2.目覚めれば、暗闇

 目覚めるとそこは漆黒の空間――完全なる暗闇だった。全身には鈍い痛み、体の下には冷たい石畳の感触、頭は軽いもやに包まれたように混乱しており、ここがどこなのか、自分が誰なのかも定かではない。

 ゆっくりと体を起こすが、当然の事ながら前も後ろも、右も左も分からない。ただ、僅かに感じる空気の流れだけが、自分がまだ生きているという事を実感させた。そっと前後左右に手を伸ばすが、届く範囲で手に触れるものは無い。

 「まずは灯りを」と思い至った時、ようやく自分が灯りになるものを持っている事を思いだした。それは――。


光よラ・ルース


 俺が唱えた古代語エンシェントに反応して、首から下げた魔法のペンダントの輝石が白く淡い光を放ち始めた。眩しさに瞬きしつつ周囲を見渡すと、どうやらどこか広い通路のただ中に倒れ伏していたらしい。左右のやや離れた所に石造りの壁があり、前後は輝石の光が届かぬ先まで通路が伸びているようだった。頭上を照らすとやはり石造りの天井が広がっていたが、その部分にぽっかりと黒い穴が穿たれていた。丁度、俺が倒れていた所の真上だ。もしかすると、ここから落ちてきたのかもしれない。


 ――そう、「落ちてきた」のだ。輝石の光が周囲を淡く照らすように、靄のかかっていた俺の記憶も少しずつはっきりしてきていた。一つずつ現状を把握していこう。

 まず、名前。俺の名前は……ホワイトだ。本名以上に馴染んだ、元々は盗賊としての通り名だ。次に、俺は何者か……親代わりでもある騎士アインの従者――旅の仲間だ。そう、俺は彼の旅に同行して、そして……仲間と共に「地下迷宮」に挑戦した。それから――駄目だ、まだ記憶が混乱している。それに、このままここで立ち止まっていても仕方ない。俺にはアイン達仲間がいた事は確かだ。もしかするとこの辺りに彼らもいるのかもしれない。彼らを探しつつ、少しずつ記憶を整理しよう。


 輝石の光を頼りに、少しずつ慎重に歩を進める。迷宮の中には、屈強な魔物達が跳梁跋扈していたはずだ。最下層を目指すまでにその殆どは倒してきたはずだが、まだ生き残りがいないとは限らない――そうだ、自分達は最下層を目指していた、そして辿はずだった。では、その先は?

 ――邪悪なる魔導師ヴァルドネル。迷宮の主である奴の居室に、俺達は辿り着いた……はずだ。複雑に入り組んだ通路を辿り、屈強な魔物達をほふり、何層ものフロアを抜け、やっと辿り着いた最下層。物々しい、まるで物語の「魔王の城」にでもありそうな不気味な大扉の向こう、地下迷宮の中とは思えないほど立派な広間の真ん中で、奴は――ヴァルドネルは俺達を待ち構えていた。

 ヴァルドネルは何やらアインと問答をしていたような気がする。……そうだ、魔物に人を襲わせるのは人間の繁栄の為だとかなんとか、まるっきり狂人の論理でしかない妄言を吐いていた気がする。話し合いが無理だと判断した俺達は、奴に戦いを挑んだんだ――。



   ***



 アイン達が突撃を開始するのと同時に、ヴァルドネルも動き出していた。

炎よフエゴ!』

 ヴァルドネルの唱えた古代語エンシェントにより、無数の火球が奴の頭上に出現する――「火球ファイアボール」の魔法だ。古代語魔法としては中級の部類に入るものだが、奴はたった一度の詠唱で無数の火球を生み出していた。それだけで奴の魔術師としての力量が段違いである事が分かる。

