14.閉ざされし時空の迷宮

『GRUUUUUUUUU!』

 薄気味悪い咆哮を上げながら、ドラゴンゾンビは大蛇のように身をくねらせ、迷宮の通路と我が身を削りながらこちらへと這いずってきた。その速度は思いの外に早く、俺達の駆け足と同じ位のスピードがあった。


「――逃げるぞ、二人共! 急いで第一層に上るんだ!」

 ドラゴンゾンビのあまりにも不気味過ぎるその姿に、呆気にとられ歩を止めたリサとダリルに呼びかける。幸いにして第一層への階段はすぐそこだ。階段の幅や高さは、第二層の通路よりもやや狭い。たとえドラゴンゾンビが今のように強引に突き進んできたとしても、その進行速度は流石に落ちるはずだ……多分。

 ――だが、俺のその判断は、ほんの少しだけ遅かった。


「……やばい。ホワイト、奴の吐息ブレスが来るわ!」

 ドラゴンゾンビの体内で活性化した精霊力を感じ取ったのか、リサが悲鳴のような声を上げた。見れば、ドラゴンゾンビは吐息ブレスの予備動作である天を仰ぎ見るような姿勢を取っている。

 ――階段まではまだ距離がある。そして俺達とドラゴンゾンビの間に遮蔽物は一切無い……不味い。このままでは直撃をくらう。炎の吐息ファイアブレスならば骨も残らないかもしれない――俺の背筋に冷たいものが走ったその時、リサが突然に足を止め、ドラゴンゾンビへと向き直った。


「リサ!?」

「一か八か……やってみる! 水袋を貸して!」

 言うが早いか、リサは精神を集中し始め、精霊魔法の準備に入った。どうやら、ドラゴンゾンビの吐息ブレスを防ごうというらしい。「水袋を貸せ」というのは、恐らく水の精霊を召喚する触媒とする為だろう……という事は、吐息ブレスの種類はやはり炎という事になる。

だが、以前はアーシュの「耐火防御レジストファイア」との連携でようやく防いだものを、リサ単独で防ぐのは……恐らく難しいだろう。だが、今はそれに賭けるしかなかった。魔法の水袋の口を開き、それをリサに手渡す。


『清らかなる乙女、水の精霊よ――』

 リサが精霊への呼びかけを始める――と、ほぼ同時にドラゴンゾンビがだらしなく開いた大口をこちらに向ける。そしてその喉の奥から、灼熱に輝く炎が吐き出された――やはり炎の吐息ファイアブレスだ!

『――我らを守る盾となって!』

 炎の吐息が俺達に迫る中、リサの呼びかけに応じ、水袋の中から水の精霊――女性の形をした水の塊――が姿を現す。水袋の中の水よりも遥かに大きな体積となっているのは、リサの魔力が上乗せされているからだろう。水の精霊は素早くその形を変え、円形の盾となってリサと俺達を守りに入り――そこへドラゴンゾンビの吐息が襲い掛かった。


「お願い、持って!!」

 リサが更に魔力を込める――が、炎の吐息の威力はすさまじく、水の精霊の盾は瞬く間に水蒸気と化していく。リサの魔力による増加分の、軽く二倍のスピードで。

 ――これでは、持たない! 覚悟を決めた俺は、せめてリサの盾になろうとリサと水の精霊の間に割って入る……が、更に俺の前に何者かが割り込んできた。

「――ダリル!」

 ダリルが、俺とリサを守るかのようにドラゴンゾンビの前に立ちはだかったその瞬間、水の精霊の盾は完全に蒸発し、炎の吐息が俺達に襲い掛かった。


「――しゃらくせぇ!!」

 ダリルが吠え、。一瞬、ダリルの頭がおかしくなったのかと思ったが、なんとそのダリルの一閃は、! 信じられぬほどの剣の冴えだ。

 俺達に直撃するはずだった炎の吐息は二つの筋に分かれ、背後へと抜けていく。その際、凄まじい熱波が俺達を襲い髪や肌を焼いたが、炎が直撃するよりは格段にマシだろう。どうやら、とりあえずは助かったらしい。だが――。


