15.脱出

 残された罠や生き残りの魔物を警戒しつつ、俺達は崩壊した第一層の中を無言で駆けていた。

 背後からは、今も微かにドラゴンゾンビの咆哮と激しい戦いの音が響いてくる。ドナールとダリルが、まだ戦っている証拠だ。

 死にかけの体に鞭打って、俺達を逃がす為にドラゴンゾンビへと戦いを挑んだ彼らの行いを無駄にする訳にはいかない。俺達は、一刻も早く出口である転送魔法陣まで辿り着かねばならない――だが、その前に一つ、はっきりさせなければならない事があった。


「リサ、アーシュ、そのままで聞いてくれ……ダリルの言っていた事をどう思う?」

 ダリルが去り際に残した数々の言葉――「閉ざされし時空の迷宮」「指し手プレイヤー」「やり直し」「手駒」……今の疲れ切った頭では十分には理解できないそれらのキーワードが、頭の中でグルグルと駆け巡っていた。

「……私はちんぷんかんぷんだった」

 リサの予想通り過ぎる答えに、思わず「だろうな」と返しそうになったが何とか踏みとどまる。この局面で、無駄にリサを怒らせたら色々と面倒だ……。

「――私は、ダリル隊長の言葉で色々と腑に落ちたわ。この地下迷宮の正体、作られた目的、私達の置かれた状況……仮説はいくつかあるけれど、今は私達が無事に脱出する為に必要な情報が何なのか、考えるべきね」

 リサとは対照的に、アーシュは俺の意図を汲んでくれていた。以前の彼女ならば、知的好奇心の赴くままに「仮説」とやらをべらべらと披露しだした所なのだろうが、状況が状況だけに、そういった趣味嗜好は鳴りを潜めていた。


「まず、一番重要なキーワードは『やり直し』だと思うわ。ダリル隊長は、死の間際の人間には『やり直したいか?』という何者かの声が聞こえて、それに頷いてしまうと『時間が巻き戻る』と言っていた。……本当に時間を巻き戻すなんて大魔術が可能なのかどうか、それは不明だけど、ダリル隊長が伝えたかったのは多分、そこじゃない。『やり直した人間は手駒にされる』の部分でしょうね」

「だな。俺も『時間が巻き戻る』なんてのはよく分からないが、『手駒』の方は何となく分かる。一部の魔神デーモンがよく使う手だな」

 魔神デーモン――異界から現れる悪魔の総称だ。「別の世界の神」とも呼ばれるこの連中は、人間の弱い心を好む。

 曰く、「金持ちになりたい」と願う貧乏人の前に現れ、巨万の富を与えるという。

 曰く、「強くなりたい」と願う騎士の前に現れ、強大な魔剣を与えるという。

 曰く、「死にたくない」と願う者の前に現れ、その危機を救うという。

 ――だが、彼らは願いを叶える対価として、その人間の魂を支配するのだ。一度契約を交わした人間の魂は、死した後も神々のもとへ行く事は出来ない。魔神の糧として喰われ、永遠の苦しみを味わうという……。

 まあ、つまりは人の足元を見て、不当な契約を交わす悪徳商人みたいなものだ。


「そうね、魔神が使うのと同じ『誓約オース』の魔術ね。――この地下迷宮で死に瀕した者に甘い救いの言葉をかけ、応じた者に『制約ギアス』を与え『手駒』にする……そしてその術者は――」

「ヴァルドネル、か。ちっ、道理で簡単に倒せたはずだ。俺達が戦ったのは本体じゃなかったって訳か、なめやがって!」

 下層でのヴァルドネルとの戦いは、あっと言う間にケリがついた。もちろん、アイン達の力量が半端なかったのは確かだが、それにしたって「伝説の大魔導師」の散り際としては呆気なさ過ぎたのは確かだ。

「ダリルさん、ヴァルドネルの本体は別の迷宮にいるって言ってたよね……? じゃあ、私達の戦いって――」

「リサ、考えるのは後だ。まずは俺達が無事にここを脱出して、ヴァルドネルの野郎の存在を他の連中にも伝えなきゃ、だ」

 落ち込みかけるリサを叱咤する。そうだ、俺達の戦いが――犠牲が無駄だったなんて事にしてはいけない。絶対にこの地下迷宮を脱出して、事のあらましを世に伝えなければ……。