 更に、奴は自分の指から指輪を一つ抜き取るとそれを床に放った。床を転がった指輪は魔力の輝きを放ち、その中から人型の何者かが姿を現す。それは――。


「何てこと!? あれは水晶の巨兵クリスタルゴーレムよ! 巨兵ゴーレムの中でも最上級と言われる……現代ではもうその製法は失われている幻の存在よ!」

 アーシュの言葉通り、そこに現れたのは水晶の体を持つ巨兵ゴーレムだった。ここまでの道中、木の巨兵ウッドゴーレム石の巨兵ストーンゴーレムとは戦ってきたが、こいつは全くの初見だった。

「気を付けて! 水晶の巨兵クリスタルゴーレムの強靭な体は刃物も魔法も効き難いと伝えられているわ!」

「気を付けろったって、自慢の愛刀が通じないと言われちゃおじさんお手上げなんだが……」

 アーシュの助言に、大太刀を得物とするダリルが苦笑を漏らす。鋼鉄さえも切り裂くダリルの腕前はアーシュもよく知っているはずだが、恐らくはそれを踏まえた上での言葉なのだろう。

「……水晶と言うやつはひっかき傷には滅法強いが、衝撃には案外脆いはずだ。――ドナール卿! グンドルフ司祭!」

 アインの言葉に無言で頷き返し、ドナールとグンドルフが水晶の巨兵クリスタルゴーレムの前に立ちはだかる。グンドルフの得物は戦槌――つまりは鈍器だ。アインの言葉が確かならば、相性はいいはず。ドナールの得物は片手剣ロングソードだが、左手に持つ大盾は防具であると同時に実は武器でもある。その重量と丈夫さで幾多の魔物達を薙ぎ払い、押し潰してきた。

 水晶の巨兵クリスタルゴーレムを二人に任せ、アインとダリルはそのままヴァルドネルへと肉薄する。だがそこへ、ヴァルドネルの「火球」の魔法が襲い掛かる。無数の火球が迫るが、彼らに焦りは無い。何故ならば――。


『清らかなる乙女、水の精霊よ――二人を守って!』

耐火の衣よトゥラヘ・デ・レフラクタリオ!』

 リサの召喚した水の精霊が分厚い水の壁となって火球とアイン達の間にそびえ立ち、更にアーシュの「耐火防御レジストファイア」の魔法が二人の身を守る。敵の火炎系攻撃に対する鉄壁の防御パターンだ。水の精霊により火の勢いを殺ぎ、殺しきれぬ火勢も「耐火防御」の魔力で守られた二人の身を焦がすには至らない――道中苦戦した小型竜レッサードラゴンの「炎の息」もこの連携で防いだ事がある。

 そして今回もその鉄壁振りは健在だったようだ。水の壁で勢いを殺された火球はアインとダリルの身に降り注ぐが、二人ともに髪の毛が少し焦げた程度で済んでいた。「熱っ! 自慢の髪型が台無しだぜ!」というダリルの声はきっと軽口だろう……本当に熱かったのかもしれないが。


 「火球」の魔法を凌がれたヴァルドネルは次なる魔法を繰り出すべく何か呪文の詠唱を始めるが――遅い。既に肉薄していたアインとダリルが奴に襲い掛かる。まずはダリルの疾風の如き斬撃が弧を描く――だが、その斬撃は何か光の壁のようなものでヴァルドネルに届く前に遮られた。恐らくは「魔法の盾マジックシールド」の魔法だが、ダリルの大太刀は並の魔法防御ならば容易く切り裂く逸品だ、それを完全に弾くとは、流石は古代の魔導師と言った所か。

 だが、ダリルの一撃を防いだところに、間髪入れずアインの剣が打ち込まれる。今度も光の壁が斬撃の前に立ちはだかるが……その後が違った。ヴァルドネルの「魔法の盾マジックシールド」の光に呼応するように、アインの剣が白く輝き出す。白き輝きはヴァルドネルの「魔法の盾マジックシールド」の光を侵食するように打ち消し始める。

