12.犠牲

 再び第三層へと舞い戻った俺は、迷宮内に響く戦いの音を頼りに、リサ達と合流すべく駆け出した。

 ――音はまだ遠い。だが、その激しさから、リサ達とドラゴンとの戦いが熾烈を極めている事は容易に想像できる。……急がなければ。


 罠や魔物の奇襲を最低限警戒しながら、俺はほぼ全力で駆けた。崩れかけの迷宮の中を、ひたすらに駆けた。一刻も早く、リサ達のもとへ辿り着く為に。一人の犠牲も出さぬ為に。だが――。


「ダリルさん、逃げて!!」


 いくつ目かの角を曲がった時、通路の先でリサの悲痛な叫びが木霊こだました。どうやら、リサ達はこの先の通路で戦っているらしい。しかし、今の叫びは……。

 嫌な予感を振り払いつつ、更に先へと進んだ俺を待ち受けていた光景は――。


「――ダリル!」


 胸からおびただしい量の鮮血を吹き出しながら倒れるダリルの姿だった。状況的に見て、ドラゴンの爪の一撃をまともに喰らってしまったらしい――一足遅かった。


「……ホワイト? ダ、ダリルさんが、ダリルさんが!!」


 俺の存在に気付いたリサが、悲愴な表情を向けてくる。その目には堪えきれない涙。体中はあちこち傷だらけで、荒い息を吐いている。最早限界、と言った様子だ。

 リサの傍らには、グンドルフもいる。こちらは振り返らず、何やら印を組みながらドラゴンと対峙しているようだが……。


「――あれは、なんだ?」


 そのドラゴンに目を向け、俺は思わず絶句してしまった。象のような巨躯に赤き鱗を纏った小型竜レッサードラゴンがそこにいた――のだが、何やら様子がおかしい。


 特徴的な黄金の瞳は、白く濁っている。

 翼の皮膜はボロボロになっており、無数の穴が穿たれている。

 顎はだらしなく開き、そこから長大な舌がだらりと垂れている。

 全身傷だらけだが、そこからは鮮血の代わりに、どす黒く濁った、何かドロッとした液体が流れ出している――。


「こいつは……ドラゴンゾンビか!?」


 ――そう、目の前のドラゴンは肉体的な意味でならば既に死んでいた。恐らく、俺達が倒した小型竜と同一個体だろう。様々な特徴が一致しているし、俺達が付けた傷と同じものが認められる。

 その小型竜の死体に、何らかの悪霊が憑りつくか、それともヴァルドネルが予め死霊魔術ネクロマンシーを施していたのか、ドラゴンゾンビ――ドラゴンのアンデッドとして蘇ったのだ。


 ドラゴンゾンビからは、生前の知恵や魔力が失われている。だが、だからと言って簡単に倒せる相手ではない。強靭な鱗は健在だし、諸々の吐息ブレス攻撃も放ってくる。そして何より、アンデッドモンスター特有のタフさを兼ね備えているので、肉体を完全に破壊するか、死霊魔術の基点となっている部分を潰さない限り、倒す事は出来ない。

 むしろ、生前のドラゴンよりも厄介とも言える相手なのだ。


 そのドラゴンゾンビに対して一番有効なのは、通常のアンデッドと同じく、神官による小奇跡ホーリープレイだ。特に、不死者浄化ターンアンデッドが有効なはずだが、厄介な事にドラゴンの身体には生前の対魔力能力がほぼ残されている。生ける屍リビングデッド骸骨戦士スケルトンのように、簡単には浄化出来ない。本来ならば、高位の神官数人で立ち向かうべき相手だが……こちらには今、グンドルフ一人しかいない。

 グンドルフは今、恐らく不死者浄化ターンアンデッドの小奇跡を全力でドラゴンにぶつけ続けているのだろう。本来は数人で行う浄化を、一人で行う為に。

 見れば、ドラゴンゾンビの足元には光の円陣が現れては消え、また現れては消えを繰り返している。グンドルフの魔力とドラゴンゾンビの対魔力が拮抗している証だ。恐らく、その拮抗が続いている間は、ドラゴンゾンビを足留め出来るはずだが……。


「――リサ、状況を、簡潔に!」

「え!? あ、うん! 見ての通り、今はグンドルフさんがあいつを足留めしてくれてる! 浄化はちょっと無理っぽいから、その間に私が召喚した精霊で牽制、隙を見てダリルさんがドラゴンの足の一本――あれ、後ろ右足の一番傷が深い所を狙ってあいつの足を更に鈍らせて、その後は全速力で逃げようって作戦だったんだけど――」

