美香 その三

 私が眼を開けると、目の前に白い天井が見えた。

 見覚えのない、少し硬いベッド。慣れない枕。私は寝転がっているらしい。

 隣に気配を感じて、顔を向けた。

 椅子に座り、腕を組んで俯いている女性がいた。

「千代…?」

 名前を呼んだら、ゆっくり顔を上げた。間違いなく千代だった。

 椅子に座ったまま転寝をしていたようで、千代は軽く眼を擦った。

「…あ、起きた?」

「あれ?ここはどこ?私は」

「病院だよ。名前と年齢、どうしてこうなってるか。はい、答えて」

「え!?えと、柴田しばた美香、二十四才、えっと、えっと」

 記憶を必死に引き出す。

「部屋で、首を…吊って…」

 まだ頭がぼんやりするけど、思い出してきた。そうだ。私、自殺しようとしてたんだ。

「よろしい」

「私どうしてこんなところに」

 混乱する私に、千代はニヤリと笑って言った。

「美香が太ったんじゃない」

「は?」

「そうでなければ、美香の見積りが甘かったか…ロープが劣化してたか」

「意味わかんないよ」

「ロープが切れたの」

「え!?」

「美香が使ったロープが切れて、落ちたけど…多分そのまま近くに転がっていた…なんだっけ、あ、ダンベル。ダンベルに頭打って気を失ったのね。落ちるとこ見たわけじゃないから憶測だけど」

 なんて情けない。

 ちなみにダンベルは、ダイエットのためについ先日購入した。一度使って、すぐに飽きてその辺に転がしていた。

「軽い脳しんとうだって」

「千代はなんでここに?来てくれたの?」

「違う違う。私が第一発見者。美香に連絡したんだけど、反応なくて。スマホ中毒の美香が既読もつかないのが気になったし、後は…なんかわかんないけど、おかしいなと思ってさ。虫の知らせってやつだったのかな。それでこないだ預かってた鍵と、借りたDVD返しがてら来てみたら、倒れてたの」

 確かに、先日ちょっと事情があって部屋の合鍵を一時的に渡していた。それがあったから部屋に入ることが出来たのだろう。

「美香」

 千代は私の名前を呼び、頭に手を伸ばす。撫でてくれるのかと反射的に頭を軽く傾ける。

 そして。

 彼女は結構な勢いのデコピンを私にお見舞いした。

「痛っ!!」

「馬鹿者」

「脳しんとうの人にそういうことしていいの!?」

「知らないわよ。だからナースコール押す前にやったんじゃない」

「うー…」

完全に油断していた。おでこがジンジンする。

「殴るのはやめてデコピンにしといてあげたんだから、感謝しなさい」

 ナースコールを押しながら、千代は少し低い声で言った。

「こういうことしたら殴るよ、って言ってあったでしょ」

 私はその言葉と気迫に閉口した。


 病院にはうっかり転んで頭を打ってしまったという風に説明した。まあ、大嘘という訳じゃないと思うし。異常も無いと言うことですぐに退院になった。

「美香がすぐに起きるなら、聞いてみてからにしようと思っておじさんたちにはまだ連絡してないよ。どうする?」

 おじさんたち、というのは私の父と母のことだ。私は首を振って答えた。

「良い。心配して騒ぎだしそうだし。…あの、ごめんね、千代。迷惑かけて」

「気にしてない。それより、私二日くらい泊まるから。美香の家。あ、優子もね」

「…え!?」

 耳を疑う。

 優子は美香と私の大学の同期だ。今でもたまに三人で会ったりする。

「夏休みまだとれてなかったし。ちょうど良いから夏休みってことで休み調整してもらったから」

「え、なんで、そんな」

 そういえば、もう秋になろうという季節だ。いや、それとこれとは関係ない。

「優子も連絡したら同じ感じで休みとったみたいだし、あ、美香の職場には簡単に事情は説明しといたよ。休んで良いって言ってたけど、一応自分でも連絡しときな」

 美香はその後、呆然とする私の手を引いて、スーパーで買い物をして、私のアパートに向かった。インターホンを鳴らして、「戻ったよ」とドアホンに向かって言う。

「おかえり。あ!美香!もー!お前!」

 私の部屋から当然のような顔をして優子が顔を出す。眼があった途端、私に抱きついてくる。

 美香から連絡を受けて、私のアパートで留守番をしながら部屋を片付けてくれたらしい。向かいながら千代から聞いた。

 片付けないと三人で寝れないからだそうだ。私にもはや選択権とか決定権とかそういうものは無いらしい。

「心配したんだよ~、もう、バカ」

「…ねえ、千代」

「なに」

「私が言うことじゃないとは思うんだけど。普通さ、友人てやっぱりこういう反応が自然じゃない?」

 抱きついたままの優子を指さして千代に訴える。先程私が眼を覚ましたときの千代の反応を思い出したのだ。

「知らない。それにほら、私友人でもあるけど」

 ぽん、と私の頭に手を置いて、千代はまた、ニヤリと笑った。

「保護者みたいなもんだし。泣くのも喚くのも後回し」

 ああ。本当に。

 千代が男だったら良かったのにな。

「ほらほら。玄関先でイチャついてないで中入るよ。これからたっぷり美香を可愛がるんだから」

「どういうこと?」

千代に急かされながら、何だか不穏な言葉に聞こえて聞き返す。

「美香を朝まで二人がかりで説教大会すんの」

「そういうこと。あ!そうだ。美香ってば千代のことばっかりで私のことなんか忘れてたでしょ。名前くらい出てこないわけ?」

優子が部屋に入りながら私の背中をつつく。

「何の話?」

「私も優子も読んだから」

 アレ?アレってなんだろう。少し考えて、すぐに思い立つ。あの手紙のことだ。手紙というか、遺書というか。死のうと決めたときに書きなぐって部屋のテーブルに置いていたのを思い出す。

「読んだの!?」

「普通読むでしょ」

「文句あるならあんなとこ置いたままヘンな気起こさなきゃいいのよ」

優子と千代に畳み掛けられて私は部屋の椅子にへたりこむ。

「私も優子もちょうど積もる話もある、ってことで。今夜は寝かせないよ」

 キッチンに立って千代が言う。


 もう、今回ばかりは何の文句も言える立場じゃないな、と諦めて、私は笑った。


「千代のノロケも聞きたいしね」

 優子が言う。

「そういえば優子、良く休めたね?仕事ずっと大変そうだったのに」

「仕事は文句言われない程度に終わらせてきたから大丈夫」

「…最近優子、前より明るくなったし強気になった気がする。なんかあったの?」

「とりあえず先ずは美香の説教から。その前にツマミいくつか作るから手伝って」

 千代が買ってきたものを広げながら言う。

 私も優子も「はぁーい」と答えた。


 色んなことを思い悩んでいた気がするけど、もうなんでも良いかな、って気がしてきた。

 今は、呑み明かそう。

 これから繰り広げられる、三人のきっと甘くて苦い話を肴に。

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