最終話.結末――あるいは始まりの終わり
「――ホワイト君? どうしたの、ぼうっとして?」
……アーシュの呼びかけに、ふと我に返る。どうやら知らない内に、ぼうっとしてしまっていたらしい。いくらアーシュも一緒に警戒してくれているとは言え、気を抜くなんてどうかしていた。何せ、ここはまだ地下迷宮の中なのだ。罠や魔物への警戒を怠っては、命とりになる。
俺達が新たに辿り着いた階層は、かなり崩壊が進んでいた。だが、無事な部分の構造から察するに、どうやらここは第三層らしい。俺達は思いの外、上層へと辿り着いていたようだ。
しかも、この階層には確か、小休止するのにおあつらえ向きな小部屋があったはずだった。もしその小部屋が崩壊を免れているなら、一旦そこで仮眠をとった方が良い――俺達はそう結論付けて、その小部屋へと向かっている所だった。
不眠不休での行軍が続いた為に、俺達は疲労の極致にあった。俺もアーシュも、
疲労に加え、罠や魔物への警戒で気を張っているので、互いに気遣う余裕もなく、自分の役割を果たすので精一杯の状態――だというのに、俺は何か不思議な感覚に突き動かされ、おもむろに殿のドナールへと目を向けた。
果たして、そこにあったのは――。
「ドナール卿……? どうか、しましたか?」
思わず、そんな言葉が出てしまった。俺の言動を怪訝に思い、アーシュもドナールの様子を窺うべく後ろを向くと……やはり「ドナール様!?」と驚愕の声を上げていた。
――ドナールは、なんと言い表せばいいのだろうか、深い苦悩に満ちたような、思いつめたような、何とも辛そうな表情を浮かべていた。まだ短い付き合いだが、彼のこんな表情は初めてだ。
しかも、声をかけてからしばらくの間、ドナールは俺達が呼びかけている事に全く気付いていなかった。ややあって、ようやく俺とアーシュが心配そうな表情で眺めている事に気付いた位だ。
「……いや、なんでも……なんでもないんだ。ちょっと、傷が痛んでね……」
そう答えつつ、ぎこちない笑顔を見せたドナールだったが、嘘を吐いているのは明らかだ。傷が痛むというのは本当の事なのだろうが、先程の表情は傷の痛みに耐えるそれではなく――心の痛みに耐えるような表情だった。
「……ドナール卿、もし何か心配事があるのなら、俺達にきちんと話してください」
「そうよ、ドナール様。貴方の責任感の強さはよ~く知っていますが、人一倍抱え込みやすい事も知っています。……私も、もう貴方に守られるだけの子供ではないのですから……助けが必要な時は、どうか頼ってください」
ドナールは、まさに「騎士の
まだ付き合いの短い俺でさえ、そんな印象を抱いているのだ。付き合いの長いアーシュについては言わずもがなだろう。
「……すまない。そうだな……我々は仲間なのだった、な。頼るべき時は、きちんと頼らせてもらおう。……約束する」
俺達二人に詰め寄られたドナールは、心底困ったような表情を浮かべていたが……やがて破顔一笑し、そんな言葉を返してくれた。
俺が今までに見たドナールの表情の中で、最も晴れやかな笑顔だった――。
そしてその笑顔を見て、俺は気付いてしまった。
これは……これは夢なのだ、と。
俺は……俺とアーシュは、ドナールの苦悩に気付いてあげられなかったのだ。俺達はひたすら前を向き続け、後ろを振り返る事を――常に殿から俺達を見守っていたドナールの表情を窺う事を、殆どしなかった。
だから、彼の最期の表情は、優しげだがもっと悲壮で――。
***
――夢から覚めた。
ゆっくりと目を開けると、そこには見覚えの無い天井が広がっていた。石材や木材がむき出しではなく、
俺はどうやら、ベッドに寝かされているらしい。はて、ここは一体どこだろう? と首を巡らすと――傍らの椅子に座っている人物の姿が目に入った。
「――ホワイト君。良かった、目が覚めたのね」
天井と違って、よく見覚えのある笑顔――アーシュだった。見慣れたローブ姿ではなく、今は下働きの侍女が身に付けているような、質素なエプロンドレスを身に付けている。
「ここは……?」
「王宮の外れにある客室の一つよ。あなたとリサちゃんがここに運び込まれて、もう三日経っているわ」
「……三日も? って、そうだリサは――」
