2.目覚めれば、暗闇
目覚めるとそこは漆黒の空間――完全なる暗闇だった。全身には鈍い痛み、体の下には冷たい石畳の感触、頭は軽い
ゆっくりと体を起こすが、当然の事ながら前も後ろも、右も左も分からない。ただ、僅かに感じる空気の流れだけが、自分がまだ生きているという事を実感させた。そっと前後左右に手を伸ばすが、届く範囲で手に触れるものは無い。
「まずは灯りを」と思い至った時、ようやく自分が灯りになるものを持っている事を思いだした。それは――。
『
俺が唱えた
――そう、「落ちてきた」のだ。輝石の光が周囲を淡く照らすように、靄のかかっていた俺の記憶も少しずつはっきりしてきていた。一つずつ現状を把握していこう。
まず、名前。俺の名前は……ホワイトだ。本名以上に馴染んだ、元々は盗賊としての通り名だ。次に、俺は何者か……親代わりでもある騎士アインの従者――旅の仲間だ。そう、俺は彼の旅に同行して、そして……仲間と共に「地下迷宮」に挑戦した。それから――駄目だ、まだ記憶が混乱している。それに、このままここで立ち止まっていても仕方ない。俺にはアイン達仲間がいた事は確かだ。もしかするとこの辺りに彼らもいるのかもしれない。彼らを探しつつ、少しずつ記憶を整理しよう。
輝石の光を頼りに、少しずつ慎重に歩を進める。迷宮の中には、屈強な魔物達が跳梁跋扈していたはずだ。最下層を目指すまでにその殆どは倒してきたはずだが、まだ生き残りがいないとは限らない――そうだ、自分達は最下層を目指していた、そして辿り着いたはずだった。では、その先は?
――邪悪なる魔導師ヴァルドネル。迷宮の主である奴の居室に、俺達は辿り着いた……はずだ。複雑に入り組んだ通路を辿り、屈強な魔物達を
ヴァルドネルは何やらアインと問答をしていたような気がする。……そうだ、魔物に人を襲わせるのは人間の繁栄の為だとかなんとか、まるっきり狂人の論理でしかない妄言を吐いていた気がする。話し合いが無理だと判断した俺達は、奴に戦いを挑んだんだ――。
***
アイン達が突撃を開始するのと同時に、ヴァルドネルも動き出していた。
『
ヴァルドネルの唱えた
更に、奴は自分の指から指輪を一つ抜き取るとそれを床に放った。床を転がった指輪は魔力の輝きを放ち、その中から人型の何者かが姿を現す。それは――。
「何てこと!? あれは
アーシュの言葉通り、そこに現れたのは水晶の体を持つ
「気を付けて!
「気を付けろったって、自慢の愛刀が通じないと言われちゃおじさんお手上げなんだが……」
アーシュの助言に、大太刀を得物とするダリルが苦笑を漏らす。鋼鉄さえも切り裂くダリルの腕前はアーシュもよく知っているはずだが、恐らくはそれを踏まえた上での言葉なのだろう。
「……水晶と言うやつはひっかき傷には滅法強いが、衝撃には案外脆いはずだ。――ドナール卿! グンドルフ司祭!」
アインの言葉に無言で頷き返し、ドナールとグンドルフが
『清らかなる乙女、水の精霊よ――二人を守って!』
『
リサの召喚した水の精霊が分厚い水の壁となって火球とアイン達の間にそびえ立ち、更にアーシュの「
そして今回もその鉄壁振りは健在だったようだ。水の壁で勢いを殺された火球はアインとダリルの身に降り注ぐが、二人ともに髪の毛が少し焦げた程度で済んでいた。「熱っ! 自慢の髪型が台無しだぜ!」というダリルの声はきっと軽口だろう……本当に熱かったのかもしれないが。
「火球」の魔法を凌がれたヴァルドネルは次なる魔法を繰り出すべく何か呪文の詠唱を始めるが――遅い。既に肉薄していたアインとダリルが奴に襲い掛かる。まずはダリルの疾風の如き斬撃が弧を描く――だが、その斬撃は何か光の壁のようなものでヴァルドネルに届く前に遮られた。恐らくは「
だが、ダリルの一撃を防いだところに、間髪入れずアインの剣が打ち込まれる。今度も光の壁が斬撃の前に立ちはだかるが……その後が違った。ヴァルドネルの「
――アイン愛用の両手剣は、以前俺達が踏破した古代遺跡で発見した魔法の剣だ。その能力は「あらゆる防御魔法を打ち消す」というものだ。直接刃が触れた部分だけにしか作用しないが、アインの力量をもってすればそれも欠点とはならない。
「ヴァルドネル、覚悟!」
多少芝居がかった掛け声とともに、アインの剣が袈裟斬りに振りぬかれる。それは見事にヴァルドネルの体を引き裂いたかに見えたが、寸前の所でヴァルドネルは背後に大きく跳躍し、難を逃れていた。非力な魔導師かと思いきや、中々に身軽だった。――だが、宙に舞ったその身体は隙だらけであり、俺はその隙を見逃す程マヌケではなかった。引き絞っていた左手の仕込み弓から矢を……放つ!
