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 このメール、……さ、削除していいだろうか。

 いや、消したところで次顔合わせた時に根掘り葉掘り聞かれるだろうが。なんか別の意味で持ってるの怖いってか……。


 迷っていたら竹中さんが、湯気を立てた底の深い皿と、カットされたスイカがいくつも乗った皿を持ってやって来た。


「妹さんが二時間程前に来まして」

「えっ!?あいつ来たの!?」


 あちゃー。相変わらずアポ無しで来るんだからあのアホ!


「それで、事情説明したら、これだけ置いて帰られました」


 全部をテーブルに置いて竹中さんは言う。


「変なこと言ってなかったですか……」

「…………、特には……」


 絶対なんか言ったなあの野郎……。


「すいません……、料理までさせちゃって……」

「いえ、どうせ簡単なものなので」


 起きれます?と竹中さんは次に俺に訊ねたが。少し眺めて無理だと判断したのか、布団の方に回って弱々しく腕を立てる俺を手伝って起こした。

 いきますよ。と短く合図され、あまり体に負担が掛からないようゆっくり、それでいて安定感のある支え方で起こされて。随分と病人の扱いに慣れてるんだなぁとその時呑気なことを思ったが。流石に横になってた時間が長すぎたのか、直ぐに頭がクラっとした。


 ああ情けない。25の野郎が、一つ上の男に面倒みてもらうなんて、ヘタれもいいところ。俺の実母だってここまで献身的に看病しないのに。

 多分着替えもこの人が手伝ってくれたんだろう。どんだけ俺世話になってんだよ、なり過ぎだろ……って。待て、おい。

 そういえばこの人、この前に俺の嘔吐物を片付け……。

 もうこれ借りとかの域じゃねえだろ。


「…………本当、すいません」

「えっ」


 声震わせて謝ったら驚かれた。




 テーブルにはポカリとスイカの皿と、あと、これは。

 お粥じゃない。お粥にしてはカラフルだし、しゃれた匂いがする。


「夏野菜のリゾットです。口にあうといいんですが」


 最近めっきり食欲が落ちて、なんも食う気なんかしなかったはずなのに。立つ湯気と、うまそうな匂いと、鮮やかな見た目とで、皆無に等しかった俺の食欲は次第に引き出されていった。

