5


「すごいや……これ、ほんとうに食べていいの?」


 向こうの壁まで続く相当数のラックとそこに並べられた食糧の宝庫に目を見張るノルニル。

 これが全て食べられるのならば、彼女はもうきっと食事に関しては一生困らないだろう。

 しかもここは数あるうちの一つに過ぎない。探せばまだまだこんなもの腐るほど出てくるはず。


「なんか泥棒に入った気分だね。あっでもこれほんとに泥棒だね、うわードキドキだ。ぼくハンザイシャ……!」

「泥棒する前にまずやることがあるだろ」


 背中で忍笑いする彼女に言って。

 僕たちは手当たり次第に保存食を掴み、缶やら箱やらの裏面に記載された数字を探した。

 うわーこれはヒドイや。


 賞味期限、四百二十年前に切れてる。こっちもアウトだ三百年前切れ。むしろ良くここまでもつやつを作ったな……。人間すごい。


「アッ! これっ!!」


 大声をあげるノルニル。

 手にはアップルパイの缶詰め。


「これ百年前に切れてる! おしい!」


 気持ちはわからなくはないが。けしておしくはない。


「食べてみたら案外いけるかも」

「やめろ、腹壊すどこじゃなくなる」


 今にも開封してしまいそうな彼女の小さな手からそれを取り上げ、僕は元の場所に戻した。


「ちぇー、一口味見するだけだって」

「君は思い切りが良すぎる。ノルニル」

「ねえ、これはなに?カワイイ絵~」


 なんて言ってたらもう次に興味を示し、手を伸ばして掴んで僕の顔の横に持ってくる。

 今度はなにを――。


「ゲッ」


 思わず声が出てしまった。

 だって彼女が握っていたのは、僕ですら飛び跳ねるトンデモナイ代物だったんだから。


 赤と黄色のよく目立つ色合いの缶に、ナイフとフォークを持ったちょっと情けない魚の絵が描かれている。

 僕はそれをよく知っている。

 見たくないものの部類に入るから。


「そいつはやめておけ、悪魔の缶詰めだ」

「アクマ?」

「ああそうさ。開けたら最期、生まれたことを後悔するぞ」


 そいつは世界一臭いと言われる缶詰め。中身はニシンの塩漬けで、発酵食品とされている。


 名前は確か。『シュールストレミング』。


 屋内ではけして開いてはいけないパンドラの箱がなぜここに……。

 ああもう、見ると思い出してしまう。

 僕が造り出されて間もない頃。

 嗅覚のテストだと言われて、よりにもよってこれを嗅がされたんだった。

 もうこの世のものではないとさえ思える悪臭で、例えるならばまさに殺戮兵器。


 機械だが鼻がへし折れて再起不能になるかと思ったくらいで、実験中に耐えられなくて、あまりの不快さに僕は研究者の一人を殴ったくらいだ。


「ライ君……大丈夫? なんか固まっちゃってるけど」

「いいから元の位置にそっと戻せ、開けるなよ、絶対に開けるなよ」

「ぐっ……」

「開けるなよ!?」


 こっそりプルトップに爪を引っかけるな!

 死にたいのか!!