「……ダリル?」

 ダリルの様子がおかしい。大太刀を振り下ろしたその姿勢のまま、ピクリとも動かない。炎の吐息を凌いだとは言え、ドラゴンゾンビは健在なのだ。早く逃げなければ、と呼びかけようとして、俺はある事に気付き絶句した。

 ――ダリルの後ろ姿には何の変わりもない。だが、その前半身は、赤黒く焼けただれていた。腕も、顔も、足も、プスプスと煙が立ちそうな程に焼けている。炎自体の直撃は避けたが、間近でその熱波を浴びたのだ――俺達を庇った事で。


 グラリ、とダリルの体が揺れる。俺が慌ててその体を支えると、今まで状況が呑み込めていなかったらしいリサもようやく動き出し、反対側からダリルの体を支えた。……まだ息はあるようだが、意識は無いようだった。それでも、愛用の大太刀を握って離さないのは戦士としての本能故か……。

 ドラゴンゾンビはと言えば、吐息を吐いたその姿勢のまま、まだ動いていなかった。次なる吐息まで力を溜めているのか、それともこちらの様子を窺っているのか……どちらにしろ、今の内に距離を取るべきだろう。


「――リサ、急ぐぞ!」

「うん!」

 俺達は、両脇からダリルを抱え、精いっぱいの速度で第一層への階段を目指した。



   ***


 ――ダリルを抱えたまま、俺達は第一層への上り階段を進んでいた。ドラゴンゾンビにはまだ動いた気配はないが、一度動き出せばすぐに追いつかれてしまうだろう。リサと二人がかりとは言え、大柄なダリルを抱えていては、そうそう速くは進めない。ダリルに意識があればまだマシなのだろうが、意識が無く脱力した人間を運ぶのは、かなりの骨だった。

 おまけに俺は、グンドルフの形見となった戦槌をも携えたままだ。正直、かなりの負担だが、捨てるわけにもいかない……。


「……ホワイト。ダリルさん、大丈夫だよね? 脱出、間に合うよね?」

 リサが泣きそうな声で俺に問いかけたが、俺にはそれに答える言葉が見つからなかった。それ程に、ダリルの火傷の具合は酷い。たとえ、応急処置用の道具を持っていたとしても、焼け石に水だろう。それこそ、グンドルフのような高位の神官でなければ、手の施しようがないのでは……。

 俺の心に、深い絶望が去来した、その時だった。

「……てけ……」

「ダリルさん!?」

 意識を取り戻したのか、ダリルが何やら呟き始めた。

「ダリル、今はしゃべるな。とっとと出口まで辿り着いて、それで――」

「……おい、てけ……」

「――っ」


 なんて事だ、ダリルは「自分を置いてけ」と言っていたのだ。足手まといだから、置いていけ、と。そんな事が出来るはずがない。最後まで見捨てないぞと、そうダリルに呼びかけようと、口を開く――が。


『GRUUUUUUUUUU!!』


 そんな俺の想いをくじくかのように、背後からまた例の気持ち悪い咆哮が響いてきた。ついで、ミチリミチリと鈍い音が軽い振動と共に響く。どうやら、ドラゴンゾンビが行軍を再開したらしい。

「……はや、く。おい、つかれるぞ……」

「黙ってろ! リサ、急ぐぞ!」

「りょーかい!」

 力強いリサの返事を確認してから、俺達は更にペースを速め階段を上っていく。背後からはドラゴンゾンビが這いずる怪音。その響きから、どんどんと距離を詰められている事が窺える。第一層まではもうすぐだが、このままでは第一層に辿り着いて程なく追い付かれるだろう。

 それでも、ひたすらに進むしかない。最早リサの魔力も底を突きかけており、俺達にはドラゴンゾンビを足留めする手段もない。こんな時、アーシュがいてくれたら……と考えて、そう言えばドナールとアーシュはどうなったのだろう? と、ふと思い出した。ドナールの真意を問い質したかったのだが……。