――矢は、ヴァルドネルの着地点へと過たず飛んでいく。ヴァルドネルが着地するその瞬間、矢は命中するはずだ。だが、ヴァルドネルはそれを意にも介さないだろう。奴の「
俺の読み通り、ヴァルドネルは飛来する矢に気付きつつも意に介する事無く着地した。同時に、俺の放った矢が着弾しヴァルドネルの「
――俺の放った矢、その矢じりに使っていたのは魔力を浴びると激しい閃光を放ちながら破裂する「
「何!?」
狙い通り、流石のヴァルドネルも突然の閃光と炸裂音に思わず声を上げ、一瞬その動きが止まる。その一瞬の隙を突いて、アインは再びヴァルドネルに突撃し肉薄していた。そして――。
「ふん!」
今度は芝居がかった掛け声も無く、ただ気合いの叫びと共にアインの剣が突き出される。突撃の勢いを乗せて放たれた刺突は、見事にヴァルドネルの胸を貫いた。
「や、やった!」
思わず歓声を上げた俺は他の仲間達と喜びを分かち合おうと目を向けたが……そこに映ったのは
「や、やべ!」
ヴァルドネルを倒した喜びを分かち合う前に、皆に死なれては元も子もない。俺は四人を援護すべく駆けだした。
――数分後、俺の特殊ワイヤーでぐるぐる巻きにする事で
「ふう、助かったぞホワイト君。危うくヴァルドネルではなくその護衛如きにやられるところだった……」
ドナールが心底ほっとしたような顔で漏らす。
「いや、護衛の方が強い事も多いですから……」
あまりフォローになっていない気もするが、実際、この
「魔導師ヴァルドネル、何か言い残す事はあるか?」
今はアインの足下に倒れ伏していた。流石の魔導師も胸板を貫かれては無事では済まなかったようで、既に虫の息だ。アインはそれを看取るつもりなのか、末期の言葉が無いか尋ねていた。
「――見事だ、強き者達よ。よくぞ我を打ち倒した……。私の死と共にこの迷宮もその役割を終える……魔物達がここより地上へ溢れ出す事ももうない。この地下深くで永久の眠りにつくだろう……。汝らは、地下一階の始まりの魔法陣――汝らが初めてこの『地下迷宮』に降り立った、その場所へ戻るがいい。魔法陣は汝らを地上へと戻した後、やはり眠りにつく。ただし――」
最後に何か一言残して、古代王国の魔導師ヴァルドネルは息絶えた。
「ただし――だと?」
「アイン? どうかしたのか?」
ヴァルドネルの最後の一言、俺は聞き取れなかったが、どうやらアインはきちんと聞き取れていたようだ。だが、アインの様子が何かおかしい。一体どうしたのかともう一度尋ねようとした時、突然「ズシン!」という振動が全身を襲った。
「な、なんだ!?」
あまりの振動に普段は豪胆に構えているダリルも慌てふためき辺りを窺う。その間にも振動は一度、二度と襲い掛かり、次第にその間隔を狭めつつあった。天井からは砂埃も降り始めている。
「――まずいぞ、皆、急いで上層へ逃げるぞ!」
「え? どういう事?」
「いいから急げ!」
リサの問いにも答えず、アインは仲間達を促して走り出す。訳が分からなかったが、仕方なく俺もその後を追う。
「おいアイン、一体どうしたんだ? ヴァルドネルは最後に何か言ったのか?」
走りながらアインに問うと、アインは青ざめた表情でこう答えた。
「ヴァルドネルは最後にこう言ったんだ。『ただし、汝らが辿り着ければな』と」
――その瞬間、仲間達の誰もがアインが何を恐れて脱出を急がせたのかを悟った。ヴァルドネルの言葉、「地下迷宮」を襲う謎の振動。その二つが示すものは――。
「この迷宮は、崩壊する!」
***
――思い出した。そうだ、俺達はヴァルドネルを倒したが、その後この「地下迷宮」が崩壊する事を悟って急いで脱出を図ったんだ。でも、何階層か上がった時に、今までで一番の振動が襲って来て、それで――。