「――まあ、とにかくだ。ダリルの言っていたようなが聞こえたとしても突っぱねなくちゃいかん、って事だ! ヴァルドネルの野郎の事だ、どんな誘いをかけてくるかも分からねぇ……リサ、アーシュ、つらいだろうが――」

「うん」

「ええ、分かっているわ……」

 俺の意図を汲んで、二人が頷く――が、その声は苦渋に満ちていた。

 ダリルの言葉を聞く前に「やり直したいか?」という声を聞いていたら、俺もどう答えたか分からない。グンドルフの悲壮な最期、俺達を庇ったダリルの傷付いた姿、似合わない「裏切り」をして致命傷を負うに至ったドナール……彼らの事を救えると言われたら、心が動いたかもしれないのだ。

 リサとアーシュだって、同じような気持ちのはずだった。


「しかし『手駒』に『指し手』なぁ……どうやらヴァルドネルともう一人の『指し手』とやらは、この地下迷宮を使ってボードゲームと洒落込んでいるらしいな。――ムカつく話だ」

「そうね、一体どんなルールでどんなゲームをプレイしているのか気になる所だけど、今の私達には知る由もないわね……。指し手同士は対決しているのか、それとも協力しているのか……。協力している場合は、揃って私達を全滅させようと躍起になっているのかしらね」

「なにそれ! ムカつく! っていうか、あたし達は駒じゃないってのー!」

「……今は考えるだけ無駄だがな。でも、一つだけ確かな事がある。もう一人の指し手は多分、

「え、なんで分かるの?」

「……リサちゃん、ダリル隊長は『制限されているから言えない』って言っていたわよね? それって裏を返せば、という事にもなるわ」

「あ、なるほど……」

「もし、もう一人の指し手が、俺達が見た事も聞いた事もない野郎なら、そもそも隠す意味は少ない。俺達が無事に脱出した時に、指し手である事をばらされたらヤバイ立場の人間って考えた方が自然だろう。……まあ、それだけの情報だとさっぱり分からないんだがな。考えるだけ無駄って奴だ」

 実際、もう一人の「指し手」とやらが分かった所で、この地下迷宮に閉じ込められている限り、俺達に出来る事は無い。アーシュも言った通り、「指し手」の連中がどんなルールでどんなゲームをプレイしているのか、俺達には窺い知る事も出来ないのだ。今、その正体と目的について考えを巡らした所で、恐らくあまり益は無い。


「――それよりも、だ。ダリルの言葉には、俺達にとって重要なものがもう一つあったよな、リサ?」

「え? あと、何言ってたっけ?」

「お前な……『最強の駒は失われちゃいない』って言ってただろ!?」

「……言ってたっけ?」

「言ってたの! 全くお前は……」

 この緊迫した状況下でも変わらぬリサの天然振りに、思わず呆れかけた俺だが、すぐにその考えを改めた。――リサの様子を盗み見る。そこには強い疲労の色が窺えた。長く共に冒険した俺でさえも、見た事が無いほどに酷い顔色をしている。

 疲労の極致である事に加え、グンドルフやダリル、ドナールとの辛い別れを経たばかりなのだ。リサは強い娘だが、その心は鉄で出来ている訳ではない……。


「――ダリルの言ってた『最強の駒』って言葉が示すものは、多分一つしか考えられない。

「あっ……」

「結局、この第一層に辿り着くまでの間に、アインと合流するどころか、その痕跡さえ見付けられなかった……。正直、アインは迷宮の崩壊に巻き込まれて死んだんじゃないか、と覚悟した事もあったさ――でも、多分そうじゃないんだ」

「……と言うと?」

「そもそも、迷宮崩壊の後、俺達がバラバラの場所にいた事が自体が不自然なんだ。皆、崩壊が起きた時には同じ場所に居たのに、目が覚めたら全然違う場所にいたんだぜ? しかも、都合よく食料やら便利道具やらが無くなった状態で、だ」

「あー、確かにあたしもグンドルフさんもダリルさんも、みんな揃って食料袋無くしてたから、変だなーとは思ってた」

「だろ? だから、方法は分からないが『指し手』の連中は、崩壊後に俺達がどの場所で目覚めるか、どんな装備を持っているのか、ある程度決められたんじゃねぇかな? 胸糞悪い話だが、ゲームの駒の初期配置を自由に出来たって訳だ」

