奈々 その二

「ふわぁ~あ…」

 気の抜けた声を出してあたしはアクビをした。

 月曜日。登校中。

 これでも学校にはちゃんと行く。勉強も嫌いではない。

 マッキンキンの長髪に、ハデなメイク。当然校則は守っていない。ガン無視している。見た目以外の態度や成績は悪くないので、先生達も扱いに困っているようだ。教師というのも楽じゃないらしい。ヒトゴトみたい?ええ、ヒトゴトだもの。

「ナっちゃんおはよ。今日さ、どう?」

 校門をくぐると、顔くらいしかしらない男子に声をかけられる。

「良いよ」

 その顔すらよく見ないであたしは答える。

 何がどうなのかと言われれば、まあそういうコトだ。涌き出る欲をもて余す男子高校生には非常に便利な存在らしく、基本的には、体調と先約以外の理由で断らないと言うことで男子からは妙な人気があるらしい。

 別にしょっちゅうではないけど、こうして朝から声かけられることは珍しくない。

 しかし朝っぱらから元気なことで。


 都合の良い、ダッチワイフみたいな存在。

 それが、あたし、ほし奈々ななという人間である。


 健太とはあの後、後腐れなく「んじゃ頑張って」と別れた。きっともう会うこともない。割りと気に入っていたので多少残念だが、まあしょうがない。唐突に始まって唐突に終わるのがこういう関係だ。


 奇異な眼で見られるかもしれないが、別にそんなに変わった人間ではないとここで弁明しておきたい。


 授業は退屈だけど面白い。学校行事も嫌いじゃない。友人も――本当に友人かはわからない、どうせ陰では悪く言われているだろうけど――少なくはない。

 それなりに青春は謳歌しているつもりである。

 ただ、一点、性やら自分の身体やらに関しての考え方が人よりぶっ飛んでいる。ただそれだけ。


 それだけ、なのに説教してくる人も多いし絶対に後悔するという人は多い。放って置いてほしいと常々思っている。

 ちなみに親は週末ほとんど家に居ないで遊び回っていることには小言は言うが、あたしのこの破滅的な性分や生活に気付いていないらしく、強く咎められたりはしていない。放任主義なのは結構だが放任しすぎだろ、と思う。


 そうして今日も、退屈で楽しい学校をこなし、昼休みと放課後には誘われるままに楽しんで、青春の消化試合を楽しんだ。


 学校帰り。あたしは市立図書館に来ていた。

 レポートのことでちょっと調べ物があり、学校の図書館では調べきれないことがあったのだ。何度もいうがこれでも授業はマジメに受けている。

 図書館の前のちょっとした広場では、子ども達が遊んでいた。小学校高学年くらいだろうか。元気なことで。

 元気なのは大変良いことなのだが、子どもの群れを横切ったまさにその時。その中でも一際ヤンチャそうな男の子が「いくぞー!」と叫んだ後に、あたしは後頭部に強い衝撃を感じた。

 子ども達の叫び声の中、あたしは意識を失った。


「あはは、ほら、すごいね、半分しか入んない」

 夢を見た。

 あたしに覆い被さる男が、笑ってなにか言っている。

 知っている。これはあたしの過去の記憶だ。

「ナっちゃん、キモチイイよ」

 昔、よく遊んでくれた十歳くらい上の近所のお兄さん。

 あたしの初めては、この人だった。

 本来であればしてはいけないことをしているのは何となくわかるが、これが何を意味するのかはわからなかった。そのくらいの年齢だった時。

 ただ、あたしはその行為に嫌悪感を抱くことはなかった。激しい痛みすら、なんだかとても心地よく思えて。

 そして、あたしはその時自分の異常性に気づいた。ああ、あたしはとても淫乱なのだ、と。

 それから、あたしは自分の身体を擦りきれてしまえばいいと思いながら消費し続けている。


「あ、起きた?大丈夫、無理しない方がいいよ。もう少し寝てなよ」

 あたしが眼を覚ますと、知らない部屋に居て、隣には知らない男がいた。

 彼は矢継ぎ早に、でもとても落ち着いた口調であたしに話しかけてきた。

「あれ、ここは…?」

 眼を覚ましたら隣に知らない男がいて、なんだっけ、と思うことは珍しいことじゃない。

 だけど今回は事情が違った。隣の男性は別に裸で寝ている訳じゃなく、地味な白いポロシャツと、グレーのチノパンを来て、エプロンをつけて横に腰かけている。二十代後半か三十代前半か。多分、そのくらい。

 あたしは制服のまま、タオルケットのようなモノを掛けられて、クッションを枕にして寝ていた。

「覚えてない?子ども達が蹴ったボールが頭に当たってね。打ち所が悪かったのか、そまま倒れたんだ」

「そっか」

 とりあえず事情については納得。

「…」

 あたしは男をじっと見つめた。

 黒ぶちの眼鏡をかけていて、黒い髪は短く、前髪が少し長め。地味そうな真面目そうな印象だ。

「…あ。ここは図書館の事務室だよ。とりあえず横にしようと思ってね。ソファ、固いかもしれないけど」

「あなたは」

「僕は山下。山下やました佳三よしぞう。図書館のスタッフだよ」

「よしぞう…」

 あたしは一度軽く噴き出して、肩を震わせて笑う。

「よく笑われるからそのリアクションには慣れてるよ」

 男…いや、ヨシゾウさんはそういって苦笑する。

 それ、わかる。あたしも良くセブンスターとか、芸名みたいとか、からかわれるから。

「その様子なら平気そうだね。大したことなくて良かった。あ、子ども達は謝りたいっていってたんだけど、遅くなるから帰らせたよ」

「ん、平気」

「そういえば、君、名前は?」

「奈々。星奈々」

「へえ。素敵な名前だね。織姫様と彦星様が出会う夜みたいな名前」

 眼鏡の奥の眼が、柔らかく笑った。


 胸の鼓動が跳ね上がって、びっくりした。


 素敵な例えと、素敵な笑顔。

 あたしは、すんなり恋に落ちた。

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