13.真実のその先

「……やっぱり、か」


 第二層へ繋がる階段を上がりきった先で待っていたのは、俺の想像通りの光景だった。


「何よ、これ? 完全に塞がってるじゃない!」


 そう、リサの言う通り、階段を上りきった先にあるはずの第二層への入り口は、。その大部分は、例の天井から落ちてきたと思しき巨石により塞がれ、俺が先程通ってきた隙間には、大きめの瓦礫が、これでもかという具合に詰め込まれていた。

 ドナールの仕業で間違いないだろう。


「って、ホワイト、何落ち着いてるの!? 私達、閉じ込められちゃったんだよ!?」

「……予想の範疇だ、問題ない。いいからちょっと下がってろ」


 ギャアギャアと騒ぐリサを下がらせ、詰め込まれた瓦礫の様子を探る。かなりギチギチに詰め込まれていて、ちょっとやそっとの力では動かせそうにない――が、逆に言えばであり、何かで固定されている訳ではない。巨石自体を動かして塞がれていたら手間だったが、これならば問題はない。

 俺は、グンドルフの形見である総鋼鉄製の戦槌ウォーハンマーを手に取ると、おもむろにそれを振りかぶり、詰め込まれた瓦礫に向かって打ち付けた。

 ――打ち付けること一度、二度、三度。その度に火花が散り、辺りには石と金属がぶつかりあう鈍い音が響く。手に伝わる衝撃は中々のもので、たちどころに手が痺れ始め、思わず戦槌を取り落としそうになるが、その痺れを堪えつつ、更に戦槌を振る事数回……瓦礫の向こう側で何か硬い物がゴトリと落ちる音がした。

 再び瓦礫の様子を確かめると、先程まではギチギチに詰まっていたそれが、手で動かせそうなレベルまで緩んでいた。どうやら、くさびの役割をしていた瓦礫が抜け落ちたらしい。


「……よし、これなら後は手で取り除けるな。ダリル、手伝ってくれるか?」

「あいよ」


 そのままダリルと二人で、手際よく瓦礫を取り除いていく。これならそれほど時間はかからないな、等と思いつつ黙々と手を動かしていると、不意にダリルが口を開いた。


「……ホワイトよう。ここを塞いだのは、もしかしてドナールの旦那か?」


 それは問い詰めるようなきつい口調ではなく、本当に、何でもない事を確認するかのような自然な問いかけだった。俺はそれに対し、静かに首肯する。


「――って、ホワイト! あたしがあれ程注意しておいたのに、なんでドナールさんを見張ってなかったの!? というか、アーシュさんは!? 一緒じゃなかったの!?」


 俺とダリルのやり取りを見ていたリサが、思い出したように問い詰めてきた。


「今更かよ……。アーシュにはドナールの見張りを頼んだんだよ。まあ、アーシュはまさか『監視しろ』って意味だとは取らなかっただろうけど」

「アーシュさんをドナールさんと二人きりにしたの!? 危ないかもしれないのに? アンタ何考えてんの! ――って言うか、そもそもいつからアーシュさんの事呼び捨てにしてんのよ!!」

「はあ? いや、アーシュ本人が気を遣われてるみたいで嫌だって言ったから、『さん』付けを止めただけなんだが……っと、今その話はどうだっていいだろう? そもそもなんで『ドナール卿に気を付けろ』だなんて言ったんだよ」


 何故ここで、アーシュを呼び捨てにしている事を詰問されなければならないのか? そう思い話を本筋に戻せと迫ると、リサは何やらとても不機嫌そうな表情を浮かべ「だって……」等と呟きながら、何か言いたげに口をモゴモゴさせ始めた。

 訳が分からず傍らのダリルに助けを求めると、ダリルは「やってられねぇぜ」とでも言いたげな表情を浮かべながら肩をすくめてみせた。二人して一体何だと言うんだ?