体中が痛むのは迷宮の崩壊によりかなりの高さを落下してきたからだろう。確か、走っていた床がいきなり崩れて皆で落下していったんだ。むしろ、瓦礫の下敷きにならなかっただけ運がいいのだろうが……。
しかし、分からないのは俺が倒れていた周囲に瓦礫の類が見当たらなかった事だ。もちろん、他の仲間達がいた形跡すらなかった。あれだけ派手に崩壊したのだから、瓦礫の量も相当なものだろうに。
――しばらくまっすぐ進んでいるが、未だに分かれ道にも行き止まりにも辿り着かない。三日間、この「地下迷宮」を散々彷徨いその構造を頭に叩き込んでいたつもりだったが、ここが何階層目のどこら辺なのか、皆目見当が付かなかった。頭がまだ混乱しているのか、それとも……。
「――!? 『
その時、向かう先にかすかに何者かの気配を感じた俺は、急いで輝石の灯りを消す
相手が魔物の類だった時の事を考え、急ぎ武装を確認する。腰には愛用の短剣、左手の手甲に仕込んだ小型弓はとりあえず無事のようだが、きちんと動くかは分からない。矢の残りは七本。弓が壊れていた場合、いざとなったら
特殊ワイヤーは先端に分銅を取り付けたものと鉤爪を取り付けたものの二本があるのだが、今回は戦闘になった際に鈍器としても使える分銅の方を準備しておいた方がいいだろう。収納ボックスのロックを解除し、ワイヤーを引き出す。僅かに抵抗を感じるのは、ワイヤーを引き出すと中のゼンマイが巻かれ、スイッチ一つでワイヤーが巻き戻る仕組みになっている為だ。知り合いのドワーフの名工に作ってもらったもので、何度もこいつに命を救われてきた、言ってみれば相棒のような道具だった。
――金属音がより近くなってくると、同じ方から薄ぼんやりとした光も近付いてきている事に気付いた。色合いからすると、松明やランプの類ではなく魔法の光のようにも見えるが……? 更に息を潜めて待つと、段々とその光――灯りの主の姿がはっきりとしてきた。やけに大きく角ばったシルエットと、俺よりも少し小柄な全体的にダボっとしたそれでいて女性的なシルエット。これはもしかすると……。
「――そこにいるのは、もしかしてドナール卿とアーシュさんですか?」
「――ヒッ! ……って、その声、ホワイト君?」
「おお、ホワイト君か! 無事でよかった!」
現れたのは、騎士ドナールと魔術師アーシュの二人だった。灯りはアーシュの魔法の杖から発せられていたが、やけに弱々しい光量なのは俺と同じように魔物に見つかる事を警戒してのものらしい。よくみればドナールは全身傷だらけで自慢の鎧もあちこちへこんだり汚れたりしていて見る影もない。対して、アーシュの方は一見すると無傷なように見えた。
「他の人達は……?」
控えめに訪ねてくるアーシュに俺は静かに首を振り、目覚めると一人だった事を説明する。
「……そう。私は床が崩落した時、丁度ドナール様と同じ辺りにいて咄嗟に庇ってもらったの。そのまま落下していったのだけれど、ドナール様が守ってくれたおかげで私は無傷。でも、ドナール様は見ての通り……本当にごめんなさい」
「なんのなんの、アーシュ殿のような才媛を守ってのものならば騎士としてこれ以上ない名誉の負傷よ!」
「ハッハッハ」と朗らかに笑うドナールだったが、その怪我は決して軽いものではない。早々に手当てしないと悪化するかもしれない。急ぎ手当てした方がいい、と治療道具を取り出そうと背負い袋に手を伸ばした所でようやく気が付いた――食料や治療道具、その他諸々の便利道具を入れてあった背負い袋が、無い。どうやら床の崩落に巻き込まれた時にどこかへ落としてしまったらしい。見ると、ドナールとアーシュの二人も荷物の類を持っていない。二人とも少なからず冒険用の荷物を持っていたはずだが……これは思った以上にやばい状況かもしれない。