 ごくっと喉が鳴るのは久し振り。


「いた、だきます」


 スプーンで掬って、少し冷まして口に少量入れる。

 コンソメベースのさっぱりとした味に、細かく刻まれたトマトの酸味がふわっと広がる。


 う……うまい。

 うまい。

 すげぇ、うまいよ。これ。


 風邪の所為でか少し味が薄く感じたものの、今まで病気の時に食った飯の中でこれが一番美味いと思った。


 小さく刻まれたニンジン、タマネギ、キャベツ……、ぷちっと口の中で弾けるコーン、なんだこれズッキーニ?な、なんか所々オシャレだな……。


 殆ど野菜という野菜をここ最近口にしていなくて。俺の体はそれが嬉しかったのか、急いで吸収しようと、次々に運んでは喉の奥に押し込んだ。


 具がくたくたになっているからよく噛まなくても飲み込めるのがありがたい。栄養摂取するってこういうことか……と、しみじみ思えた。


「うまいです……凄く、竹中さん、これプロ並みですよ」

「いや、普通だと思うんですが……。食欲あって良かったです」


 これなら回復の見込みがある。と竹中さんは少し安心したように笑った。

 その表情に俺はこの時、確かに安心を覚えた。


 皿と口とを行ったりきたりしていたスプーンが止まる。

 口の中の塩けが増す。堪えたけど、無理だった。


「袴田さん……」

「ああ、うめぇなぁ……すげ、めちゃくちゃ、うまいっす……」


 声出したのは間違いだった。

 普通に言うつもりが、震えまくって、淀みまくって、もう、隠しようがない。


「泣いてるんですか…………?」

「飯が……っ」


 見られないように、真下に顔向けてスプーンを持っていた手で隠したけど。下を向いた途端に、張っていた涙の膜が思った以上に分厚くて。

 テーブルに二滴落ちた。


「飯がっ、うまいって……、感じるのが、いいなって、思って」


 飯がうまくて。飯がうまいから。と訳のわからないことを少しの間俺は言い続けていた。

 本当はそんな理由じゃない。

 俺は、精神的に打ちのめされていた。

 ぐうの音もでないくらいに。


 ……あの女性。

 あの報道を見てから、俺はどうか別人であってくれと淡い希望を抱きながら、亡くなった女性の身元を散々調べ回った。

 ネットや、実際に現地に言って、聞き込みもしてきた。

 が、結果分かったのが、アパートで自殺した女性は、あの夜俺が引き留めたあの若い女性だったという真実だった。


 あの日俺が励まし、泣きついて懇願した。あの女性。

 本当に彼女は死んでしまったのだ。

 自分を、殺してしまったのだ。


 俺が辞めさせたと、止めたと。思っていたのに……。全ては俺の独り善がりの、思い過ごしだったのだ。

 人を一人。死の淵から引っ張り上げたと少しだけ心の奥底で誇らしげに思っていたが、そんなことは無かった。

 彼女は死んだ。日向と同じように。

 関わったのは俺。

 俺が、接触した。よかれと思ってやったこと、けど……連れてきた結果は最悪のもの。


 俺はまた、同じことをしてしまったのか。

 俺はまた……。人を……。


 あやめさんの言っていた意味がここにきてようやく理解できた。

 死にたいほど苦しんでいる人の気持ちなんて、俺に分かるわけなかったんだ。

 俺、あの子になんて言ったんだ。

 殆どが他人目線の勝手な慰めじゃないか。

 何も言えちゃいない、言えちゃいなかった……。俺は……あの子を追い詰めて、あの子の背中を押したのかも……。


 連日流れ続ける報道を見てから、もうそれしか考えられなかった。

 だけどこんな話誰にも出来なくて、自分の中で終わらぬ葛藤を繰り返した。

 それからだ。毎夜あの恐ろしい夢を見るようになったのは。

 夜目を閉じれば気が付くとあの夢の中にいて、起きれば朝になっている。

 いくら寝ても眠った気にもなれなかった。

 悪夢を見る度。日向に言われている気がした。

 思い知れ。もっと痛みを感じろ。……って。


 正直苦しかったし、怖かった。竹中さんかあやめさんに相談すべきとも迷った。けれど。

 それが日向の訴えならば。受けなければと思った。

 それでも……多分、これが限界というものなのだろう。


 心細くて仕方なかったんだ。

 普段自分から助けを求めるなんてこと、できないから。

 本当はもうとっくに根を上げて、ギブアップしたかったっていうのに。意地を張り通していた。


 そんな俺の目の前には、今寄りかかろうと思えば拒まずにそうさせてくれる存在がいる。

 そう思うのは甘えだ、やめろ……この人を頼るな。何度かブレーキをかけたつもりだが。負けた……。

 竹中さんが俺に向けた表情で全部崩された。

 今まで誰にも見せなかった弱さが、浮き彫りになった。


「っ、……く……っう」

「大変、でしたね……」


 話は、あやめさんからだいたい聞きました。

 歯を噛み締めて震える俺を、労るように竹中さんは言ってくれた。


「もう……どうしたらいいか、わからないんすよ……。よかれと思ってやったことが、最悪の結末になって……。あの人の、サイン、見逃さなかったはずなのに……。俺……、また人を見殺しにした……。人を、間接的に殺したんですよ……」

「なに言ってるんですか。袴田さん……人を殺したって、そんな」

「殺したんですよ俺……、俺が……っ、俺がちゃんと、していなかったから……!だから死んだんですよ……あの人も!!」


 ヒステリックにそう叫んだ途端。

 滝のように涙がぼとぼと零れ落ちた。

 いい歳した大人がちっちゃな子供みたいに泣き出した瞬間だった。


 この前の猫の騒動の時みたいに、でも、今回は全部自分の感情だった。



「俺っ……あん時、どうすれば、よかったんすかね……」


 そんないきなり叫んだって、こっちの話なんて全く読めないだろうし。なに泣いてんの?って笑われたっておかしくないのに。

 竹中さんときたら、俺を見て引くでもなく驚くでもなく。眉一つ動かさずに俺の悲鳴じみた言葉もろとも全て聞いていた。動かない壁みたいにして、じっと。


「落ち着きましょうか」


 暫く流れた沈黙のあと。氷水みたいな声で言われて。

 俺は、無言で泣き続けた。


 高校時代。野球の試合でどんなに悔しくても、辛くても。

 仲間の前では決して涙一つ見せなかったのに……。

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