「――それについては、私も同感だわ。方法についても、いくか仮説が考えられるけど……続けて」

 すかさず、アーシュが俺の推測に同意を示し、続きを促してくる。

 きっと、彼女の頭の中では俺の穴だらけの推測なんかよりも理路整然とした仮説が、いくつも浮かんでいるはずだ。にもかかわらず、それを語ろうとせず俺に話をゆだねるのは、恐らくその仮説が、この状況下でつまんで話せるようなものではないからだろう。


「ああ、つまり『指し手』の連中は俺達『駒』を好きな位置に配置できた……だが、――つまりアインは? 理由までは分からねぇけどな。……そしてダリルは『最強の駒は失われちゃいない』と言っていた……って事はだ」

「……アインは、配置されずにどこかで生きている、って事?」

「だと思う。問題は、どこにいるのかって事なんだが……ダリルの言葉から察するに、もしかすると

「え!? どういう事?」

「もし、アインがこの迷宮のどこかに生きたまま捕えられているとしたら、ダリルはその事を知っていても、わざわざ俺達に伝えようとはしなかったと思うんだ――俺達を迷宮から脱出させようって体を張ってくれた人間が、後ろ髪引かれるような気持ちになる情報をわざわざ伝えるか? って事さ。『お前達は逃げろ。ああでも、アインはこの地下迷宮のどこかで生きてるぞ』なんて、言う訳ないだろう?」

「……確かに。そんな事言われたら、あたし達だけで逃げようだなんて、とてもじゃないけど思えない」

「だろ? だからダリルは、『アインはこの迷宮ではないどこかで生きている』って伝えたくて、あんな言い回しをしたんじゃないかと思うんだ――迷宮を脱出して、アインを救えってな」


 もちろん、全ては推測だ。ダリルの伝えたかった事を完璧に汲み取れているかは、正直分からない。だが、少なくともアーシュは俺と意見が一致しているらしく「私もホワイト君の考えた通りだと思う」と言ってくれた。

 ならば、俺達は俺達の判断を信じて突き進むのみだ!


   ***


 ――第一層は酷く崩壊していたが、それでも道が完全に塞がれているような場所は無く、俺達はやがて、この第一層を貫く巨大な通路へと辿り着いた。幅も高さも、他の通路の軽く三倍以上はある、ドラゴンだろうが巨人ジャイアントだろうが悠々と通れるであろう「大通路」だ。

 そしてこの大通路は、この地下迷宮の起点――転送魔法陣へと通じている。つまり、ここからは一本道なのだ。


「二人共、あと少しだ! 行けるか?」

「な、なんとか~」

「……私は、走るのはもう辛いわ。でも、魔力はまだ十分!」

 リサは、魔力は尽きかけているが体はまだ動きそうだ。アーシュは逆に、既に膝が笑っているような状態だ。

 ――耳を澄ます。遠くに聞こえていた、激しい戦いの音はもうない。遠すぎて聞こえないだけなのか、それとも……。

「――行こう」

 迷いを振り切る意味も込めて、俺は二人を促し力強く歩き出した。


 ――大通路は、これが最後の関門と言わんばかりに、魔物達で溢れかえっていた。

 大通路には、所々の壁に魔法の灯火が設置されており、全体を薄暗く照らしている。ある程度の距離ならば、輝石の灯りを向けなくとも見通せるが、遠くの方は完全な暗がりになっている。魔物の群れは、その見通せるギリギリの距離に集中していた。

 お馴染みのスライムや石の小兵ストーン・サーヴァント、どこから湧いたのか生ける屍リビングデッド骸骨戦士スケルトンの姿まである。幸い、まだ距離がある為か、まだこちらに気付いている様子は無く、一気に襲い掛かってくる気配はないが……軽く見積もって数十体、正面から戦うには、流石に数が多すぎた。

「こいつぁ、熱烈歓迎だな……感激でちびりそうだぜ」

「どうする? あたし、もう魔力が……」

「リサは下がっていてくれ……アーシュ、一発、頼めるか?」

「任せて! 最後だから、張り切っていくわよ……!」

 心なしか、アーシュの声は高揚していた。そう言えば、道々では魔力切れを恐れてアーシュに大魔法を使わせていなかった……もしや、アーシュにとってそれは結構、鬱憤うっぷんの溜まるものだったのだろうか?

