5.群れなす地獄

 大陸で信仰されている神は数多あり、その教義も様々だ。例えば、神々の女王とされる光の神ウサーレの教団は、どんな時でも秩序を重んじる事を信徒の義務とし、あらゆる不正を許さぬ非常に厳格な教義を掲げている。一方、騎士や傭兵達に篤く信仰される軍神ナミ=カーの教団では、この世の弱肉強食を肯定し、その上で強者には弱者を守り導く義務が存在すると教えている。他にも様々な神が信仰されており、変わった所では盗賊に信徒が多い博打の神様なんてのもいるが、言うまでもなく少数派のマイナー神でしかない。

 そんな感じで教義も規模も異なる様々な教団が存在するわけだが、どの教団の教えにも共通するのは「死後の世界」の存在だ。曰く、正しい信仰心を持って人生を全うした人間の魂は、神々の父である死の神ルネが治める冥界へと導かれ永遠の安息を得るか、生まれ変わり新たな人生を送るかを選択できるのだという。だが、信仰に反した人生を送ってきた者や多くの罪を犯した者の魂は冥界へ行く事も生まれ変わる事も許されず、「地獄」へと送られその罪に応じた責め苦を負うのだという。針の山を歩かされたり業火に身を焼かれたり、はたまた酸の海に投げ込まれたり……現世では味わえぬ苦しみを、永久に与え続けられるのだとか。


 一説には、生ける屍リビングデッドなど死霊魔術ネクロマンシーで生み出されるアンデッドの体に宿っているのは、それら地獄を彷徨う者共の魂なのだと言われている。責め苦の一環として、かつて過ごした現世に自由意志を剥奪された上で呼び戻され、朽ちた肉体という名の牢獄に閉じ込められ、血肉を喰らう亡者として永劫の時を過ごす事を強いられているのだと。その説を信じるならば、彼等アンデッドの存在する場所は、まさしく現世における「地獄」と呼べるのかもしれない。


 ――そして今、俺達の目の前にはその「地獄」が群れを成して姿を現していた。

 数十体の生ける屍リビングデッドの姿があった。腐敗し崩れかけた肉体を引きずりながら蠢き、時折うめき声のような、悲鳴のような声を上げている。恐らくはこの地下迷宮に挑んだ冒険者達の成れの果てなのだろう、ある者はボロボロになった全身鎧を身に纏い、ある者は魔術師のローブを、またある者はナミ=カー教団の神官服を身に付けていた。だが、彼らに既に生前の面影は無く、顔面は無残に腐り落ち、腐った魚のような眼には僅かな理性の光も見受けられない。往路でも出くわしたが、頭を砕かない限りしつこく動き続ける、実にしぶとい魔物だ。

 七体の骸骨戦士スケルトンの姿があった。生ける屍リビングデッドと異なり最早全ての肉が腐り落ちた彼らは、文字通りの「歩く全身骨格」だ。腱さえも腐り落ちた状態で何故、関節が繋がったままでいるのか初めて見た時は不思議でならなかったが、実際には骨と骨は物理的には全く繋がっておらず、魔力によって人型が維持されているだけらしい。その証拠に、神官が不死者浄化ターンアンデッド小奇跡ホーリープレイで彼らの魂を浄化すると、骨同士はたちまちバラバラになり崩れ落ちるのだ。見ようによっては中々にシュールな光景と言える。だが、神官がいない場合は打撃なり魔法なりでその全身の半分以上を砕くなどしない限り彼らは動き続け襲い掛かってくる。中々に厄介な相手だ。

 宙に漂い青白い光を放ついくつかの人影が見える。あれは恐らく亡霊ファントムの類だろう。既に肉体は骨も含めて全て消滅し、霊体だけとなったアンデッドだ。強い恨みや憎しみを抱いたまま死んだ人間の霊魂の成れの果てだとも、死霊魔術師ネクロマンサーが死者の霊魂を材料に創り上げた魔物だとも言われている。こいつらの厄介な所は、肉体が無い故に普通の武器では全く傷付けられないという事だ。魔法や小奇跡ホーリープレイ、もしくは魔法を帯びた武器でなければ彼らは倒せない。備えが無ければ逃げの一手を打つしかないのだ……。