 やがてリサは大きく溜息をつくと、仕方ないなといった体でようやく口を開いた。


「……グンドルフさんがね、言ってたの。『ドナール卿には気を付けた方が良い』って」

「グンドルフ司祭が? またなんで?」

「ええと、確か――」

「――リサお嬢ちゃんが言ってるのは、、じゃねぇかな?」

「あ、そう! それ、それです!」

「知っているのか? ダリル」

「まあ、こう見えてもアルカマックの傭兵隊幹部なんでね、俺っちは。何、城内じゃあ有名な話さ。……あんまり面白い話でもないが、聞くか?」


 ダリルの問いかけに、俺はゆっくりと頷く。


「オッケー。まあ、実に単純な話さ。

 アルカマック王国軍は大まかに言って、騎士団と神官戦士団、そして俺ら傭兵隊で構成されている。傭兵隊は俺のように金で雇われていたり、徴兵やら志願やらで集まった一般兵の寄せ集め軍団だが、騎士団と神官戦士団は違う。アルカマック建国当時から国を支えるお貴族様と、国教であるナミ=カー教団そのものと言っていい。言ってみりゃ、王国の中枢みたいなもんだ。

 で、だ。分かりやすい事に騎士団と神官戦士団は、伝統的に反目しあってるのさ。『どちらが国を支えているのか』ってな具合にな。ようは城内の権力闘争と誇りのぶつかり合いってやつだが……これがまあ、血が流れない代わりに何とも陰湿な争いでな。貴族だ神官だ言ってご立派なツラしといても、一皮むけば醜いもんさ」


 そこでダリルは「閑話休題」といった感じで一つ咳払いをすると、再び語りだした。もちろん、その間も瓦礫の撤去の手は休めていない。


「まあ、とにかく両者は常に互いの面子をかけて水面下で争っているわけだ。

 そこに来て、この『地下迷宮』が現れた。騎士団は当初、迷宮攻略を自分達の手柄にしようと躍起になって、神官戦士団の介入を許さなかったらしい。だが、その結果は度重なる調査隊の全滅だ。騎士団の面子は丸潰れよ。

 もちろん、その後に神官戦士団も犠牲者を出してはいるが……城内では騎士団が教団側の協力を断った事が、犠牲者が増えた理由じゃないかって意見が大半を占めているらしくてな。騎士団は汚名返上の機会を伺ってたんだ。特に騎士団長のジジイは、腸煮えくり返ってるらしくてな。独自に『地下迷宮』の事を調べたりして、次の調査隊派遣に備えていた。

 だが国王陛下は、いつまで経っても騎士団に下知をくださなかった。それどころか冒険者を募集しだして、騎士団の名誉挽回の機会は中々訪れなかったんだが――」

「――そこにアインの申し出があって、騎士団から攻略メンバーを出す機会がやって来たって事か?」

「そうなるな」


 なるほど、ようやく話が見えてきた気がする。つまり――。


「――つまり、ドナール卿は今回の迷宮攻略に挑むにあたって、その騎士団長様からって事、か?」

「まあ……そういう事だろうな。俺もあくまでで聞いただけだ。――そこんところ、司祭はなんて言ってたんだ? リサお嬢ちゃん」

「え? えーと……確か『騎士団がよそ者のアイン殿や神官戦士団に手柄を取られるのを嫌がってる』とか、そんな感じ……だった、かな?」


 リサの答えは何とも辿々しく頼りない。よくそんな程度の認識でドナールに疑いの目を向けたものだ、等とも思ったが、きっとリサがうろ覚えなだけで、元々のグンドルフの言葉はもっと要領を得たものだったのだろう。


「考えたくはないが……最悪、他のメンバーの暗殺まで命じられてた可能性はあるかもな。『よそ者や神官戦士団が迷宮攻略の立役者になるくらいなら、むしろ全滅を誘え』ってな具合に。まあ、ドナールの旦那が、そんなアホくさい命令を馬鹿正直に実行するこたぁないと思うが……司祭一人だけを狙うって話なら、分からんわなぁ」


 ダリルが苦い顔で呟く。恐らくは彼も、ドナールが卑劣な行為に加担するとは考えていないのだろう。だがその一方で、グンドルフを謀殺しようとしていた可能性までは否定できないらしい。つまりそれは、騎士団と神官戦士団の確執――あるいは騎士団側の一方的な敵意が、俺が感じているよりも遥かに悪意に満ちたものである、という事を示しているのだろう。

