3.迷宮の囚人

 俺達が崩壊した迷宮を彷徨い始めて、既に数刻が経過していた。幸いな事に、通路は一本道が続いており迷う事は無かったのだが、逆に言えば「この先がもし行き止まりだったなら為す術がない」という恐怖と隣り合わせの行軍でもあった。おまけに直線的だったのは途中までで、通路はやがて曲がりくねった姿を見せるようになり、俺達の方向感覚を狂わせた。一応、歩数を基にして俺達が合流した地点を中心にマッピングもしているのだが、正直、どこまで正確に自分達の現在位置を把握できているのか、実に怪しい所だった。


「……ねえ、ホワイト君。妙だとは思わない?」

「妙……って、何がですか?」

 アーシュの言葉に俺は首を傾げた。妙と言えばこの迷宮全体が妙なのだが……。

「今まで通ってきた場所に、一つでも見覚えのある場所があったかしら? 私達はこの三日間、隅々とまでは言わないけど、迷宮の大部分の探索を終えたはずよね? でも、これだけ長い距離を歩いているのに、未だに見覚えのある通路に一つも行き当たらない……」

「未知の階層に落ちてきた、という線はどうだね?」

 アーシュの後ろ、三人の殿を務めるドナールが控えめに口を開く。

「はい、それも考えたのですけれど……実は私、通路に見覚えは無いのだけれど、……」

「……どういう事です?」

 アーシュの謎めいた言葉に、俺はドナールと共に再び首を傾げる。

「――ここを見て」


 アーシュが壁の一部を指さす。石と石の間の隙間にカミソリ一枚入らないのではないか、という位に精緻に組み上げられた石壁だ。それが延々と続いているのだから、この迷宮を造り上げるのに一体どの程度の労力が費やされたのか、考えるだけただけでも頭がクラクラしてくる。

「この壁が、何か?」

「よく見て、ここの部分――焦げ跡みたいのが見えないかしら?」

 アーシュの言葉に、輝石の光を壁に向けて注意深く観察してみる。すると、確かにそこにはアーシュの言う通り、何か「焦げ跡」のように黒く煤けた円形に近い痕跡がいくつか見て取れた。

「最下層に辿り着く少し前、『生ける屍リビングデッド』の群れに襲われた時の事、覚えているかしら?」

「――忘れようとしても忘れられませんよ、あれ」


 ヴァルドネルが潜んでいた最下層に辿り着く、その少し前の出来事だ。俺達は、この迷宮に挑んだ冒険者達の成れの果て――と思しき生ける屍リビングデッドの群れに遭遇した。生ける屍リビングデッドというのは……有り体に言ってしまえば「動く死体」だ。生前の姿をある程度留めたまま、死霊魔術ネクロマンシーや呪いによって動かされている。そこには最早、人間としての意志は欠片も残っておらず、ただ生有る者の血肉を喰らう為に襲い掛かってくる、哀れな死者の群れだ。

 生ける屍リビングデッドというのは実に厄介な敵だ。元々が死体であるので痛みを感じず、ちょっとやそっとの損傷では動きが鈍る事が無い。一応、呪術の起点となっているらしい頭を破壊すれば動かなくなるのだが、それまでは腕がもげようが足がもげようが、お構いなしにこちらへ襲い掛かってくる。しかも、それらはなのだ。斬りつけて気持ちのいいものではない。

 更に最悪なのは、奴らが大概の場合「腐りかけ」状態な事だ。……実は、生ける屍リビングデッドと戦う上で一番厄介なのは奴らの発する腐敗臭にある。生き物の死体が発する腐敗臭というのは、中々に強烈だ。鼻を塞いでいても耐えきれない、得も言われぬ悪臭。一体だけでもかなりのものなのに、あの時はそれが十体近くいたのだ。さしもの英雄アイン様ご一行も、悪臭だけで心が折れそうになった。おまけにその時の生ける屍リビングデッド達は、ややを留めていたものだから、二重の意味で辛い状況だった。……そして仲間達の中に、それに耐えきれず錯乱してしまった奴が出てしまった――リサだ。