「――精霊がやられて、接近してたダリルもやられたってわけか」

「……そう、その通り」


 リサの表情が暗く沈む。恐らく、自分の召喚した精霊があっさりドラゴンにやられてしまい、そのせいでダリルがやられたと思っているのだろうが……元々ドラゴン相手には精霊魔法は分が悪い。精霊魔法は、主に地水火風の四大精霊を呼び出すものだが、ドラゴンはそのいずれにも耐性がある。リサの魔法では、ドラゴンに傷を付ける事は難しい。

 だが逆に、精霊魔法はドラゴンとの戦いの守りには有効だ。ドラゴンの吐息ブレスには多種多様な属性があるが、その多くに対応出来る。先の戦いでも、リサは守りに徹していたくらいだ。


「相性の問題だ、今は気にするな。それよりも、まだ精霊は出せるか? どの属性でもいい、ドラゴンの注意を引ければ――」

「――ホワイト殿」


 俺がリサに新たな作戦を伝えようとしたその時、今まで印に集中していたグンドルフが静かに口を開いた。


「済まぬが、拙僧の魔力もそろそろ底を突く……足留めも限界でしょう。ですが、まだ一手、起死回生の策が残っておりまする。――力を貸して頂けますかな?」


 ニコリ、と状況に似つかわしくない、何とも穏やかな笑顔を浮かべるグンドルフ。俺はその笑顔に対し――静かに頷いて見せた。


「よろしい……では、作戦をお伝えします――」


 ――ドラゴンと対峙したまま、グンドルフは簡潔に作戦の内容を語った。

 まず、俺がドラゴンゾンビをけん制し注意を引き付ける。奴の知能は普通のアンデッドと変わりない為に、注意を引き付ける事だけならば簡単だろう。だが、存外に動きは早く、爪や牙、尻尾の一撃は喰らってしまえば即致命傷。命懸けのギリギリの勝負になるはずだ。

 更に、奴には吐息ブレスという厄介極まりない攻撃もある。リサにはこの吐息ブレス対策に集中してもらう。相克する精霊――例えば炎の吐息ブレスが来たら、水の精霊で対抗する――で対処すれば、即死が半死にくらいで済むはずだ(生きていればだが)。

 グンドルフは隙を見て、ダリルに回復の小奇跡をかける。彼の話では、意識も同時に取り戻すとの事なので、動けるようになったダリルが当初の予定通りドラゴンの隙を突き、後ろ足にダメージを与え、すぐさま全員で離脱――というのがグンドルフの作戦だった。

 なるほど、それならば十分勝算はある。だが、もちろんリスクもある。グンドルフがダリルの治療の為に不死者浄化ターンアンデッドの手を止めれば、ドラゴンゾンビの足は自由になる。ドラゴンゾンビは巨体に似合わずその移動スピードはかなりの速さらしいので、ダリルの治癒が終わるまでの間、俺はそいつと命懸けのをしなければならなくなる。かなり危険ではあるが……全員が生き残る為ならば、この位のリスクは屁でもない!


「――では、行きます!」


 リサとグンドルフに開始の合図を告げ、俺はドラゴンゾンビへと肉薄すべく駆けだした。

 残念ながら、手持ちの装備でドラゴンに効果的なダメージを与えられる武器は殆どない。愛用の短剣も業物ではあるが、ドラゴンの鱗には全く歯が立たないのは実証済みだ。一応、白銀ミスリル製の矢じりならば傷くらいは付けられるかもしれないが……注意を引くだけならば、愛用の特殊ワイヤーでも十分だろう。


 収納ボックスのロックを解除し、分銅付きの方のワイヤーを引き出す。


「こっちだ! トカゲ野郎!」


 注意を引く為に大声を上げる。一部のアンデッドは肉体の機能をある程度維持し、五感も多少は働いている事もあるが、こいつの場合は……どうやら、聴覚はまだ生きているらしい。俺の挑発の声に反応したのか、こちらに首を向けてきた。


「喰らえ!」


 更に注意を引くべく、分銅付きワイヤーを投擲する。それは見事にドラゴンゾンビの眉間の辺りにクリーンヒットしたが、甲高い音を立てただけでダメージを与えられたようには見えない。だが――。