 まだ魔物の群れとは距離がある。更に、この大通路はここが地下である事を忘れるほどの広さがある。――ならば、アーシュも自身の最大最強の魔法を、容赦なく放つ事が出来る。


は全てを砕く者、其は全てを葬る者――四海の門より来たれ、偉大なる王!』


 いつものような古代語の単詠唱ではなく、アーシュは長い言葉を紡いだ。それはまるで、吟遊詩人の歌声のようでもあった。そして――。


爆発エクスプロシオン!』


 アーシュが最後の古代語を唱えたその刹那、魔物の群れの中心に閃光が走り――凄まじいまでの爆発が巻き起こった。

 「爆裂エクスプロージョン」の魔法――数ある魔術の中でも、「破壊」に特化したものの一つだ。一流の魔術師にしか扱えない超高等魔法であるが、魔術師の中には「何の創造性も無い」と、この魔法を毛嫌いし習得しない者もいるらしい。だが、知識欲の権化たるアーシュは、もちろんその限りでは無い。

 その圧倒的な破壊力の前には何者も無力だ。スライムも石の小兵ストーン・サーヴァント生ける屍リビングデッド骸骨戦士スケルトンも、皆等しく爆炎に包まれ灰燼と化していく。

 耐えきれるのは、魔力抵抗の高いドラゴンのような種族や、一部の巨兵ゴーレムのようにとびきり丈夫な連中だけだろう。


 「爆裂」の魔法は強力だが、もちろん欠点も多い。

 まず、魔力の消耗が激しい。凡百の魔術師ならば、「爆裂」の魔法を唱えるだけで魔力を使い果たし失神――最悪命を落とすだろう。

 次に、破壊の規模が大きすぎて、使える場所が限定されてしまう。起爆点があまりに近いと、自分達も巻き添えを喰らってしまうし、手加減の効かない魔法なので、本来屋内で使える類の魔法ではない。開けた空間が必要なのだ。この地下迷宮においても、使える場所は非常に限られていた。それこそ、この大通路を含めて片手の指で数えられる程度だ。

 大魔法の名に恥じぬ威力を秘めているが、何かと扱いが難しいのだ。


「きゃっ!?」

 爆風の余波が突風となって俺達のいる場所まで押し寄せ、リサが思わず悲鳴を上げる。咄嗟にリサを背中に庇いながら、俺は突風の向こう側に目を凝らす。魔物の群れの集中していた辺りは、未だ濛濛もうもうと土煙が立ち込めていて視界は遮られたままだが、複数の何者かがうごめく気配が感じ取れた。

 魔法に特に弱いスライムは全滅しているだろうが、魔力基部の破壊を免れたアンデッドや石の小兵ストーン・サーヴァントの一部は、まだ健在な様子だ。だが、決して無傷ではないだろう。


「――よし、奴らは総崩れだ。このまま一気に駆け抜けるぞ!」

「ええっ? だってアーシュさんはもう走れないよ?」

「それについては一つ案がある。……アーシュ、『筋力強化ストレングス』はまだ使えるか?」

 「筋力強化ストレングス」というのは、初歩的な身体能力強化の魔術だ。主に筋力を魔力で一時的に底上げするもので、術者の力量や術を受ける者の体質もあるが、おおよそ二割増し程度の筋力増強を見込める。

 地味ながらも実用的な魔術の一つだ。

「まだ魔力に余裕はあるけど……『筋力強化』じゃ疲労は抜けないわよ? 私にかけても焼け石に水――」

「いや、俺にかけてくれ」

「え?」

「だから、『筋力強化』を俺にかけてくれ。それで

『ええ!?』

 何故かアーシュだけでなく、リサからも驚きの声が上がる。そんなにこのアイディアは変だっただろうか……? いや、絵面としては確かに微妙なのだが。

「わ、私、重いわよ!?」

「言う程じゃないだろ。それに、その為の『筋力強化』だから。ほら、時間が無いぞ?」


 時間が経てば経つほど、「爆裂」の魔法で魔物達は体勢を立て直してしまうし、先程の派手な爆音を聞きつけて他所からもやって来ないとは限らない。アーシュもその事はよく分かっているらしく、どこか納得がいっていないような微妙な表情を浮かべつつも、俺に「筋力強化」の魔術をかけてくれた。

「さ、しっかりしがみついてくれよ? 右手はで塞がってるからな」

 アーシュがおぶさりやすいように屈む俺だったが、その右手にはグンドルフの形見である総鋼鉄製の戦槌ウォーハンマーを握ったままだ。流石に、無手で魔物の群れの間を駆け抜けるのはリスクが大きい。普段の俺なら軽々と振り回せる代物ではないが、筋力強化された今なら牽制くらいには使えるはずだ。

