優子 その三

 心配していた夕立にぶつかってしまった。

 傘を持っていなかった私は、降ってくる雨粒をそのまま身に受ける。

 走ることはしない。ツカツカと歩きながら、私は降りしきる雨を甘んじて受けていた。


 先程、弟に連絡をした。縁を切るなら切ると良い、私はまだ切らない。いっぺんに繋がりを絶つと向こうも必死になって何をするかわからないから、と。

 ずぶ濡れになりながら、私は何かが吹っ切れるのを感じていた。


「やっと来たのか」

 朝一。先輩が嫌味な声で話し掛ける。

 夕立に濡れて帰ったあの後、私は馬鹿みたいに再度発熱して、もう一日仕事を休んだ。

「ご迷惑をおかけし、すみませんでした」

 私は深々と頭を下げる。

「謝ってる暇あったら働けよ。これまとめとけ。午前中な」

 先輩は私に書類の束を差し出す。二日休んで私も仕事は溜まっている。それをわかって出してきているのだろう。結局私の仕事は何一つ拾ってはくれないまま。

「はい、わかりました」

 私は先輩の顔をしっかりと見て、笑顔でそれを受けとる。

 先輩が少し不思議そうな顔をした。きっと、「妙に機嫌がいいな」くらいにしか思って居ないだろう。

 私は軽い足取りで自分のデスクへ向かう。


 私の中にはやっぱり両親と同じ、屑の塊みたいな本性が根を這っている。ずっとそれを拒否して向き合わないで生きてきた。

 でもあの夢を見て気づいた。

 この本性は、決して変わらない。

 それならもう付き合ってやるしかない。


 頭の中で、文句と金の要求ばかりしてる両親を殺す。嫌味な先輩を殺す。

 何度も。何度も。

 先程改めて先輩の顔を見たのは、その顔をしっかりと記憶するためだ。

 ろくに見たことがないため、あの夢でちゃんと顔が再現できていなかった。

 

 新しくできたこの習慣で、私はとても笑顔で日々を過ごすことができる。

 その代わり、この本性はどんどん私を腐らせるだろう。

 常に頭の中で殺戮を繰り返すような気の違った女なんて誰も愛してくれないだろう。

 それでも良い。どうせ独りでしか生きられないのだ。

 気持ちよく生きようじゃないか。


 天然とでも馬鹿とでも役立たずとでも、何とでも呼んだら良い。

 その度に、お前を殺す。


 私は最適な処世術を見つけることができた。

 きっとこれから夏が終わっても、冬が来ても。私はこれで生きていける。

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