 すっかり理性を失ったリサは、周囲の声も聞かず炎の精霊を召喚し、生ける屍リビングデッドの群れに攻撃を始めてしまった。炎の精霊――見た目は人頭大の火の玉――は人間の激情を好むと言われるが、この時は逆上したリサの影響を受けたのかやけにくれて、いつもより遥かに大量の「炎のつぶてファイアボルト」を生ける屍リビングデッドの群れめがけて発射し続けた。

 ――確かに、大量の生ける屍リビングデッド相手に火を使うというのは定石ではあった。だが、それは地上など広い場所での話であり、地下迷宮の限られた空間の中でそんな事をすれば待っているのは――。


「――あの時は、熱気と酸欠と生ける屍リビングデッドが燃える悪臭で全滅しかけましたよね……」

 そう、狭い空間で大量の炎が上がればそこから発する熱気は凄まじいものになるし、空気中の酸素が一気に持っていかれ酸欠状態になってしまう。錬金術師ならずとも十分に予想できる事だったが、逆上したリサにはそんな事も分からなかったらしい。おまけに相手は多少のダメージではビクともしない生ける屍リビングデッドの群れだ。「炎のつぶてファイアボルト」の勢いで歩みが鈍る事はあっても、止まる事は無い。更に、中途半端に焼けた生ける屍リビングデッドの体は更なる悪臭を放ち始め、俺達を苦しめた。

 幸い冷静さを失っていなかったアインが早々に一時撤退を指示したおかげで、俺達は熱波に焼かれる事も酸欠に倒れる事も無くその場をやり過ごしたわけだが……その事とこの壁の焦げ跡とが、何か関係あるのだろうか?


「この焦げ跡、多分だけど……リサちゃんの精霊魔法で付いたものよ」

「ええっ?」

 アーシュの意外な言葉に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。ドナールも「意味が分からない」とばかりに首を捻っている。

「あの時、手当たり次第に発射された『炎のつぶてファイアボルト』は、壁や天井も盛大に焼いていたのよ。……生ける屍リビングデッド達があらかた動かなくなった頃を見計らって、元の通路に戻ったでしょう? その時、丁度こんな焦げ跡が壁に付いていたのを覚えているの」

「……偶然の一致じゃあ?」

 よくそんな細かい事を覚えているな、と感心しつつも、俄かには信じられず俺はアーシュの言葉に疑問を呈した。たまたま同じような焦げ跡があって思い違いをしている可能性も捨てきれない。

「これでも記憶力には自信があるの。一度見たものはまず忘れないわ……でね、これからが本題。ここの焦げ跡を見てくれる?」

 あくまで自分の記憶違いではないと主張するアーシュ。確かに、彼女はこの地下迷宮に挑むにあたって、関係する膨大な数の古文書を全て短期間で暗記して来たと聞く。ここは彼女の言う事を信じてみるべきか、と思い直し、彼女が指さした焦げ跡に目を移した。すると――。

「あれ? これ……途中で途切れてる?」


 ――そう、焦げ跡の殆どは円形に近く紙にインクを落とした時のような形になっているのだが、アーシュが指し示した焦げ跡は違った。丁度、二つの壁石にまたがるように円を描いていたであろうその焦げ跡は、右側の部分がのだ。その焦げ跡の隣に位置する壁石には、焦げ跡のようなものもそれが拭き取られたような形跡も一切無い。他の焦げ跡と比べるとあまりにも不自然過ぎる。注意深く見れば、その焦げ跡の上下に存在する他の焦げ跡も、同じような形で欠けている。これではまるで――。

「――これ、まるでここの壁だけ切り取って他所から持ってきた感じじゃないかしら?」

「……つまり、どういう事ですか?」

 アーシュの言葉に、実に厄介な妄想――もしくは確信が――頭をもたげてくる。ドナールはまだ首を傾げていたが、俺にはアーシュが言わんとしている事が何となく想像できてしまっていた。

「……あくまで仮説だけど、この地下迷宮はただ単に崩壊したわけじゃなく――その構造自体が大きく変化している可能性があるわ。その表情、ホワイト君も心当たりがあるんじゃない?」