 そんな厄介極まりないアンデッドの群れが、俺達の行く手を阻んでいた。この先に進むには、彼らを残らず倒すか、ある程度を倒し隙を見て強行突破するかしかない。だが――。


「流石にこの数は……やばい! クソ、せめて道具袋があれば!」

「こちらは三人、あちらは一、二、三、四……多勢に無勢だな。私の剣は、ナミ=カー神殿で祝福を受けたものだから亡霊ファントムも斬れるが……生ける屍リビングデッド骸骨戦士スケルトンは動かなくなるまで叩き潰すしかないぞ?」

「私の魔法で一気に焼き尽くしたい所だけれど……あの数が相手では最悪魔力を使い果たしかねないわね。大魔法を使えば自分達にも余波が及びかねないし。――虫のいい話だけれど、せめてグンドルフ司祭が居れば楽だったんだけどね」


 俺も、ドナールも、アーシュも、それぞれが冷静に彼我の戦力差を計算し「かなりやばい」という同じ結論に達していた。二倍程度の戦力ならばこんな低級アンデッドに遅れなど取らない俺達だが、今対峙しているアンデッドの群れはこちらの十倍以上の数だ。ただでさえタフさが売りのアンデッドなのだから、万が一取り囲まれたらその時点でジ・エンドだろう。動きは鈍いが怪力の生ける屍リビングデッドに捕まれば一気に骨を砕かれかねず、意外に俊敏な動きを見せる骸骨戦士スケルトンは的確にこちらの急所を狙ってくる。疲労した所を亡霊ファントムに憑依されれば、肉体の前に精神が殺される。

 アーシュの言葉通り、もしここにグンドルフが居れば状況は全く違ってくる。彼ほど高位の神官が放つ不死者浄化ターンアンデッドならば、大した魔力を消費せずに、この場全てのアンデッドを浄化する事が可能だろう。不死者の王リッチ等の強力なアンデッドがいればそれでも苦戦するだろうが、今この場にいるのはその全てが低級アンデッドだ。アンデッドとの戦いでは、パーティに神官が居ると居ないとでは雲泥の差だと言われているが、その言葉を今ほど噛み締めた事はないだろう。


 俺達がちっぽけな頭を総動員して打開策を考えている間にも、死者の群れはじわじわとこちらに近付きつつあった。このまま何もしなければ、それほど時を置かずして俺達も死者の仲間入りを果たす事になるだろう。まさか、こんな「試練」に出くわすとは、ほんの少し前まで思いもしなかった。そう、ほんの少し前までは――。


 ――長い螺旋階段を昇り切り、新たな階層へと続く扉を開いた俺達を待っていたのは、実に意外なものだった。


「――扉の向こうに……また扉?」

 そう、扉を開けた先は非常に小さな部屋になっており、そこにはまた別の扉が姿を現していた。何とも意味深な構造だが……。

「待ってホワイト君、ここに何か書いてあるわ」

 アーシュの言葉に目をやると、新たな扉の表面には何やら文字が刻まれていた。古代王国時代から使われている共通語で書かれたそれは、大体こんな内容だった。


『正しき道を選択した者達へ告げる。

 ここより続くは、上層への最短の道である。

 しかし、この道は同時に苦難の道でもある。

 引き返せば、緩やかだが果てしなく長い道程みちのりが諸君達を待っている。

 どちらを選ぶかは諸君らの自由である。

 だが、この扉を開けば引き返す道は断たれ、後戻りは出来ない。

 選択は、一度きりである……』


「――何とも、この地下迷宮にしては親切な事だが……果たして鵜呑みにして良いものかね?」

 扉の文言を読み終えたドナールが俺とアーシュに意見を求めてくる。確かに、ドナールの言う通り往路で散々に俺達を苦しめてきた地下迷宮の仕組みを考えると、これも一種の引っ掛けミスリードであるようにも感じる。

「この扉と後ろの扉の間には、魔力的な繋がりを感じるわ。このメッセージを信じるなら、恐らくこの扉を開けると戻る方の扉にはロックが掛かる仕組みじゃないかしら? 確信は持てないけれど……」

「もしくは、この扉が一方通行な仕組みになっているか、ですかね」

 その後、色々と調べた結果、どうやら俺達が入って来た後ろの扉をきちんと閉めると、目の前の扉のロックが解除される仕組みになっているらしかった。となると、目の前の扉を開いている間は、逆に後ろの扉は開かない仕組みになっている可能性が高い。両方を開いておく事は出来そうにない。そして、扉のメッセージを信じるならば、目の前の扉を一度開けてしまうと、何らかの形で後戻り出来なくなってしまう……。