――アイン愛用の両手剣は、以前俺達が踏破した古代遺跡で発見した魔法の剣だ。その能力は「あらゆる防御魔法を打ち消す」というものだ。直接刃が触れた部分だけにしか作用しないが、アインの力量をもってすればそれも欠点とはならない。


「ヴァルドネル、覚悟!」

 多少芝居がかった掛け声とともに、アインの剣が袈裟斬りに振りぬかれる。それは見事にヴァルドネルの体を引き裂いたかに見えたが、寸前の所でヴァルドネルは背後に大きく跳躍し、難を逃れていた。非力な魔導師かと思いきや、中々に身軽だった。――だが、宙に舞ったその身体は隙だらけであり、俺はその隙を見逃す程マヌケではなかった。引き絞っていた左手の仕込み弓から矢を……放つ!

 ――矢は、ヴァルドネルの着地点へと過たず飛んでいく。ヴァルドネルが着地するその瞬間、矢は命中するはずだ。だが、ヴァルドネルはそれを意にも介さないだろう。奴の「魔法の盾マジックシールド」は強固であり、小型の弓矢程度の攻撃ではビクともしないはず……しかし、それこそが俺の狙いだった。

 俺の読み通り、ヴァルドネルは飛来する矢に気付きつつも意に介する事無く着地した。同時に、俺の放った矢が着弾しヴァルドネルの「魔法の盾マジックシールド」に遮られる――その瞬間、激しい閃光と炸裂音が辺りに広がった。

 ――俺の放った矢、そのに使っていたのは魔力を浴びると激しい閃光を放ちながら破裂する「魔硝石ましょうせき」と呼ばれる特殊な鉱石だった。破裂と言っても殺傷力は無きに等しい、ただ派手な音がするだけでにしかならない……だが、実戦ではそのこけおどしこそが有効な場合もある。屈強な戦士も超常の魔術師も、その目や耳は普通の人間のものだ。強力な鎧や「魔法の盾マジックシールド」は剣や槍は防げても、閃光や音は防げない。そして人間は、強過ぎる光や音を突然浴びせられると反射的に委縮してしまうものだ。例えそれが、古代から生き続ける伝説の魔導師だったとしても――。


「何!?」

 狙い通り、流石のヴァルドネルも突然の閃光と炸裂音に思わず声を上げ、一瞬その動きが止まる。その一瞬の隙を突いて、アインは再びヴァルドネルに突撃し肉薄していた。そして――。


「ふん!」

 今度は芝居がかった掛け声も無く、ただ気合いの叫びと共にアインの剣が突き出される。突撃の勢いを乗せて放たれた刺突は、見事にヴァルドネルの胸を貫いた。


「や、やった!」

 思わず歓声を上げた俺は他の仲間達と喜びを分かち合おうと目を向けたが……そこに映ったのは水晶の巨兵クリスタルゴーレムに追い詰められ死に体同然のドナールとグンドルフ、そして魔法の効かぬ相手に無駄と知りつつも立ち向かおうとするリサとアーシュの姿だった。

「や、やべ!」

 ヴァルドネルを倒した喜びを分かち合う前に、皆に死なれては元も子もない。俺は四人を援護すべく駆けだした。


 ――数分後、俺の特殊ワイヤーでぐるぐる巻きにする事で水晶の巨兵クリスタルゴーレムの動きを封じ、それをアーシュの魔法で強化したグンドルフの戦槌とドナールの大盾が砕く事で、ようやく戦いは終わった。流石はドワーフの名工の手による特殊鋼製ワイヤーだ、巨兵の怪力でもこいつを引きちぎる事は出来なかったらしい。

「ふう、助かったぞホワイト君。危うくヴァルドネルではなくその護衛如きにやられるところだった……」

 ドナールが心底ほっとしたような顔で漏らす。

「いや、護衛の方が強い事も多いですから……」

 あまりフォローになっていない気もするが、実際、この水晶の巨兵クリスタルゴーレムはかなりの強敵だった。下手をするとドラゴンよりも強かったのではないだろうか? 流石、ヴァルドネルが手ずから使役しているだけの事はあった。……そのヴァルドネルだが――。