ようやくリサの存在を思い出し、その姿を探して首を巡らすと、彼女は俺のすぐ横のベッドで、安らかな寝息を立てていた。思わずホッと息をつく。
俺達三人は、無事にヴァルドネルの地下迷宮を脱出したのだ。
「――私達を発見したのは、ナミ=カーの丘の警備兵だったらしいわ。転送魔法陣が突然に光を放って、気が付いたらそこに私達が倒れていた、と報告にはあるみたい」
「……転送魔法陣は、今は?」
「直接見た訳じゃないけど、うんともすんとも言わなくなったらしいわ。もう、なんの魔力も感じない……完全に停止した状態みたいよ」
「そうか……その辺りは、ヴァルドネルの言っていた事が真実だったって訳か」
ヴァルドネルは、俺達が脱出すれば転送魔法陣は「眠りにつく」――つまり機能停止すると言っていた。その言葉に嘘は無かったらしい。
「ええ、だからもう魔物の影におびえる必要も無くなったんだけど……ちょっと困った事になっているの」
それまで笑顔だったアーシュが一転、その表情を曇らせた。
「困った事?」
「ええ。転送魔法陣が機能停止した事で、もう地下迷宮に足を踏み入れる事は出来ない……それを知った一部の連中が、『あの三人だけ生還したのは怪しい』って言い出したのよ。まったく、濡れ衣もいいところだわ!」
「……一部の連中ってのは?」
「騎士団長閣下と神官戦士団長様よ」
「……そいつぁ、また。……何とも分かりやすい」
アーシュに説明されるまでも無く、何となく事の次第が見えてきた。
このアルカマック王国の騎士団と神官戦士団は、伝統的に仲が悪い。今回の地下迷宮を巡るあれこれでも、互いに相手を出し抜こうと、様々な策謀が行われてきたらしい。
今回、騎士団はドナールを、神官戦士団はグンドルフをそれぞれ虎の子の精鋭として、俺達に同行させた。だが、その二人が共に帰ってこなかった。
ここで「痛み分け」とならないのが、権力に取り付かれた連中の
もっと言えば、外様の俺達や宮廷魔術師であるアーシュが手柄を独占する――とでも考えたのかもしれない。
「……アーシュ、もしかして状況は最悪に近い、か?」
「――察しが良くて助かるわ。ええ、私達にとっては最悪ね。騎士団長閣下も神官戦士団長様も、お互いの面目が潰れるよりも、王宮内で一定の権力を持つ宮廷魔術師団の一員である私と、国外から来たホワイト君達に泥を被ってもらう気満々なのよ……。
だから今、私達は実質上の軟禁状態にあるわ。私も見ての通り、導師のローブも魔法の杖も没収されちゃったわ」
「杖が無ければ魔術が使えないとでも思っているのかしら?」と、心底呆れた様子でアーシュがため息を吐いた。
魔術を習い始めた学徒ならいざ知らず、上級の魔術師にとって魔法の杖は、魔術を使う上での補助に過ぎない。詠唱を省略したり魔力集中の助けとしたりといった、「あれば便利な道具」でしかない。
アーシュがその気になれば、この部屋の窓や壁を破壊して、そこから飛行魔法で逃げる事も簡単なはずだ。騎士団長達はその程度の知識もないのか、それともアーシュを煽って逃げるよう仕向けているのか……。
「宮廷魔術師団の方では、何か動けないのか?」
「一応、主席の方には簡単に報告書を提出して国王様への進言を頼んでおいたけど……正直、うちの導師達は政治は苦手なのよね……。国王様にきちんと話が通っていればよいのだけれど」
なるほど、アーシュの同僚や上司だけに、導師達は研究一筋で
「それでね、二人が目覚めたら、お歴々から尋問される事になっているわ。――ごめんなさいね、二人を王国内部の権力争いなんかに巻き込んでしまって……」
「何言ってんだ、アーシュの方が何倍も辛いだろ? 俺達の事は気にするな。この手の厄介事には慣れてるさ」
外様の俺達が何と言われようが構わないが、アーシュは故郷の人間達に罪人扱いされているのだ。しかも、彼女を護る為に死んでいったドナール達を陥れたという、根も葉もない疑いで。相当の心痛を感じているに違いないのだ。
「……ホワイト君、ありがとう。ううん、今だけじゃなくて、迷宮の中でも何度あなたに勇気付けられた事か……。私、私ね? その……」
アーシュが潤んだ瞳で俺を見つめてくる。心なしか、その頬は朱に染まっているようにも見えた。……この雰囲気は、色々、まずいのでは……?