 ――そう言えば一つ、ドナールとグンドルフの確執を示す出来事があった。


「俺、ドナール卿からグンドルフ司祭の悪い噂を聞いたんだ。もしかしたら、あれも司祭の評判を落として罠にめやすくする作戦の一つだったんじゃ――」

「――いや、それはきっとただの事実だろうよ。司祭の悪評ってのはあれだろう? ってやつだろう? それは噂じゃなくて事実だ」

「……は?」


 ダリルの意外な言葉に、俺は思わずマヌケな反応を返してしまっていた。傍らのリサは、「お弟子さんを可愛がってたんだねぇ……あれ、でも悪い噂って?」等とグンドルフを偲ぶ反応を見せているが、恐らく今ダリルが言った「可愛がっていた」という言葉が暗に示す意味を理解出来ていないのだろう。

 リサを気遣ってか、ダリルは俺の耳元に口を寄せると、小声でこう呟いた。


「――司祭はああ見えて男女問わずモテたんだよ、不思議と。しかも、ナミ=カー教団は表向きには神官の姦淫かんいんを禁じちゃいるが、軍神ナミ=カーの教義には『恋愛もまた一つの戦いである』って言葉もあってな、むしろ性愛を推奨してる節がある。司祭はその教義に忠実で、しかも若い男女が好みだったってだけの話さ……」

「……な、なるほど。案外奥が深いんだな、ナミ=カー教団……」


 俺の中では、最期まで敬虔な神官だったグンドルフ。ドナール達に教えられた噂は、俺の中のグンドルフ像と一致していなかったが、今ようやくその歯車が(意外な形で)カッチリと合ったように感じた。


   ***


「やっぱりドナール卿達の姿はない、か」


 ――その後、瓦礫の撤去は順調に進み、俺達は無事に第二層へと足を踏み入れていた。当たり前だが、ドナールとアーシュの姿はそこには無かった。


「もしかして、アーシュさんもドナールさんとグルなのかな?」

「その可能性は……まあ、ゼロではないだろうな。だけど、多分違うと思う」

「……根拠は?」

「ない。強いて言えば、勘」

「なにそれ……」


 俺の答えが不満だったのか、リサは何やら「やっぱり何かあったんじゃ……」等とよく分からない事を呟いているが、俺は自分の人を見る目を信頼していた。グンドルフの件もそうだが、ドナールの事もだ。


「そもそも、ドナール卿は本当に俺達閉じ込めるつもりだったのか、ちょっと疑問なんだ」

「はぁ? 実際にああやって、道を塞がれたのに?」

「いや、あそこは元々、巨石が出入り口を完全に塞いでたんだ。それをドナール卿が動かして隙間を作ってくれた……本当に道を塞ぐつもりなら、巨石を元の位置に戻した上で、大きめの瓦礫かなにかで補強すれば良かったんだよ。でも、それをやらなかった」

「こんな大きな物なんだから、単にもう動かせなかっただけなんじゃないの? ドナールさん、怪我してたんでしょ?」

「もちろん、その可能性もあるけどな……」


 リサの言葉に一定の理解を示しつつも、俺はやはりドナールを心の底から疑えずにいた。彼の行動には何か、「迷い」のようなものが感じられる。俺達を罠に嵌めようと考えていたのは本当かも知れないが、その行動にはどこか一貫性が欠けているような気がするのだ。

 とは言え、リサはすっかりドナールに不信感を抱いているようなので、これ以上の擁護は止めておいたほうが無難だろう。


「とにかく今は、先へ進もう。ドナール卿達も出口を目指しているはずだ。どちらにしろ追い付ける」


 俺の言葉に、リサとダリルが静かに頷く。俺達は、ようやく行軍を再開した。


 第二層は崩壊がかなり進んでいるが、幸いにして通路が塞がれているような事は無く、往路の時のマッピング通りに道を遡れば、第一層への階段に辿り着くのは容易なはずだった。先程来た時は、魔物の姿も見えなかった為に、非常に助かったのだが……歩を進める内に、話はそう簡単ではない事が分かってきた。