 わかっちゃいたけど、ここまでで一つもまともな収穫がない。

 こんなにも有り余るほどの保存食に囲まれているというのに。そのどれもこれもが既に期限を切らしている。


 そりゃあ五百年も経っているんだ。これが普通なのかもしれないけれど。


「ん。待てよ、もしかしたら……アレがあるんじゃないか」

「どしたのライ君」


 名残惜しそうにチョコレートとキャンディの箱を戻したノルニルを背負い直して、僕は食糧庫の奥へ奥へと進んでいく。

 僕の記録が正しければ、彼らは通常ではあり得ない発想で開発を行っていた。

 その試作段階だったものが、あれから完成していれば……。


「おお……」


 あった。あったぞ。

 信じられない。本当にあった。

 一番奥の壁際に積まれた、横幅60センチ、縦幅1メートルくらいの黄色いドラム缶型のポッド数十個。


 そのうちの一つを引っ張り出して僕は使用上の注意事項を確認する。

 ああ、やっぱり。

 使用期限が書いていない。

 そうか、完成させていたんだ。


「これは?」

「使用期限がない非常食キットだ」

「っていうことは?」

「どれだけ時間が経ってもいつでも料理が食べられるってことさ」


 最初に聞いた時はそんなこと実現するものかと思った。

 使用期限が無期限な保存食を作るだなんて。

 若者の自由で無謀な発想だと僕は気にも留めなかったけど、トート博士は「夢があっていいじゃないか」と笑っていたっけ。


 きっと彼がまた助力していたのだろう。

 だが今は、その自由な発想に救われた。

 若き科学者たちの栄誉ある発明と優れた技術に感謝する。


 ポッドは全部で四十個ある。

 中身は……ほお。牛ほほ肉の欧風カレーに、生ハムとアボカドのサラダ、フォアグラのソテー、ローストビーフのバルサミコソース風、ビシソワーズ、野菜とエビとサーモンのテリーヌ、ホタテのクラムチャウダー、などなど。非常食だっていうのに、ふざけてるのかってぐらいの洒落たラインナップじゃないか。


 ノルニルに何が食べたいのか聞くと。他はあまり聞き慣れていなかったのだろう、カレーが食べたいと彼女は言った。


「カレー、食べられるの? ほんとに? カレーって、あのカレーでしょ?」

「ほかにどのカレーがあるっていうのさ」

「だって味とか完全に忘れちゃったから。響きもすごいなつかしいし、見た目も、あれだよね、黒っぽくてどろどっとしてる」

「そうだよ、そのどろどろしてるやつ、ご飯にかけるやつ。まあ、開発者たちが嘘ついてなければ、今に食べられるさ」


 僕はポッドを片手で抱え、比較的広い場所で開封することにした。

 平面についていたバルブを回して中を開く。

 なるほどね。これは驚く。

 無菌状態を保つ特殊加工された保管ポッドの中に、二重で加工包装された食材と調理器具。

 組み立て式の調理台に、小型コンロ、包丁、まな板、鍋、エプロンまで出てきたぞ。

 そのままレトルトパウチが出てくるかと思いきや、一から調理が必要なタイプだったか。

 手間は掛かるがこれは保存料を使わず、味を損なわないための配慮なのかもしれない。

 米に、野菜に、肉の塊、ボトル入りの飲料水、固形のカレールウ。

 材料もきっちり揃っている。

 どれもこれも、五百年保管されていたとは思えない。野菜はついさっき収穫したみたいにツヤツヤしているし、肉も色が良い、米も水も調理器具も異常はなさそうだ。


「びっくりだね、これってほんとうに五百年前に造られたものなのかな」

「ああ、製造日がポッドの底に掘られているからな、間違いない」

「それで……色々出したはいいけど、どうするの」


 玉ねぎ、人参を見比べて尋ねてくるノルニル。


「そんなの決まってるだろ、作るんだよ」

「あんまり無理しなくていいよ、ぼくは生でも平気だから」


 こらこら人参を囓ろうとするなよ。


「だってライ君、料理できないでしょ。ぼくは一通りしてきたけど、カレーの作り方なんて覚えてないし……」


 なんかちょっと腑に落ちない言い方するな。


「誰が作れないって」


 僕は包丁をクルッと回して握り、ポッドの底にあった薄いマニュアルにざっと目を通す。

 カレーのレシピなんて基礎を集めただけの単純な動作によって成り立っている。苦戦を強いられることはまずない。

 いいだろう。手順は覚えた、ぬかりはない。


「この程度、僕にとっては充電前だ――」


 ◆◆◆


 必要性があるかないか疑問なエプロンを、「つけなきゃダメ」としつこく言われて、つけてみたけど。機械兵がエプロンつけるってこれどんなシュールな画なんだか。


 包丁なんか握ったことはないけど、サバイバルナイフなら扱ったことはあるし、マニュアルに沿えばだいたいうまくいく。小さすぎず大きすぎず。ぶつ切りに。肉と玉ねぎを先に炒めて、あとから別の野菜を鍋に放り込む。水を入れる、アクを取る。


