始まり

 古は大陸の空劃然かくぜんに聳える尖塔。数多獣の出入りせる、奇妙かつ厳然の螺旋構造体。香りに鋭敏なる男一人が、その鼻先ひくつかせ、おぼろげな足取りに塔の入口を潜る。塔の尖端よりこの地上まで通風せる虚乎たる影と、静かに壁の穴を見透ける小さな太陽――光は虚弱にして、塔内壁繊麗なる模様を十分明白とする次第。そこに在るは神話か、民話か、古朝の栄華か。臭いに鋭敏なる男の見上ぐ頂点にて、鳴き、回るは影に紛う影――即ち鳥。塔の頂は遥か地上より光に乏しいと見抜く。虚弱の虚弱が見せる影の、周旋せる獣の香り。男は朦朧と嗅ぎ、己の胸に滾る血が、怫然狂舞し、眼の血脈を太らせる。影は〝影の一部〟を落とした。微々たる風の揺籃を受け、静かに落下する羽根。高き塔を下るそれは、男の元に至るまで相当長かろうと見え、彼はもどかしさに両腕を天に掻き、呻きつつ跳ね、それはまるで、塔の尖端に君臨せる後光の神を崇めるかのように。


 夢を見ていたようだ、と男が覚醒する時、窓辺からちょうど明け方の光が伸びていた。寝台から体を起こすと、彼の瞳へ、更に眩しく太陽の光が届いた。彼は避けたくも見ざるを得ないだろう。なぜならば、それは始まりの太陽だったから。彼の目に届いた暁光は、地平を飴色に染め、かつ温かい水縹みずはなだをその上空に塗り広げていたのだ。何ともつかぬ細かい鳥は、そこを飛び過ぎ、遠くで高く鳴いて、朝の静謐は蘇った。始まりだ、と男が決心したとき、彼の夢は、既に忘却の海を渡っていた。しかし、落胆は拒まれるだろう。なぜならば、それは始まりの朝だったから。男は窓を開き、爽やかな風を吸い込んだ後、トーストとフレッシュなサラダを食べた。

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