『GRUUUUUUUU!!』

 ドラゴンゾンビの咆哮がすぐ背後に迫っていた。階段はもうすぐ終わり。その先は待望の第一層だ。ヴァルドネルの言葉を信じるならば、この迷宮の入り口であった転送魔法陣が、そのまま出口となっているはずだ。あと少し、あと少しなのだ――。


「ホワイト、第一層だよ!」

 リサの明るい声に前方を見やると、遂に階段は終わり、第一層の入り口が見えてきた。あと少し、あと少しで――。


「GRUUUUUUUUU!」

 ――その咆哮は、本当にすぐ後ろから響いてきた。

 ――見てはいけない。そう思いつつも、そっと後ろの様子を窺う、するとそこには……。

「GRUUUUUUUUUU!」

 ドラゴンゾンビの、醜悪極まる顔が、俺達のすぐ背後にあった。


 ――打つ手はない。あと少しドラゴンゾンビが口を開いて、その身をよじれば、俺達は一瞬にして食われてしまう。……ここで終わりだ。

 せめて、リサだけでも逃がしてやらねば――刹那、そんな考えが巡りリサの背中を突き飛ばそうとした、その時――。


氷の壁よパレ・デ・イェロ!』


 古代語エンシェントの響きと共に、突如として俺達とドラゴンゾンビとの間に。今にも俺達に迫ろうとしていたドラゴンゾンビの醜悪なツラが、氷の壁に激突し鈍い音を立てる。これは――。


「ホワイト君、急いで!」

 ――声が響く。女性の声だ。見れば、いつの間にやら第一層の入り口に何者かの人影がある。俺の首から下げた輝石の光によって、薄ぼんやりと照らされた、全体的にダボっとしていながら女性的なそれを感じさせるシルエット。あれは……。

「――アーシュ!?」

「早く、『氷の壁アイスウォール』一枚じゃ持たないわ! 重ね掛けして時間を稼ぐから、とにかく早く上がって来て!」


 ――俺達が第一層に辿り着くと、アーシュはすかさず「氷の壁アイスウォール」の魔法を重ね掛けし、階段の出口付近を氷の壁で完全に塞いでしまった。その向こう側では、ドラゴンゾンビが氷の壁を突き破ろうと体当たりを食らわせているが、しばらくは持つだろう。炎の吐息もある程度なら耐えられるはずだ。


「さ、今の内に。色々話したい事もあるけど……まずはドラゴンから距離を取りましょう」

「……分かった。行くぞ、リサ。……ダリル、すまんがもう少し頑張ってくれ」

 俺の言葉に、リサは静かに頷き、ダリルも「しかたねぇな……」とすっかりしわがれた声で返事をした。

 俺達は、そのままアーシュの先導で歩き始めた。


 第一層は第二層と同じく、酷く崩壊が進んでいた。アーシュの話では、一部の通路は完璧に埋まってしまっているらしい。それでも、途中までのルートは確保できているというが……一つ、事前に確かめておかねばならない事があった。

「アーシュ……ドナール卿は?」

「……この先よ」

 俺の問いかけに、アーシュは非常に短い言葉だけで答えた。その表情は……暗い。どうやら、何かあったらしい。

 そのまま俺達は、無言で歩き続けた。そしていくつかの通路を抜けたその先で、アーシュの暗い表情の意味を知る事となった。


「……やあ、ホワイト君……リサ君、無事だったか……。ダリル殿は……無事とは言えないようだな」

 果たして、ドナールはそこにいた。壁にもたれかかるように座り込んでいるが、「ちょっと休憩」と言った風情ではない。ドナールの息は絶え絶えであり、顔色は死人のように白い。そして何より――。


「はは、悪い事は出来ないものだな……。まさか、……」

 苦笑いするドナールの腹部からは、異様なものが突き出ていた。恐らくは背中から腹部に向かって貫通しているそれは……だった。槍の穂先が、ドナールの腹から顔をのぞかせていたのだ。