『GRUUUUUUUUU!!』


 注意を引き付ける事には成功したらしく、ドラゴンゾンビは俺を振り払おうと、その右前脚を伸ばしてくる。中々のリーチがあるが、いまだ奴はグンドルフの不死者浄化ターンアンデッドの影響で移動の自由が利かない為、間合いの外に逃げる事は容易だ。

 そのまま、ヒット・アンド・アウェイの要領で攻撃し続け、ドラゴンゾンビの注意を完全にこちらへ向けさせる。奴の腐った脳みそならば、これで倒れ伏すダリルの事は意識の埒外のはずだ――グンドルフに、目で合図を送る。

 グンドルフは静かに頷くと印を解き、小奇跡を引き起こす神聖語の詠唱を始めた。本番はここからだ。


『勇ましき者、我らが戦神ナミ=カーよ――』


 不死者浄化ターンアンデッドから解放され足元の自由を取り戻したドラゴンゾンビは、猛然と俺に向かって飛びかかってくる! 壁を背にしていた俺は、寸前で身を翻し、奴の突進を躱す。ドラゴンゾンビはその動きに対応できず、まともに壁に突っ込み、凄まじい轟音と共に壁の一部が砕け、穴が穿たれたが……ドラゴンゾンビは無傷だ。ゆらりと身を起こすと、再び俺に襲い掛かってくる。


『傷付き倒れし我らが同志に、癒しの加護を与えたまえ――』


 かすりでもしただけで即死しかねないドラゴンゾンビの突撃を、爪を、牙を、尻尾の一撃を、何とか紙一重のところで躱し続ける。正直、死神とダンスでも踊っている方が気が休まるんじゃなかろうか? グンドルフの詠唱はまだ終わらないのか――。


『我が捧げると共に、我が祈り、成就せん事を!』


 ――グンドルフの詠唱が終わると同時に、グンドルフとダリルの身体が神聖な光に包まれた。ドラゴンゾンビがピクリ、と反応を示したが、そこへすかさず分銅の一撃を顔面にお見舞いすると、再びその注意はこちらに向いた。

 だが、今度は突進を仕掛けてくるような事はせず、ドラゴンゾンビは天を仰ぐような姿勢を取った――まずい、あれは吐息ブレスの予備動作だ! 炎か、氷か、それとも毒か、いずれかの吐息ブレス攻撃が来る!

 精霊使いのリサは、ドラゴンの体内で活性化する精霊の力を感じ取り、どの吐息ブレス攻撃が来るのか、ある程度予測出来るという。炎の吐息ならば火の精霊力が活性化し、氷の吐息ならば風と水の精霊力が増す、といった具合らしい。今も、吐息ブレスの種類を看破したのか、精霊召喚の準備に入っているようだが……果たして間に合うのか、いやそもそもリサの精霊魔法だけで吐息ブレスを防ぎきれるのか? だが、俺のその心配は杞憂に終わった。何故ならば――


「オラァッ!!」


――息を吹き返したダリルが、気合い一閃、自慢の大太刀で見事ドラゴンゾンビの右後ろ脚を斬り落としたのだ。


「今だ! 逃げるぞ! こっちだ!」


 右後ろ脚を失った事で、ドラゴンゾンビの体勢が大きく崩れる。この隙に第二層まで逃げ延びれば、なんとかこの場は切り抜けられる。だが――。


「……グンドルフ司祭?」


 俺とリサ、ダリルが駆けだす中、グンドルフだけが動かなかった。膝をつき、荒い息を吐いている。魔力を使い果たして、疲労の極地にあるのだろうか?


「――司祭は俺が担いでいく、ホワイトは先導を頼む!」

「わ、分かった!」


 グンドルフの異変に気付いたダリルが、彼の巨体をひょいっと肩に担ぎあげる。確かに、俺の力ではグンドルフを運ぶ事は出来そうにない。素直にダリルに任せ、俺は皆を先導すべく駆けだした。

 ――背後では、ドラゴンゾンビが例の気持ち悪い咆哮を上げながら、ズシン! ズシン! と追いすがって来ているが……足を一本失った事でその速度は格段に落ちている。これならば追いつかれる事はなさそうだ……。



   ***


 そのまま、何とか第二層への階段まで辿り着いた俺達は、中程まで上がった所でようやく一息つく事が出来た――いや、正しくは、全員疲労困憊で、少し休む必要があったのだ。とりあえずドラゴンの追跡は免れたのだ、少しくらい休んでもバチは当たらないだろう。