 しばらく進んだ所で、他の瓦礫とは明らかに異なる石くれが、ちらほらと散見されるようになったのだ。


「こいつぁ……石の小兵ストーン・サーヴァントの残骸、だな」


 ダリルの言う通り、その石くれは石の小兵ストーン・サーヴァントの残骸のようだった。何か、ハンマー状のもので力任せに粉砕されたように見えるが……。


「ドナールの旦那だな、こいつぁ。少なくとも、アーシュの嬢ちゃんによるモンじゃねぇ」

「確かに。魔法で破壊したっていうよりは、力任せにぶち壊したって感じだ。付与魔術エンチャントを使ってるかまでは、流石に分からんけど……」


 ダリルの言葉に、俺も同意する。アーシュの『爆裂エクスプロージョン』や「魔法の矢マジックミサイル」には、独特の破壊痕が残る。転がる石の小兵ストーン・サーヴァントの残骸には、その痕跡は見受けられない。ならばこいつらを倒したのは、ドナールと言う事になるだろう。

 では、その時アーシュは何をしていたのか? 「付与魔術エンチャント」で援護していたのかもしれないし――もしくはのかもしれない。


「まあ、こんだけの材料じゃ、アーシュのお嬢ちゃんがドナールの旦那に協力してるのか、そうじゃないかは判断つかねぇわなぁ」

「……どういう事? ダリルさん」

「さっきホワイトも言ってたがな、アーシュの嬢ちゃんが騎士団の陰謀に手を貸すとは、おじさんはどうしても思えない訳よ。三度のメシよりも魔法の研究が大好きって娘だし、ああ見えてお嬢育ちだし? 宮廷魔術師の中にも権力争いが好きな連中はいるが、アーシュの嬢ちゃんはそういうのとは無縁だったみたいだしな。

 ま、だからアーシュの嬢ちゃんはドナールの旦那に協力してるんじゃなく、無理矢理連れて行かれたんじゃって思う訳よ。お前さんはどう思う、ホワイトよ?」

「……俺もダリルと同じ意見だな。さっき道を塞いでたのだって、アーシュの魔法を使われてたら俺達に為す術は無かったかもしれないんだ。それを考えると、な。リサ達がドラゴンに襲われてる事を知った時も、迷わずに助けに行こうとしてたし」


 ――そしてあの時のドナールは、アーシュとは対照的に何かを迷っている様子を見せていた。リサ達を助けに行かなければ、グンドルフを含んだ三人をドラゴンにしてもらえるのでは……等と考えていたのかもしれないし、本心では助けに行きたいけれども、騎士団長からの密命を優先させるべきでは……と考えていたのかもしれない。

 どちらにしろ、ドナールの心は葛藤に満ちていたであろう事は、想像に難くない。その本心がどちら寄りだったのかは、今の俺には窺い知る事は出来ないが……。


 そんな事を考えながら歩を進めていたその時だった。前方に不審な気配を感じ、足を止める。何かが、いる。

 リサとダリルに手で合図を送り警戒を促すと、二人は素早く臨戦態勢に移った。この辺りは最早、阿吽の呼吸というやつだ。


 輝石の光をゆっくりと前方に向ける――と、やけに小さすぎる人型のシルエットと、輪郭のはっきりしない土饅頭どまんじゅうのようなシルエットが無数に浮かび上がった。これは……。


「チッ、厄介な奴らだ」


 思わず舌打ちする。シルエットの正体は、無数の石の小兵ストーン・サーヴァントとスライムの群れだった。それぞれ5体ずつ程度と、今までと比べれば数は多くないが、こちらは疲労困憊の状態で、しかもドナール達を追っている最中だ。余計な体力は使いたくない所だったが……やるしかない。