「……『槍の罠』、ですか」

「……そうだ。この地下迷宮に入って最初の頃、君が教えてくれたあの罠だよ……見事に引っかかってしまったよ」


 往路の第一層は、古代遺跡における「罠の見本市」の様相を呈していた。「落とし穴」に「吊り天井」、「毒矢の罠」等など、古代遺跡における典型的な罠が多数仕掛けられていたのだ。俺は、それを一つ一つ解除しながら冒険初心者のドナールやグンドルフ、アーシュに古代遺跡における罠についての基礎知識をレクチャーしたのだが、その中にあったのが「槍の罠」だ。

 「槍の罠」は実に単純だ。壁や床のある部分に触れると、それがスイッチになっており近くから槍が飛び出してくる、という代物だ。単純な罠ではあるが、飛び出してくる槍には十分な威力がある。時に分厚い鎧でさえも簡単に貫かれるのだが……どうやらドナールは、運悪くその罠にかかってしまったらしい。


「こんな初歩的な罠に引っかかるって事は……?」

「……そうだ。気絶させて、抱えてここまで来た……」

 俺の言葉に、ドナールは静かに頷いた。傍らでは、アーシュが辛そうな表情のまま俯いている。

「え? どういう事、ホワイト?」

「アーシュの魔法の眼鏡には探知能力がある。大概の罠なら、事前に見破れるんだよ。そしてこの『槍の罠』は、この迷宮に存在する罠としては初歩の初歩の代物だ。アーシュの眼鏡で見破れなかったはずがない……ドナール卿、道を塞いでアーシュを気絶させ連れ去ったのは、やはり『騎士団長の密命』とやらの為ですか?」

「……そこまで、知っているんだな……。グンドルフ司祭の入れ知恵かね? そう言えば、司祭は……」

「亡くなりましたよ。俺達を逃がす為に」

「……そうか」

 グンドルフの死を知ったドナールは、今まで俺が見た彼の表情の中で、もっとも苦渋に満ちたそれを見せた。腹に突き刺さった槍よりも、グンドルフの死の方が痛い――そんな表情を。


「ドナールの旦那よう……アンタほどの御仁が、騎士団長のジジイの言う事を、ホイホイ聞くとは、思えねぇ……なにが、あった?」

 ドナールと同じ位に息も絶え絶えなダリルが、途切れ途切れの言葉で問いかける。その声には、死にかけの人間とは思えぬほどのがあった。ドナールともグンドルフとも長い付き合いのダリルとしては、ドナールの「裏切り」を許せない気持ちがあるのかもしれない。

「……それ、は」

 ダリルの真剣な言葉に、一旦は口を開いたドナールだったが、何を思ったのかすぐに口を噤んでしまった。何か、言えぬ理由でもあるのだろうか? 遠くではドラゴンゾンビが氷の壁に体当りする音が響いている。時間はあまり残されていない。ここで押し問答せずに、先を目指すべきか――俺がそう考えた時だった。

「――たぶん、私の為、ですよね? ドナール様……」

 アーシュが、沈痛な表情と共に口を開いた。

「……どういう事だ、アーシュ?」

「ドナール様が、この地下迷宮探索に名乗りを上げたのは、私が迷宮に赴く事が決まった、そのすぐ後なの……。事前の噂では、他の騎士様が派遣されるって聞いていたから、ずっと『もしかして』って思っていたのだけれど……そうなのでしょう? ドナール様?」


 アーシュの言葉に、ドナールが目を伏せる。その姿が、何よりアーシュの言葉を肯定していた。……なるほど、何となく俺にも状況がつかめてきた。

 ダリルの話では、騎士団長はよそ者のアインが中心となって地下迷宮が攻略される事を、快く思っていないらしい。神官戦士団からメンバーが選抜されている事も、不快に思っていた。そんな連中に攻略される位なら、全滅してもらったほうがマシだ、と考える輩らしい。

 ダリルも言っていたが、配下の騎士に「一行の全滅を狙え」という馬鹿げた命令を下していてもおかしくない人物なのだ。そしてもし、ドナールの前任の騎士がその命令を忠実に実行に移すような輩だったら――。


「ドナール卿は、アーシュを守ろうとしたんですね?」

 本当ならば、口を噤んだドナールの意志を尊重するべきなのかも知れなかったが、俺は自分の推測を確かめずにはいられなかった。それはきっと、アーシュも同じだろう。

 騎士団長による「アイン一行全滅計画」を聞かされたドナールは、その一行に親戚であるアーシュが加わる事を知り、彼女を死の運命から救う為に、自らが騎士団代表として名乗りを上げた――俺とアーシュはそう考えたのだ。高潔な騎士ドナールが、わざわざ騎士団長の卑劣な企みに加担する理由など、他に考えられるだろうか?


