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「あの子は多分、誰のものにもならないよ」
「は?」
「どういうことだよ」
「だってあの日向ちゃん、先輩、後輩、または同じ部活の人達から、何度も告られてるらしいんだけど、みんな遠回しに振っちゃうんだってさ」
「へー。ガード堅いんだ、それでこそ落とし甲斐あるじゃん」
「やめとけ変態」
「彼女曰く『わたし恋愛に全く興味が無いみたいなんです、今が一番楽しいから』って」
「うーわ、なにその殺虫剤みたいな言葉!」
「もったいなー、女子高生って恋愛してこそ輝く生き物じゃねーの?」
「ンー、だとするとあの眼鏡は男避けと見た!絶対はずしたらめちゃ可愛いダイヤの原石間違いなし!」
「うぜぇぞ西村」
「まーでもそういう子も中にはいるんだろうね、相当変わってるけど」
「無駄に突っ込んでっても撃ち落とされるってか」
「残念だったな……、袴田、骨を拾うまでもないよ」
「っ、なにも残念じゃねーよ」
恋愛興味なし……か。
確かに見ていて恋に恋するって感じじゃない。
あいつ、なんで俺なんかにちょっかいかけてくるんだろう。
って、ああ、遊びってことだよな、うん。
あいつの楽しみにされてるって、自覚はあったし。
俺も別に本気で向き合ってるわけじゃないし。
そこはおあいこだと思っていた。
俺と日向の関係は完全なものではない。
関係に名前をつけるとしたら、それは多分、ただの先輩、後輩。ぐらいになるだろう。
友達でもない、不安定な関係。
いつ終ろうがかまわない。あいつがいつ俺の前から姿を消そうが、多分俺は後を追わない。
日向もきっと同じだ。
あいつは何もかもを楽しんでいる。楽しめるものがそこかしこに転がっているんだ、俺一人、どうとも思っていないはず。
もしかしたら俺以外に他の男をどっかでひっかけて遊んでいるのかもしれない、俺みたいにちゃかして、はぐらかして。
そう考えたら日向に対する不信感が芽生えそうになった。
が。その直前で俺は我に返る、その不信感を芽生えさせてどうする?友達以下のただの知り合いレベルなんだぞ。
俺がそんな感情を抱くのなんてちゃんちゃらおかしい。
あいつが誰と喋ってようが、誰と一緒にいようが俺にはなんら関係無い。
俺は一個下の後輩のペースに完全に乗っけられないよう、あいつに近付き過ぎないよう、適度な距離を常に保てばいいだけの話。
そう。
俺と日向はただの気まぐれでつるむだけの関係でしかないのだ。
それ以外の接点なんて、なに一つ存在しない。
◆◆◆
昼休み。旧校舎の屋上。
俺は一人になりたい時大抵ここに来きていた。
立ち入り禁止とか札が立てられてるけど、そんなものは気にしない。
錆びついた鍵のお陰でちょっといじくれば簡単に入れる。
教師に見つかったらそりゃあ大目玉確実だろうが、人口密度の高い学校の中でここより静かで落ち着いた場所は他にない。
本館の方の屋上、あれはダメだ。昼になると人で溢れかえるだけでなく、酷けりゃカップル達が人目も気にせず平気でイチャイチャし出すし……。ほんと、お盛んな時期だこと。
それに比べてこっちの屋上はいい、あっちよりかは狭いし、少し汚いのを除けば、殆ど人も来ないから。ごみごみした場所にストレスを感じる俺にとっちゃベストプレイスだった。
特に理由はないが今日はなんとなく一人でメシを食べたくなって、木下らに事前に伝えて単独行動。珍しくもない、俺が一人でふらつくなんてのはいつものこと。
だらしない体勢のまま床に転がってコンビニで買った弁当を口にかきこんでいた。
そうしたら、日向がひょっこり隣に現れやがった。
いつからそこにいたのか、ていうかこいつストーカーかよ。
大袈裟に驚いた俺だが、追い払ったりはしない。日向と奇妙な関係を保ち続けて早数ヶ月。こいつの対応にはもう随分慣れた。追っ払おうとすれば逆に面白がってこっちの体力が削られるので、なんともないとばかりに平静を装うのがこの場合吉になる。
そんな俺の態度に日向は、肩を竦めて「つっまんないのー」と不満の声をもらした。
は、俺はお前がそういう顔すんの見るのつまんなくないぜ。してやったりな気分になる。
「お前なんでここにいんの」
「ちょっと先輩をからかいにね」
たこ焼き並みの弾力の頬をつねってやる。
「うだだだだ!!ウソ!ウソです先輩!!」
「お前はウソばっかだな!このっ!ほんっと!」
