黒髪が靡く。
『先輩のこと目標にしてたのに、気がつかないうちに、自分でも戸惑うくらい……先輩のこと、あなたのことを……慕っていました』
こんな気持ち。こんな自分が、口に出して伝えるのは恥ずかしいし、おかしいことかなって思って。興味の無い振りをして、天の邪鬼になって。
だけど離れて欲しくなくて、わざとおかしな行動をして……あなたの気を引こうとしてたの。
正直になるのが怖くて、くだらない嘘でごまかしたりも数え切れないくらい。
ずっとずっと、ひた隠しにしてきてしまったけど。やっぱり、最後に、ちゃんと言います。
ちゃんと言わせて下さい。
――音を立てて落ちたのは、赤縁の眼鏡。
『……わたし、あなたのことがすきです。……っ、だいすきです……!』
その真っ直ぐ過ぎる性格も、ちょっと悪そうな顔も、なにもかも。全部。
『うそじゃないです』
完全に意識が途切れるその前に、もう一度だけクリアになった俺の視界に映ったのは。
『今度は、ほんとうです――』
黒くて大きな瞳を涙で濡らし、俺に最高の笑顔を向ける、日向の姿。
俺が、人生で最後に見る、日向の姿でもあった。
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