「――団長はアイン殿以下、全員の謀殺を企てていた……その暴挙を止める為に、遠縁であるアーシュ殿の助命を建前に、私を派遣するよう懇願した……団長は……快諾したが、『ならば全滅とは言わぬから少しでも人数を減らせ』と……『その代わりお前の妻子の面倒は任せろ』とも……。はは、体のいい人質、という訳だ……だから、アーシュ殿の為ではない……私の妻子の為だ……アーシュ殿が気に病む必要は、ない……」

 そこまで言い切って、ドナールは酷く咳き込み始めた。見れば、口元には泡のように鮮血が溢れている。これでは、もう……。

 ドナールの今の言葉が、どこまで真実なのかは分からない。妻子の話は、アーシュが気に病まぬように、という方便かもしれない。だが、俺達にはそれ以上ドナールを詰問するような事は出来なかった。


 ――遠くに、ドラゴンゾンビが氷の壁を少しずつ砕く音が響く中、俺達は誰も、口を開けずにいた。

 ダリルは、意識こそはっきりしてきたが、最早まともに動ける状態ではない。今はドナールと同じく壁にもたれかかり座り込んでいる。

 ドナールは、腹を槍で貫かれてよく生きているものだが、それも限界が近いはずだ。吐血している所を見るに、腹の中はもう血でいっぱいだ。遠からず失血死してしまうだろう。

 俺達が逃げ延びるには――この二人を、ここに置いていく他ない。二人を抱えて移動するのは、無理だ。アーシュの魔法――例えば「重力制御グラヴィティ・コントロール」という物体の重量を制御する魔法を使えば、ある程度は負担を減らせるかも知れないが……。

「――ホワイトよう……決断の、時だぜ?」

 ダリルがおもむろに立ち上がり、そんな言葉をかけてきた。「自分達を置いてけ」というのだろう。分かっている。俺とリサ、アーシュの三人だけならば、十分にドラゴンゾンビから逃げおおせるはずだ。分かってはいるが……。

「……そんな顔、すんな。ドナールの旦那と違ってよう、俺っちは……人でなしさ……


 ――その言葉。確か、グンドルフも今際の際に同じような事を言っていた。『我が身可愛さに、貴方を、貴方達を』と。

 そしてダリルはその言葉の意味を知っているようだったが、「今は言えない」と口を噤んでいた。

「……ダリル、それは一体どういう意味――」

 俺がダリルに真意を尋ねようとした、その刹那――遠くで一際大きな、何かが砕ける音が響いた。そして――。


『GRUUUUUUU!』

 最早聞き飽きたドラゴンゾンビの咆哮が響く。遂に、全ての氷の壁が破られたのだ。

「くっ、アーシュ! そこの通路に『氷の壁』を重ねがけてして時間を稼げないか?」

「……多分、駄目ね。階段の出入り口みたいに、ある程度狭い空間じゃないと、完全に塞ぐ事は出来ない……塞げたとしても、『氷の壁』の耐久力は格段に下がるわ!」

 ――なるほど、道々で「氷の壁」の魔法を使わなかったのはそういう理由か。確かに、第一層は通路の幅が広く天井も高い。それを完全に塞ごうとすれば、密度が低く薄く広い状態の「氷の壁」を生成しなければならず、十分な強度が保てないという訳か……。


