異世界生活1日目

赤い月によって、淡い期待にとどめを刺されてからも、地獄は続いた。


神殿の周りは木々で覆われていた。日本の人の手が入りまくった何ちゃってな林じゃない。苔やら藪やら倒木やら基本的に人が入ることなんてなさげな原生林だ。背の高い木と、鬱蒼とお生い茂る草を見て、夜の間に足を踏み入れるのは速攻で諦めた。

あのオネーサンがいる訳だから、原住民はいるだろうし、なぜか日本語も通じる。この森を抜けて人里にさえたどり着ければなんとかなる気もした。アメリカに渡った当時、英語なんてハローハワユーしか喋れなかったことを思えば、言葉が通じるだけまだ余裕だと思う。尚且つ一応、嘗ては道だったんだろうなっていう程度の跡も見つけることができたので、これから先については比較的楽観的であまり心配していない。

ただ、恐ろしいのは虫だ。

生まれも育ちも都市圏で育った俺は、基本的に虫が苦手だ。蝶と蛾の区別なんかつかないし、カブトムシだって大きいGにしか見えない。

小さい頃は触れずとも、見るのはギリギリいけた気がするんだが、大人になってからはすでに恐怖症の域だ。見るだけで怖気と恐怖で悲鳴も上げられなくなる。自慢じゃないが、キッチンにGが出たときなど、即日引越しを手配して、引越し完了まで友人宅に転がり込んだこともある。

そしてもう一つ。神殿の陰で明日の森探検を思って憂鬱になりながら少しでも眠ろうと体を休めていると、狼だか犬だかの遠吠えが聞こえたんだ。狼はもちろんのこと、野犬だって街でのほほんと暮らしてた現代っ子には尋常じゃない危険度だ。そっからこっち、虫の羽音や森の動物に怯えて、まんじりとせず朝を待った俺の心労たるや、ほぼ2徹めの壊れたテンションでも追いつかないほどブルーだった。


***


朝。朝日にはまだ少し早いが、すでに空は明るくなりかけている。朝靄がうっすらと地面を覆っている中、俺は景気付けで残ったワインを一気に飲み干した。

ほろ酔い気分のまま、麻痺させた思考で一気に森を走破しようという作戦だ。

虫や、茂った草のために、多少労力がかかってもキャリー前面に押し出して体に少しでも当たらないようにする。


「よっしゃああああ!いっくぜえええええ!れでぃー!ゴーーーーーー」


無理やりぶち上げたテンションのまま、全速力で、轍だったであろう道に突っ込んでいく。

途中、石を踏みつけてキャリーが横転しそうになったり、キャリーのキャスターに草が噛んでキャスターが機能しなくなったりしたが、無理やり押すことでやり通す。

それが功をそうしたのか、精も根も尽き果てるほどの疲れの代わりに、危険な動植物とも、天敵の蜘蛛やハチなんかとも鉢合わせず、森を抜けることに成功した。


走破距離的には2キロ弱といったところ。その間、全身の力を使いながら、全力で走ったのは、正しく火事場のバカ力だろう。もう二度としたくはない。


森を抜けるのに15分、キャリーの上で伸びていた時間が20分弱。朝日が登って暫くすると、少し体力が戻ってきて、森の外の風景を確認する余裕ができた。

森は少し小高い丘にあったのか、緩やかに波打つ地面の先に踏み固められた無塗装の道が見え、その先にそれなりに巨大な城塞都市の姿が見えた。中心には城のような大きい建物があり、整然とした街並みが大きな塀に囲まれた中に広がっている。塀の周りにはポツポツと麦のような植物が生えた畑が存在し朝日で黄金色に光っているのが見えた。

うーむ、のどかな景色だ。

ヨーロッパのような場所なんだろうか。ここから見る限り、石造りの建物が多いように見える。

既にちらほらと人が活動し始めているのか、米粒より小さい人の姿があった。


随分休憩したからそろそろあそこに向かいだすか。


気合を入れて歩き出した。


***


距離の目測を大幅に見誤った。せいぜい5キロかそこらだと思った距離はかかった時間を逆算すれば、その倍は優にあったと思う。

朝日が昇ったころ向かったはずの街の城壁を見上げられる場所に着いたのは既に太陽が中天に差し掛かったころだった。道中、無塗装の道路に散々悪態をついていたが、それでも踏み固められた草のはげた道すらなければもっと遅くなったかもしれない。

街に向かう道すがら、これぞファンタジーといった趣の、剣や鎧を身に纏った人とすれ違った。単なる昔のヨーロッパみたいな世界とは違い、そういう武器や防具が必要になる世界なのかもしれない。

腰につけた現代武器の権化である拳銃が妙に頼もしく、同時に少ない弾数を思って少し落ち込んだ。

道の端を歩く間、何台もの荷車を引く馬に追い抜かされる。

乗せてってほしいわー。

アメリカの果てしなく広い大学キャンパスを歩いている時の自転車を見送る気分をこっちの世界でも感じるとは思わなかった。授業の度に大学構内を車で移動しなきゃいけないとかバカなんじゃないかなと思う。

日があるうちに街にたどり着くことは可能だろうけど、2徹を経ての、昨日今日の肉体労働はさすがに堪える。車かバイクがそこらへんに転がってないもんかねー、ここまできたら原動機付きじゃなくてもいいから、自転車とかスケボーでもいいや。

喉も渇ききってるし、お腹もキューキュー鳴き続けてる。俺、街に着いたら浴びるほど酒飲んで、腹が破裂するほど飯食うんだ。ぐちぐち文句を言いつづけていればそれでもいつかはたどり着く。

