秋の家族
孤独堂
秋の家族
秋も今くらいの季節になると、朝はめっきり寒くて。
十月末の日曜、朝七時。
僕と数人のお父さん方は、低山と言うよりは小高い丘の様な場所にある古びた神社の横にある、地域の集会所の前に立って、集まっていた。
「せっかくの休みなのにな~」
「子供の為だから」
「あー、眠い」
「やっぱ寒いわ。上なんか着てくれば良かった」
それぞれ口々に、誰にとはなく、勝手な事を話す。
子供会の役員のお父さん達だ。
普段会う事も滅多になく、中には家族ぐるみの付き合いをして親しい人達もいるのかも知れないが、僕は、数度の集まりで顔合わせした程度の人達ばかりだった。
「遠藤さん、悪いね。貴方のトコは借家だから、ホントは役員とか頼まない方が良いんだけど。みんなやりたくなくて、逃げちゃうから」
お父さん方の群れから数歩離れて立っていた僕の側に、副会長の土橋さんが近づいて来て言った。
「いや~、あみだくじで当たっちゃったから。しょうがないです」
僕は笑って答える。
「ごめんね。ホラ、アパートの人達なんか子供いて、集団登校してても、子供会入ろうとしないんだぜ。一時的だからって。それを考えると、遠藤さんには悪いなって、思う訳よ。借家住まいでいつ引っ越すか分らないのに、会に入って貰って、役員までさせちゃって」
「いやー、もういいですよ。それより、その、子供会に入ってない子供達が今日の祭りに来たらどうするんですか?」
僕はそう言いながらも、やはり本心はやりたくなかったので、納得いかない気分だった。
「あー、それね。去年もあったんだけど。参加させて。お菓子とかも渡して下さい」
「でも、会費とか払ってないんですよね」
僕はキツくならない様に、少し笑いながら聞いた。
「そうだけど、子供に罪はないから。周りのみんなが貰ってて、自分だけ貰えないなんて、辛いだろ」
「そうですね。分かりました」
僕は愛想良くそう答える。
「ホントはね、中には騒ぐ親もいるから。面倒にならない様に渡しちゃうの」
土橋さんが僕の耳元で、誰にも聞こえない様に小さな声で言った。
やっぱりね、そんなもんだろ。と、僕は思った。
暫くして、会長が集会所の鍵を持って現れると、軽い挨拶と説明が始まった。
今日の子供会の秋祭りについての話だ。
祭りは、大きく二手に分かれて行う。
子供神輿のグループと、軽い出店のグループだ。
神輿のグループは、集会所の中に既に用意してある子供神輿と、和太鼓を出し、リアカーの様なタイヤの付いた荷車に設置して、周りを花で飾った。後は子供達が来るのを待つだけ。
僕は出店の方に回された。こちらは近くの公園、神輿の最終的に帰って来る場所になるのだが、そこに簡単な出店を出す。
公園の奥まった所の真ん中に、大きな桜の木が一本生えている。
その周りにブルーシートを敷き、持ち込んだガスボンベでガスコンロを付ける。
こちらは役員のお母さん方で、芋煮汁を作る。
僕はその脇の出店を行う仮設テントの裏に行く。
そこには地面に排水用のU字溝が四つ置かれている。
その溝の中に木炭を置き、火を起こす。
上に網をかけると焼き鳥を炭火焼で焼けるのだ。
僕は焼き鳥担当になった。
これから子供達が荷車に載せた神輿を引っ張りながら町内を廻る。同じく載せた太鼓を叩きながら。
それが公園に到着するまでに、僕は大量の焼き鳥を作らなければいけない。
僕はしゃがみ焼き鳥を網の上に並べる。
大体、一つのU字溝で十三本くらい。
「おはようございます」
僕が焼き始めると、隣に川崎さんが来た。
川崎さんは子供も同じ小二で、家も近く、二世帯で住んでる。元々の地元の人。
この人とは子供の関係で、何度か話した事がある。
「おはようございます」
僕も挨拶をする。
「夫婦で来たよ。嫁は芋煮の方行った。遠藤さんとこは?あ、隣いいかい?」
そう言いながら、僕の返答も聞かずに、既に川崎さんはしゃがみ始めた。
「あ、いいですよ。うちは妻は、土日は駄目なんですよ。仕事で」
僕は慌てて言う。
「スーパーだっけ?」
そう言いながら川崎さんは後ろにある大きな発泡スチロールの箱から焼き鳥を適当に掴み取り、自分の前の網に並べ出した。
「そうです。あ、炭に着火剤付いてるみたいだから、ライターで大丈夫だそうですよ」
そう言いながら僕は、自分のライターを渡す。
「ああ、ありがとう。じゃあ大変だね~。全部旦那さんやんなくちゃいけない」
「はは、まあ」
僕は少し返答に困る。
「川崎さんトコは良いですね。夫婦で色々参加して、楽しいでしょ」
とりあえず、当たり障りのない事を言う。
「え~、嫁と一緒なの? どうだろ。一人よりは良いかな~」
照れながら川崎さんは言った後で気付いた様に
「ごめん。そう言う訳じゃなくて」
と、言った。
「いいですよお」
僕は明るく、川崎さんが気にしない様に言う。
本当に気にしていなかったのだけど。
それから焼けて来て、ジュッ ジュッと、水と油が網から下の炭に落ちる焼き鳥を眺めていると、今の話の所為か、遠い昔、まだ子供が〇歳だった頃、七年前を思い出した。
「達郎君ばっかり。ずるい!」
仕事から帰って来たばかりの僕を、妻は開口一番、こう言って出迎えた。
「なに。何かあった?」
玄関ではなんだから、僕は中に入り、ドアを閉めて、靴を脱ぎながら聞き返した。
「……」
妻は仏頂面のまま、黙って僕の後ろを付いて来る。
六畳二間のアパート。
廊下から台所を抜けると、部屋に辿り着く。
「帰ったよ~梨華子ちゃん」
僕は可愛い愛娘のベビーベッドへと近づき、顔を覗く。
ドン!