共は俺に任せろ。リサ嬢ちゃんは精霊魔法でスライムの相手をよろしく頼むわ。ホワイトは適宜援護と……新手の警戒を」

「りょーかい!」

「分かった。前衛は任せる!」


 敵の戦力を素早く見積もったダリルが、俺達に指示を下す。流石は傭兵隊の百人隊長だけあって、リーダー役は手慣れたものだ。迷宮が崩壊してから向こう、俺はどちらかと言えば指示を出す方に回っていたので、久々に肩の荷が下りた気分だった――もちろん、戦闘への緊張感は忘れていないが。


『勇ましき者、炎の精霊よ! 我が呼び声に応えよ!』


 リサの召喚に応じ、炎の精霊が姿を現す。見た目は文字通りの「火の玉」で、触媒――例えば松明等の実際の火――があれば巨大なものを召喚出来るのだが、今は触媒がない為に、人間のこぶし大の小さな火の玉となっていた。

 だが、その火力は馬鹿に出来ず、魔力に弱いスライム相手ならば後れを取る事はないだろう。とは言え、精霊を操っている間はリサの身体は無防備になる。一体を相手に集中している間に他の一体が……等と言う事にならないように、俺が援護する必要があるだろう。


 他方、ダリルはと言えば――。


「オラァ!」


 気合い一閃、ダリルの大太刀が煌めくと、石の小兵ストーン・サーヴァントは一瞬にして両断されていた。更に返す刀を横に振るうと、両断された石の小兵ストーン・サーヴァントの身体が横一文字に斬り裂かれ、最終的に四つの残骸となって床に落ちる。凄まじいまでの剣の冴えだった。

 この分ならダリルの方は心配ないだろう。俺はそう判断すると、リサの援護と新手の襲来に備えるべく、愛用の小型弓を構え矢をつがえた。


 ***


「ざっとこんなもんよ!」


 ――程なくして、戦いは終わった。結局、石の小兵ストーン・サーヴァントはダリルがあっさりと片付け、スライムについてもリサと俺の連携で危なげなく全滅させていた。


「さっすがダリルさん! 頼りになるぅ!」


 大人げなくガッツポーズを決めるダリルに、リサが冷やかしの声をかける。何気にこの二人は馬が合うようだ。俺はそんな二人を何となく微笑ましく眺めつつも、「さあ、先を急ごう」と促した。

 ――実は、先程から少々嫌な予感がしていたのだ。根拠はないのだが、俺の勘が何か危険を告げていた。そして悪い事に、俺のこういう勘は大概の場合、当たるのだ……。


 一説には、「勘」というものは一種の予知能力の一つだとも言われている。なんでも、古代王国の魔導師の中には、未来予知を生業とした一族がいて、彼らはその技術を後天的に身に付けるのではなく、先天的に持っていたのだとか。

 そして、現代においてやけに勘が良い人間は、その一族の末裔であり僅かながらその予知能力を受け継いでいるのではないか、という話なのだが……俺は眉唾だと思っている。


 以前、アインが俺の勘の良さについて「普通の人間が感じる事の出来ないごくごく小さな音や振動を、無意識の内に感じ取っているのではないか」と言っていた事がある。人間の耳には聞こえない、体には感じないとても小さな音や振動を捉えているのではないか、と。

 確かに、元々俺は他人よりも小さな物音や振動などに敏感だ。先程、石の小兵ストーン・サーヴァントをいち早く発見できたのも気配――ごくごく小さな物音や振動を感じたからに他ならない。だから、アインの説は俺にとって納得のいくものだった。


 そのアインの説に照らし合わせれば、俺は今、僅かな音か振動、もしくはその両方を無意識下で捉えている、という事になるが……流石にその正体までは見当が付かない。いや、一つ心当たりがあるにはあるのだが……あまり考えたくない事だった。


 そうこう考えている内に、俺達はとうとう第一層へ繋がる階段へと近付きつつあった。通路の崩壊はますます酷くなり、所々天井や床に大穴が開いてしまっていたが、幸いにして通行不能になっている部分は殆ど無かった。

 運が良い、等と単純には喜べなかった。今までの例から考えて、この一見無秩序に見える崩壊振りも、迷宮設計者の意図が反映されたものかもしれないのだ。最後まで油断は出来ない。