塀は近くで見ると、思った以上の高さがあった。道の先にある門も塀の重厚感に負けない装いをしている。門の周りには、道ですれ違った人間と同様にファンタジーな装備で固めた人間が警備していた。

このまますんなり門を通れるのかね。アメリカはもとより、日本の警官とかもそうだけど、何も悪いことしてなくても、ああいう国家権力の前を通る時って緊張する。まあ、身に覚えが少しあるのが悪いのかもしれないけど。

内心のドキドキを顔に出さないように、進む。


「こらこら、そこの人!」


知らん顔で、門を通ろうとしたら、脇の警備していた鎧人間に呼び止められた。


「あ、俺っすか?」


「そう、君。ちゃんと、鑑札を受け取らないと」


あ、これ日本系の優しい人だ。アメリカとかだと、ルールを知らないだけで問答無用で悪人断定してくるからなー。

「あ、すいません。初めてなもんで」


ヘコヘコと軽い頭を下げながら警備の人から鑑札というらしい木の板を受け取る。その表面には記号のような、前衛芸術が描かれている。


「ついでと言っちゃなんなんですけど、少し質問してもいいですか?」


「見ての通り、今は余裕があるから大丈夫だよ」


「ありがとうございます。その、この鑑札ってのはなんのためにあるんですか?」


「そんなことも知らないのかい?随分田舎から出てきたんだね。この鑑札は身分証代わりだよ。その表面には入った日付が書かれていて、3日間はその鑑札で滞在できる。3日を過ぎたり、その鑑札を無くしたりすると不法滞在になるから、気をつけて」


イメージ的には、パスポートの入国スタンプみたいな物らしい。


「3日しか滞在できないんですか?お金がないんで、働き口を見つけようと考えてたんですけど」


「ああ、職場が決まって、その鑑札を提出すれば4級市民証に取り替えてくれるよ。そうすれば1年間有効になる。もちろん税金を払って、更新することも可能だから、詳しいことは職場が決まってから市役所で聞いてくれるかな」


「なるほど。すぐ雇ってくれる、日雇いみたいな仕事って有りますか?」


「うーん、あんまりお勧めはしないけれど、一番簡単なのはやっぱり冒険者ギルドに登録する事かな。でも、危ない仕事が多いから戦闘技能に自信がないならやめておいたほうがいいよ」


「あ、やっぱりあるんですね。冒険者ギルド」


「そりゃあ、あるさ。どこの街も魔物問題は深刻だからね。それに資源として考えても、他の街に冒険者が流れると、魔物素材の流通にも問題が出てくるしね」


魔物が資源?とか色々不思議な事はあったが、門の周りに少しずつ人が増えてきて、警備の人が気にし始めていたので、それは他の人に聞くことにする。


「ありがとうございました。とりあえず冒険者ギルドで登録する事にします」


「もういいのかな?ようこそ、ドルディアへ。冒険者ギルドは大通りをまっすぐ行った広場の西側にあるから直ぐ見つかると思うよ」


警備の人は少し慌てて同僚の人が対応しているところに戻っていく。とりあえず、職の情報をゲットしたので空腹を満たすためにも、お金を手に入れなければ。

警備の人に言われた通り、門からまっすぐ伸びる大通りを歩く。道の脇には、美味そうな匂いのする露店が立ち並び、呼び込みの声がひっきりなしに聞こえてくる。

一番最初に会ったオネーサン同様、この世界の人はラテンとかアングロサクソン系の人種が多いようだ。そういう地方なのかもしれないけど。元の世界の華僑のように、案外、何処にでもいるアジア系は全く見ない。

アメリカでもたまにいる、黄色い猿め!みたいな差別的な視線は感じないけれど、不思議な物を見るような視線はたまに感じる。単色人種の中に他の色が混じるとこんな感じなのかもしれない。日本の外国人はいっつもこんな視線を感じてるんだろうね。

鬱陶しい視線を無視しながら、警備の人が言っていた広場に着く。西側って言ってたけど、と周りを見渡すと直ぐに解った。ファンタジーな装備をしている人が出入りしている4階建の大きな建物。

入り口の階段を四苦八苦しながらキャリーを抱えて上がる。

ドアのそばに立っているオッさんがこっちを見て苦笑しながらドアを開けてくれた。


「坊主、ここは商業ギルドじゃないぞ?」


坊主扱いされても平気。アメリカでも中学生に間違われた事もあるから、慣れてる。むしろ、商業ギルドってなんやねん。


「冒険者ギルドに登録しに来ました」


「あー、そうだったのか。てっきり、その荷物で行商人でもしてるのかと勘違いした。新規登録なら、今は丁度空いてるから、左端のカウンターに行けばいいぞ」


「ありがとうございます」


なんでこう、こっちの人とか常にタメ口なんですかね。アメリカもそうだけど、言葉使いは礼儀の最もたる物だと思うんですけどね!心の中とか気心知れてる人間にだけ、俺様やってるのは、別に内弁慶だからじゃないですよ。礼儀ってすごい大事だと思うんですよね、僕。何、会話したら俺たちマブダチな感じになってんの?バカなの?死ぬの?