 ……アーシュの言う通り、俺にはある心当たりがあった。以前、アインとリサと共に挑んだ古代遺跡の中に、という厄介極まりないものがあった。通路が、部屋が、ある一定のタイミングで回転したりスライドしたり、酷い時は上下に動く事で全く違う構造になるという悪質なものだ。遺跡全体が巨大なパズルのようなものだった。幸いにしてその時は、組み変わりに法則性があったのでそれを見破り無事に踏破する事が出来たのだが……。


「ヴァルドネルが言っていたわよね? 『地下迷宮は一つではない』って。実は私、以前に古文書で読んだ事があるのよ……古代王国時代に造られた『魔導王の試練場』と呼ばれた地下迷宮の存在を。どこにあるのか、現存するのかも定かではないけれど、古文書にはこう書かれていたわ。『魔導王が精兵を鍛える為に建造したその迷宮は、自在にその構造を変える事が出来た』って。だからもしかすると、この迷宮にも同じような機能が備わっているのかもしれないわ……」


 アーシュが「仮説」を語り終わると、三人の間に沈黙が下りた。アーシュ自身が言った通り「仮説」の域を出ない話だったが、俺もドナールもそこに真実味を感じていた。全員が同じ場所で崩壊に巻き込まれたのに違う場所で目覚めたという事実、明らかに偏りのある瓦礫の数、散々に迷宮の中を彷徨った自分達をして見覚えのある通路が無いという違和感……アーシュの仮説には、確かにそれら事実に合致する答えが含まれていた。

「今のアーシュ殿の仮説が的を射ているとしたら……今までの探索で知りえた迷宮の構造は、軒並み無価値になってしまった、という事ですかな」

「そうですわね……もし構造の変化が迷宮全体に及んでいたら……下手をすると往路以上に……」

 ドナールとアーシュの表情がどんどんと暗くなっていくが、それも仕方のない事だろう。今までは「見覚えのある通路にさえ辿り着けばそこから先は迷う事は無い」と信じながら歩を進めてきたのだ。まだ希望があった。だが、迷宮の構造が全く変化してしまっていたとしたら、探索も一からやり直しになる。往路では三日間程度かかった道程だ、帰りも同じ位かそれ以上を覚悟するしかなかった。

「そもそも、一部が崩壊している以上、本当に第一層まで戻れるかどうかも怪しいし……」

 仮説を披露している間は饒舌だったアーシュも、次第に言葉少なになっていく。自分で語った事が自分自身の不安を煽ってしまったというのは何とも皮肉めいた話だったが、そもそも、思いついた仮説を自分の胸の内にしまって置く事自体が辛くて、思わず俺達に披露してしまったのかもしれない。


 すっかり沈み込んでしまった二人を前に、俺は今更ながらに「アインがいない」という事実の重さを痛感していた。ドナールは一角ひとかどの騎士であるし、アーシュも一流の魔術師だ――だが、一流の「冒険者」ではない。勇猛果敢に戦場を駆ける騎士であっても、先行きの見えない古代遺跡の中を何日も彷徨い歩いた経験など無いだろう。膨大な知識と強力な魔法を操るアーシュだって、今までにこんな目に遭った事は無いだろう。

 アインは騎士であり魔術師でもあったが、同時に一流の冒険者でもあった。俺やリサといくつもの古代遺跡を巡り、時に泥に塗れ、何日もろくに食事が取れないような状況も経験してきた。死に掛けたことだって一度や二度じゃない。おおよそ彼の出自を考えれば相応しくない、荒事の世界に長く身を置いていたのだ。そんな彼だからこそ、ドナールやアーシュのようなある種人々がこの地下迷宮での苦難に心折れそうになった時に、彼らが何を一番不安に思っているのか、どんな言葉を掛けて欲しがっているのかを熟知していた。彼の言葉だからこそ、ドナール達も勇気付けられ、ここまでやってこられたのだ。