「――なあ、ホワイトにリサお嬢ちゃんよぉ」


 床の大穴を避けつつ慎重に歩を進めていると、ダリルがおもむろに口を開いた。


「一つ、確認しておきたいんだが……」

「なんだ?」

「なぁに、ダリルさん?」

「オメェら、この地下迷宮に入ってから――いや、正確には、?」

「――っ」


 ダリルのその言葉に、思わず息が止まる。忘れかけていた「ある疑問」が再び頭をもたげる。そうだ、ずっと緊迫した状況が続いていたから、すっかり忘れていた。

 俺の中には、下層で瓦礫越しにリサと会話した時の記憶が、二通りあるのだ。

 一つは、「リサはグンドルフと二人だけだった」という記憶。

 そしてもう一つは、「リサはダリルとグンドルフと一緒であり、俺もダリルと会話した」という記憶。


 俺以外は――少なくともアーシュとリサは違和感を覚えていない様子だった、その記憶の齟齬。それが、他ならぬダリルの口から語られたという事は――。


「ダリル、それって――」


 ダリルの言葉の真意を尋ねようと、口を開いたその時だった。突如、俺達を下から突き上げるようなズシン! という凄まじい振動が襲った。


「きゃあ! え、何? もしかしてまた迷宮が崩れるの!?」

「いや、この振動は違う。これは……リサ! ダリル! 急いでここを離れるぞ! 全力で第一層を目指せ!」

「え? な、なんで? 一体何が――」

「いいから急げ!」


 もたつくリサの手を引っ張り、俺は一目散に第一層への階段方向へと走り出した。ダリルも大人しくそれに続く。どうやらダリルも、振動の正体に気付いたようだ――今の振動の発生源は、間違いなく


「ホワイトよぅ、どうやら最悪の展開らしいぜ?」

「だな! とにかく第一層まで逃げ延びれば――」


 そこまで言いかけた時、再び大きな振動が俺達を襲い、ほぼ同時に先程まで俺達が居た辺りの床の大穴から、。炎は天井を焼くと同時に通路に広がっていき、俺達のいる方まで一瞬にして激しい熱が伝わってくる。そして――。


『GRUUUUUUUUU!!』


 この世のものとは思えぬ、おぞましい咆哮が辺りに響く。もう間違いなかった。走りつつ後ろを窺うと、ちょうど「奴」が大穴からその醜悪なツラを覗かせた所だった。


「あれって……ドラゴンゾンビ!? うそ、追って来たの!?」


 その姿に、リサが悲鳴に近い声を上げた。

 ――そう、大穴から姿を現したのは、第三層で戦ったドラゴンゾンビだった。先程の振動は、恐らく奴が第三層の天井を突き破ろうとしていたのが原因だろう。突き破った天井がたまたま第二層の床の大穴と繋がったのか、それとも狙ってやったのか……。


「あ、でもこの第二層は通路が狭いからアイツの巨体じゃ進んで来れないんじゃ――」

「いや、甘いぞリサ。……あれを見ろ」


 ドラゴンゾンビは、大穴からゆっくりとその全身を現しつつあった。だが、リサの言う通り、この第二層の通路は奴にとっては狭すぎる。羽や四肢が邪魔になってギリギリつかえてしまうはずなのだが……奴にとってはその程度、何の問題にもならないらしい。


「ヒェ……なに、あれ?」


 それは、なんともおぞましい光景だった。大穴から抜け出したドラゴンゾンビは、案の定、羽や四肢がつかえて通路全体にみっちりと嵌ってしまったのだが、それを意に介した様子もなく、くねくねと身をよじりながら、少しずつ少しずつ、こちらへと近付きつつあった。

 ……身をよじる度に鈍い音が辺りに響くのは、恐らく羽や四肢、もしくは通路の壁や天井がすり減り、あるいは砕けている為だろう。驚くべき事に、奴は通路と我が身を砕き、すり減らしながら進んでいるのだ。その姿はもう、ドラゴンと言うよりはとてつもなく巨大な大蛇のようでもあった――。

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