――と。
「ゴホンゴホン! あーあー、お二人さん? 目覚めたあたしに何か言う事はナイデスカ?」
いつの間にやら目を覚ましていたリサが、不機嫌な顔でわざとらしく咳払いしながら俺達を睨んできた。
***
リサが目覚めて程なく、俺達は衛兵に呼び出され、王宮の中を連行されていった。
連れてこられたのは、見覚えがある奥行きのある広間――確か地下迷宮に赴く前に国王との謁見を行った「謁見の間」だった。奥の数段高くなった場所には玉座がそびえ、国王オムロイその人が鎮座していた。
国王の脇に控える、帯剣している初老の男が恐らく騎士団長だろう。そしてその反対側にいる中年の僧が神官戦士団長か。
俺達はそのまま、三人の遥か手前で
「――さて、宮廷魔術師アーシュに……あー、アイン殿の従者二人よ! これより、国王陛下と神の御前にて、真実を語ってもらおう!」
場を取り仕切るのは、どうやら神官戦士団長らしい。彼らは騎士団がドナールに密命を課した事を察知していたようなので、それを交渉材料に少しだけ優位に立っているのかもしれない。騎士団長がやたらと不機嫌な顔をしているのも、恐らくその為だろう。
――にしても、俺とリサは名前すら憶えられていないらしい。何ともムカつく話だ。
「そなた達三人には、上級騎士ドナール、グンドルフ司祭、ダリル傭兵隊長を陥れ、地下迷宮内に置き去りにした疑いがかかっている! まずは、弁明を――」
恐らく、連中の中ではもう俺達を陥れるシナリオが出来上がっているのだろう。これだからお偉いさんは……と俺が呆れていると、神官戦士団長の言葉を遮るように、意外な人物が声を上げた。
「――茶番はよさぬか、二人共」
静かに、だが大きく謁見の間に響いたその声は、国王オムロイのものだった。
国王はそのまま立ち上がると、呆気にとられる臣下達をよそに、俺達の方へとゆっくりと歩み寄ってきた。
「アーシュの報告書には既に目を通した――」
――賢王オムロイ。小国アルカマックをかつてない繁栄に導いた名君。
優れた武人にして指揮官であり、軍事だけでなく内政にも優れた手腕を発揮。軍事、農業、工業、商業、更には諸外国との貿易等で、アルカマック史上類を見ない成果を上げている。
年の頃はアインよりも少し上と言った程度であり、まだ十分に若い。地下迷宮の一件が無ければ、アルカマックはその版図を今より広げていたのではないか、とも言われている。
そのオムロイが、俺の目の前に立っていた。
アインと共に謁見した時は、俺とリサは後ろに控えていたが、今は、目の前に――。
「――ホワイトよ」
「……っ!? は、ははー!!」
オムロイが俺の名前を覚えていた事に驚き、一瞬返答につまってしまった。
「我が臣下達は……どのような最期を遂げたのだ?」
それは、悲哀に満ちた声音だった。臣下達の最期を心底惜しむような……。何故それを俺に尋ねるのか? という疑問はあったが、俺は国王のその問いかけに、正直に、あるがままの答えを返した。
「ドナール卿は、常に味方の盾となり、我々を生き残らせる為に死地へと赴きました。グンドルフ司祭の勇敢さと慈悲深さは、ナミ=カー神の化身の如きであり、最期には仲間を庇って命を落とされました。ダリル隊長は……私は、彼ほど義に篤い人物を知りません。死を目の前にしてもその太刀筋には一片の曇りもなく、最期まで仲間の為にその剣を振るいました……」
俺の答えに対し、「何も具体的な事を答えとらんではないか! 陛下の御前で失礼だぞ!」等と言う騎士団長の声が聞えたが、当の国王が静かに一瞥すると、すぐに静かになった。
――確かに、騎士団長の言う通り俺は具体的な事は何も言っていない。もし、国王の言葉がそれぞれが戦死した状況を事細かに答えろ、というものだったなら、俺の言葉は的外れもいい所だろう。
だが、国王が問うているのは、恐らくそういう事ではない。
アーシュの報告書がどのような内容なのか、実はまだ本人から聞いていなかったが、彼女の事だ、必要最低限以上の内容を、きちんと込めてあるだろう。