「ライ君ってなんでもできるんだね」

「マニュアルがあればそれなりにこなす自信はあるさ」

「なんか。そうやって料理してるところ見てると……おねーちゃんみたいだ」

「はあ?」


 ノルニルは後ろで座ってニコニコしている。


「おねーちゃん? ……君の家族か?」

「うん。そう、おねーちゃん。いつも料理作ってくれた。僕のおねーちゃんはね、『台所の魔女』って言われてたんだよ」


 確かにな。彼女を見ていて末っ子だとなんとなく思っていたんだ。


「怒るとすごく怖いけど、いつもは優しいんだ。寝る前に楽しい話をしてくれて、ぼくのママ代わりになってくれてた」

「ああ……、君の両親は、戦争に」

「ううん、違うよ。ママはね、病気で死んじゃったの。それでパパは、ママが死ぬ前にアイジンつくって、どっかいった」

「なッ」


 結構な複雑家庭だった。


「へんなことを聞いたな」

「いいよ。もうずーっと前のことだからね。それに久しぶりに家族のこと思い出して言葉にできたよ。やっぱり、話せる相手がいるっていいよね」


 膝を抱えて揺れるノルニルは嬉しそうだった。


「わああああ! いい匂い! そうだった……カレーってこんな匂いだったんだよね!」


 それから所要時間きっちりに調理が終わり。

 皿の上の白米の山に、好きなだけカレーをかけてやれば、スパイシーな香りにそそられ、彼女はまた目を金色に輝かせて鼻をひくひくさせる。


「めっちゃ美味しそうだよ! こんなの食べれるなんて! 夢みたいだ! わはぁああ! いい匂いすぎるよ! やばあああい! ここまで生きててよかったって思うもんこれ!」


 具材は柔らかく、かつ煮崩れさせず、食べやすいサイズで。アクもきっちり取った、ルゥも絶妙なタイミングで投入した、鍋底も焦げていない。

 彼女が手を叩いて歓喜するのも当然だ。

 文句のつけどころなく完璧なのだから。

 完璧以外はありえないからな。

 テーブルも椅子もなかったけど。ほかほかと湯気立てる皿の上の香りが、今だけはこの地下廃都市の一端を一流レストランに変えてくれた。


 エプロンをその辺に畳んで。僕は自信満々に言う。


「さあ、好きなだけ食べて空腹を満たせばいいよ」


 当初の命の奪い合いから、こんな場所でこんなふうに料理をすることになるなんて。

 一体だれが予想できたのか。

 だがもうこの際気にしない。

 色々なんかおかしかったとしても。僕はこれで食糧確保という今日のノルマを無事達成したのだから。


 色々おかしいかもしれないけど。



「いただきまァーす」


 僕が見守る中、全ての具をスプーンに乗せて彼女はパクッと大きな一口。


 もぐもぐっと頬を動かして、次にビクッと肩を震わせた。


「んっ、んんんッ……」


 そしてまたもぐもぐ。


「ん、ん、んんんんんッ!!」


 もぐもぐ。


「んんんんんッ~!!」

「引きすぎだろ! どうなんだよ!」


 と、僕が身を乗り出したら。

 彼女は何故か、次の瞬間、ブハーッと盛大に笑い出した。


 どういうことなんだ。


「くっ、くふふふッ」

「ノルニル」

「く、くくく……」

「く?」

「く……っ」


 く――!?