心の中で一通り、目の前のオッさんとか、前の世界のアメリカの生活に対して罵詈雑言並べてストレス解消。

空腹って、人の心を蝕むから、しょうがないよね。


表面上は和かにおっさんと別れ、ギルドの中に入る。なんていうか、半分はステレオタイプな西部劇のバー?で、もう半分は粗末な銀行のカウンター。タルの上に適当な大きさの板で円を作ったテーブルに粗末な椅子が付いているのが10個くらいあって、そのうち半分にはガラの悪そうな連中が酒かっ喰らいながらクダを巻いてる。

奥には階段とその横にカウンターがあって、仕切りの半分くらいにおばちゃんとか、多分アングロサクソン系が見たら美人なんだろう女の人とかがカウンターの奥で書類とにらめっこしている。あれだよね。アジア人から見ると、白人とかの美人って、ちょっと顔のパーツが強すぎるっていうか、野生的っていうより動物的に見えて正直バランス悪く見えるよね?全てがそうとは言わないけど、ハリウッド美人とか8割はよく見ると顎とか頬骨とか強すぎ。あれですか?野生的に肉とか噛みちぎる姿に魅力感じちゃう系ですか?僕とか文明人なんでお断りしときますね。


ひとしきり、内心で悪態をついて、おっさんの言う左端のカウンターに向かう。しょうがないんだ。入った瞬間、なんだこのガキ?みたいな視線が集まって俺のストレスがマッハ。どうか絡まれませんように。左端のカウンターはさえない見た目のおっさんっていうよりおっちゃんって感じの男の人だ。


「すいません、登録したいんですけど」


「はい。新規登録ですね。どうぞ、お掛けください」


「失礼します」


よかった、受付の人は常識人だ。


「新規登録とのことですが、ギルドの仕事内容はご存知でしょうか?」


「あ、説明していただけるとありがたいです」


「かしこまりました。冒険者ギルドはご存知の通り、世界的な組織です。各町に支部を設けており、一回登録すれば、各支部間で情報を共有することで、どの街においても一定のサービスを受けることができます。当然、長期滞在のための各街への市民証申請についても実費で代行しております。業務内容としては、市民の方々、行政府などからの依頼を冒険者として登録いただいた方々へ斡旋しており、冒険者の方各々の資質、スキルなどに合わせて個別にその都度契約させていただいております。依頼内容は多岐にわたり、どのような方でも冒険者として活躍いただくことが可能になりますが、やはり、戦闘技能を必要とする依頼は多く、特に高額な依頼につきましては高い戦闘技能を有した方へのみの斡旋となっております。また、冒険者の方々へのスキルアップのお手伝いも、私達の大切な仕事であり、多少の金銭的な負担はございますが、様々なスキル獲得の手段をご用意しております。以上が私達、冒険者ギルドの簡単な説明となりますが質問はございますでしょうか?」


なげーし、無駄にブラックっぽい雰囲気がする説明です。本当にありがとうございました。


「あー、戦闘技能が必要な依頼が多いとのことですが、その、危険度はどのくらいなんでしょうか?」


「難しい質問です。人によっては片手間で危険のほとんど感じない状況でも、他の方には危険になってしまう場合もあり、一概にどの程度という判断は難しいかと思います」


「そうですか。補償なんかはどうなんでしょう?」


「ギルドは独立不覊の精神を大事にしており、そのための事前契約でありますので」


何か起きてもギルドに責任はありませんよ、ってことですね。わかります。


「その部分について、より理解を深めていただくため、冒険者の方々の仕事についても説明させていただきます。冒険者の方はギルドによってその戦闘能力、依頼達成能力により、S、A〜Fまでのランクに振り分けられており、登録初期はランク外、準会員として危険度のない依頼を一定数達成していただくか、危険度の低い戦闘依頼を一つ達成して頂くことで正規会員のFとして登録させていただいております。ギルドに依頼されたお仕事も、その危険度や難易度によって同じくランク分けされ、大体同じランクであるということが危険度と戦闘能力の適正な度合いであると考えてください。冒険者の方は自身のランクの一つ上の依頼まで受理することが可能で、一定数の依頼達成によりランクアップの試験を受けることができるようになります。自身のランクより下の依頼に対する下限はございませんが、あまり高ランクの方が下の依頼を受理するのは他の冒険者の方々の顰蹙を買うことになるので遠慮なさる方がよろしいかと思います。その他、依頼の受理が必要ない常時依頼も存在し、そのランクにつきましては目安のランクはついておりますが、依頼受理のようなランク制限はございません。ご理解いただけましたでしょうか?」


だから長いよー。6文字、テンプレです。でいいじゃないか。


「ご理解いただけたようなので、新規登録の方に移らせていただきます。ご氏名、ご年齢を頂戴いただけますでしょうか?」


「戸倉義久。年は22歳」


「………はい。では、登録費用の400ディナールのご用意はございますか?」


「え?お金が必要なんですか?」


「はい。新規登録の際、ギルド証など、必要経費がございますので、実費をお支払いただいております。特に仮会員登録から本会員までは登録した支部でのみギルド登録が有効なので、本会員登録まで市街に滞在するために、市民証申請費用も別途必要になってまいります」


「お金がないんですけど、合計でいくら必要なんでしょう?」


「新規申請費用400ディナール、市民証申請800ディナールとなっております。ですが、稀に所持金の余裕がない方もいらっしゃいますので、担保がございましたら、その担保分のご融資も可能になっております。お客様の所持している物品を見る限り、ご融資は可能かと思いますので、ご希望であれば、先に登録内容の確認後、融資課へご案内させていただきますが、どういたしましょうか?」


「お願いします。それと、融資じゃなく、買取っていただくというのも可能ですか?幾つか処分してもいい物もあるんですけど」


「可能です。では、融資担当の他に買取担当も一緒に対応させていただきますね」

キャリーに積んだスーツケースやらデューティーフリーの透明な袋に入った物をみて、頭を下げる。お父様、お母様方、皆さんへのお土産は、俺の明日への糧になります。今回のお土産は諦めてください。


細々、出身地だったり、所持しているスキル、この場合のスキルはスキルセットっぽい、読み書きだったり、戦闘経験だったりと聞き取りされて、そのほとんどを出来ませんと答えた俺に、おっちゃんは顔を少し引きつらせて、2階の会議室なようなところに案内してくれた。読み書きについては、日本語、英語、スペイン語なら少しだけだけど、余裕なんだ。一応、この世界の文字を確認させてもらったら、案の定アラビア語みたいな蛇ののたくった文字で無理すぎた。こんどこの世界の神様に会ったら、なんで日本語喋ってるのに文字があんなのなのか小一時間問い詰めなきゃ!