引っ張って放してやれば、日向は情けない顔をして頬を押さえた。
「先輩、今一人になりタイム?だったらわたし行きますけど」
「いいよ、もう……好きにしろ」
「わーい、やったネ」
やったネとか、一体誰に向けて言ってんだよ。
最近気がついたことだが、こいつは俺に突っかかってくる割にはマメな気遣いを見せてくる。
俺が今は一人でいたいから、そう言えばきっとこいつはニコニコしながら、じゃあまた後日。と言って帰っていくのだろう。
ほんと、おかしな女。
それに……。
「お前も物好きだよな」
「はいはい?」
「俺をからかう為だけにここまで来るなんてさ」
ここの学校の生徒なら誰もが知っているはずだ。
旧校舎の屋上の不吉な噂を。
「幽霊が出るって話ですか」
「そう。それにみんなビビって入らねぇの、ここに平気で入るのは俺か、あとは肝試ししたがる連中ぐらい」
幽霊なんているわけねえのになー、と俺は鼻で笑う。
「色んな噂聞くぜ、赤い服の女が立ってるとか、血塗れの男子生徒が座ってるとか、なんかよくわかんねーのが追っかけてくるとかさ、色々あり過ぎて胡散臭くて、俺信じる気になれなくてさ、つっても実際入ってみたらなんもなくって拍子抜けなんだけどな」
みんなバカみたいに喚いて、アホだよな。お前はそーいうの怖いとか言わないやつなんだな。と、そう言えば、奴は振り向いてころころ笑う。
「ええ、怖いとは思いませんね」
「お前ほんと変わってるよな」
「先輩こそ、みんなが近づかないのに物好きですね」
「静かな場所ならどこでもいんだよ、騒がしいのが好きじゃない」
「そうですか、でも、あまり奥には近付かない方がいいですよ」
「なんで」
「ふふ、なんでもです。知らぬが仏です」
なに言ってんだよこいつ。
その時はそれぐらいしか思わなかった。
「もう直ぐ夏の大会ですね」
「その前に文化祭だろ、くそダリぃ……」
そう、夏の大会が直ぐそこまで迫っているというのに、俺らの学校では夏前に文化祭を行う。
こっちとしてはそれどころじゃないのに、文化祭なんて時間の無駄だ。クラスであれやこれやと教室や廊下の装飾をするなら俺は大会に向けて少しでも練習がしたかった。
今年で最後なのだ。友人よりも勉強よりも、なによりも優先してきたのだ。
高校最後の野球。たとえ甲子園に届かなくても、俺は悔いなくやれればどこで終わったっていい。ただ……最後まで投げられれば。
そりゃあ勝つことは大事なんだろうけど、それでも、最後まできっちり気持ちよく終わらせたい。
ああ、これでいいんだ。高校野球最高だったって。
顧問からは大学でもお前は投げろと言われ続けてきたから、勿論そのつもりで俺は高校を卒業して大学に進学する気だ。
けど。今は今しかない。
大学のその先を考えるより、今は高校最後の夏。文化祭なんてのはつくづくどうでもいい。
「今年も吹奏楽部が駆けつけますからね」
「あ、そういやお前、吹奏楽部だったんだよな。この前俺の友達が言ってた」
「はい!だから吹部も応援に行くんですよ!ぬふ、先輩の活躍、がっちりこの眼に収めさせてもらいます!」
言いながら日向は肩にかけていた黒いケースからフルートを出した。
「別に、活躍なんてそんなできねぇよ。甲子園にも行ったことねぇしよ」
「そんなことないですよ。先輩はエースじゃないすか!マウンド譲らないで有名でしょ?」
「む」
「先輩頑張って下さいね、応援してますよー」
よく手入れのされているピカピカのフルートを日向は撫でて、それをそっと吹き始める。
奴は聴き馴染みのある応援曲のサビの部分を器用にも繋げてメドレーで演奏して、少しの間俺に聴かせてくれた。
指をたくみに操って、しなやかに体を揺らしながら。
のびのびと、そして透き通った音を奏でる。
時折風になびく黒髪、真剣な表情ではなく、穏やかで心の底から音楽を楽しむような顔で演奏する日向に、その時程、釘付けになったことは俺は無かった。
いつもおちゃらけてふざけまくっている奴とは思えないくらい。
なんだかその時、凄く惹きつけられた。
「お前、すげーな」
日向がフルートから口を離した時。
拍手の代わりに俺はそう言った。
「先輩程じゃありませんよ、私なんかまだまだ」
「いや、充分だろ」
「へっへっへ。先輩に褒められた」
クソ、調子に乗るようなこと言っちまった。
「でもフルートって、他の楽器より音、目立たないから。殆ど聞こえなくなっちゃうんですけど……」