「クッソまずい――!!」


 え。

 ………………。

 …………。


 ちょ、今。

 なんと――――?


「こっ、れ――最高だよ! 最高すぎる! マズイ! やばいよ、これめっっっちゃクソ、まずい!! ヒャハハハハハハハハハハハッ!!」


 聞き返す前に彼女はそう連呼した。


「なんなのこれ! どうしたのこの味! この匂いで……この味ィ!? 皿の上で起こってるとは思えない超常現象!! ヒィー! やばすぎ!!」


 いや。

 いやいやいや。いやいやいやいや!


「おかしいだろ! ま、まずいだって!? なにかの間違いだ、そんなはずあるか!」


 に思わず声が震える僕。

 それもまたおかしいのか、ノルニルは顔を天井に向けて大笑いする。


「全てマニュアルどおりだ、君の味覚がおかしいんだろう!」


 五百年もロクなもの食べてこなかったから味覚が劣化しているに違いない。


「もう一口食べてみろ」

「わかった」


 ぱくっとまた頬張って。


「んっ、くっ、くっくっ、んふっふふふふぅ……」


 笑いを堪えるノルニル。

 嘘だろ。


「やっぱりまずいよ」

「そんな!」

「ねえ、ライ君、これ味見した?」

「味見? …………って、なんだ」


 機械の僕には不要ということで嗅覚はあっても味覚が存在しない。


 味見だなんて概念はこの時はまだなかった。


「あー、なるほど、そういうねェ。にしても、この見た目でよくもこんな……ふふ、くひひひひっ」

「笑うくらいなら食べるなよ」


 その一口食べるたびに笑うのやめろ。

 僕は両手で顔を覆う。

 なんてことだ、完璧どころか最悪じゃないか。


 まずいって……。


 料理なんてしたことはなかったけど、別におかしなことはしなかったし。手順は守った。


 それなのにどうしてこうなった。


 あんな簡単すぎるマニュアルなのに、遂行できなかった僕って一体……。



「ん、……っ、く」



 まずい、ゲラゲラ、まずい、ゲラゲラを繰り返し、それでも気を使っているのかスプーンの行き来をやめないノルニルに、どう返していいかわからず。


 顔を上げて彼女の方を再び見ると。


「っ――」


 僕は一瞬フリーズした。


 何故って。


 彼女が、涙を零していたからだよ。


「ノルニル……」


 今までクソまずいを連呼していた彼女が。


 カレーをゆっくり口に運びながら。


 ぽろっ、ぽろっと。


「も、もういい。食べなくても」


 泣くほどまずいってか。


 そりゃ彼女も辛いだろうけど。


 僕はもっと辛いよ。


「おねーちゃん……」

「え……」

「の、あじ。おねーちゃんの、味だ、これ」

「なに言ってる」

「おねーちゃんのごはん、おねーちゃんのクッソまずいごはんの味だよ、これ……ッ! うっ、うううううっ、ッ」


 ノルニルは言って、そこで大きく泣き出した。


 食べかけの皿の上にぼたたっと涙が滴る。


 僕はなんて言えばいいかわからない。


 でも、僕が作ったこの料理を、彼女はなつかしいと言って、食べるのだ。


 まずいはずなのに。


 食べ続ける。


「僕のおねーちゃん。スゴイ料理の腕を持ってて……っ、作る料理全部なぜかまずくって、もう壊滅的とおりこして、天才的ってくらいで」

「最高級の褒め言葉だな」

「ライ君の作ったこのカレー、ほんとにそのまんまなんだ。思い出したよ、おねーちゃんの味っ……今まで、忘れちゃってた……。おねーちゃん、おねーちあゃん……ッ……っううっあぁあああ~」


 震えた手でスプーンを握って豪雨のごとく泣きじゃくる彼女を前に。


 僕は複雑な気分だったわけだけど。


 彼女の流している涙が苦しみの涙じゃないと知って。少し、ほっとしたのだ。

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