「――流石に死ぬかと思った」

「というか、あたし達、なんでなんで生きてんの?」


 リサと苦笑し合う。本当にギリギリの勝負だった。


「グンドルフさんが居なかったら全員死んでたね! さっすが司祭様、ダリルさんのあの傷を癒しちゃうなんて……って、グンドルフさん?」


 リサの怪訝な声に、グンドルフの様子を窺う。既にダリルの肩から降ろされ、壁にもたれかかった姿勢なのだが、その顔色は青白く、先程までは荒かった息は、今度は逆に弱々しく、「虫の息」と呼ぶに相応しい状態だった。

 今まで、少なくない人間の死を見送ってきた俺の勘が告げていた、グンドルフはもう長くない、と。


「司祭……? なんで、こんな……魔力の使い過ぎったって、ここまで衰弱するのは見た事がないぞ!」

「――クソッ! 司祭の奴、俺を助ける為に『犠牲サクリファイス』を使いやがったな!」

「……『犠牲サクリファイス』だって?」


 聞いた事があった。『犠牲』の小奇跡。自分や他人の命を引き換えとして、信仰する神により強い奇跡を願う、神官達の秘儀の一つだ。条件さえ整えば、死者の完全復活すらも可能だと言われる。グンドルフが、それを使ってダリルを蘇らせたのか?


「……良い、のです……」

「グンドルフ司祭!?」


 グンドルフの口からか細い言葉が漏れ、俺達三人は彼に駆け寄った。


「しっかりして、グンドルフさん! 皆で一緒に生きて帰るって言ったじゃない!」

「司祭、あんた……あんたは……!」

「リサ殿、ダリル殿……悲しむ事はありません……私はナミ=カー様の身許に参るだけなのですから……それに……」

「グンドルフ司祭、しっかりしてください!」

「今度こそ…………我が身可愛さに、貴方を、貴方達を……今度は、救う事が――」


 ――グンドルフはそれだけ言い残すと、最後にヒュウッと漏れるように息を吐いて、そのまま神のもとへ召されてしまった。

 俺達はそのまま、しばらく無言でその遺骸を眺めていたが、しばらくしてリサが、薄く開いたままのグンドルフのまぶたを手でそっと閉じ、祈りの言葉を囁いた。俺とダリルもそれに続き、それぞれ信仰する神の名を囁き、グンドルフへの手向けとした。


 ――しかし、グンドルフの最期の言葉は、全くもって意味不明だった。彼が俺達を裏切った? そんな素振り、一回だって感じた事はなかったはずだ。むしろ彼が居なかったら、今俺達は生きてはいない……。だが――。


「――そうか、司祭。……」


 誰にともなく呟いたダリルのその言葉を、俺は聞き逃さなかった。どうやら、ダリルはグンドルフが残した言葉の意味を理解しているらしい。


「……ダリル。あんた、司祭の最期の言葉の意味が、分かったのか?」

「ああ……。だが、すまねぇ、……」

「なっ……!?」


 『今は言えねぇ』だって? この状況下で、俺達に言えない事情があると? ……思わずそんな言葉が出そうになったが、ダリルは「今は」と口にした。ダリル本人が隠したがっているというよりは、言えない理由があると考えた方が自然かもしれない。だが、この緊迫した状況下でまで、言えない理由とは……?


「――分かった。言える時が来たら教えてくれ」


 さんざん悩んだが、ここでダリルを問い質すような事はしたくない。俺はそれだけ言って、それ以上追及はしない事にした。ダリル程の誠実な男が「言えない」と言っているのだ。それ相応の理由があるのだろう……。


「――先を急ごう。ドラゴンの追撃は無くなったとはいえ、俺達にはもう時間が無い」

「グンドルフさんは? 置いていくの?」

「……第一層までの道程を考えれば、とても連れて行ってはあげられない。リサ、辛いとは思うが、司祭は俺達を先に行かせる為に命を投げ打ったんだ。その想いには応えなきゃいけない。でも、そうだな、せめて形見の品を――」


 そういってグンドルフの遺骸を見やると、傍らに置かれた彼愛用の総鋼鉄製の戦槌ウォーハンマーが目に入った。彼が、最期まで手放さなかったものだ。


「この戦槌を持っていこう」

「え、そんな重い物を? ホワイト、それで戦うの?」

「いや、俺の力だと戦闘に使えるかどうかは怪しいな……でも、多分

「……?」


 俺の言葉に怪訝な表情を浮かべるリサをよそに、俺はゆっくりと階段を上り始めた――。

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