日向は残念そうに言いながら、フルートをケースに戻す。
「あ、でも今度の文化祭で演奏する曲にはソロパートあるから目立てるんです!へへっ、体育館でやるから、良かったら先輩も見に来て下さいね」
「時間があったらな」
「ほんとうですか!?うはぁい!やった!先輩が来てくれる!みなぎってきたぜ!!」
「いやだから、時間があったらな、って」
ケースを抱えながら屋上をぴょんこぴょんこ飛び跳ねる日向に俺は慌てて言う。まったく。
どうしてこの女は、こんなにも喜んでいるのか。
そして俺は、どうして毎回このヘンテコな後輩に付き合ってしまうのか。
疑問に思う。
だけど。
スカートを靡かせ、はしゃぐ日向に、俺は呆れながらも少しずつ、少しずつ、心を許していった。
◆◆◆
時間があったら。なんて言っていたけれど。
文化祭当日。俺は持ち場を抜け出して、なんだかんだ言って吹奏楽部の演奏を聴きに来てしまった。
フランクフルト片手に、前日俺の下駄箱に日向が投函したであろう紙ヒコーキにされたプログラムを広げてみる。
少し来るのが遅かったのか演奏は残すところ二曲……。
あ、これ。試合で流される応援曲じゃないか。
辺りを見回す。薄暗くて涼しいホール内には綺麗に並べられた来客用の座席、満員まではいかないが結構客は入っているみたいだ。
照明に照らされたステージで試合用の応援曲を演奏するのは三十数名の部員達。
テンポの良い曲調、題名はなんだっけか。
俺は座席に座らずに壁の隅に背をつけて、それを聴いた。
目でゆっくり、あのわんぱく眼鏡を探しながら。
二列目の端から三番目、……いた。
化粧もしていないすっぴん、赤メガネ。
眼鏡の下の黒い瞳は楽譜を追って、一生懸命フルートを吹いている。
だが、奴の担当するフルートの音は、他の楽器の音に掻き消されて、なかなか耳まで入ってこない。
奴が言った通りだ、応援曲って音の馬鹿デカイ楽器の方が断然目立つもんな。それでも丁寧に、指を動かして演奏をする、音を奏でている日向。
あの時見た真剣な表情で、だけどどこか楽しんでいるように体をゆっくり揺らして。
暫くして曲が終り、拍手がホールに響く。
司会役の生徒がマイクを片手に軽く喋り、最後の一曲へ繋げる。
前曲とは違い、ゆったりとしたメロディから入った最終曲。指揮者の動きに合わせて楽器の音が次々に加わり重なっていく。
曲の途中、一番盛り上がったサビのあと、今まで椅子に座っていた日向が一人だけ立ち上がった。
日向が席から立ったのを合図に、他の奏者達の殆どが楽器から口を離し、手を止める。
日向が奏でるフルートの音だけが、はっきりと体育館全体に響き渡った。
優しいフルートの音色に、客席、そしてステージ上の生徒達の視線が一気に日向に向けられる。
奴は緊張した様子も見せずに、堂々として、さっきまで他の音に紛れていたフルートの音を響かせる。
これが、ソロパートってやつなのだろう。
普段ふざけた行動しかとらない日向の真面目な姿、俺が知らない日向の顔。
ただ演奏しているのではない、こんなに大勢いる中で一人、沢山の視線を浴びて、失敗を恐れる素振りもなく、本当に心の底から楽しんでいるような、そんな気持ちが伝わってくる。
体をわずかに前のめりにさせて見ていたら、日向のフルートが一瞬光った。
一度だけじゃない、少ししてまた二、三回連続で光る。照明をわざと反射させているのか、さりげなくフルートを傾けては光らせる。
そこで気付いた、日向は俺の方を向いて僅かに口元を緩ませている。
なんて器用な真似をするのだ。座席にも座らずに遠くから眺めていた俺を日向はとっくに見つけていたらしい。
またフルートが照明に反射して光る。
わかった、わかったよ、と言うように、俺はその場でフランクフルトの串を指揮者みたいにゆっくり振ってやった。
他の奏者達が再び楽器を構えれば、日向はフルートから口を離し一息つくと、客席からささやかな拍手をもらいながらその場で深く一礼して、また椅子に座った。
やりきったという満足そうな笑顔、会場を見渡した瞳はキラキラして。三十数名もいる中で、奴が一際輝いて見えた。
演奏会が終り、ぞろぞろと解散していく吹奏楽部。
日向の周りには大勢の女子達。
しきりに抱き合ったりハイタッチをして、始終笑顔の日向。
そこに顧問の先生がやってきて、日向の頭をぐりぐり撫で回す。
きっとソロパートの出来を褒められているに違いない。