「失礼します」


そう言葉をかけて入ってきたのは、さっきのおっちゃんの他に、太ったおっさんとミゼットの太った髭おっさん。おっさんばっか。この世界文化的に遅れてるように見えるけど、ミゼットが社会進出してるってすごいなぁ。表面上は人種差別アレルギーのアメリカでも、ミゼットはやっぱり映像関係とか、サーカスとか多いのに。


「お待たせいたしました。こちら融資担当のアラファルト、こちらが買取担当のケミットです」


ミゼットのヒゲボーボーで超剛毛っぽい髪の毛を長く伸ばしてるオッさんがケミットって酷い。


「それで、何を見て欲しいんだ?」


「売れるのはこれくらいなんですけど、いくらくらいになりますか?」


待ってる間に纏めた、売れる物を机の上に並べる。ほぼ、両親や友人へのお土産だ。チョコレートとか、お酒、涼子へのお土産である某高級ブランドの香水もその中にある。


「なんだこりゃ。値段をつけようにも、こんな訳の分からんもんじゃつけようがないぞ?」


アラファルトっておっさんはチョコレートの入った金属の箱をコンコン叩いている。ケミットはお酒の瓶を光に透かして揺らしたり、匂いを嗅いだり。


「アラファルトさんが見てるのは、チョコレートです。ケミットさんの方はお酒で、それなりにいい物なんですが」


「ばかやろう。いくらこんなど田舎でもチョコレートくらい知っとる。あれは飲みもんだ。これは金属の箱だろう」


「これはやはり酒か。微かに芳醇な香りがしてくる。この透明な入れ物はガラスか?こんな精巧なガラスは見たことがないぞ」


二人でいっぺんに喋るんじゃない。そして、チョコレートが飲み物って、何百年前の話だよ。ああ、こっちではそうなのか。説明しようにも、昔は薬的な飲み物だったってのは知ってても、何を混ぜてチョコレートが固まるかは知らないんだよな。


「お二人とも、いっぺんに話されてはヨシヒサさんも困ってしまいます。それで、買取の方は可能なんですか?」


「もし、本当にチョコレートだとして、この重さなら1万ディナールは下るまい。5千ディナールまでなら融資可能だな」


「こっちの酒は、中身はわからんが、この瓶だけで2千くらいで買い取ってもいいだろう」


「あ、すいません。瓶ってそんなに値段するんですか?」


「こんなに色むらがなく、綺麗に整形されたガラスは見たことがない。ガラス工房に研究用に卸せばそのくらいだろう」


いいことを聞いた。

だったら、ちゃんとしたお土産を切り崩さないでも、すでに飲みきったワインボトルでいいじゃないか。ポイ捨てせずにちゃんと手持ちかばんの中に保存していた俺の勝利。


「それでは、これなんですけど、いくらくらいになりますか?中身はすでに飲んじゃっててないんですけど」


ワインボトルを取り出すと、ケミットの方に差し出す。


「ふむ。少し先ほどより色は濃いが、やはり色むらもなく、綺麗な円形をしている。この部分に貼り付けた紙か?これは邪魔だが、先ほどの半分程度なら出せるだろう」


うーむ、1千だと登録費用と市民証申請費用に少し足りないし、少しくらいは自由になるお金を手に入れたい。しかし、どこまでこの世界で過ごさなきゃならないかわからない中で、あっちの世界の味覚はなるべく手放したくない。担保で渡しとくのも、チョコだって賞味期限があるからなぁ。


「もうちょっと、高くなりませんか?具体的には1200~1300くらいに」


「ふむ、少し難しいな。ガラス自体の価値はそれほどないからな。しかし、これは飲み物が入っていたのか?蓋はどうしてたんだ?」


「ああ、それはコルクで」


「コルク?」


「コレです」


手持ちかばんの中から、コルクを取り出す。てっぺんにはスクリューの跡がついてるが、綺麗に取り出せたので欠けなどはない。


「ほほう。これは植物か。しかし瓶口より大きく作ってるとはいえ、中身がこぼれてしまうのは防げそうにないな」


「ああ、元々はそれは瓶のキワまで押し込んであったんです。だから移動中に溢れることはまずありません」


「キワまで?それでは取り外せんだろう」


「スクリューを刺して引っ張るんです。こういう道具を使って」


と、ソムリエナイフを取り出してコルクスクリューを見せる。コルクにスクリューを差し込むのを実演してみせると、ケミットはナルホド、と唸る。


「ふむ。よし、そのコルクとやらも一緒ならば1400まで出してやろう。もちろんスクリューの情報込みだが」


「本当ですか?ありがとうございます」


「駆け出しなら1400もあれば十分か。なんでえ、俺がこなくてもよかったじゃねーか」


「まぁまぁ、アルフォンスさん。彼も冒険者になれば他に顔を合わす機会もあるでしょうしここはひとつ顔つなぎということで」


「アルフォンスさんもありがとうございました」


 おっちゃんのとりなしに続いてお礼を言っておく。頭を下げるのはタダだからね。下げられる時は下げておくに限る。男臭い部屋から、アルフォンスとケミットが出て行く。ケミットは出て行く前に硬貨を受付のおっちゃんに渡していった。新たにお土産に手をつけないで済んだのはラッキーだったな。涼子用の香水は売っぱらっちゃっても良かったかもしれないけど。