そして国王はそれを読んだ上で、更に俺に尋ねたのだ。臣下達の最期――いや、生き様を。彼らがどのように生き、そして死んでいったのかを。俺が、俺達が彼らの事を、どう思っていたのかを。
「三人は、最期まで勇敢だったのだな? 己に恥じることなく散っていったのだな?」
国王の念を押すかのようなその確認に、俺はただ静かに頷いた。
「皆の者、聞いた通りだ! ドナール、グンドルフ、ダリルの三名は、我が王国の勇士として、最後まで勇ましく戦い、そして散っていった! それ以上の
オムロイは、謁見の間にいる全員に届くように――特に両団長に届くように、高らかに宣言した。居並ぶ貴族や騎士達が、それに呼応してドナール、グンドルフ、ダリルの三人の名を讃え始める。そしてその熱狂は、輪のように広がっていった――。
「――よくぞ我が意を汲んでくれた。流石は英雄アインを長年に渡り支えてきた『片腕』だ」
その熱狂に紛れて、国王が俺にそんな耳打ちをしてきた。
……予想はしていたが、やはり国王は全てを察していたらしい。騎士団と神官戦士団の
「賢王」の名に恥じぬ采配だった。
両団長はと言えば、自分達の面目が保たれたというのに、どこか苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた――。
***
謁見の間での出来事のあと、一転して俺達は豪華な客室へと移され、装備も返却された。国王の計らいか、ドナール達に託された形見の品も戻って来ていた。
――幸いまだ日は高い。俺達は、今日中に形見の品を遺族に渡しに行く事にした。まずは、ドナールの妻子に形見の宝剣を届けよう。
アーシュの案内で王都を歩く。アルカマックでは、貴族や騎士達は領地ではなく王都に屋敷を構えるのが習わしらしく、ドナールの屋敷も王宮のほど近く、貴族の屋敷が建ち並ぶ区画にあった。中々に立派な屋敷だが、今は主人を亡くした悲しみからひっそりとしているように感じる。
街中に建っている事もあり、屋敷には立派な柵や門扉、前庭などはない。正面玄関が通りに直接面している。その玄関に付けられたバカでかいノッカーを掴もうとした所で、アーシュの手がふと止まった。
「アーシュさん……?」
リサが心配そうにアーシュの様子を窺うと、彼女は小さく震えていた。
「私……やっぱり怖いの。おじ様を犠牲にして、自分だけ生き残って、どんな顔で奥様やご子息に会えばいいのか……」
俺達の前では、つとめて明るく振る舞っていたアーシュだが、やはりドナールを失った悲しみと、遺族に対する申し訳なさは筆舌にし難いものがあるのだろう。リサが泣きそうな顔をしながら、アーシュの手を握り「大丈夫、あたし達もいるから」と元気付けているが――。
「――アーシュちゃん?」
その時、俺達の背後から突然声がかけられた。何事かと振り向くと、そこには上品そうなご婦人と、まだ年端もいかぬ男の子が立っていた。……この二人は、もしや?
「奥様……」
アーシュが泣きそうな顔で二人の方を見やった。やはり、これがドナールの奥方と息子さんのようだった。
「ああ! アーシュちゃん、よく無事で! さあ、もっと顔をよく見せて……ああもう、お年頃なのにこんなにやつれて……辛かったわね? 頑張ったわね? 主人は、ちゃんと貴女を守れたのね……」
「お、奥様、私は……私は!」
「みなまで言わないで、アーシュちゃん。主人の気持ちは、私が一番よく分かっているわ……貴女がこうして無事でいられる事は、主人が本懐を遂げた何よりの証拠……だからどうか、泣かないで?」
そういって奥方は、アーシュを優しく抱きしめた。傍らのドナールの息子が、それを不思議そうな顔をして眺めていたのが印象的だった――。
***
グンドルフが司祭を務めていた修道院は、王都の郊外にあった。古く小さいながらも手入れの行き届いたレンガ造りの修道院からは、祈りの言葉が漏れ聞こえている。俺の記憶が確かなら、ナミ=カー教団における鎮魂の言葉だ。
聖堂を訪ねると、司祭代理と沢山の修道士達が出迎えてくれた。驚いた事に、その殆どが年若い男女だった。この修道院では、男女の隔てなく共に修行に励んでいるのだという。……色々と大丈夫なのだろうか?
