3



 床は思った以上に冷たい。オイルランプの炎だけでは暖はとれない。


 僕は上着を脱いで彼女の体にかけてやり、そこから数分。完全に深い眠りに落ちたことを確認して。


 立ち上がった。


 ここにいてくれとは言われたけれど、このままなにもせずに夜を明かすということは時間の浪費もいいところだ。


 機械兵に動物と同じような睡眠欲求は存在しない。全機能の処理速度を半分にしてエネルギーの消費を抑える省エネモードと、充電速度を上げ、完全に外部の情報をシャットダウンするスリープモードが存在するけれど。それは駄目だ、廃れた地下都市といっても、なにが起こるか把握しきれない、ここで無防備になることはタブーだ。


 朝になるまでエネルギーの補給ができないため、無駄に消費することは避けたいが。


 戦闘モードにならなければ問題はない。


 どうしてもすぐに調べたいことがあるんだ。


 彼女は疲弊している、放っておいても朝までぐっすりだ。


 座標もしっかり登録してあるし。どんなに迷路のような場所でも、ここには帰ってこれる。


 音を立てぬように歩いて、食糧庫から出て、僕は居住区を目指した。


 研究施設の一番端、居住区付近にある右の曲がり角を直進し、左折して、また右に進む。


 僕のログが狂っていなければ。そこにあるはずなんだ――彼の。


 トート博士の私室が。




『――やあ、おかえり。今日はどこに行っていたんだい』


 やはりこの通路に見覚えがある。


 今にも彼が曲がり角から顔を見せ、僕を出迎えてきそうだ。


『今、研究が一区切りついたんだ。どうだい、一緒にトランプでもしないか』


 自分の光を頼りに。僕は、彼と多くのことを語った、あの小さな部屋へと続く通路を進む。


 けど――。


 なんだ、この感じ。


 進めば進むだけ、違和感を覚える。


 気のせいか、そう思ったが、そうじゃなかった。


 確かにおかしかった。進むほどにそれが実感できた。


 この地下都市に落ちて。確かにあちこち傷んでいる様子があったが、崩れず原型を留めているものの方が多かった。


 だというのに、なんだろう、この、壁の傷……。


 床にできたいくつもの陥没。


 天井にぼかりと空いた爆発の跡みたいな大穴。


 自然にできたものじゃない。ここで、銃を乱射し、手榴弾を投げたような。


 なにかと争ったような。そんな痕跡に思える。


 それは居住区に近づくほどに目立っていき、やがてもう気にしないほうがおかしいとさえ思うくらい、瓦礫や、天井の崩落、ボロボロに砕けて、骨組みまで飛び出た柱に行く手を阻まれるようになった。


「――そんな」


 そいつらを押し除け、掻き分け、よじ登り、なんとか再び降り立った時。


 僕は目の前に広がっていた光景を視界に映して言葉を失った。


『さ、お入り。メンテナンスしてあげよう――』


 扉もない、辛うじて残っているのは壁としてそこにあっただろうものと、大型コンピューターの割れたモニターと、キーボードのような機器。あとは瓦礫……瓦礫、瓦礫、ひたすらに瓦礫だった。


 なにもかも破壊された。


 僕を造った博士の部屋だった。


 どういうことだ、これは。


 ここで……なにがあった。


 僕は何度か彼の名を呼んだ。ありえないと知っていても呼ばずにはいられなかった。


 だって、この部屋はまるで、入り口付近からなにか巨大なものが激突してきて吹っ飛ばされたような。


 そんな崩れ方をしていたから。


 僕は崩壊した天井と瓦礫を持ち上げてなんとか奥までたどり着き。


 役目をとっくの昔に終えている剥がれ落ちそうなモニターを触る。


 この大型コンピューター、トート博士が僕のメンテナンスやアップデートなんかにも使用していた。変わり果てていたが、探していた座標はここをずっと指しているのだから。間違いない。


「博士、一体なにが……」


 デスクもベッドもない。


 書籍の収納されたラックも、彼が面倒を見ていた観葉植物も。


 なにか、なんでもいい、手がかりを、情報となるものを。


 なにか――。


 僕は、一瞬ためらいはしたものの、それでも無駄を承知で、大破したキーボードのボタンのいたる部分を叩きまくった。


 もちろん無反応。


 そのままモニターも叩く。


 なにも映らない。


 わかってる、でも、クソッ。


 自棄になって拳をキーボードに叩きつけた時。


 ブツン――と、亀裂の広がった画面が明るくなって、砂嵐に紛れてなにかが映った。


「あ――」


 砂嵐や画面割れが酷くて、なにを映しているかがわからない。


 数秒に一度大きくブレて、ぼんやりとだが人影のようなものが見える気がする。


 前傾姿勢で、なにかを言っている……?


 ブツッ――ブブブブブッというノイズが走り、そこで音声が入ってきた。


『こ、ち――らN-Bフタマルゴ号室、N-Bフタマルゴ号室。これを聴いている全ての者達に告ぐ――、落ち着かなくていい、だがけして諦めようなどとは思わないでくれ――、君た――ちのこれからの勇気ある行動が家族を救い、友を救い、仲間を救い、自分を救うことにな――る。最悪の、中でも一番ベストなものになることをどうか信じてほ、――しい。…………ッ……時間が……い、みんな今すぐに居住区の最下層にあるターミナルに向かってくれ。そこに箱舟はこぶねがある――、人も魔法使いも、皆等しく乗り込む権利がある、このシェルターに住まう者はどんな生まれであろうと仲間だ、さあ手を取り合うんだ――』


 そこで物凄い音割れがスピーカーから飛び出した。

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