「確かに、登録費用と市民証申請費用を頂きました。こちらがお釣りの200ディナールになります」


二人っきりになったあと、おっちゃんはそう言って、銀色の硬貨を2枚、手渡してくる。たぶん銀貨なんだろうとは思うんだけど、貨幣価値が全然わからない。


「すいません、ここら辺の物価がわからないんですが、これってどのくらいの価値があるんですか?」


聞くは一瞬の恥、ってことで、ちょっと自分でもどうかな、と思う疑問を口にする。だって、銀貨なんて持ったことないんだもん。


「そうですね。この街ですと、銀貨20枚ほどで、一般的な市民が一人、一ヶ月間、家賃と食費を賄っていけるといった具合でしょうか?物価を詳しく知りたければ、市場に行ってみるのが一番かもしれませんね」


だいたい、銀貨1枚=1万円くらいな感じだろうか。


「ありがとうございます」


「しかし、ヨシヒサさんの荷物はずいぶん多いので、荷物を置いておく拠点には十分気をつけないといけませんね。貴重なものもお持ちのようですから、治安の良い場所で滞在した方が良いでしょう」


「あー、そうかもしれません。ご忠告ありがとうございます。銀貨1枚で泊まれる、そのような宿があれば、紹介してもらえるとありがたいんですけど………」


普通に全部持って移動するつもりだったけど、やっぱり変だし、大変だよね。本当に大事なものだけスーツケースに詰めて、最悪それ以外が盗まれても仕方がないって思っとくのが吉かも。治安の良い日本くらいだからね。ホテルの部屋とか人目のないところに貴重品を置いても持ってかれないなんて。日本人が旅行でいくような高級ホテルは別かもしれないけど。一回学校の友人とラスベガスに遊びに行って安いモーテルに泊まったら、カジノに行ってる間に部屋の貴重品入れに隠してた軍資金の半分が消え去ったことがある。まぁ、犯人は一緒に来てた某大陸人で、警察やら、弁護士やらですったもんだがあったんだけど、今は関係ないから略。


「かしこまりました。幾つか候補がありますので、後ほどお教えいたします。では、ギルド証が完成する頃なので、もう一度受付までよろしいでしょうか?」


先だって、おっちゃんが部屋から出て行く。てっきりここで渡してくれるもんだと思ってたんだけど、わざわざ受付のカウンターまで戻らないといけないらしい。

動くのは別に良いんだけど、やっぱりこの荷物を持って移動するのはクソだるい。


***


「おまたせいたしました。こちらがギルド証になります」


おっちゃんが手渡してきたのは、金属のカードだ。表面には、ヘンテコなアラビア文字。裏面は妙にザラザラしている。


「オモテ面には氏名と年齢、登録ギルド支部である当ギルドの名前が彫られており、裏面には、登録日時や、討伐履歴など、各冒険者の情報が秘密文字で登録されてあります。紛失された場合、登録ギルドで情報更新した時点のギルド証を実費で再発行させていただきます。登録ギルド支部はいつでも変更可能ですが、他の支部に行く場合は、各支部にて登録ギルドを変更してください。情報更新に関しては、基本的に依頼契約ごとに自動的に更新されていきますので特別な行動は必要ありません。半年以上情報更新がない場合、死亡、もしくは行方不明ということでギルド証は失効いたします。少なくとも半年に一度以上は依頼の受理や達成をお願いいたします」


「無くして、他の人が勝手に使うことって可能なんですか?オモテの名前を変更したり」


「オモテの刻印を変更することは可能ですが、先ほども申し上げたとおり、裏面には秘密文字による持ち主の情報が書き込まれているので、まず不可能になります。また、成りすましなど、持ち主以外がギルド証を使う事は基本的に不可能ではありますが、ほとんどのギルド支部のある国で成りすましなどは刑罰の対象になりますので、お気をつけ下さい。登録は以上になりますが、引き続き、ランク外の依頼を受理されていきますか?」


「あー、今日のところは疲れてるので宿を取ろうかと思ってるんですけど」


「では、先ほどの宿をお教えしましょう。フクロウの宿り木亭は少々値段が高く、一泊朝と夜の食事がついて1人100ディナールとなっておりますが、部屋のランク、食事のランクともに値段以上のもので、自信を持ってお勧めできます。二つ目の砂漠の陸亀亭は、値段もそこそこで、一泊2食つきで80ディナール、食事もベッドも値段相応といったところでしょう。コウモリの洞穴亭は一泊と夜の食事のみで50ディナール、宿自体はそれなりですが、宿の周りの治安はあまり良くないのでお勧めはできません」


「あー、フクロウの宿り木亭の場所を教えてくださいますか」


「かしこまりました。ギルドを出て、広場と反対の右手の方向に10分ほど歩いていただいた左手にあるフクロウの絵が書いてある建物がフクロウの宿り木亭になります。店主にギルドのサイファの紹介である事をお伝えしていただければ何かとサービスを受けられるかもしれません」


おっちゃんの名前ってサイファかよ。どっちかっていうと、切れ者っていうより人のよさげな顔してるから、サイファって感じじゃないな。


「どうかなさいましたか?」


「あ、いや、サイファさんの名前をそういえば初めて聞いたな、と」


うっわー似合わねーって顔に出てたらしい。慌てて取り繕う。


「そういえば、名乗っていませんでしたね。当ドルディア冒険者ギルド支部の副ギルド長を務めさせていただいているサイファと申します。以後よろしくお願いいたします」


っておっちゃん、副ギルド長なのかよ。ナンバー2なんて切れ者に見えない。っつーかナンバー2が受付なんてしてんじゃねー。ごめんなさい。ずっと心の中でおっちゃん扱いでした。