「司祭様のご遺品をお届けくださり、ありがとうございます……」
グンドルフの遺品である
俺達がやや戸惑った様子を見せると、司祭代理は何かに気付いたように「これは失礼」と前置きしてから、意外な事を語り出した。
「実は、この修道院の者の多くが、先日揃ってナミ=カー神のお言葉を聞いたのです……『司祭は本懐を遂げた』と。悩み多きあの方が、無事ナミ=カーの御許へ旅立たれたのです。こんなに嬉しい事はございません……」
独特過ぎる修道院の雰囲気から逃げるように、俺達はその場を後にした。修道士というのは変わり者の多い神官の中でも選りすぐりの存在だ。俺達、俗世の人間には理解し難いものがあるのだろう。
「ねぇ、ホワイト……あたしの気のせいじゃなければ、ちょっとおなかが出ている女の子がいた気がするんだけど……」
「しっ! 深く詮索するな!」
――ナミ=カー教団の奥深さを実感し、俺達は思わず身震いした。
***
ダリルの妹が営む孤児院は、修道院の程近くにあった。修道院程ではないが意外と大きな施設だ。ダリルは稼ぎの殆どを、この孤児院につぎ込んでいたらしいが……今後の運営は大丈夫なのだろうか?
既に日は沈み始め、辺りは夕焼け色に染まりつつある。
「やあ、よく来てくれたね! 汚い所だけど、さあ、入って入って!」
出迎えてくれたのは、威勢の良い感じの院長――ダリルの妹だった。ダリルとは顔も体格もよく似ており、歳の頃も近い。まさに「女版ダリル」と言った風情で、孤児院の子供達からは「院長」ではなく「おかみさん」と呼ばれていたので、俺達もそれに倣う。
俺達が通されたのは、応接室代わりにしているという食堂だった。
大きな長テーブルに沢山の子供用の椅子が並べられており、きっと食事時は賑やかなのだろうな、と思わせるが――ここは孤児院、しかも戦災孤児を集めたそれなのだ。子供の数が多いという事は、つまり……。
「あの、おかみさん。これを……」
数少ない大人用の椅子を勧められ、そこに腰掛けた所で、リサがダリルに託された短刀をおずおずと差し出した。
「ん? ああ、兄貴の形見ってやつかい? ――ってこいつは……、なんだい、あたしの所に戻ってきちまったのかい……」
「……と言うと?」
「こいつはね、あたしが現役の時に使ってた刀なのさ……。兄貴と一緒に古代遺跡を駆け回っていた頃のね」
「おかみさんも、冒険者だったんですか?」
「おおよ! 若い頃は兄妹揃って冒険の日々! ついでに傭兵やって、そちらでも荒稼ぎさね! ま、あたしは
自らも戦災孤児であるリサは、おかみさんの話に興味津々と言った様子で、その後も色々な話に花を咲かせていた。
結局、俺達はそのまま子供達に混じって夕飯をごちそうになり、孤児院を辞したのは夜も遅くなってからだった。
子供達はダリルの死を悲しんでいるようだったが、それ以上に地下迷宮でのダリルの武勇伝を聞きたがっていた。もしかすると、それが彼らなりの悲しみとの向き合い方だったのかもしれない――。
***
その後、数日間を王都で過ごした俺とリサだったが、いつまでもゆっくりとはしていられない。国王からは仕官の誘いもあったのだが、俺達はそれを固辞していた。
――俺達には、やるべき事があるのだ。
地下迷宮が複数存在する事、ヴァルドネルの野望と奴が精神体となって今もどこかの迷宮で生きている事、そしてアインがどこかに――恐らくいずこかの地下迷宮に囚われている事。これら情報は、国王をはじめとする要人達にも残さず共有された。
「自らが魔物達の王となり『人間の天敵』と化す事で、人間達の一致団結を促進し、緩慢な滅びの道から救済する」という、ヴァルドネルの狂気とも言える目的には、やはり多くの人々が戸惑いを隠せなかった。
だが、強大な魔物が封印された多数の地下迷宮が存在するという、ある種分かりやすい脅威については食いつきがよく、すぐに「国を挙げて対策を講じるべきだ」「いや、他国とも情報を共有し連携を図るべきだ」という、
俺達も、交流のあるいくつかの国にその親書を届ける役目を引き受けていた。もちろん、アインの捜索に各国の力を借りたい、という目論みがあっての事だ。
――世界は広い。俺達が地道に探し続けるだけでは、アインの行方は掴めないかもしれないのだ。協力者は多いに越した事がない。