 そうこう考えている間にも、通路の向こうからドラゴンゾンビが這いずる不気味な音が響いてくる。奴は、鼻でも利くのか、先程からこちらの位置を正確に追ってきている。このままではすぐに追いつかれるだろう。どうするべきか……俺が考えあぐねていると、二つの人影が俺の前に躍り出た。

「――たく、もっとゆっくりさせて欲しいもんだったが……しゃあねぇ……なっと!」

「なぁに、ドラゴン退治は騎士の誉れ……、それを二度も実現出来るのだ、たぎるとは思わんかね?」


 ダリルとドナールだった。まともに動ける体ではないはずなのに、二人共勇ましくそれぞれの得物を構え、闘気をみなぎらせている。

「な!? ダリル、ドナール卿、一体何を!?」

「『何を!?』じゃねぇ! 俺っち達が殿しんがりを務めてやろうってんだ! 有難く受け取りやがれ!」

「ホワイト殿、我らは最早死人同然……その死人が動いたのだ、儲けものと思っておきなさい!」

 二人のあまりの気迫に、俺もリサも、そしてアーシュも気圧されてしまった。ドナールの言葉通り、二人は死人同然の体のはずだ。それなのに、力強く一歩、また一歩と踏み出し、ドラゴンゾンビのいる方へと向かっている。

 俺達には、二人を止める言葉がこれ以上見つからなかった。


「ドナール……おじ様……」

「ふ……懐かしい呼び方をしてくれるじゃないか、。君は、君の信じた道をいきなさい……これを!」

 ドナールが何かアーシュに投げて寄越す。アーシュが見事にキャッチしたそれは、華美な細工の施された短剣だった。

「妻に……息子に渡してやってくれ、頼んだぞ!」

 そう最後に言い残して、ドナールは腹から槍を生やしたまま、一歩、また一歩踏み出し、二度と振り返らなかった。


「――っと、俺っちも忘れてたわ……リサお嬢ちゃん!」

 ドナールのその様子を見て、ダリルは腰に挿した短刀をリサに投げて寄越した。こちらは飾り気のない、大太刀の振るえないような狭い場所でダリルが戦いに使っていた短刀だ。

「そいつを、王都で孤児院をやっている俺の妹に届けてやってくれ! 頼んだぜ!」

「……ダリルさん」

 リサは堪えきれず涙を流しながら頷いた。

 そしてダリルもまた、再び歩き出した――と思ったら、また歩を止め振り返った。


「――ホワイト、リサお嬢ちゃん、アーシュの嬢ちゃん。時間がなくなっちまったから手短に伝える! 残念ながら質問に答える時間はねぇ! だから、よく聞いてくれ!

 いいか? この地下迷宮の正式名称は『閉ざされし時空の迷宮』――その名の通り、

 この迷宮の中では、時間の流れは一方通行じゃねぇ。条件次第で、

 その条件は、死の間際の人間が『やり直したい』と願う事だ! ――だが、。いいか、もし『やり直したいか?』という囁きを聞いても、決して頷くな! !」


 ――ダリルは一体何を言っているんだ? 「閉ざされし時空の迷宮」? 「時間が巻き戻る」? そんな事が、果たして可能なのか? それに、「手駒」ってのは何の事だ?


「そんでな、この迷宮には『指し手プレイヤー』が二人いる! 一人はあのクソッタレなヴァルドネルの野郎だ! やっこさんの肉体はとっくにくたばってるが、精神はどこか別の地下迷宮で生きている! 俺達があがくさまを眺めてほくそ笑んでやがるんだ!

 もう一人の指し手は……俺の口からは言えねぇ! !」


 「指し手」に「ヴァルドネルは生きている」だって!? いよいよもってダリルが何を言っているのか、理解出来ない――だからこそ、一字一句聞き漏らすわけにはいかなかった。


「――最後に、! ……俺には言えるのは、ここまでだ!

 そいじゃ、あばよ!! この冒険は、なかなか楽しかったぜ! さあ、走れ!」


 最後にそう言い残し、ダリルもドナールの後を追って去っていった。

 あとに残された俺達は、互いに頷きあうと、ダリルの言葉に従い走り出した。ダリルの言葉の意味を考える間もなく――。

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