何かが僕の背広の背中を叩く。
「ちょっと」
妻だ。
「なんだよ~。さっきから」
僕は不機嫌そうな顔で振り返り、妻を見た。
泣いていた。
「どうした?」
急な事に、僕の声は裏返った。
「達郎君は、毎日仕事行って、外に出て、自由があって、ずるい!」
「は?」
「私はいつも一人で、この娘と居るんだからね」
「なに?」
「一人の時間が欲しいの! 自由が欲しいの!」
「どうしたの? 一体」
「達郎君には分からない」
「ちょっと待てよ。俺、好きで仕事行ってる訳じゃないんだぜ。俺だって、本当は子供と居たいし、そもそも仕事なんだから、自由に外行ってるのとは違う」
「私からすれば同じ。仕事に行って帰って来るまで、全く自由ない? コーヒー飲んだり、タバコ吸ったり、仕事以外の話、誰かとしたり、そういう事、全くない?」
「そんな、それ位あるさ」
「じゃあ、自由があるんじゃない。私は全く無い。一つも自由がない!」
「そんな事ないだろう。一体なに? なんなんだよ」
「梨華子が、この娘が、私の時間を奪うの。私に自由は無いの!」
「そんな、大袈裟な」
「大袈裟? 大袈裟って何? 何なのよ! 達郎君には私の事なんてちっとも分からないくせに!」
そう言うと妻はベッドの中で寝ていた梨華子を抱き上げると、隣の部屋へとポイっと投げた。
「あっ!」
僕は思わず声を上げる。
梨華子はゆるく弧を描き、隣の部屋の、僕らのベッドの上に落ちた。
「ギャー!」
ビックリしたのだろう。突然の泣き声。
僕は急いで、梨華子をベッドから抱き上げる。
「何してんだよ!」
僕は妻に今まで、これ以上大きな声で怒鳴った事があっただろうか。
「ビックリした?」
妻はまだ泣きながら、しかし、笑いながらそう言った。
「私ね、このままだったら、梨華子、殺しちゃうかも知れない。今日の昼間も凄い泣き声煩くて、冷蔵庫に入れようかと思った」
それは僕にとって衝撃的だった。
昨日まで、いや、今日の朝までは、考えた事もない話だった。
妻はずっと一人で苦しんでいたのか。
「助けてよ……」
妻の言葉が僕の中の深い所に落ちた。
「どっちかの親に頼んで、少し、仕事でもする? 自分が社会の一員の様な感じになれば、少しは落ち着くかも知れない」
妻は静かにコクリと頷いた。
「おとうさーん」
フッと娘の、梨華子の声が聞こえた様で、僕は我に返った。
「娘さん来たみたいだよ」
「えっ」
その言葉に僕は川崎さんの方を振り向いた。
川崎さんは顎を上げて、方向を示した。
その方向を見ると、七歳の小さなウチの娘が、今にも泣きそうな顔で、テントの前に立っていた。
「あの、川崎さん」
「いいよ。行ってきな」
そう言われて立ち上がり、僕は娘の方へ歩き出した。
「どうした」
「お神輿の場所が分からないの」
今にも泣きそうに言う。
「お友達は?」
「知らない。先行っちゃった」
「しょうがないなあ」
僕は娘の手を引き、川崎さんの元に戻った。
「すいません。お神輿のスタート地点分からないみたいで、連れて行って良いですかね。直ぐ戻りますから」
「ああ、全然良いよ。行ってきな。でも大変だねえ、遠藤さん、遊ぶ暇も無いんじゃないの? 働いて、子供の面倒も見て、日曜日はこんな行事付き合って」
笑いながら川崎さんが言った。
「でも、上手くいってますから」
僕は精一杯の笑顔でそう言うと、娘の手を握り締め、歩き出した。
公園から神社までは歩いても一本道で五分くらい。
僕は娘と手を繋ぎながら神社へと向かった。
途中娘が色々話しかけてくる。
友達の事、今日さっきまであった事。娘には色々話題があるらしい。
僕は、「ああ、そうだね。ふーん。それで」等とその都度相槌を打って、聞き流す。
きっと、それが妻には出来なかったのかも知れない。
妻は僕と結婚して、会社を寿退社した。
それはあの会社では当たり前の事だった。
二人で過ごす一年はあっという間だった。新婚生活は毎日が新鮮で、妻の笑顔が絶える事はなかった。
子供を欲しがった妻は、一年を過ぎると、何を焦ったのか、不妊治療に通うと言い出した。それ程子供が欲しかったのだ。
