No.4 奈々
奈々 その一
「ねえサっちゃん~。サっちゃんは本名じゃないんでしょ?」
名前も知らない男が後ろから抱きつきながら耳元で舐めるように言う。
「うん」
「じゃあなんでサっちゃんにしたの?」
「バナナを半分しか食べられないから」
お金を数えて、財布にしまう。男に抱きつかれているからやりづらい。年の割には引き締まっている体つきをしていると思うけど、イイ年してギラついている感じがとても気持ち悪い。
「えぇ~?そう?食べてたよぉ、この」
「時間なんで帰るわ。バイバイ」
黙れエロオヤジ。お前の下ネタなんか聞きたくないわ。
声に出さずに毒づきながらあたしはホテルを後にする。
お前みたいなヤツに名前を呼ばれたくないから偽名を使ってんだよ。
夜なのに明るい街を歩きながら、心の中で呟いてみた。
偽名を使うと、別人格になったような気分で居られる。ずっと使っていると、だんだん本当の自分と別人格の境界が曖昧になっていく。その感覚も、好き。
何となく駅まで向かって見たものの、もう終電は終わっている。どうしようか。あのエロオヤジから貰った五万で朝まで遊ぼうか。どうせ明日も学校ないし。
誰かに連絡しようかとスマホを取り出したら、タイミング良く電話が鳴った。
「はーい、もしもし」
『やっほー、ひまぁ?』
間の抜けた男の声がする。知人の
「いつもの駅ブラついてた」
『あ、じゃあ近いわ。いつもんとこでヨロシク』
「はぁーい」
あんまり健太に会う気分じゃないけど、まあいいや。
駅前にあるカラオケの前で立ち止まり、スマホを弄りながら待つ。
少ししたら健太が現れた。これでもかとマッキンキンに染めた髪。背はあんまり高くないけど、ほどよく鍛えた――主に遊びでだけど――身体をしていて、色黒で、遊んでます、ってカンジの人。
何故、遊んでる人はこうも髪の色素を薄くしたがるのだろう。まぁあたしもマッキンキンなんだけど。
「やっほー、ナっちゃん」
健太は、ニカッと笑って手を振ってくる。
彼の怒るところをあたしは見たことがない。子どもっぽく笑うけど、そこには余裕が滲み出ていて、二個年上なだけなのに、それだけで私には大人っぽく見えた。
「カラオケ?」
「んにゃ、ホテル」
「いいけど、あたし一仕事してきたとこだよ」
「じゃーまずお風呂入ろう」
「ん。それでイイなら」
ホテルってなにすんだよとか、一仕事ってなんだよとか、第三者から見たらツッコミたいことは色々あると思うが、まあ、察してほしい。
健太からはお金は貰わない。いわゆる、そういうなんたらフレンドというやつだ。
「いつもと違うトコ行くよ。ちょっと高いトコ」
「え、なに、オゴリ?」
「当たり前」
「ふうん」
あたしは健太の案内に従ってついていく。いつもの安いホテルじゃなくて、ちょこっと高級感があるホテル。
あたしたちのいうホテルってのは、まあ高級感とか言ってもそーいうホテルなんだけど。
ホテルの内装に一通りはしゃいで、お風呂でもはしゃいで、その後はベッドの上で楽しんだ。
「あ~、やっぱりナっちゃんとは相性いいわ」
あたしたちは疲れたので休憩していた。健太はソファでタバコをふかしながらそう言った。それをあたしはベッドに寝転がったまま聞いていた。
「何シミジミ言ってんの、オヤジくさい」
「やー…名残惜しいなと思って」
「は?イミわかんない」
「俺さ」
タバコを灰皿に押しつけて、健太はおもむろにベッドに這い上がり、あたしの隣に正座する。
「マジで好きな子ができたんだよね」
「へえ。そりゃめでたいね」
あたしは気のない返事を返す。
「だからさ」
健太は、ニカッ、と笑って言った。
「ナっちゃんに相手してもらうの、今日で最後にしようと思うんだ」
「は?…何、カノジョができたってこと?」
「ううん、まだ片想い!だけどマジなの。だからケジメつけたくて」
「…あっそ」
無邪気な笑顔に、あたしは呆れた顔を返す。
「別にカノジョできるまであたしは続けても良いけど」
カノジョがいる人に手は出さない主義だが、そうでないなら別にイイのに。
「違うの、これは俺なりのケジメなの。マジであの子に振り向いて貰うために、俺マジメにこういう遊びとかやめようと思ってんの」
「ふーん。まぁ、なんでもいいけど」
あたしは都合の良い女なので。気にしないし。
これは卑屈でもなんでもない。自分にはこういう立ち位置が性にあっている。
「ナっちゃんとこーいうことするの、ほんとに楽しかったからさあ。最後に、と思って」
「そりゃどーも」
「だからもう一発!」
健太がそう言いながらベッドに潜り込んできた。
「ばか」
短く答えて、あたし達は朝まで楽しんだ。
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