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 そりゃあ、僕だってこんなことになるとは思ってもみなかった。


 地下から脱出するつもりが、まさか星ごとになるなんて。

 でもきっと、心構えが不充分なのは僕よりずっと彼女の方だ。


 案の定、放っておいたら慌てだした。


「どうしよ……どうしよう!ぼく、ぼく、ぼくぼく……!なにも準備してない、なにも持ってきてない!どうしよう!ぼくっ……あの、家に……っ、いろいろあるのっ、宝物とか!おねーちゃんが読んでくれた絵本とか!どうしよう!それ全部おいてきちゃった……あわ、あう――!」

「落ち着けよ」

「おっ落ち着いてなんていられないよ――!だって、だってぼく池でカエルを飼ってたし、蟻の巣も雨で洪水にならないように屋根作ってあげてたんだよ、たまに掘り返して遊んだけど……あと、あと庭にちょっと恥ずかしいものも埋めちゃったんだ!」

「恥ずかしいもの……?」

「見つけられたら恥ずかしいものだよ……!」


 そんなもの誰も見つけないだろ。


「服だって持ってきてないし、おパンツだって……!ねえ今から戻れない……?四十秒でいいから……むり……だめ?……あっ、お金!お金持ってないよぼくたち!どうするの!?」

「気にするところがリアリティを増してきてるな」

『なにを言いマス。お金は大事デスよ』


 人工知能、お前もか。


 まあ仕方ないよな。あんな干からびた星でも彼女にとっては愛する故郷なのだから。


「ノルン」


 取り乱して呼吸を荒くしていく彼女を呼び、僕は膝を折る。


「二度と帰ってこられないわけじゃないさ」

「でも」

「君がすべきことを全部終えてから。帰って来ればいい。君を蝕むその病を治し、銀河に旅立った魔法使いの生き残りを探す。あの星にいれば絶対にできないことだ」

「宇宙クジラ……?」

「ああ、やることが沢山ある。全部済んだら、帰ってこよう」


 そう言うと。

 彼女の右目の端から。


 ぽろん――と流れ星みたいな涙が一つ頬を伝って落ちた。


 それを指で掬って眺めるノルン。


「どうして?ライ君ぼくのこと嫌いでしょう」

「嫌いなんて言ったことはないさ」

「でも魔法使いは敵だって」


 僕はゆっくりと横に首を振る。


「その話はもういいんだ。戦争は終わった。終わったんだよ」


 人もいない。魔法使いもいない。戦争も終わりを迎えた。戦いのためだけに生み出された僕は当然お役御免。


 トート博士から長い長い休暇を貰ってしまった、出来損ないの機械兵に過ぎないんだ。


「だから僕はもう人間の決めごとに従わない、君を攻撃したりもしない……それでも、僕の中には君を敵とみなすプログラムがついて回るけど、僕はこれからそれに抗おうと思う。なにが正しいのか、プログラムでなく自分で決めることにするよ。そうする権利が僕にはある」

「ほんとうにそれでもいいの」

「ああ、もう選んだんだ」


 僕は君の近くにいて、君のことを、君たちのことを知ろう。


 僕の理解者がかつて愛した魔法使いを……僕もいつか理解したいから。


「へんなのぉ……っ」


 ノルンの濡れた瞳はオレンジに藍色が出会った夜明けと同じ色だった。


「プログラムとか、理解するとか……全然わかんないけどさ……っ、よーするに一緒にいてくれるってことだよね」

「ああ、そういうことだ。僕がいないと困るだろ」

「ライ君も、ぼくがいないと困るよね」


 頷くと、彼女は僕の胸に飛び込んで、首筋をきつく抱きしめてきた。


「ぼく、こわいよ……知らないところに行くのがこわい。でもずっと、もうずっと前から出て行きたいって思ってた……一人じゃなくなる、さみしくない、もっと別のところへって……だからやっと出て行けたんだって……嬉しいって気持ちもあるの、でもこわい……どうすればいいかわからない。こういう気持ち初めてで……っ……なんで涙がでてくるのかもわかんないよ」


 止まらない。そうノルンは繰り返す。


「そばにいてライ君……。これからも、ずうっと……っ、ぼくのそばにいてよ」


 五百年溜め続けた彼女の涙は、そう簡単には止まらなかった。


 僕は機械兵で、そんな繊細な感情も、ましてや人の慰め方の一つも知らなかったけれど。


 小刻みに震えるその華奢な体を少し強く、抱きしめ返してやった。


 長い長い戦争の、終止符として。


 和解のしるしとして。


 果てのない銀河のどこかに浮かぶ卵型の小さな宇宙船に。


 魔法使いの生き残りと、人間が作った機械兵の最後の一機。


 何処へこれから向かうのか、なにをあてにして進めばいいのか。


 それはまだわからない。


 僕たちは、この無限に広がる世界をなにも知らない。


 この世界に、一人と一機の存在はあまりにもちっぽけなものだ。


 それを僕だけじゃなく。彼女も無意識に感じている。


 こんなふうにして突然飛び出してきてしまった僕らは。いや、放り出されてしまった僕らは。


 無知で、無謀で、絶望的なのかもしれない。


 でも。


 最悪ではない。


 百歩譲って最悪だったとしても


 最悪の中では一番いい方だ。

 ベストな方だ。


 何故なら僕たちはお互いを認識できている。


 会話して、熱を感じることができる。


 受け入れ、受け入れられる。


 それだけで救われることが、数多くあるはずだ。


 この、今はまだ終わりも見えない、冒険の先に、きっと――。

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