千代 その三

「そんな涙目になりながら必死に言わなくても」

 えいちゃんはゲラゲラと笑う。

「中学生ってそんなもんだろ。とにかくさ、今夜の…再会に、っていうのか?この場合出会いか?わからないけど、乾杯」

 彼は彼が頼んだジントニックを掲げた。私は私の飲みかけのジントニックを同じく掲げて、そして私達は乾杯をした。

 その後はお互いの近況報告をした。話はじめてみれば、それはあの頃の文字のやり取りとさしたる差の無い気安いものとなった。むしろリアルタイムに返ってくるお互いの反応が新鮮で、つい夢中になって色々なことを話した。昔と違うことは、彼が微笑む度に、私の心拍数がとんでもなく跳ね上がるということだ。

 そして、そのなかに朗報があった。ある意味では悲報だけど。

 えいちゃんは奥さんと子どもがいるらしい。二人目がもうすぐ産まれるので奥さんは帰省中とのこと。

 よかった。手を伸ばせば届きそうだと勘違いしてしまう前に、その事を知れて。

「妻子ある身でバーでナンパ?」

 私は茶化すようにえいちゃんを肘で小突いた。

「だから違うって。ほんとに、ちーちゃんなんじゃないかって思ったんだよ」

「嘘。信じない。それに、話し掛けたのが私じゃなくて、勘違いされたらどうするつもりだったの」

 笑って言うけど笑い事じゃない。本当に危なかった。私は心の中で付け足す。

「大丈夫、間違いなんて起こらないから。俺、嫁さんにベタ惚れだから」

 そういって笑うえいちゃんは、ここには居ない誰かを想う凄く優しい笑みを浮かべた。その笑顔を見られたことはとても幸せで、同時にとても寂しかった。

「ちーちゃんは知ってるだろ。高校からずっと付き合ってる人がいたの。それが今の嫁さん」

 そういえば。言われて思い出す。夢見る中学生の私でも胸やけしそうなデレデレな話をされていたことを。

 そして今想えばあの時、会ったこともないえいちゃんに惹かれはじめていて、素直に応援できない私は自分がとても醜く、イヤになっていたことを。

 おんなのこはキレイなものでできている訳じゃないんだと感じた、あの日。そういえばあの頃から私はあまり可愛いものに手を出さなくなった。醜い自分がとてもイヤで。

 ちなみに奥さんの写真を見せてもらった。目眩がしそうなくらいの美人さん。性格の良さすら溢れ出す様な、魅力的な人。お子さんも写っていて、美男美女により産み出されたその子は当然のごとく可愛かった。

「えいちゃん…なんか、ごめんね」

「何が?」

 気づけば、勝手に口が動く。

「折角会えたのに、私こんなにブサイクだし、そのくせあんなにメルヘンの住人なことばっか言ってて。呆れたよね」

 そんな卑屈なことをぶつけるつもりはなかったのに。酔いすぎたのか、それともえいちゃんに甘えてしまったのか。

 そんな私の言葉に、えいちゃんは軽く笑ってから、私に軽くデコピンをしてきた。

「…ガキ」

 そう言うえいちゃんの笑顔はやっぱり素敵だった。

「自分を卑下してるとな、本当にブサイクになるぞ」

「だって現に私は」

「誰かに言われないと自信が持てないなら俺がいくらでも言ってやる。ちー。お前は可愛いよ。俺が思っていた以上に」

 自分の顔が赤らむのを感じた。お酒のせいだけじゃない。恥ずかしくて声が出ない。ありがとう、例えお世辞でも、うれしい。

 心の中でそういうと、見透かす様に彼は続ける。

「お世辞じゃねえよ。可愛い妹ができた気分。俺、姉貴しか居ないから妹欲しいなってずっと思ってたんだよね」

 妹扱いでも良い。お世辞でもそうじゃなくても良い。もっと言って、と思った。

「どうせ彼氏にも大して可愛くないことばっかり言っているんだろ」

「否定はしないな」

「今度彼氏に会う時には、とびきり可愛く甘えてみろよ。お前が選んだ人だ、きっとちゃんと可愛がってくれる」

「お前が選んだ人だ」

 声真似をして繰り返す。

「…なんか、お父さんみたい」

「初対面なのに彼氏と婚約したって聞いて気分はもう送り出す父みたいな気持ちだよ。あー、自分の娘の時もこうなるのかな」

「百倍酷くなるんじゃない?」

「そうかも」

 私達は、笑った。お腹が痛くなるくらい。


「ねえ、えいちゃん。お願いがあるの」

 帰り際。駅まで歩きながら、私は彼に話し掛ける。我ながら気持ち悪いくらいに甘ったれた声。

「なに?」

 えいちゃんはそんな私に優しく答える。

「結婚式の招待状、送っても良い?」

「良いの?喜んで出席するよ」

「うん、晴れの舞台を見て欲しい。…十年来の親友として」

 私達は、また笑った。

 そして私はえいちゃんとわかれて、終電間際の電車に飛び乗った。


「千代?」

 裕太は驚いた顔で私を出迎えた。

「良かった、帰ってきてた。ごめんね夜中に」

「構わないけど…酔ってる?」

「うん、呑んできたから」

「急に、しかも酔った勢いで来るなんて珍しいね。何かあった?」

「なんにも」

 少しだけ嘘を吐いて、部屋に上がる。そして裕太の服の裾を掴んで続けた。

「只、裕太に会いたくなって」

 彼は更に驚いたようで、眼を見開き私を見つめる。


 結論から言えばえいちゃんの言葉は正しかった。裕太は珍しく――というか、恐らくは初めて、私がとても素直に甘えたことをとても喜んだ。

 私みたいな可愛くない人が、こんな風に甘えるのは恥ずかしいことだと思っていたことも、正直に裕太に伝えた。

「千代は可愛いよ」

 裕太がそう囁いてくれて、私は初めて裕太の前で本当に顔を赤くした。

 えいちゃんにも言われたことを思い出したからだというのは、心の中にしまっておいた。


 少しだけ可愛くなれたかな、と思うけれど、私が醜いことには変わりはないと今でも思っている。

 結婚式は、恥ずかしいけど綺麗に着飾った自分を、家族親族に見せることが孝行になるからちゃんとやる。そう思っていたけれど。

 きっと私の人生で一番綺麗な瞬間を。きっと唯一、お姫様になれる瞬間を。

 えいちゃんに見てほしい、と思ってしまったから。

 私の平凡な人生に、えいちゃんを想うというスパイスが加わってしまったから。

 やっぱりわたしは汚い。

 そう思っている。

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