 ――話し合った結果、俺達は先へ進む事を決めた。扉のメッセージを信じる事にしたのだ。今の俺達にとって最も強大な敵は何より「時間」だ。俺の持っている「魔法の水袋」で水分は補給できるが、食べるものは俺が非常用に持っていた干し肉数切れしかない。三人で分け合っても、良くて三日程しかもたないだろう。「緩やかだが果てしなく長い道程」がどの程度の長さなのかは分からないが、最下層まで往路で三日間かかったこの地下迷宮の規模を考えれば、同程度かそれ以上の道程になる可能性があった。――ならば、短期決戦となる方に賭けてみよう、という結論に達したのだ。


「では、開けます!」

 念の為、床にリサ達へ先に進んだ旨を伝えるメッセージを刻んだ上で、俺達は目の前の扉に手をかけ、慎重に開いた――。


 ――そうして、俺達はこの「地獄」と出会った。扉は、俺達三人が潜り抜けると止める間もなく閉まってしまい、こちら側からは開きそうにない。退路は断たれたのだ。

 「地獄」が広がるそこは、とてつもなく広く真っ直ぐな通路だった。人間が十人以上は並んで歩ける幅に、天井も俺の背丈の軽く六倍以上の高さがあった。そこら中に魔法の篝火かがりびが焚かれ、夕方時程度の明るさがある。アンデッド達がひしめく遥か向こうには、遠目でもはっきりと見える程巨大な昇り階段があった。階段の終端までは窺えなかったが、見える範囲だけでも恐らくは二、三階層分の高さがある。なるほど、確かに「最短ルート」というのは嘘ではないようだ。だが――階段まで辿り着く為には、目の前の死者の群れをどうにかするしかない。


 だが、正攻法ではとても全てのアンデッドを倒す事は無理だろう。俺達三人の中ではアーシュの魔法が一番効果的だが、彼女の言葉通り数が数だけに全て倒すには魔力を使い果たす可能性があるし、あれだけの大群をまとめて焼き尽くすような大魔法を放てば、俺達にもその余波が届いてしまう。一度魔力を使い果たせば、アーシュは丸一日は戦力にならないし、自分達をも巻き込むような大魔法は、グンドルフという癒し手のいない今の俺達にとってはリスクが大き過ぎた。

 せめて俺の道具袋が有れば、対アンデッド用の装備も入っていたのだが……無いものはしょうがない。今は手持ちの武器で戦うしかない。愛用の短剣は業物わざものではあるが、魔力を帯びた物ではない為に亡霊ファントムには効かない。七本残っている矢の内、一本は破魔の力を秘めた金属・白銀ミスリル製の矢じりを使っているので、亡霊ファントム相手には最悪それを手持ち武器代わりにして戦うしかない。


「――さて、どうするかね諸君? 一か八か、強引に正面突破を狙うという手もあるが……生ける屍リビングデッドに捕まるか亡霊ファントムに憑りつかれた時点で万事休すになるな」

「それはかなりの博打ですわね……。ここは私が魔力を使い果たしてでも敵を殲滅する方が得策かも。ホワイト君はどう思う?」

「俺は……」


 俺達が手をこまねいている間にも、亡者の群れはじわりじわりとその距離を詰めてくる。ドナールの言うように一か八かの勝負に出るか、この先の魔法に対する備えが無くなるがアーシュに魔力を使い果たしてもらって切り抜けるか、それとも……。

 打開策が思い浮かばず、思わず天を仰いだ俺の視界に高い高い天井が飛び込んできた。俺の背丈の六倍以上はある、ここが地下迷宮である事を忘れてしまいそうな、高い天井が――。


「……そうか、まだ手はある!」

「ホワイト君、何か思いついたの!?」

「はい、少し地道な手段になりますが……この方法なら、アンデッドとの戦いを最小限に抑えられるはずです!」


 アーシュとドナールに思い付いた作戦を説明すると、二人は目を丸くして驚いた。それくらいに突飛なアイディアだが、今はこれに頼るしかない。騎士様にも魔術師様にも思いつかないであろう、元盗賊の俺らしい実に姑息な作戦なのだが……それが結局、俺達の命を繋ぐ事になった。

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