内心の焦りを隠して、よろしくお願いしますと挨拶もおざなりに、そそくさと席を立つ。最後は腰の軽い副ギルド長に見送られながらギルドを後にした。


***


フクロウの宿り木亭はすぐに見つかった。1階は食堂兼居酒屋と調理場、2階より上に客室のあるごく一般的な宿屋らしい。1階の食堂では、すでに夕飯の時間が近いのか、すでにお客の姿も見える。えっちらおっちら荷物を抱え、店内にお邪魔する。


「いらっしゃい!お食事ですか?お泊まりですか?」


元気な声をかけてきたのは、ギリギリティーンに入るかどうかのお嬢さん。白人のこの年頃って年齢がアジア人にはわからなすぎる。エプロンが眩しい、美人っていうよりも可愛い系の愛嬌のある顔をしている。つまり?整ってはいないってことだ。わかれよ。


「泊まりで。ギルドのサイファさんのご紹介で来たんですけど」


速攻でサービス目当てにサイファの名前を出す。貰えるもんはなんでももらうんだ。後で捨てることになっても、貰えるだけタダだからね。


「ああ、サイファさんの。了解です。今お父さんに宿の空き部屋の確認をしてきますので、奥の受付にある宿帳にサインをお願いしますね」


そういうと、返事も聞かずにカウンター横の出入り口から調理場の方へ行ってしまう。忙しいのはわかるけど、僕文盲なんです。とりあえず入り口で立ち止まってるのも店に悪いから、荷物を押して娘さんの言っていた受付までやってくる。さて困った。名前が書けない。もうこーなったらアメリカで使ってるサイン書いちゃろうかな。一応、色んなとこでサイン使うから自分のシグネチャーは持ってる。でも、こっちで言うサインが、日本で言うサインなら、普通に氏名を書くだけかもしれない。日本で書類にサインするときに、シグネチャー書いて大恥かいたのを思い出す。え?読めませんけど?って笑ったあの市役所の役員、あの恨みはゼッテー忘れない。

また思考が横道に逸れた。ああ、そういえば俺こっちの文字で書かれた名前あるじゃん。ギルド証。

思い出してそそくさとギルド証を取り出す。意気揚々と羽ペンを持って、宿帳に写そうと思ったら、どれが俺の名前かわかんね。死ねよ!


「書けました?」


ギルド証を見て固まった俺の後ろから娘さんが手元を覗き込んでくる。


「ごめん、俺文字書けない」


「あ、すいません。気にしないでも結構書けない人いますし、大丈夫ですよ」


て言ってる娘さんは俺のギルド証から名前を見て、さっさと宿帳に名前を書き込んでる。


「えええっ年上の方だったんですか?」

名前と一緒に年齢の方も見えたんだろう、大げさに驚いた真似をする。


「よく言われますよ。いくつくらいだと思いました?」


「正直、15歳くらいかと。あ、私だけ知ってるのは不公平ですね。私、ナイリーネ、17歳です」


不公平って感じるのはまだ君が自分の年を言うのに不都合がないからさ。あと8年もしたら、男が自分になんでも与えるのはトー然って顔して、毎朝顔に汚物を塗りたくるようになるんだ。けっ。


「自分は義久だ。これからしばらく厄介になるよ」


「はい。一応前金で承ってるんですけど、お料理つきでよろしかったですか?」


「ああ、荷物があるんだけど、一泊で置いておいてもらうのも悪いから、先に2泊分払っておくね」


カウンターの上になけなしの銀貨2枚を出す。それを見たナイリーネは宿帳に何やら書き足して、銀貨をエプロンのポケットにしまう代わりに鍵を取り出す。


「はい。義久さんのお部屋は2階の3号室。階段を上がって左の一番奥の部屋になります。基本的にお泊まりの間、従業員が中に入ることはありませんが、貴重品の管理はご自分でしっかりしてください。洗濯や、ベットメイキングなど、連泊の間に必要になったら朝、銅貨10枚で承ります。井戸は階段横の通路をまっすぐ行った裏庭にあります。宿泊者は自由にご利用になれますが、他のお客さまのご迷惑にならないよう、節度を持ってお願いします。お出かけの際には従業員に鍵をお渡しください。あまり夜遅い場合、鍵の受け渡し、お食事の用意は出来兼ねますのでお気をつけ下さい。朝の食事は日の出から正午の鐘迄となっています。お湯の用意は銅貨5枚になりますが、ヨシヒサさんはサイファさんのご紹介ということで、本日のお湯のご用意はサービスさせていただきますね。お部屋に上がる際にお申し付けください。後ほどお部屋にお届けします。以上なにか質問はありますか?」


よくこんだけ一気に喋れた!感動した!嫌味だよ?

所々、捲し立てるナイリーネの姿に圧倒されて覚えてないところもあるような気がしたけどまあいいや。頷く。


「それではこちらが鍵です。すぐお食事になさいますか?」


鍵を受け取ると、速攻で頷く。さっきから厨房から漂ってくる匂いに胃が異常活動を始めてる。その内胃酸で胃が溶けるかもしれない。


「わかりましたー。お荷物を置いたらすぐ降りてきてくださいね。すぐにご用意できると思いますんで」


それだけいって、ナイリーネは新しく入ってきた客の方へ走り去った。

さっさと荷物を部屋に置いて飯食いに来よう。ギルドナンバー2のオススメなんだから外れるわけがない。フリじゃないよ!

よっこいせ、とキャリーを抱えて階段を上る。これ結構重いはずなんだけど、昨日から何回も抱えて持ち上げてるからか、楽になってきた気がする。でも、面倒だから後で荷物の取捨選択して、明日からはスーツケースだけにしようと思う。

階段上がって、左の一番奥、ナイリーネの言っていた部屋の位置を思い出す。じゃないと部屋の位置わからなくなるからね!一応、ドアの前に数字らしき文字は書いてるんだけど、ワカンネ。

部屋はそれなり。日本のビジネスホテルより広いけど、アメリカのモーテルと比べると少し狭い。部屋の中にあるのは、ベッドとちょっとしたデスク。燭台はあるけどロウソクはない。意味ねーし。

部屋の観察もいいけど、お腹がもう限界。この2日、食べたのはマカダミアチョコだけ。むしろよく持ったと思う。

キャリーを部屋の真ん中に押し込んで、鍵が閉まったのを2度確認して食堂へ戻る。だって、今現在の俺の全財産だし。でもまぁ、食事行ってる間の短時間なら大丈夫だろう。つっても、フラグじゃねーから。

階段から降りると、食堂にはさっきより随分人が増えて、半分以上席が埋まっていた。中にはこれからの同業っぽい、鎧姿の人間もいる。


「あ、カウンターの好きな場所に座っていてください。すぐに注文を取りに行きます」


両手いっぱいに料理の乗った皿を抱えたナイリーネが声をかけてくる。カウンターを見ると、まだ半分くらい空いている。ちょうど空いていた、端の席に座る。だって知らない人と隣り合わせになるの少しでも減らしたいじゃん。片側でも御免なのに。


「お泊まりについてくるお食事は3種類あるんですけど、まず飲み物は何にしますか?一杯目は無料です」


生水怖いから渇ききってても飲まなかった。ここなら大丈夫!だよね?


「何があるのかよくわからないから、オススメでお願い。飲み物は、アルコールはどっちでもいいけど量が欲しいな」


俺の注文にかしこまりましたーとあっという間に、カウンター奥に駆け込んでいくナイリーネ。基本的に、オススメを頼んでおけばハズレはないと思う。日本だと戸惑われるけど、アメリカだと普通にホイホイ出てくるから慣れたもんだ。


「お待たせー。量が欲しいって言ってたから、一番安いエール。特別に大ジョッキね。料理はオススメのオークのステーキ。ドルディアに来たらコレだよ。冷めない内に食べてね」


オークって、あれか?楢やら樫?って流石に木は食わんだろ。ってことはあれだよね。トールキン先生のロードオブザリングで有名な。まあ、豚だって言うし、病気にならないといいなぁ。

目の前にあるステーキは匂いはかなり旨そう。とりあえず、エールとやらで喉を潤す。

うん。生ぬるくて味が薄くて苦味が薄いけど、ビール。ビールよりは甘い香りが強い。海外だと結構生ぬるいのは当たり前だから慣れてる。もちろん日本的なキンキンに冷えたビールの方が好きだけど、これはこれでイケるな。

覚悟を決めてオークのステーキにかぶりつく。しゃあないねん。フォークがない。アメリカで鍛えた俺のテーブルマナーはフォークなしでは発揮できません。味は普通にポークステーキ。香辛料がきっちり効いてるし、油も程よい感じだけど、いかんせんかてーよ。硬いっていうか、筋っぽい。うーん、タレがそれなりなだけにもったいない。でも、肉の味は油が少ない分しっかりしてる。旨い。やるな!オーク!


速攻で皿と杯を空にして、ナイリーネに声をかけて席を立つ。本当はもっと食いたいし、飲みたいけど金がない。お金がないって悲しいことなのよね。


「お湯はすぐ持っていきますか?」


「まだすぐ寝ないと思うから、お店が落ち着いてからでいいよ」


空腹がなくなった俺超ジェントル。もうフェミニストばりの女性蔑視主義者だよ。ああ、直訳違った。女の子に優しいよ。

部屋に戻ったが、荷物は無くなってなかった。だからフラグちげーし。

とりあえず、明日以降のために荷物の整理整頓を始める。

スーツケース、手荷物のトートバッグ、お土産が入ったデューティーフリーの袋、警官からパクったリボルバーとオートマチック、やはりパクった警官がよく持ってる盾、警棒。以上が私の全財産になります。スーツケースの中には何が入ってるんだ?正直覚えてない。でもスーツケースがわけわからんことになってるので、あんまり開けたくない、けど荷物の整理のためには開けなければならない。このジレンマ!


「はー。しゃあない。開けるか」


もしかしたら、あの洞窟の中でだけで、今は普通に戻ってるかもしんないしー。

という俺の儚い希望はスーツケースが開く音ともに砕け散る。


「ですよねー。知ってた」


依然として、スーツケースは中身が消えて、訳の分からん黒い靄のようなものに満たされてる。不思議なのは、靄だったら、斜めにすれば重力に従って落ちてきそうなものなのに、半分で割った両側ともきっちり詰まっている。斜めにしようが、逆さにしようが落ちてこない。表面は体に悪そうに波打ってるのが余計不気味なんだよ!覚悟を決めて手を突っ込む。また、あの時と同じ訳のわからん感覚だ。もっとこう、リストみたいな感じでわかればもっとわかりやすいのに!


Tシャツ×6

シャツ×3

Gパン×2

アロハ×2

短パン×1

パンツ×7

靴下×6

靴×2

本×5

筆箱×1

箱×1

コンドーム×11


最後!さいごおおおおおおおおおおおお!

