4

 俺が漸く落ち着きを取り戻すと。

 竹中さんは小皿にカットされたスイカを一切れ乗せて俺の前に置いた。


 リゾットの量はそこまで多くなかったから、腹にはまだ入る。俺だけ食うのもあれだし、こんなに沢山食いきれないから。竹中さんにも食べて貰うことにした。


 竹中さんの前にはスイカが乗った皿が二つ。片方に垂直にスプーンが刺さっているこれは、あれだ。ヤグラにってこと。


 真ん中にスプーンを刺したら、竹中さんの斜め後ろから、どろん――とヤグラは姿を現した。二メートル軽くありそうな身の丈に毎度のことながら迫力を感じて、息を止めて釘付けになる。そんな俺に重たげな鎧の音を立ててヤグラは深くこうべを垂れた。

 いやいや、この間の件もあるし……頭下げたいのはこっちです。


 涙の痕を扇風機の風が渇かし。テレビもつけず、時折風鈴が鳴る部屋には、しょりしょりという音だけが響く。



「俺も時々わからなくなります」


 スプーンで種をほじくり出していたら、竹中さんが口を開いた。


「どうすべきなのか、どうすれば良かったのか……。俺も相手をしたことがあります。何度か声を掛けたこともありました。……その人達がそれからどうなったのかは、知ることはできませんが」


 その後、踏みとどまったのか、否か。結局は本人が決めるしかない。自分達は、ただ見過ごすか、声を掛けるか、そのどちらかしか選べない。


「わかっているつもりでも、やっぱりその後、悩みます。自分が行ったことは、正しかったのか、どうか……。袴田さんの気持ち、わかります……」


 知らないだけで、樹海で命を絶った人はきっといる。そう思うと、苦しくなる。だとしても自分達に出来ることは極わずかなこと、揺さぶりをかけることしか。それに関していくら思い悩んだところで、きっと簡単に望む答えは出てこないのだけれど。そう竹中さんは言った。


「でもこれだけは、はっきり言えます。袴田さんがしたことは間違いでは無いです。人殺しでもない……。俺だけじゃない、夜勤の人みんなそう言いますよ。だから、もう自分を責めるのはやめてください……袴田さんは悪くないです」


 すみません、こんなことしか言えなくて。竹中さんは小さくそう付け足した。ありきたりな言葉で慰められるより、よっぽど受け入れやすかった。そうだな……。

 忘れていた、みんな、同じだってこと。

 勝手に思い込んでいた。竹中さんはこんな思いしないで、クールにこなしているもんだと。この人も、そうなんだな。この人も俺と同じで、悩んで、苦しい思いしてるんだよな……。もしかしたらあの人は死んだかもしれない。自分が掛けた言葉は間違っていたかもしれない、そんな不安や恐怖に知らぬ間に堪えていたんだ。


 俺が加わる前からずっと。……青山さんも、平井さんも、店長も。

 俺だけじゃない。辛いのは、俺だけじゃない。


「俺こそ、取り乱して、すみません……」


 後悔の念から解放されるにはまだ時間が掛かかりそうだが、俺の中の拭いきれない罪悪感が竹中さんの言葉によって少しだけ、ほんの少しだけ、軽くなった気がした。

 此処数日間、葛藤を繰り返していただけだったから。やはり誰かの声を聞くことによって、立ち止まっていた場所から少しづつ離れられる、また歩き出す気になれる。人って、そうじゃないと生きられないんだな。一人で抱えていたら、重たくてしょうがなくて。諦めたくなる。どうでもよくなって、投げ出したくなる。


 だから時には、誰かに引っ張りあげてもらうんだ……。今の、俺みたいに……。


 彼女にも、そんな救いの手があったなら、きっとあんな悲惨な結末を迎えることもなかっただろうに……。どう思い返してみても、あの日泣き崩れていた女性はもういない。振り返っても、あの瞬間は戻って来ない。今はただ……、彼女が安らかに眠ることができますようにと祈ることしか出来ない。

 感傷に浸りながら、俺はスイカを掬って口に運んだ。竹中さんが言ったように、きっと答えなんて存在しないんだ。なにが正しいか、間違っているか。誰にも決められない、決められるほど軽い問題じゃないのだ。


 だから、自分の信じる選択を取るしかない。

 自殺志願者達が途絶えぬ限り、これからも、ずっと。


「は……きついっすね……」


 全てを知った後、それでも続けたがる人間は本当に一握りぐらいしかいないのだろう。あんなところに常人が居続けたら、気が狂うのは当然だ。居座れば居座る程、あのコンビニが宿す暗くて重い影が見えてくる。


「もう……、充分でしょう……。前にも同じこと言ってしつこいと言われても仕方の無いことでしょうけれど」


 その切り出し方から竹中さんの言わんとしていることは直ぐに分かった。


「体調を崩したのも、疲労だけじゃないはず。あなたの精神も肉体も、あの環境に馴染めずにもう限界に達しているんですよ。自分が抜けることに対して後ろめたさを感じなくてもいい。戻るなら、まだ充分引き返せる。このまま無理して続けようものなら」

「無理なんかしてないっすよ」

「でも」

「ただの夏バテですよ……。そんな気にしないで下さい。それに条件はみんなほぼ同じじゃないっすか、みんな同じ思いしてるわけだし、俺だけ簡単に根は上げられませんよ」


 作り笑いでごまかそうとするも、そんなのが通用する程この人は鈍くなく。竹中さんは困ったように目を閉じる。


「どうしてでしょうね……。袴田さんを見ていると……何かに強く固執しているように見えるんです。自分の身や、他のメンバーのことじゃない、別の何かを見ている……そんな感じがするんです」

「……」


 水面に投げられた小石みたいに、竹中さんの言葉が俺の中に反響して、言葉が暫く出てこなかった。


「こんなことを言うのはおかしいですね」

「いえ……」


 小さく口から出てきたのは否定の言葉。


「おかしくないです、なにも」


 こんな状態じゃなかったら、絶対に言わなかったはずだ。


「当たってると思います……それ」


 普段から俺は人に弱みを見せたがらない。人に泣きごとを言うのが嫌いで、寄り掛かるのも大嫌いだった。だからあやめさんに図星を突かれた時も、何も話さなかった。

 自分の弱さだけは、自分のものだけにしておきたかったから。自分の滑稽なところなんて自分だけが見ればいいと。


「俺……、高校の時……」


 自分の中に目覚めた力、度々目にするこの世のものでは無い存在、樹海での出来事、あの女性の死。数々の目を逸らしたい出来事が段々と積み重なって、それら全ての重みが今の俺を押し潰す。

 涙を見せた時点でもうどうでもいいと。諦めが混じったのかもしれないが。俺はこの人に、縋ろうとしたんだと思う。守護神なんて胡散臭い呼び名を信じたいんじゃなくて。


 竹中さんという人間を、頼ってみたいと。

 誰にも打ち明けなかった奥底に深く深く埋めた暗い部分を掘り返して。それを、吐き出した。


 きっとこの人ならば、最後まで聞いてくれると思って。

 自分の張っていた硬い殻を、ぶっ壊した。

 初めて、自分から弱さをさらけ出したのだ。





「後輩の……、女の子を……追いやったんです……自殺、に」

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