この「地下迷宮対策」という大きな問題に際し、宮廷魔術師団は研究に報告に大忙しだったようで、アーシュともこの数日間、全く顔を合わせていなかった。
しかも今の所、彼女はその目で地下迷宮を拝んできた唯一の魔術師だ。各所から引っ張りだこらしく、彼女の研究室を何度か訪ねたが、いずれも不在だった。
そして、そうこうしている内に、俺とリサの出発の日が来てしまっていた。
ちなみに、地下迷宮攻略の報奨金は、きっちりと支払われていた。
ドナール達の分は遺族や修道院へ、俺とリサ、アーシュはそれぞれ自分の分を受け取り、そしてアインの分は国王の預かりとしてもらった。国王は俺達に受け取ってもらいたかったようだが、これは「いつの日かアインが自分で受け取りに来るから」という、一種の願掛けだった。
俺とリサは自分の分の報奨金を、比較的換金しやすい魔法道具や宝石、大商会の手形等に変え、残りは装備の新調や食料の購入等にあて、抜かりなく旅支度を済ませていた。
「結局、アーシュさんに会えずじまいだね……。最後に挨拶ぐらいはしたかったのに」
慣れ親しんだ客室を後にし、王宮の正門に向かう道すがら、リサがぽつりと呟いた。
「仕方ないさ。アーシュは今、この地上で一番『地下迷宮』に詳しい人間なんだ。当分の間は息を吐く暇もないだろうさ……」
そう答えつつも、俺は一抹の寂しさを感じていた。別にこれで今生の別れという訳ではないのだが、やはり顔ぐらいは見ておきたかった。……いや、出来ればそれだけではなく――。
そんなモヤモヤとした感情を持て余していたら、いつの間にやら正門へと着いていた。これでいよいよこの王宮ともお別れか、とやや感傷的になっていると――。
「――二人共、遅いわよ!」
俺達の向かう先から、慣れ親しんだ声が響いた。
「……アーシュ?」
「アーシュさん!? どうしたの、その格好?」
「ん? 見ての通りだけど?」
――そう、正門の外で、アーシュが俺達を待ち構えていたのだ。しかも、旅装で。
「見ての通りって……もしかして俺達に付いてくるのか!?」
「え? あれ、言って無かったかしら?」
「あたし達、聞いてないよ!? 地下迷宮の研究の方は!?」
「研究なら、もう全部報告書にまとめて、導師達に引き継いでもらったわ。ここ数日で一気に書き上げたけど、我ながら会心の出来だった! ――で、机の上でああだこうだ研究出来る事は他の人達に任せて、私は
「実地調査って……つまり俺達の遺跡探索に同行する、と?」
「ええ、そうよ?」
「『ええ、そうよ』ってアーシュ、お前な……」
事前に相談の一つくらいしてもらいたい所だったが、反面、アーシュの魔術や知識が俺達の旅に役立つのも確かだった。俺達は古代遺跡の専門家ではあるが、魔術の専門家ではない。今後、地下迷宮という未知の遺跡を探索していく上で、魔術師の協力は必要不可欠なのだ。
――いや、アーシュの事だから、俺達のそういった事情を察した上で、同行を断られにくいシチュエーションを自ら作り上げたのかもしれない。
「まったく……アーシュの知識欲には恐れ入るよ」
「うふふ、褒め言葉として受け取っておくわ。――でもね、ホワイト君。それだけじゃないのよ?」
そう言って、何やら色っぽい流し目で俺を見つめるアーシュの姿に、不覚にも胸が高鳴る
「……ホワイト、顔赤いよ?」
一方、リサは汚いものでも見るかのような目で俺を見ていた。
――こうして、なし崩し的に俺達三人の旅が始まった。
群雄割拠のノーイーン大陸も、ヴァルドネルという共通の敵が現れた事で国と国とが手を結び、一致団結し立ち向かう――等と言う事は、恐らくないだろう。一部の国同士で同盟を結ぶ事にはなるだろうが、それは表向きの事で、水面下では争いが続いていくはずだ。
ヴァルドネルは、共通の敵と優れた指導者がいれば人間は一致団結すると言っていたが、世の中そう単純ではない。「敵の敵は味方」とはならないもの。国や民族という存在は、案外複雑なのだ。
だがそれでも……それでも、互いに信じあい助け合う事も出来るのが人間だ。時に騙し合う時もあるだろう。隠し事もあるだろう。でも、それでも誰かが誰かを助ける為に、命を張る事もある。
「彼ら」がそうだったように――。
(NORMAL END)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます