第2話 艶めく紅き薔薇は咲く
黄金郷エンドブルムまでの道のりは、何事が発生するわけでもなく、無事に船旅を終えることとなった。
約2日間と、渡航にしては短期間のみの乗船ではあったが、二人の少年を除く乗客が航海士と料理人、船長らしき人物しかいないこの船旅は中々気だるいものだった。
何せ、無駄に馬鹿でかいこの船は見栄えだけは立派なものであっても、いわゆる豪華客船などに常備されているような施設は一切なくただ辛うじて生活できるスペースが用意されているのみだ。
そんな質素な大船に何ヶ月もいるとなれば、流石に気力が持つはずもない。
街に足を踏み入れると、船から見えていた黄金郷よりも遥かに光沢を増した風景が視界に飛び込んでくる。高層の王宮や教会以外の地面、看板、乗り物までも眩しい金で町中が埋め尽くされていた、目のやりどころに困惑してしまうくらいにー。
「オルフェントも中々煌びやかな国だと思ってはいたけど…此処はとんでもない華やかさだね…。黄金郷、なんて言われるのも頷けるよ」
辺りを一望しながら、未だ街の雰囲気を呑み込めていないロジェの方を振り返って言う。
「…聞いてる?」
ぼうっとした表情の目前で掌をかざしてやると、ようやく気付いたというように焦点を合わせる。
「えっ、あ…悪い!…何だって?」
はあ、と長い溜息の後にルイはくすりと
笑みを浮かべた。
「いいよ、大した話じゃないから。…それより、洞窟の前に少しは観光でもしてみる?エンドブルムに来れる機会なんてこの先、早々訪れるもんじゃないんだし。どう?」
「え、いいのか?」
「うん、僕も前々から行ってみたい店があってね。ここって魔法都市でもないのに杖の生産がすごく豊富なんだよ…やっばり黄金で作ったものなんかは丈夫だろうしね?」
「へえ〜、お前ほんと物知りなのな。でもまあ…俺の専門は魔剣だし、杖は必要ねえもんな」
オルフェントの国立学園においては、武器そのものに魔力を注ぎ込んで使用する魔武専、杖に多大な魔力を込めて直接魔法攻撃を行う魔攻専、水晶や装飾品といったもので魔力を神聖なるものに変換させ、高度な知能によって癒しの力を操る魔防専の3つのタイプに選別されていた。
ロジェの場合は魔武専・魔剣タイプ。
カイの場合は魔攻専・全魔法型。
魔攻専を選択した生徒は例外を除いて殆どが杖や本を所持している場合が多い。
「それじゃあ、夕刻までに港で待ち合わせっていうのでどう?」
「了解、じゃあまた後でな、カイ」
*
カイと別れ、ロジェは黄金に包まれた市場を彷徨く。新鮮な野菜や魚類、肉を売りさばいている活気溢れる場所かと思いきや、その中心にはオルフェントには劣るものの珍しい魔具が揃えられた魔法専門店が立ち並んでおり街は酔うほどに人で溢れていた。
そこら中で美味そうな出来立ての逸品を味わえる屋台なんかの声掛けに、思わず身体が吸い込まれるように自然と足が進む。
「そういや…エンドブルムに来たからには名物の菓子なんか食っておきたいよなぁ」
黄金の秘境では金箔が大量に採取できることから、存分に金箔菓子が生産されていると聞いたことがある。
その他に『金の豚』と呼ばれる珍種豚の肉を使った豚饅頭なんかも美味であると噂をよく耳にするものだ。
ロジェは一軒の饅頭屋台で足を止めた。
「おっ…これなんか凄い美味そうだな…おじさん、これひとついくら?」
「150リリーだ。買ってくかい?」
「じゃあひとつ。…はい、これお代な」
「毎度!」
蒸し立ての肉饅頭を受け取ると、直ぐに鼻に入ってくる香りに思わず唾液を吞み込む。
口にいれると、ふわふわした甘みが堪らなく絶妙な皮の中からたっぷりの肉汁が溢れ出してくる。これは絶品と言われるのも頷ける旨さだ。
あまりにも夢中になって饅頭を頬張っていたせいだろうか、目の前でロジェを見つめるその人影にそれまで気がつかなかった。
「…ねェ、君」
「…!」
はっと我に帰り前を見る。
時空が一瞬の間止まったかのような感じに襲われ、息を吞み込む。
(…綺麗な…ひとだ)
真紅の血で塗り上げたような、その赤髪は彼女の真っ白な肌に絡みつくような妖艶さを際立て、腰まで伸びていた。眼を離すことのできないほど強く凛々しい琥珀色の瞳もまた自分を見透かされてしまうのでないかと恐怖するほどに美しかったー。
しかし、眼を合わせた瞬間に浮かべたその笑みは何処か偽りのようなぎこちなさを感じてしまう。
「あたしより饅頭にご執着なんて、随分と面白い子ねェ?」
「え…あっいや、その…」
戸惑った様子でいると、その女は距離を詰め自分を指差してこう言う。
「あたしはヴィヴィ。そう呼んで」
「えーと…何か俺に用が…?」
「あら、用なんて野暮なこと言うのねェ。君に惹かれたから、じゃダメなの?」
「は、はぁっ⁉︎…なんでそうなるんだよ…」
「いいじゃない、ホントのことだもの。…ねぇ、君どこから来たのかしら。見たところ此処の出自ではなさそうだけれど」
「え?…ああ、俺はオルフェントから…えっと、そう!観光に来たんだ、友達と一緒に」
何となく、見知らぬ者にWSUの洞窟を探しに遥々ここに来たのだとは言い辛く嘘をついてしまう。
「ふぅん。それじゃあ、魔術師だったりするのかしら?…でも、君剣持ってるし、そうじゃなかったり?」
「ああ、これか?…まあ魔法も使えないことは無いけど、俺はこの魔剣で生きてきたからな…」
「…魔剣かァ。…ね、ちょっとだけ触らせてよ」
女が剣に手を伸ばそうとするのを見て、電撃が走ったように脳が痺れた。
反射的に伸びてきたその華奢で細い手首を掴み、ギリギリと締め付けていた。
「…随分大胆じゃない。でも痛いわよ、離してもらえるかしら」
「…あっ……」
即座に彼女の手を離す。
「悪い……」
いつも、こうだ。
この剣は、大切で、失いたくなくて、傷つけられたくなくて。
他人に触れられたくないと、衝動的になる。
「…形見なんだ。…唯一の、形見だった。それで、つい…ほんと、ごめん」
「…謝らないでよ………もうっ、それなら先に言ってくれたら良かったのに。ほら、そんな顔してたら台無し。…ね?」
「…ありがとな。お前、すげぇいい奴だ」
つい思ったことを素直に口に出してしまったけれど、そんなことを恥じる余裕もないほどの彼女の笑顔が胸に焼きついた。
出会ってすぐに見せた笑顔ではない、その人の『本物』の笑顔は何倍も綺麗だった。
「またすぐに会えるわ、きっと。あたしそんな気がするもの」
「…ああ。そうだな…」
女はくるりと方向を変えて市街を真っ直ぐに歩き出す。その後ろ姿から、声がする。
「またね。…ロジェ」
「…………へ?」
自分の素っ頓狂な声で目がさめる。
(な、なんで………)
「俺の名前……知ってんだよ⁉︎」
そう叫んだときには、時遅し。
女の姿は人混みに消えていたー。
「…何だったんだ…あの女………」
*
「遅かったね。良い店でも見つけたの?」
すっかり太陽は西の方角へ傾き始め、空模様が刻々と色を変えてゆく。普段見慣れた橙色の夕焼けに、黄金郷の街の街灯や建物の煌めきが反射しているせいか、琥珀色に近い美しい眺めだ。
相変わらず停船したままの船と寂れた人気のない港は、静かな波が砂浜にあがる音とカモメの鳴き声だけが響く。
「悪い…案外市街って同じような黄金の景色が続くだろ?港までの行き方、分からなくなっちまってさ」
「全く、誰かに聞くなりすれば直ぐ分かるのに…そうやって一人で解決したがる癖、直した方がいいと僕は思うけど」
ゆっくりと溜息をつくカイ。
「…まあ、いいよ。もう日が暮れることだし今日は何処か宿を探して明日から行動したほうが良さそうだね」
「ああ…」
「長居するつもりも無かったからそんなにリリーは持ち合わせてないし…手頃な宿にしたいところだよね。ロジェ、良い宿とか観光中に見かけたりしなかった?」
「ん〜、特には…」
「…?…ロジェ、さっきから何か、ぼぅっとしてない?」
「えっ…いや、そうか⁇」
やはりカイのことを欺くのは難度が高すぎたか…と思う。
「…………」
正直、先ほど市街で会った『ヴィヴィ』という謎の女が頭から引っかかって離れないままだった。何となく、話す気にもなれず話したからと言って何になるわけでもないのではないかと考えてしまった。
「ふぅん。ま、別に話したくないならいい。何かが君の中であるんでしょ?」
「……敵わねえ…カイには……」
「そりゃ、伊達に君と幼馴染やってないし。まあロジェのことだし、朝になればよく分からない悩みなんて吹っ飛んで、今度は洞窟のことで頭がいっぱいになるでしょ」
「ははっ……そうかもな。とにかく、宿探しだったな?ヨーシ!行くか!」
「……ほんっと、調子良いんだから」
少年たちの旅は、始まりを告げたばかり。
そして全ては此処から動き出す運命の歯車。
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