「魔導師ヴァルドネル、何か言い残す事はあるか?」

 今はアインの足下に倒れ伏していた。流石の魔導師も胸板を貫かれては無事では済まなかったようで、既に虫の息だ。アインはそれを看取るつもりなのか、末期の言葉が無いか尋ねていた。

「――見事だ、強き者達よ。よくぞ我を打ち倒した……。私の死と共にこの迷宮もその役割を終える……魔物達がここより地上へ溢れ出す事ももうない。この地下深くで永久の眠りにつくだろう……。汝らは、地下一階の始まりの魔法陣――汝らが初めてこの『地下迷宮』に降り立った、その場所へ戻るがいい。魔法陣は汝らを地上へと戻した後、やはり眠りにつく。ただし――」

 最後に何か一言残して、古代王国の魔導師ヴァルドネルは息絶えた。


「ただし――だと?」

「アイン? どうかしたのか?」

 ヴァルドネルの最後の一言、俺は聞き取れなかったが、どうやらアインはきちんと聞き取れていたようだ。だが、アインの様子が何かおかしい。一体どうしたのかともう一度尋ねようとした時、突然「ズシン!」という振動が全身を襲った。


「な、なんだ!?」

 あまりの振動に普段は豪胆に構えているダリルも慌てふためき辺りを窺う。その間にも振動は一度、二度と襲い掛かり、次第にその間隔を狭めつつあった。天井からは砂埃も降り始めている。


「――まずいぞ、皆、急いで上層へ逃げるぞ!」

「え? どういう事?」

「いいから急げ!」

 リサの問いにも答えず、アインは仲間達を促して走り出す。訳が分からなかったが、仕方なく俺もその後を追う。

「おいアイン、一体どうしたんだ? ヴァルドネルは最後に何か言ったのか?」

 走りながらアインに問うと、アインは青ざめた表情でこう答えた。

「ヴァルドネルは最後にこう言ったんだ。『ただし、汝らが辿り着ければな』と」


 ――その瞬間、仲間達の誰もがアインが何を恐れて脱出を急がせたのかを悟った。ヴァルドネルの言葉、「地下迷宮」を襲う謎の振動。その二つが示すものは――。


「この迷宮は、崩壊する!」



   ***



 ――思い出した。そうだ、俺達はヴァルドネルを倒したが、その後この「地下迷宮」が崩壊する事を悟って急いで脱出を図ったんだ。でも、何階層か上がった時に、今までで一番の振動が襲って来て、それで――。


 体中が痛むのは迷宮の崩壊によりかなりの高さを落下してきたからだろう。確か、走っていた床がいきなり崩れて皆で落下していったんだ。むしろ、瓦礫の下敷きにならなかっただけ運がいいのだろうが……。

 しかし、分からないのは俺が倒れていた周囲に瓦礫の類が見当たらなかった事だ。もちろん、他の仲間達がいた形跡すらなかった。あれだけ派手に崩壊したのだから、瓦礫の量も相当なものだろうに。


 ――しばらくまっすぐ進んでいるが、未だに分かれ道にも行き止まりにも辿り着かない。三日間、この「地下迷宮」を散々彷徨いその構造を頭に叩き込んでいたつもりだったが、ここが何階層目のどこら辺なのか、皆目見当が付かなかった。頭がまだ混乱しているのか、それとも……。