 だが、そのアインは今はいない。生きているのかも定かではない。頼る事は出来ない。今この場で、最も荒事に――「冒険」に慣れているのはこの俺なのだ。俺が二人を励まし元気付けていかなくてはならない……。


「二人とも、ヴァルドネルの最期の言葉を覚えていますか?」

「……ホワイト君? ええと、覚えているけれど……それが?」

 突然の俺の言葉に、アーシュが怪訝な表情を浮かべる。

『――見事だ、強き者達よ。よくぞ我を打ち倒した……。私の死と共にこの迷宮もその役割を終える……魔物達がここより地上へ溢れ出す事ももうない。この地下深くで永久の眠りにつくだろう……。汝らは、地下一階の始まりの魔法陣――汝らが初めてこの地下迷宮に降り立った、その場所へ戻るがいい。魔法陣は汝らを地上へと戻した後、やはり眠りにつく。ただし汝らが辿り着ければな』

 アインだけに聞こえた最後の呟きを加えれば、概ね奴はこんな事を言っていたはずだ。

「『ただし汝らが辿り着ければな』って言葉、俺は最初『どうせ辿り着けない』という奴の捨て台詞かと思ったんですが、よくよく考えてみると『辿り着いてみせろ』と言っていたんじゃないかと思うんですよ。じゃなければ、わざわざ俺達が脱出すれば魔法陣も機能を停止するなんて事、言わないと思うんです」

 ――はっきり言ってこじつけだった。実際にはヴァルドネルの真意について、確信は全く無い。だが、一歩でも先に進む為に、今の俺達には「理由」が必要だった。多少強引だって構わない。一縷の望みでもいい。先に進もうと思える、その理由が。

「ヴァルドネルが度々使っていた『試練』という言葉も気になってるんです。あいつはどこか俺達を試すような言動を繰り返していました。この地下迷宮にしたって、下層になるに従って魔物や罠が凶悪になっていく造りだったし、さっきアーシュさんの言っていた『試練場』って側面も持っていたのかもしれない。それに、迷宮の崩壊と共に構造の変化があったって言うなら、実は崩壊それ自体が無差別じゃなくて構造を変化させる動作の一環だって可能性もある。……そう考えると、少なくとも第一層までの道は用意されているんじゃないか、って思うんです」


 一気にまくし立てた。アインのように理路整然と、相手が求める言葉で語るような真似は俺には出来ない。だから勢いの力を借りた。普通の状態なら、二人とも俺の話の無根拠さに気付き指摘してくるだろう。だが、疲れ果て不安に駆られた今の二人には、勢いに任せた方がきっと伝わる。俺の、必死さが。


「――やれやれ、若者に気を遣わせて……年長者として恥ずかしい限りだ。すまんなホワイト君、少々弱気になっていたようだ」

「私も。危険は承知でこの『地下迷宮』にやってきたんだもの、こんな所で思考停止していたら学究の徒失格ね。もっと色々観察して、考えて考えて……悲嘆に暮れるのはそれからにするわ」

 俺の話をじっと聞いていた二人だったが、しばし考えた後、すぐに思考を切り替え俺の考えに賛同してくれた。まあ、恐らくはこの三人の中では一番年下の俺が一番気張っているのを見て、年長者としてのが頭をもたげてきたのだろうが……理由はどうでもいい。たとえ虚勢であっても、二人が再び前向きになってくれさえすれば、まだ十分に道は開けるはずだ。


「……じゃあ、そろそろ行きましょうか。迷宮の構造が入れ替わっているのなら、罠も復活してるかもしれません。引き続き先頭は俺、殿はドナール卿、お願いします」

「あい分かった!」

「私ももっと注意深く周囲を探知してみるわ」

 二人の力強い頷きを確認し、俺達は再び歩き出した。


 ――そこから更に数刻、俺達は遂に上層への道ものを発見した。

「これはまた……盛大に崩れたもんだな」

 俺達が見つけたもの、それは大量の瓦礫に塞がれた通路の姿だった。一本道を進んだ先に現れた、通路を塞ぐ大量の瓦礫に一瞬「ここでデッドエンドか?」と身構えた俺達だったが、アーシュがすぐに天井が崩落している事を発見、『探知ディテクション』の魔法でその先の様子を探った所、どうやら上層まで突き抜けているようだった。