「……じゃあ、失礼して」

 アーシュがおずおずといった感じでおぶさってくる。首にしっかりと腕を回してもらうと、自然、体が密着する事になり――アーシュの大きすぎる二つの膨らみの感触が否応なく伝わってきてしまうのだが、俺は努めて冷静に、気にした素振りも見せないようにした。こちらが恥ずかしがっていたら、アーシュも気恥ずかしさを感じてしまうだろう。それでは、しっかりとしがみついてくれなくなってしまうかもしれない。

 ――あと、リサの視線がちょっと怖い。


「さあ、一気に駆け抜けるぞ! リサ、俺の後ろから離れるなよ!?」

「了解!」

 リサと共に駆けだす。背中にはアーシュの命の重み……確かに本人の申告通り、思っていたよりも少々重かったが、「筋力強化」の作用もあって、リサと同じくらいの速さで駆けるのには問題ない程度だ。

 土煙は徐々に晴れつつあり、生き残りの魔物達の姿もシルエットとなって浮かび上がる。まだこちらに反応している様子はない――チャンスだ。

 この大通路には罠の類はないはずだが、最低限の用心として、背中のアーシュには例の魔法の眼鏡で探知を続けてもらう。その分、俺は敵の動きに集中できた。


 魔物連中の間を縫うように、俺とリサ(とアーシュ)は駆け抜ける。

 時折、こちらの動きを察知して襲い掛かってくる骸骨戦士スケルトンもいたが、すかさず右手の戦槌を振りかぶり牽制する。無理に倒す必要はない、一時的に動きを止めるか、投げつけられたら危険そうな連中の得物を叩き落せれば、それでいい。

 戦槌の破壊力は流石で、どこかに当たりさえすれば、骸骨戦士スケルトンの脆い身体を容易に砕く事が出来た。まるで、グンドルフが俺達を守ってくれているかのような心強さだ。


 ――そのまま、どの位の距離を駆け抜けただろうか。魔物の数も次第に少なくなり、比例するように俺達の疲労も極致に達し息も絶え絶えになった頃、行く先に何か鈍く光る物が見え始めた。

「ホワイト君、あれよ! あれが転送魔法陣だわ! 迷宮に入った時は、うんともすんとも反応しなかったのに、今はあんなに魔法の光をたたえている……起動しているんだわ!」

「やった……やったよ、ホワイト!」

「――まだだ、まだ油断するな」

 ようやく見えた目的地に、アーシュとリサが俄かに元気になったが、最後まで油断は出来ない。

 ここだけ迷宮の構造が変化していて、とんでもない罠が設置されている可能性もあるし、魔物が隠れ潜んでいる可能性もある。ヴァルドネルの野郎の性格からして、こちらをぬか喜びさせる仕組みが待っている可能性もあるのだ。


 だが、そんな俺の心配は杞憂に終わったのか、俺達はあっさりと大通路の端――転送魔法陣の前まで辿り着いていた。アーシュを背中から降ろし、一緒になって周囲を探索してみたが、罠の類も見当たらない。アーシュの記憶では、魔法陣の構成も変わっていないという。

「よし……じゃあ、入るぞ?」

 それでも念の為、何か起こった時の為に一番身軽な俺が、まずは魔法陣に足を踏み入れる事にした。場合によっては二人を置き去りにして俺だけ転送――なんてケースも考えられたが、その時はその時だ。

 だが――。

「何も……起きないね?」

 リサの言葉通り、俺が転送魔法陣の中に足を踏み入れても、特段何か変化があったようには見えなかった。

「……これってもしかして。リサちゃん、私達も入りましょう。多分、

 アーシュの言葉に従い、リサも彼女と共に魔法陣へと足を踏み入れる。すると――。


『――認証開始。……マナの一致を確認。。これより、地上への転送処理を開始します。転送処理開始まで、あと180セグンド――』


「ほわっ!? だ、誰の声!?」

「落ちつけリサ、古代遺跡によくある記録音声の類だろ」

 リサが驚いたのも無理はない。三人全員が転送魔法陣に入った直後、どこからともなく知らない女の声が響いたのだ。しかも、古代語で。

 だがこれは、古代遺跡でよく見かける類の魔術装置の仕業だろう。予め記録された音声を、特定の条件下で再生する音声記録魔術の装置だ。

 時折、巨兵ゴーレムの体内に仕掛けられ、警告のメッセージを遺跡への侵入者に発する事もある。俺達冒険者にとっては比較的馴染み深い仕掛けだが、今のリサを驚かせるには十分だったようだ。