「――!? 『消えろアパガール』」

 その時、向かう先にかすかに何者かの気配を感じた俺は、急いで輝石の灯りを消す古代語エンシェントを唱えた。瞬間、魔法の首飾りの輝石は光を失い、再び辺りは闇に包まれる。そのままその場にうずくまり、じっと身を潜め耳を澄ますと、やや離れた場所から「ガチャリ、ガチャリ」という金属同士が擦れ合うような音が聞こえてきた。音だけで判断すれば、鎧を着こんだ何者かが蠢く音にも聞こえるが、それが人間のものかどうかは定かではない。

 相手が魔物の類だった時の事を考え、急ぎ武装を確認する。腰には愛用の短剣、左手の手甲に仕込んだ小型弓はとりあえず無事のようだが、きちんと動くかは分からない。矢の残りは七本。弓が壊れていた場合、いざとなったら手投げ矢ダーツのように使う事も出来るが、威力は大幅に下がる。一番頼りになる二本の特殊ワイヤーは健在。腰の収納ボックスに収まっているが、よもや絡まっているなんてことがない事を祈るばかりだ。

 特殊ワイヤーは先端に分銅を取り付けたものと鉤爪を取り付けたものの二本があるのだが、今回は戦闘になった際に鈍器としても使える分銅の方を準備しておいた方がいいだろう。収納ボックスのロックを解除し、ワイヤーを引き出す。僅かに抵抗を感じるのは、ワイヤーを引き出すと中のゼンマイが巻かれ、スイッチ一つでワイヤーが巻き戻る仕組みになっている為だ。知り合いのドワーフの名工に作ってもらったもので、何度もこいつに命を救われてきた、言ってみれば相棒のような道具だった。


 ――金属音がより近くなってくると、同じ方から薄ぼんやりとした光も近付いてきている事に気付いた。色合いからすると、松明やランプの類ではなく魔法の光のようにも見えるが……? 更に息を潜めて待つと、段々とその光――灯りの主の姿がはっきりとしてきた。やけに大きく角ばったシルエットと、俺よりも少し小柄な全体的にダボっとしたそれでいて女性的なシルエット。これはもしかすると……。


「――そこにいるのは、もしかしてドナール卿とアーシュさんですか?」

「――ヒッ! ……って、その声、ホワイト君?」

「おお、ホワイト君か! 無事でよかった!」

 現れたのは、騎士ドナールと魔術師アーシュの二人だった。灯りはアーシュの魔法の杖から発せられていたが、やけに弱々しい光量なのは俺と同じように魔物に見つかる事を警戒してのものらしい。よくみればドナールは全身傷だらけで自慢の鎧もあちこちへこんだり汚れたりしていて見る影もない。対して、アーシュの方は一見すると無傷なように見えた。

「他の人達は……?」

 控えめに訪ねてくるアーシュに俺は静かに首を振り、目覚めると一人だった事を説明する。

「……そう。私は床が崩落した時、丁度ドナール様と同じ辺りにいて咄嗟に庇ってもらったの。そのまま落下していったのだけれど、ドナール様が守ってくれたおかげで私は無傷。でも、ドナール様は見ての通り……本当にごめんなさい」

「なんのなんの、アーシュ殿のような才媛を守ってのものならば騎士としてこれ以上ない名誉の負傷よ!」

 「ハッハッハ」と朗らかに笑うドナールだったが、その怪我は決して軽いものではない。早々に手当てしないと悪化するかもしれない。急ぎ手当てした方がいい、と治療道具を取り出そうと背負い袋に手を伸ばした所でようやく気が付いた――食料や治療道具、その他諸々の便利道具を入れてあった背負い袋が、無い。どうやら床の崩落に巻き込まれた時にどこかへ落としてしまったらしい。見ると、ドナールとアーシュの二人も荷物の類を持っていない。二人とも少なからず冒険用の荷物を持っていたはずだが……これは思った以上にやばい状況かもしれない。


「……とりあえず、ドナール卿、傷の手当てをしましょう。荷物が無くなっちまったんで大した事は出来ませんが、せめて傷口を綺麗にしておかないと後で膿んだり腫れたりしてくるかもしれません」