「通路が塞がれた代わりに天井の穴から上層への道が……ホワイト君の言った通りかもしれないな、これは」

 頭上の大穴を見上げながら、ドナールが感慨深げに呟いた。

「確かに、誰かにお膳立てされたみたいな感じはしますわね」

 アーシュは引き続き大穴の向こうの探知を続けながらドナールの言葉に同意する。天井の方は二人に任せ、俺は念の為に瓦礫の山に向き合い、何か手がかりとなる物がないかどうか探索を続けていた。すると――。

「――二人とも、ちょっと静かに……今、瓦礫の隙間から光が漏れたような気が」

 俺の言葉に二人も素早く身構え瓦礫の山に向き合う。アーシュが魔法の杖から発する光を更に弱め、俺も輝石を手で隠し光を遮る。辺りが俄かに薄暗くなる。


「――やっぱり、少しだけど灯りが見えるな。何かの照り返しではないみたいだ……」

 瓦礫の中に金属片や鏡のようなものが混じっていて、俺達の灯りを反射している可能性も考えたが、どうやらそうではないらしい。明らかに瓦礫の向こう側に光源があるようだった。向こう側で篝火が焚かれているのか、光源を持った何者かがいるのか、それともヴァルドネルの居た大広間のように魔法の光で満たされているのか……。はぐれた仲間の誰かならばここで互いの無事を確かめておきたい所だったが、相手が魔物だったなら厄介な事にもなりかねない。どうしたものか……。


「――よし、二人とも少しの間だけ息を潜めていてくれますか?」

 ドナールとアーシュが静かに頷いたのを確認し、俺は瓦礫の山に近付いた。瓦礫の中から手ごろな大きさの石を拾い上げると、それを大き目の瓦礫にカツンカツンと一定のリズムで打ちつけ始める。大き過ぎず小さ過ぎず、ギリギリで瓦礫の向こう側の「誰か」に届く程度の音が響くよう、しばらくの間それを続ける。

 ――これは、俺とアイン、リサにだけ通じる「音信号」だった。壁一枚隔ててはぐれた時、ドアをノックする時、言葉を交わせない状態で情報を交換したい時などに使う、一種の符牒だ。叩く物は何でもいい、重要なのはリズムで、様々なリズムに簡単な言葉を関連付けてある。例えば、今俺が刻んでいるリズムは「こちらホワイト、応答どうぞ」といった感じだ。知らない人間が聞いてもただの物音だが、もし今この瓦礫の向こうにいるのがアインかリサならば――。


「――ホワイト!?」

 その時、瓦礫の向こうから誰かの呼ぶ声がした。瓦礫に阻まれかなりくぐもってはいるが、俺が聞き違えるはずの無い、その声が。

「リサか!? 無事なんだな?」

 そう、声の主は俺の妹分である精霊使いの少女、リサのものだった。その姿を確かめようと瓦礫の隙間を覗き込むが、残念ながら僅かな光が漏れているだけで向こう側の様子は窺い知れなかった。

「大丈夫、大きな怪我はしてないよ! グンドルフさんも一緒よ。そっちは?」

「こっちは……ドナール卿とアーシュさんが一緒だ」

 一瞬、アインの無事を確認していない事をリサに伝えていいものかと言いよどんでしまったが、よく考えれば俺達がこうして無事でいるのだ、アインが無事でない訳がない。

「良かった……この分ならアインとダリルさんもきっと無事ね。あの二人しぶといもの」

 流石に付き合いが長いだけの事はある、俺の言い回しから内心を見抜いたばかりか、逆に気を遣うような言葉をかけられてしまった。昔からリサのこういった勘のいい所にはかなわない。