 ちなみに、「セグンド」というのは時間の単位だ。古代王国時代に造られていた時間を計る装置――時計の最小単位の事だ。偶然なのかそれを基にしたのか、心臓が一回鼓動するのと同じ程度の長さとされる。が、俺達の心臓は今は、バクバクと脈打っているのであまり目安にはならない。


「……『生存する全挑戦者の収容を確認しました』、か。つまりもう、おじ様達は……」

 アーシュが目を伏せながら呟く。そうだ、今の音声が指す「挑戦者」が俺達七人の事ならば、その内生きてこの地下迷宮に留まっている者は、この三人だけという事になる。つまり、予想通りアインはもうこの迷宮にはおらず、ダリルとドナールは……。

 リサもアーシュの言わんとする所に気付いたらしく、そっと彼女に身を寄せた。慰めのつもりなのか、リサ自身も誰かの温もりを感じていないと辛くて仕方がないのか……。


 無言になった俺達をよそに、『転送開始まで、あと120セグンドです』という場違いに事務的な記録音声が流れた。散っていった仲間達に思いを馳せるには、それはあまりも短すぎる時間だ。

 だが、あと少しすれば、俺達は地上へと転送され、この地下迷宮へは二度と戻ってこれない。ヴァルドネルの言葉を信じれば、俺達を転送した後、この魔法陣と対になっている地上の魔法陣も、永久にその機能を失い沈黙するのだ。

 せめて、この地下迷宮での最後の時間を、仲間達への鎮魂の祈りに費やそう――等と俺が考えた、その時だった。


『GRUUUUUUUU!!』


 大通路の奥の方から、聞き覚えのある気味の悪い咆哮が響いた――ドラゴンゾンビだ!

「くそ、何てしつこい奴だ!」

 目を凝らすが、大通路の向こう側は暗闇が支配しており、ドラゴンゾンビがどの辺りにいるのかは分からない。だが、今の咆哮の大きさからして、そう遠くはないはずだ。

「ど、どうする!?」

「……まだ幸い距離はあるみたいだが、もし転送開始前に奴が襲い掛かってくるようなら……」

 ――俺が奴を引き付けて、その間にリサとアーシュに脱出してもらうしかない。そう考えた俺は、戦槌を床に置き、愛用の短剣を引き抜き、いつでも打って出られる姿勢を取る。だが――。

「駄目よ、ホワイト君! どうせ一人であいつを引き付けるとか、考えてるんでしょう!? そんなの……絶対に許さないわ!」

 アーシュには俺の考えなどお見通しだったようだ。目に涙を溜めながらそんな事を言われたら……流石に俺も覚悟が鈍る。だが、アーシュの次の言葉は、そもそも俺のその覚悟自体が無駄である事を示すものだった。

「そもそも、この転送魔法陣は必要な人員が揃っていないと発動しない種類よ? 恐らくだけど、ホワイト君がここから出ていったら、転送処理自体が止まるか、一時中断されると思う……。どちらにしろ、ここから出ては駄目よ」

「げっ……それじゃあ、ここで奴を迎え撃つしかないって事か」


 確かに、アーシュの仮説は筋が通っている。俺達三人が入らないと起動しなかった魔法陣なのだから、一人が抜ければその処理が止まってしまうかもしれない。

 一瞬、「俺がわざとドラゴンに喰われればどうだ?」という馬鹿な考えも浮かんだが、それで魔法陣が再起動したとして、また180セグンドからカウントダウンが始まるようだったら、転送は間に合わず、リサとアーシュもドラゴンゾンビの餌食になってしまうだろう。

 どちらにしろ、ここで迎え撃つか、ドラゴンゾンビがこちらに近寄って来ない事を祈るしかない。だが、事はそう都合よく進まないようだ。


「……まずいわね、あいつ、こっちに向かって来てるわ」

 魔法の眼鏡で「遠見」をしていたアーシュが、青ざめた顔色で俺達に告げた。どうやら、この大通路の暗闇の先では、ドラゴンゾンビがこちらに向かって這い寄ってきているらしい。