確かに日本から買って行って一箱残ったからついでに持って帰ってきたけどさああああああ、箱に入ってるんだからそこは箱でいいだろおおおおおおおおお!

思ったらリスト化とかどんなご都合主義だ、ターコとか、言いたいことはあった筈なのに最後の近藤さんで全て吹っ飛んだ。

しゃーないねん。アメリカのコンドーム馬鹿みたいに頑丈だけど厚いし。生でやるアホ多いから、どこで病気もらうかわからんし。日本製最高。ゴムは大事。


恥ずかしいやら、アメリカからコンドームを持ち帰ってくる自分のアホさ加減に落ち込むやら、床をゴロゴロ転がりまくって、落ち着くまでにちょっと時間がかかった。

とりあえず、2日間着っぱなしの服はお湯もらった後に着替えたいから出しておく。残りの荷物を試しにスーツケースに入れてみる。どこまで入るのかとか、入らなくなったらどうなるかわからないから慎重に。

んで、気づいたらこうなった。


Tシャツ×5

シャツ×3

Gパン×1

アロハ×2

短パン×1

パンツ×6

靴下×5

靴×2

本×5

筆箱×1

箱×1

コンドーム×11

トートバッグ×1

財布×1

タバコ×57

シガレット×3

ライター×2

デューティーフリーの袋×1

お酒×4

チョコレート×3

香水×1

ソムリエナイフ×1

歯ブラシ×1

歯磨き粉×1

ライオットシールド×1

S&W M37×1

H&K P2000×1

ガンホルダー×2

スーツケースキャリアー×1


うん。入っちゃったんだ。全部。できると思わなかった今は後悔している。タバコは未開封で、シガレットは開封済みの残り本数みたいだ。タバコの数が多い?日本は2カートンまでだ?言わせるなよ恥ずかしい。密輸入しようとして税関で税金払いましたけど何か?っけ。手持ちの中にチョコレートの缶が入ってなければばれなかったのに。何より、びっくりなのは銃の名前が判明しました。だから何?って話なんですけどね。どうせ銃弾を補充できないし、整備だって出来ないから意味ないし。

一通り、荷物の整理が終わったところでドアがノックされる。お湯だろう。

とりあえず、M37とガンホルダーだけ取り出して、ベルトに装着。

ドアを開けたところで、ナイリーネが結構な大きさの桶を抱えて外に立っていた。


「お湯をお持ちしましたー。タオルはサービスです。終わったら、廊下に出しといてくださいね。後で回収に来ますから」


「ありがとう」


桶を受け取ると、すぐにナイリーネは一階へ戻っていった。まだ、食堂が忙しいらしい。

にしても、クソ重い。ナイリーネが涼しい顔して持ってたから、いけると思ったんだけど、気をぬくとひっくり返して部屋中水浸しにしそう。

慎重に部屋の真ん中まで運び、ゆっくりと下ろす。速攻で服を脱ぎ捨て真っ裸に変わると、桶の端にかかっていたタオルをお湯に浸して全身の垢を拭き取る。日本と違って、こっちの世界は湿気は少ないからお風呂文化は進んでいないらしい。ヨーロッパの方とか平気で3日とか風呂入らない人間もいるらしいし、こっちもきっとそんなノリなんだろう。それにしても、失敗した。体を拭く前に頭をあらっとけばよかった。頭を垢の浮いた桶で洗うのは勘弁してほしい。歯磨きもしたい。再度お湯を頼むお金もない。

洗わないなんて選択肢は取れないので、裏庭の井戸に行くことにする。ついでに着替えた服も持って行こう。水洗いでも随分違うだろう。

ついでなので、桶を持って一階に下がると、食堂は随分人が少なくなっていた。残っているのは、お酒で騒いでいる2グループだけだ。


「あ、ヨシヒサさん、わざわざ持って降りてきてくれたんですか?」


「ああ、井戸を使うついでに、この桶を借りてもいいかな?」


「どうぞー。使い終わった水は植木の上に流しちゃっていいので」


外に出るとすでに、薄暗くなっている。食堂はロウソクがある分少し明るかったが、廊下は真っ暗になるかもしれない。さっさとすましちまおう。

井戸は昔ながらの釣瓶式だった。兄さん、また肉体労働です。

桶の垢のういた水を捨て、木桶を引っ張る。滑車がある分引っ張り上げるより楽とはいえ、もう二度としたくない。絶対俺お金持ちになってこんな作業は他人にやらせるんだ。

洗濯、歯磨き、洗髪が済んだ頃にはあたりはもう真っ暗になっていた。


濡れた髪から水気を取る間、夜空の星を満喫する。こっちにきて得したことは一つもないが、この夜空だけは、ちょっと得と思ってもいいかもしれない。


「あのー、そろそろ裏口の鍵閉めますよー」


ナイリーネがランタンのようなものを持って裏庭にやってきた。


「ああ、悪い。もう終わった。桶はどうすればいい?」


「預かりますー。わざわざ洗っていただいたみたいで、ありがとうございます」


歯を磨いたら、歯磨き粉が付いちゃったからね!あれって乾くと結構な頑固な汚れになるから。


「それじゃ、おやすみなさい」


食堂にはまだ少しお客が残っているが、ナイリーネの営業はもう終わりらしい。一緒に階段を上がって、3階に通じる階段前で挨拶をして別れる。

体感的にはまだ宵の口だが、2徹目の眠気には勝てない。部屋に戻り、ベッドに入った瞬間、記憶が飛ぶように眠りについた。


 明日はファンタジーな冒険が待っている。

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