「こっちはこの瓦礫のせいで行き止まりなんだが、天井に穴が開いていてそこから一階層上に行けそうだ。そっちは?」

「こっちは近くに上層への階段があったわ」

「……なるほどな。出来れば合流したいが、この瓦礫の山をどけるのは難しそうだな……」

「爆破したら?」

「バカ、俺達まで埋まっちまうだろ。とりあえずは、それぞれのルートで上層を目指そう。運がよければすぐ上で合流できるかもしれない」

「……分かった。なら善は急げね。――というか、私もグンドルフさんもから、早く合流しないとお腹ぺこぺこで死んじゃいそう!」

「――そうか、それは……早く合流しないとだな」

 答えながら、俺は大きな違和感を覚えていた。リサとグンドルフも食料を無くしている……俺やドナール、アーシュと同じように。いくら派手に迷宮の崩壊に巻き込まれたからって、皆が皆、荷物を無くしているってのはどうにも妙だった。それでいて俺の戦闘用の道具類やアーシュの魔法の杖のようなものはしっかり無くさずに持っている。……この奇妙な符牒はなんだ?

「――ホワイト? おーい、聞こえてる? 私達は先に進んでみるから、上で会おうね! すぐの合流が無理そうだったら……手筈通りに!」

「……ああ、気をつけてな! グンドルフ司祭に迷惑かけるなよ!」


 「子ども扱いすんな!」という不満の声を最後に、リサの気配は遠ざかっていった。どうやら早速上層へと向かったらしい。俺達も急いだ方がいいだろう。

「という事で、俺達も行きましょうか!」

 とりあえずリサとグンドルフが無事である事が分かり、必然、アインとダリルもどこかに無事でいる公算が高まったこともあり、俺は先程までよりも明るい気分になっていた。だが――振り返ってみれば、ドナールとアーシュは何やら不安げな表情を浮かべていた。一体どうしたというのだろう?


「……ホワイト君、リサちゃんはグンドルフ司祭と一緒だって言ってたのね?」

「はい、そうですけど……それがなにか?」

 アーシュの言わんとしている事が分からず、俺は首を傾げた。アーシュが何やら答えにくそうにしていると、代わりにドナールが口を開いた。

「ホワイト君、その、不安にさせるつもりはないのだが……リサ君とグンドルフ司祭がこの状況で二人きり、というのは少々、その……まずい気がするんだ」

 ドナールには珍しく、何やら奥歯に物が挟まったような言い回しで要領を得ない。俺が「訳が分からない」というような表情を浮かべると、アーシュが何やら決意したような顔で再び口を開いた。

「よく聞いて、ホワイト君。グンドルフ司祭は、アルカマック王国神官戦士団が誇る精鋭の一人よ。王都近くの神殿を一つ任されてもいる、神官の中でも高位の方なんだけれど……その、あまり

「……良くない、噂?」

 オウム返しに尋ねる俺だったが、神官の「良くない噂」で「リサと二人きりがまずい」という二つのキーワードから、俺は既にその答えを半ば察していた。

「グンドルフ司祭は、その、が好きらしいのよ。神殿に修行に来た見習い神官に、立場を利用して手を出してるって噂が以前からあったの。しかも、……。リサちゃんみたいに可愛くて活発な娘は、多分好みなんじゃないかって……」

 アーシュの言葉に、俺は背筋に正体不明の悪寒が走るのを感じた。いや、だが、だからって……。

「……この状況下で、司祭がリサにって、二人は言いたいんですか?」

「もちろん、司祭だってそこまで短慮ではないだろう。だが、先程の私達と同じように、この迷宮を脱出することを諦めかけたら……あるいは」

「神官戦士としての実力は確かな方なんだけど……その事で大司祭への道をふいにした、なんて噂もあるのよ」


 ドナールとアーシュの顔には、僅かながら嫌悪の表情が浮かんでいた。この三日と少しの間、二人とグンドルフの仲は良好だったように見えた。だが、実際には複雑な感情を抱いていたのかもしれない。短い付き合いながらも固い絆で結ばれたパーティであると信じていたのは自分だけだったのか……?


「――なんてこった」

 我知らず呟いた俺は、天井の大穴を見上げ、一刻も早くリサ達と合流しなくては、と静かに決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る