「すまんな、お言葉に甘えるとしよう」

 言うが早いか、ドナールはその場にどっしりと腰を下ろした。恐らく、今まではアーシュを守ろうと――もしくは自分のせいで怪我をしてしまったと気に病まぬようにと――辛いのを我慢していたのだろう。見ればその額にはじっとりと汗をかいていた。幸い出血は止まっていたが、傷口が大分汚れている。このまま放置すれば化膿するか、酷い場合は破傷風にもなりかねない。まずは清浄な水で傷口を洗い流すのが先決だ。

 ベルトに括りつけた道具類を探ると、幸いな事に非常食袋と水袋は失くしていなかった。特に水袋は重要だ。灯り用のペンダントと同じく、これも魔法の道具の一つだった。

水よアグア

 水袋の蓋を開け古代語エンシェントを唱えると、秘められた魔力が発動した。この水袋に込められた魔力は「魔力を水に変換する」というものだ。所謂「真水生成クリエイトウォーター」の魔法と同じものだが、魔力の消費が非常に少なく、また生成される水も通常のものより遥かに清浄なものなのが特徴だ。なんでも、古代王国期に造られた古代語魔法と精霊魔法の合わせ技らしいが……その詳しい仕組みは実は良く分からない。アインの魔法の剣と同じく、さる古代遺跡で手に入れた代物だ。

 水袋の中身が十分になった所で、一旦中身を手に注ぎ一舐めする――水質は上々、これならば傷口の洗浄に使っても問題ないだろう。


 ドナールの傷口を洗い流しながら聞いた所によると、二人がやって来た方の通路は途中が瓦礫で埋まってしまっていて行き止まりになっているのだという。俺が倒れていた場所と同じく、天井には大きな穴が空いていたらしいが、瓦礫が詰まっているらしくそこから上には行けなさそうだとの事だ。となると、俺がやって来たのとは逆方向に行くしかない訳だが……そちらも行き止まりだったら、いよいよジ・エンドだ。そんな事態は御免被りたいものだが。

 なんにせよまずは、他の仲間達との合流を急ぐべきだろう。アイン、リサ、グンドルフ、ダリル……。彼らは無事だろうか? 中でも心配なのはリサだ。卓越した精霊使いとは言え、体格的にも体力的にもこういった状況に一番不向きなのは彼女だ。負けん気の強い娘だが、年相応の弱さも持っている事を俺はよく知っている。ある意味、アインよりも先に見つけ出すべきなのは彼女だとも言える。


 ――ドナールの手当てを終えた俺達は、お互いの所持品を確認し合った。幸いにして三人とも戦闘に必要な装備の大概は失くしていなかったが、やはり問題は食料だった。結局、俺が腰にぶら下げていた非常食――申し訳程度の干し肉――だけが俺達に残された食料らしい。今自分達がいるのが何階層目のどこなのかもわからない状況で、これは致命的だった。何せ、俺達は最下層に辿り着くまでに三日を要しているのだ。もし他の階層も崩壊により様変わりしていたら、それ以上の日数を脱出に要するかもしれない。……もちろん、それさえも「脱出が可能ならば」という前提においての話なのだが。


「さて、いつまでもここにいても仕方ないし、そろそろ行きますか」

「うむ」

「そうね、早く皆と合流しないと」

 俺の言葉にドナールとアーシュが頷く。ドナールは傷を洗浄した甲斐があったのか、先程までよりは顔色が良い様だった。アーシュはいつの間にか眼鏡をかけているが、これは確か探知の魔力が込められた魔法の道具だったはずだ。常に魔力を消耗するので普段は使っていないものらしいが、今は何が起こるか分からない状況だ、警戒し過ぎるに越した事は無い。


 こうして、元盗賊の俺ことホワイト、騎士ドナール、魔術師アーシュの三人は、崩壊した迷宮の中、仲間達の姿を求めて歩き出した。

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