最後の曲が終わると共に体育館全体には割れるような拍手と歓声が飛びかった、演奏会は大成功に終ったのだ。
「日向!!ソロパートかっこ良かったぞ!!」
「有難う御座います先輩!!」
「これからも頑張れよなー、次期部長!」
「はい!でも、わたしなんかに部長が務まるでしょうか?」
大丈夫だろ、お前なら。と声をかけるのは背の高い男子部員。
日向は手を口元に当てて肩を揺らす。
女子だけではない、男子達も日向の周りにどんどん集まっていく。
吸い寄せられるようにして、肩を叩いてみたり、ど突いてみたり。
日向もそれに応えるようにじゃれついていく。
響く笑い声を聞きながら、俺は静かに体育館を後にした。
何か一言声をかけてから去ろうと思ったのだが、人気者は俺が思っている以上に忙しいみたいだからな。それに、周りにヘンな目で見られたら嫌だし。
日向も俺なんかに今声かけられたら微妙だろうしな。
体育館裏の自販機に小銭を入れてココアのボタンを押す。
多分そのうち木下らが俺を探しにやってくる。
一緒に回ろうぜー、なんて言われたけど、あいつらお化け屋敷巡りが目的だからなあ。
思いながら落ちてきたココアのパックにストローをぶっさしたら、後ろから快活な声が飛んできた。
「せーんぱい!」
振り向けばさっきまで大勢に囲まれていた日向が、直ぐ後ろに立っていた。
「お前なんでここにいんの」
「先輩こそ、なんですぐ行っちゃうんですか?」
せっかく来てくれたのになにも言わないで帰っちゃうなんて、素っ気なさ過ぎです先輩。少し不機嫌そうに口元を突き出して日向はそっぽを向く。
そんなこと言われたってあんな状況なら誰だって空気を読むだろが。
「だってお前他の部員にめっちゃ囲まれてたじゃん、モテモテだったじゃん」
そこに俺が割り込んだら、わかんだろ。そう言っても日向は、むーんと首を捻りながらおかしな声を出す。
「いいのかよ、戻らなくて」
「はい、じゃんけんに勝ったので私は自由行動組になりました」
「そ……、お疲れ様」
日向の目の前にストローを刺したばかりのココアを差し出す。
「ん?は?……なに先輩」
それを、まるで初めて見るような顔でみつめる日向。
「なにって……ほら、やるよ。演奏おつかれさん。ああ安心しろや、まだ口つけてない」
「いいんですか?」
「やるっつってんだろ。ココア嫌いか?なら別のもんでも……」
「いただきマウス!」
ポケットの小銭をまさぐろうとしたら、日向は首を大きく振って俺の手から紙パックを受け取った。
「かぁぁあっ!うめぇえわぁ!この為だけに生きてるんだなぁあ!」
「風呂上がりのオヤジかおめーは」
腰に手を当てて豪快にココアを飲みほし、さっきまで盛大な拍手を貰っていた奴が言うとは思えない、おしとやかさの欠片もない発言だ。
日向にアタックした奴らの気が知れねえ……。
「ごちそうさまでした」
「飲むのはええ……」
「最高記録は6秒です」
「腹壊すだろ……」
「何回か壊しました」
「あ、そう……」
「ありがとうございました、先輩」
「おい、百円なんだぞ、そんなかしこまるなよ」
飲み終わったパックを綺麗に潰して、日向は深々と頭を下げる。
「それから、来てくれてありがとうございました」
「ああ……でも聴いたのたった二曲だけだったし」
「それでも嬉しかったです、ソロパート見てもらえて、わたしが吹いてるとこ見てもらえて」
「そう言われっと……なんか二曲だけで申し訳ない気分になるな」
「ふふっ、そんなこと……、お陰さまで思い残すこと……もうないです、安心した……」
「は?」
「これで最後だから」
「最後……?」
目を閉じて意味ありげに俯いた日向を尻目に。
俺は自販機にまた小銭を入れて黒ゴマみるくのボタンを押した。
「嘘つこうとしてんな」
しれっと言ったら、下品な笑顔を向けられた。
「つまんない。先輩耐性ついちゃいましたね」
「誰のせいだよ」
「一番最初みたいなド派手なリアクション期待してたのになぁ」
「んな!?」
一番最初って……。
嫌な話を掘り返すんじゃねぇよ、バカたれ。言って日向の目線に合わせるように腰を屈めた。
「お前さぁ、ちっとは俺を先輩として敬えよな」
日向と俺の顔がそれなりに接近するが、特に意味は無かった。
無かったのだが……、これがいけなかった。
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