そんな事を考えながら歩いていると、直ぐに神社に着いた。
子供神輿の周りには地区の子供達が三十人程集まっていた。
娘は僕の手を離れ、知っている友達の方へと走って行く。
僕は知っている役員の顔を見つけると、側に行った。
「須藤さん、おはようございます」
「ああ、遠藤さん。こっち?」
「いえ、僕は公園です。焼き鳥焼いてます」
「いいな~。つまみ食い出来るじゃん」
須藤さんはニヤニヤした顔をしてそう言った。
「食べませんよー。それより、ウチ、妻が出られないんで、子供神輿、娘と廻れないんですよ。申し訳ないですけど、面倒見て下さい」
僕はそう言って、軽く頭を下げた。
「あー、大丈夫大丈夫。役員以外の父兄なんて殆ど来てないから。子供三十人くらいいるのに、大人八人しかいないでしょ。いつもだから。みんな役員に押し付けて、日曜は用事あるから」
笑いながら須藤さんはそう言った。
「ははは…」
僕は笑うしかなかった。
そもそも自分も役員でなければ、きっと子供だけで行かしていたに違いない。近所の年長の子にでも頼んで。
僕は子供を残して、一人神社の短い階段を下りて、公園へと戻った。
公園に戻り、焼き鳥を焼いていた場所に戻ると、川崎さんはビールを飲みながら焼き鳥を焼いていた。
「お、おかえり」
僕に気付いて声を掛ける。
「すいません、今戻りました」
僕がそう言って腰を下ろそうとすると、川崎さんが僕の方に新しい缶ビールを向けてよこした。
「はい」
「いいんですか?」
僕は聞く。
「役員特権。これぐらいなくちゃ、やってらんないでしょ」
笑いながら川崎さんが言う。
「あなたぁ、遠藤さんにやったぁ?」
テントの方から声がして、川崎さんの奥さんがこれまた缶ビールを持ってやって来た。
「貰いました」
僕は川崎さんの横に立っている奥さんの方に缶ビールを掲げて見せる。
「飲んでくださいね。せっかくだし、それぐらいなくちゃね」
夫婦で同じ様な事を言う姿に僕は少しほくそ笑む。
「川崎さんトコは、仲良さそうで良いですね」
思わず僕の口から漏れた言葉。
「トコはって、遠藤さんトコ良くないの?」
さすが女性は敏感だ。すかさず川崎さんの奥さんが聞いてくる。
「え、仲は良いですよ。ただ共働きで、時間が合わないんですよね」
慌てて僕も言った。
変に勘繰られては困る。実際これでウチは上手くいっている。
「そう。でも時間が合わないのは大変ですね。子供の面倒とか、旦那さん見てるんでしょ」
「まあー、僕の方が多いかも知れませんけど、ウチの奥さんも、休みの日とか、平日ですけど、見ますよ」
「あー、遠藤さんトコ、奥さんって言うんだ。いいなあ~。ウチなんて、嫁ですから」
川崎さんの奥さんはそう言うと、川崎さんの方を睨んだ。
「なんだよ。他所は他所、ウチはウチ。もういいよ。用事無いなら戻れよ。芋煮汁作んなきゃだろ」
都合が悪くなったのか、川崎さんが奥さんを追い返す。
僕も色々聞かれなくて都合が良い。
色々聞かれて、今の状況が幸せかって聞かれたら、言葉に詰まるからだ。
確かに僕は他所のお父さん達に比べたら、自由は少ないかも知れない。束縛されているのかも知れない。
しかしそれでも、この家族を家庭を、壊したくないと思った。
七年前のあの日からずっと。
妻は僕の知らない所で、一人で苦しんでいたのかも知れない。
里帰りの時は、いつもニコニコして、子供を抱いていた。
娘を愛していた。
妻が子供を嫌いな訳じゃない。
あれは病気だ。育児ノイローゼだ。
誰が悪い訳じゃない。
だから、耐えられる人が、耐えなくちゃいけない。
きっとそれは僕の役割で。
僕は缶ビールのプルタブを引いて、ビールを少し口に含む。
川崎さんの奥さんはもう消えていない。
川崎さんは僕の横で缶ビールを飲みながら、焼き鳥を焼いている、
僕は焼き鳥を焼きながら、顔を上げ、空を見上げる。
晴天の秋空だ。
ドン!ドン!ドン!
少し遠くから太鼓の音が聞こえる。
子供神輿が始まった。
おわり
秋の家族 孤独堂 @am8864
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