 そう言えば、先程から微かに、何やら鈍い音が響き渡っているようにも聞こえる。大通路に横たわる残骸や、残存の魔物達を轢き潰しながら移動しているのかもしれない。


『転送開始まで、あと60セグンドです』

 記録音声がそう告げたのとほぼ同時に、暗がりの向こうにドラゴンゾンビが姿を現した。のたうつ大蛇のように身をくねらせ、周囲の瓦礫や魔物の遺骸を押し潰しながら、物凄いスピードでこちらへと迫って来ていた。

「……まずいな。あの速度じゃ、転送開始前にこちらへ辿り着くぞ――アーシュ、まだ魔法は撃てるか?」

「『爆裂』の魔法は残りの魔力だと厳しいわね。あとは、『電撃魔法ライトニングボルト』か『火球ファイアボール』か……もしくは『魔法の矢マジックミサイル』みたいな初級魔法を連発するか……どれも多少の足留めにはなるかもしれないけれど、あまり効果的じゃないわね。『氷の壁アイスウォール』も、この通路の広さを考えると一瞬の足留めにしかならないわ」

 アーシュの魔法はどれも強力だが、強い魔法抵抗力を持つドラゴン系統の魔物には有効打にならない。本人も言っている通り、多少の足留めにしかならないだろう。

「なら、幻覚魔法はどうだ? あのドラゴンゾンビは、まだ五感が残っている様子があったはずだ」

 俺が相対した時、ドラゴンゾンビは俺の姿や挑発の声に反応を見せていた。ならば、幻術の類も効くのではないだろうか?

「……多分駄目ね。ドラゴンの魔法抵抗力の高さは並じゃないわ。幻覚魔法は、虚像を創り出すのではなくて、相手の五感を狂わせるものだから、ドラゴンゾンビには効かないと思うわ。それに、万が一効いたとしても、こちらの位置を見失うような事はないはずよ。これは、あいつがドラゴンゾンビだからこその特性なんだけど、あの手のアンデッドは、。だから、いくら幻覚を見せても私達の気配を見失う事はない……」

 なるほど、ドラゴンゾンビが俺達の跡を正確に追ってくるのは、そういう理由からか……。


 そうこうしている内にも、ドラゴンゾンビは更に迫りつつあった。もう迷っている時間は無い。

「アーシュ、『電撃魔法ライトニングボルト』だ! 以前の戦いでは、『電撃魔法ライトニングボルト』であいつの動きが少しだけ鈍ったように見えた! アンデッド化してても、その点は変わらないかもしれない。まずは一発食らわせて、効果があるようなら一定間隔で撃ち込んでくれ!」

「分かったわ! 確かに、直接のダメージにはならなくても、電撃なら筋肉の動きに多少の影響は与えるかも……これが最後なんだから、魔力が切れるまでやってやるわ!」

「……あと、これはあくまで保険なんだが、『魔法の矢』一発分位の魔力は残しておいてくれないか?」

「……? 分かったわ。やってみる!」

 流石に俺の意図は伝わらなかったのか、アーシュは一瞬首を傾げたが、すぐに気持ちを切り替えて『電撃魔法』の準備に入った。


 ――『電撃魔法ライトニングボルト』、その名の通り魔力を電撃に変換して放つ攻撃魔法だ。電撃は特に生物に対して効果が高い。原理は分からないが、強い電撃を受けると動物の肉体は痺れたようになって上手く動かなくなる。当たり所が悪いと、そのまま心臓が止まってしまう事もある。

 電撃による熱や衝撃も中々に強力であり、『火球』と同じく上級魔術師を代表する魔術の一つだ。


雷光よレランパゴ!』

 アーシュの古代語と共に、構えた杖の先から電撃が迸る!

 電撃はバリバリと空気を引き裂きながら、あやまたずドラゴンゾンビへと直撃する――どうだ?


『GRUUU!?』


 一瞬だが、ドラゴンゾンビが苦しそうな呻きを上げ動きを止めた――が、またすぐに動き出す。その進行速度に変わりはない……やはり直接的なダメージには繋がっていないようだが、一瞬の足留めにはなっている。

「次々行くわよ!」

 効果ありとみたアーシュが、更に「電撃魔法」を放つ。一撃、二撃……三撃。その度にドラゴンゾンビは一瞬動きを止めるが、またすぐに動き出す。

 こうなってくると、ドラゴンゾンビとアーシュの根競べ状態になってしまうが、「電撃魔法」は「爆裂」の魔法ほどではないにしろ、高等魔術に入る代物だ。魔力消費量も決して少なくない。