「……とりあえず、ドナール卿、傷の手当てをしましょう。荷物が無くなっちまったんで大した事は出来ませんが、せめて傷口を綺麗にしておかないと後で膿んだり腫れたりしてくるかもしれません」
「すまんな、お言葉に甘えるとしよう」
言うが早いか、ドナールはその場にどっしりと腰を下ろした。恐らく、今まではアーシュを守ろうと――もしくは自分のせいで怪我をしてしまったと気に病まぬようにと――辛いのを我慢していたのだろう。見ればその額にはじっとりと汗をかいていた。幸い出血は止まっていたが、傷口が大分汚れている。このまま放置すれば化膿するか、酷い場合は破傷風にもなりかねない。まずは清浄な水で傷口を洗い流すのが先決だ。
ベルトに括りつけた道具類を探ると、幸いな事に非常食袋と水袋は失くしていなかった。特に水袋は重要だ。灯り用のペンダントと同じく、これも魔法の道具の一つだった。
『
水袋の蓋を開け
水袋の中身が十分になった所で、一旦中身を手に注ぎ一舐めする――水質は上々、これならば傷口の洗浄に使っても問題ないだろう。
ドナールの傷口を洗い流しながら聞いた所によると、二人がやって来た方の通路は途中が瓦礫で埋まってしまっていて行き止まりになっているのだという。俺が倒れていた場所と同じく、天井には大きな穴が空いていたらしいが、瓦礫が詰まっているらしくそこから上には行けなさそうだとの事だ。となると、俺がやって来たのとは逆方向に行くしかない訳だが……そちらも行き止まりだったら、いよいよジ・エンドだ。そんな事態は御免被りたいものだが。
なんにせよまずは、他の仲間達との合流を急ぐべきだろう。アイン、リサ、グンドルフ、ダリル……。彼らは無事だろうか? 中でも心配なのはリサだ。卓越した精霊使いとは言え、体格的にも体力的にもこういった状況に一番不向きなのは彼女だ。負けん気の強い娘だが、年相応の弱さも持っている事を俺はよく知っている。ある意味、アインよりも先に見つけ出すべきなのは彼女だとも言える。
――ドナールの手当てを終えた俺達は、お互いの所持品を確認し合った。幸いにして三人とも戦闘に必要な装備の大概は失くしていなかったが、やはり問題は食料だった。結局、俺が腰にぶら下げていた非常食――申し訳程度の干し肉――だけが俺達に残された食料らしい。今自分達がいるのが何階層目のどこなのかもわからない状況で、これは致命的だった。何せ、俺達は最下層に辿り着くまでに三日を要しているのだ。もし他の階層も崩壊により様変わりしていたら、それ以上の日数を脱出に要するかもしれない。……もちろん、それさえも「脱出が可能ならば」という前提においての話なのだが。
「さて、いつまでもここにいても仕方ないし、そろそろ行きますか」
「うむ」
「そうね、早く皆と合流しないと」
俺の言葉にドナールとアーシュが頷く。ドナールは傷を洗浄した甲斐があったのか、先程までよりは顔色が良い様だった。アーシュはいつの間にか眼鏡をかけているが、これは確か探知の魔力が込められた魔法の道具だったはずだ。常に魔力を消耗するので普段は使っていないものらしいが、今は何が起こるか分からない状況だ、警戒し過ぎるに越した事は無い。
こうして、元盗賊の俺ことホワイト、騎士ドナール、魔術師アーシュの三人は、崩壊した迷宮の中、仲間達の姿を求めて歩き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます