5

「酷いとしか言えませんよ……」

「だろうな」


 人の煙草と知りながら、堂々と彼女は天井に煙を放つ。


「自殺した人達ってあんな顔してるんだって……知らなくていいこと知りました」

「赤の他人を助けてやる為にお前が自ら入っていったんだ。自業自得さ。そんな軽傷で済んだのは奇跡と思いな、一歩間違えてたらお前は今此処にはいられなかっただろうからね」

「と……言いますと」

「留まり続ける奴らの仲間入り」

「うッ」

「ま。でも、本当に危なかったら、竹中君が出動してたか」


 え……?


「おっと、口が滑ったった」

「竹中さんが」


 出動ってどういうことだ。


「やっぱ気付いてなかったか」

「な、なにを?」

「竹中君は気づいてないならそれで構わないって言ってたけど、まーいいか」


 言って、また煙を吐くあやめさん。


「お前がコンビニを出てから竹中君がどうにも落ちつかなくてね。ああ、言っとくけどあたしは何も言ってないよ?けど彼も察しが良い方だから、何かあるんじゃないかって、大胆にもヤグラを一旦自分から剥がして、お前を追わせたんだよ。そんで一度だけ本当にヤバい時があったのか、マジでコンビニから出ようとした時もあったけど。そん時の顔ったら、ふふっ、久々に見たよ、あんな焦った竹中君。気に入られた証拠だな」

「俺、またあの人に助けられてたのか」


 今度会ったら、またお礼を言わなければ。


「いいんじゃないの、今回のは彼が勝手にやったってことにしておけば。新人クンも誰にも話さず助けも借りずに勝手にやったわけだ。オアイコだろ」

「それはそうですけど」

「竹中君も余計な気は使わせたくないみたいだしね」

「なんで……竹中さん、俺のこといつも助けてくれるんですかね」

「さあ?聞いてみれば?もしかしたら何か特別な理由があるのかもよ?」


 絶対この人何か知ってるよ……。聞いても教えてくれないんだろうけど。


「あやめさん」

「あーん?」

「あの樹海には、俺が見てきたものよりもっとヤバイなにかが……いるんですか」

「はあ?」

「ちょっと、気になって」

「あたしはそんなの知らないけどさァ」


 煙草を灰皿に押し付け、あやめさんは含み笑いを浮かべながら俺を見る。


「此処に慣れて来たと思って、調子に乗るなよ新人クンよお。お前はまだ此処の仕事の重さを半分も知らないんだ、なんでもかんでもモノにしようとして知り過ぎるな?」


 そんなことをすれば、逆に潰される――。目を細めながら、あやめさんは人差し指の爪を俺の鳩尾みぞおちに突き立てる。その行動にドキッとするも、あやめさんの言葉の意味がわからなくて俺は眉間に皺を寄せる。


「お前は根っからの頑固者だけど、関係無いことにも首を突っ込みたくなるタチだ、不器用で誤解を招き易い、まあ要するに面倒臭いお人好しタイプだろ」

「俺、お人好しなんかじゃないっすよ」

「そこは別にどうでもいんだよ。はっ、その面倒臭いタイプのお前が、なんの意地を張って此処に居座るのか、ただ尻尾巻いて逃げるのが嫌とかそういう単純な理由じゃないんだろ?」

「……」

「例えば。自分が此処で嫌な思いをして堪えることで、自分じゃない誰かの為になるとか、そんな独り善がりな理由だったり」


 は…………。


「そんなの」


 なに、言っちゃってんだこの人……。


「そんなの、あるわけないじゃないですか……」


 全身に鳥肌が立つ。動揺を慌てて奥底に引っ込める。


「違った?」

「ど、どうでもいいじゃないですか、此処にいる理由なんて」


 どうでもいいことだけど。この人が言ったことはけしてどうでもいいことじゃない。

 的を射過ぎて、恐怖すら感じる。


「あたしを前にして動揺隠そうなんて100年早いんだよ、トーシローが。そう。別にどうでもいいんだよ?此処に居座る理由なんてのは、居たければ居ればいいし、嫌になれば辞めればいい。そんなのは自由だ」