 十発目を数える頃には、アーシュの魔力は限界に達し、肩で息をするようになっていた。体内魔力を使い過ぎて、衰弱状態になりかけているのだ。


「まだ……まだ!」

「アーシュさん、その状態じゃもう無理よ!」

 アーシュの状態を見かねて、リサがすかさず止めに入る。精霊使役と古代語魔法、分野の違いはあれど、どちらも体内魔力を消費して力を行使する事に違いはない。アーシュがこれ以上「電撃魔法」を使えば、命の危険があるとリサは判断したのだろう。

「でも、まだドラゴンゾンビが……この距離だと、ギリギリ間に合わないわ……」

 確かに、アーシュの言う通りドラゴンゾンビはもうすぐそこまで迫っていた。対して、転送開始までは体感であと20セグンド。このままでは、ドラゴンゾンビは転送開始前にこちらに辿り着く。

 奴の勢いをみるに、食い殺されるよりは轢殺される可能性の方が高いが……そんな事には絶対させない!

「いや、あと数秒は俺が稼ぐ……アーシュは俺が合図したらに『魔法の矢』を撃ってくれ」

 そう言って、俺はある物をアーシュの目の前に突き出した。アーシュはそれを見て全てを理解したのか、静かに頷いてくれた……ここからは俺の出番だ。


 予め組み立てておいた愛用の小型弓に、手にしていた物――一本の矢をつがえ、限界まで弓を引き絞る。

 狙いをドラゴンゾンビの眉間に定め、有効射程に入るのをじっと待つ。

 考えてみれば、奴は大通路に来てから一回も吐息ブレスを使う素振りを見せなかった。ドラゴンの吐息には一日に使える限界があると言うが……もしかすると、ダリルとドナールが奴の吐息を限界まで使わせてくれていたのかもしれない。

 ――二人の、いやグンドルフも含めて三人の為にも、この矢は外せない。


『――転送開始まで、あと10セグンドです』


 ドラゴンゾンビが迫る。人間の足なら、10セグンド以内には辿り着けない距離だが、今の奴の速度は俊敏な肉食獣並だ。余裕を持ってこちらへと辿り着くだろう。


『――転送開始まで、あと5セグンドです』


 有効射程ギリギリ……祈りを込めて、矢を、放つ!

 ――放たれた矢は、風を切って進む。激しくのたうつドラゴンゾンビの頭部は、同じく激しく左右に揺れ動いている――が、タイミングを見計らって放たれた矢は、緩い弧を描いて飛び――見事、ドラゴンゾンビの眉間へと直撃した。

 ――だが、矢はドラゴンゾンビの硬い鱗を貫通する事無く、甲高い音を立てて弾かれる。

 威力不足――なのは先刻承知済み。俺の狙いは、


「アーシュ!」

魔弾よミシル・マヒコ!』

 俺の合図に合わせて、アーシュが「魔法の矢マジックミサイル」を放つ――魔弾は音よりも速く駆け抜け――弾かれ宙を舞っていた

 ――瞬間。


『GRUUUUUUU!?』


 ドラゴンゾンビの眼前で、激しい閃光と炸裂音が広がった。

 ――俺が最後に放った矢は、「魔硝石ましょうせき」製の矢じりを使った物――ヴァルドネルとの戦いで、奴の虚をつくの一役買ったのと同じ物だった。

 「魔硝石」は、魔力を浴びると激しい閃光を放ちながら破裂する。殺傷能力は無きに等しいが――その閃光と破裂音は、生物の視覚と聴覚を激しく刺激し、一瞬その行動を委縮させる。野の動物だろうが屈強の戦士だろうが、古代の魔導師だろうがドラゴンだろうが、例外なく、だ。

 不意の閃光と破裂音に動じないのは、巨兵のような人造物か、骸骨戦士スケルトンのように五感を全て失ったアンデッドだけなのだ……。もし、ドラゴンゾンビの五感が失われていたら、この手は使えなかっただろう。


『GRUUUUUUUAAAA!!』


 とは言え、行動の自由を奪えるのは一瞬だ。すぐに、ドラゴンゾンビは閃光と破裂音の衝撃から回復し、こちらに襲い掛かってくる。

 だが――。


『――転送処理、準備完了。これより転送を開始します』


 その一瞬が、俺達の勝因となった。

 転送魔法陣がまばゆいばかりの輝きを放ち――刹那、俺達の世界は白一色に染まった。


 ――そしてその瞬間、が俺の脳裏に響いてきた。


『やり直したいか?』


 ――という声が。


 ――俺は……。

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