 誰も引き止めはしないし、追い出したりもしないそれが此処の暗黙のルール。


「けどお前からは、そのどちらも感じない。居たくもない、辞めようとも思っていない。前ではなく、常に気持ちは後ろを向いている」

「どうしてそんなこと」

「わかるって?あたしはね、人間のそういうまで視えるんだよ。もっと自分をしっかり持ちな。でないと大変なことに巻き込まれることになる。此処はそういう場所なんだ、精神的に安定している人間じゃなきゃ、とても重すぎて居られない。お前がその後ろ向きな意地をこれから先も捨てられずに持っているというのなら……いっそ、辞めた方がマシだ」

「それは、足手纏いになるからって意味ですか」

「いんや。足手纏いになるよりもよくないことになるって意味だよ」


 もっとよくないことって、一体――。

 それを訊こうとした時。自動ドアの開くメロディが店内に広がった。


 こんな時間に……、珍しいな。


「俺、出ます」


 言って、大きく伸びをしてからバックルームから出ていく。


「いらっしゃいませ――」


 会釈をして、出入り口付近にいる客を迎える。入ってきたのは、長い髪の小柄な女性。スーツ姿だから、仕事帰りのOLだろう。

 女性はこちらも見ずに買い物カゴを腕に引っ掛けた。俺は時計の時間を再度確認する。こんな時間に、こんな場所に一人で、危ないなあ。見たところ車は無いし、えーまさか、この人。終電逃して徒歩で帰ってるんじゃ。

 まさかなあ……。

 最近の癖だが、俺は稀に入ってくる客をちょいちょい観察し、どういう経緯で此処に来たのか、どういう目的で品物を買っていくのかを分析するようになった。いやらしい奴とか思わないでくれ、それ程に暇なんだ。

 疲労を顔面に滲ませた女性は、重たげな足取りで店内を歩き回る。まだ若い、きっと二十代前半だ。こんな時間までご苦労様です。

 履いているヒールのかかとを踏んでいることから余程疲れているのだろう。ふらふらと体を揺らしてスイーツコーナーに行き。腕に引っかけた買い物カゴにデザート系やら、プリンのカップを、そんなにいっぺんに買うのかよ、というぐらい潔く投げ込んでいく。


 スイーツを入れたら今度は飲み物の置いてある方へ。紙パックのイチゴ牛乳、チョコレートカフェオレ、抹茶ミルク、レモンティー。を少々乱暴にカゴの中に落とす。それからパンコーナー。選ぶというより片っ端から掴んでいっている。生クリームフランス、メロンパン、あんパン、練乳入りシナモンロール、ツイストドーナッツ、バナナ蒸しパン……。

 山盛りにされた商品を見て、俺は吐き気を覚えずにはいられなかった。口の中が自然と甘ったるくなってきそうだ。

 あの人、あれ全部一人で食べるつもりか。そうだったら凄い、糖分の摂取量がハンパないことになるぞ。

 女の人って甘いもの好きって人多いみたいだけど、まさかあれ程買っていく人がいるなんてなぁ。

 感心半分引き半分の俺。

 すると女性は重そうな素振りでカゴを持ちながら、別の陳列棚に近付いていく。

 その時、ちらっと彼女が俺の方を見た。


 あ、やべ――。

 そう思って俺は何食わぬ顔をしてレジ袋を補充し始める。そうだよな。店内に一人しかいないっていうのに、こんだけ見られれば気まずいだろうな。失敬失敬。

 しかしこちらも必死なのだ。なにかを目で追って気を紛らわせないと、窓硝子の所に手をついて外から視線を送るボロ服の女と目が合ってしまう……。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る