第7話

動機…


「…どうかしたか?大丈夫か?」

サクサクと書いていたフィーリアがそこで止まり、考え出していた。彼は既に書き終えている。

「…取り繕わなくて大丈夫ですよ?私も…あの人達みたいな口調で話していただいて構いませんよ?」

何を思ってかそう告げた彼女は、真っ直ぐ彼を見つめた。

…彼は友人や他人にはありのままで、それ以上になると途端に…じぶんをころさない範囲で、言葉を選んだり、取り繕おうとする。親友にこそありのままでありたい、それと同時に嫌われたくもない…そんな風に臆病だからだ。

…彼奴らと同じだと、おい、とかてめぇ、とか、カス野郎、とかなんだが…。

自分の目元に手をやり強引に閉じさせる。側頭部をトントンとつつき…スイッチを入れ替える。

「…お前はどうしてここに来た?別の世界にまで来て…それは、なんのためだ?」

ジッと…瞳の奥を覗き込むように眼光を鋭くした彼とフィーリアの視線が交錯する。そして漸く…彼女は口を開く。

「貴方は私を姉さんと会わせてくれました。心を、通じ合わせてくれました」

「それだって俺がいなければあんな頭のおかしい奴にならなかった」

「いいえ。貴方が来なければ、私は姉さんと一生再会しなかったかもしれません」

否定的な切り返しも、すぐにカウンターされてしまった。

「もしもなんて分かりません。いくつもの可能性があって…選択の結果今がある。それが悪くないのなら…もっと最上のなんて無いかもしれないのだから、喜ぶことにしてるんです」

その考え方には彼も同意見だった。だから、振り返らない。…本当にそう、あれたなら…どれだけ良かっただろう。どれほど…優しかっただろう。

「…話が逸れましたね。私は貴方にいくつも助けてもらったのに…貴方の抱えた闇を、拭れていません」

「俺がお前に恩を返したんだ。どんな目的があったかは知らないが、それでも助けてもらったのは事実だからな」

彼女の答えはありがたいもので、彼にとって悪い部分など一つもない…だが、それでも…。

「…7回。……仁様は自ら命を絶とうとしました。いずれの時も生死を彷徨い、一度は記憶を失ったこともありました」

7…その数字は彼に強くのしかかる。あの…まともそうな奴でさえ、灰身滅智を使い続ければ、それ程までに精神を痛めるらしい。

下を向いた彼女は、しかしまだ伝えることがあると、重い口を開いた。

「あの力を使うということは…死ぬことを意味しているんです。……自ら命を絶とうとしている人が目の前にいて、貴方は…助けない、のですか?」

縋るように見上げ、願うようにそう尋ねられた。不安の色が瞳の内にありながら、ただ答えを待っていた。

…人による。そんな回答は望んでいないだろう。

「…助けない。面倒に巻き込まれたくないから。助けなかった結果さらに面倒になるような状況だったなら話は別だが」

彼の解答に、寂しそうに首を振る…彼女は立ち上がり、彼の目の前に跪いた。

「…私が、ここで命を絶とうとしたら…助けてくれますか?」

目も見ずに、首を垂れて尋ねる彼女は少し…小さく思えた。

「助ける」

「それは…どうして?」

即答した彼に、率直な疑問を返し…顔を上げ、目を合わせる。対して詰まった彼は彼女の瞳をじっと見つめ…

「…痛いからだ。助けなかったらきっと後悔する。なら…助ける」

彼女にとって嬉しくもある彼の意志は…同時にこうも言っていた。

…それはつまり、彼にとってこの世界の人間は…助けたなら、後悔する。…そういう人種だということに他ならなかった。

そこまで読み取った彼女は乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。


希望等


「…灰様、あの…」

ソファに戻り、動機に『恩返し』とだけ書いたフィーリアは、書き終わったらしくペンを机に置いた。

「なんだ」

腕の怪我は、事件の証拠として残しておくことにしていた。その為怪我は治らないように、尚且つ予防はする…という複雑な力加減を調整しようとしていた。

「…教えて、くれませんか?…貴方は一体、何を…」

…少し躊躇いながら、彼女がそう小さな声で尋ねてきた。

手に溜まった光はその瞬間に消え失せ、彼は小さく溜息をつくと、赤い目を彼女から逸らすようにして

「…簡単にしか話す気はないぞ」

頷いた彼女に、自分の汚れを曝け出した。


…中学時代から虐められていた。部活中に罵詈雑言を吐かれたり、物を壊されたりとかな。…お前の世界でどうだったかは知らないが、この世界ではな…いじめをいじる、とか言って、それを犯罪にした奴の方が正気を疑われるんだ。

中学を卒業しても、生憎そのゴミと同じ高校だった。3年生の時は受験で忙しかったから、あんな奴を気に留めもしていなかったからな、知らなかったんだ。…3ヶ月ぐらい前の雨の日…そいつに帰り道で絡まれた。そいつは何もない道路で足を滑らせ、転び、頭を打って…車に轢かれて死んだ。俺は殺人容疑にかけられたんだが…。

…その前に、この世界には学級裁判制度がある。学校関係者が起こした事件なら、殺人とかの大規模なものだろうがなんだろうが関係無く、学生達にも裁判に関らせようとする制度だ。

そこに独力で挑み、中学の頃の友人達も使って虐められてたことを暴露してやったさ。当然それを公表するのは−だ。だが…それは無罪なしに引き分けにするなら、だ。勝ちに行くならそれは武器にもなる。

右往左往あったが、動機はあるが無実だと結論を出させ、果てには遺族から金を踏んだくり、手荒な扱いをしてきた警察からも取り、馬鹿みたいな記事を書いて、トラウマになり得る程の悪名を全世界に知らせ、ネットの中傷を湧き上がらせた…なんてめちゃくちゃ言って、俺を取り上げた全ての新聞雑誌社からも取り…2度と関わらないことを約束させた。

少しずつ…昔話を思い出すように語る彼の様子は、彼女の瞳にどう映るのか。

…フィーリアは黙って聞いていた。

(…それだけじゃない。だが…今は良いだろう。…母親と姉のことも、きっと勘違いしてくれる。……。)


…その幾度もの裁判の内の最初の裁判の中で…俺の体は、灰身滅智を発現させた。

裁判中、大勢の人間の前で徐々に変わっていく体は、人ならざる者の証で…あの時の俺を見る目達は今でも覚えている。

ここまで俺のことが広まっちまえば…将来働き口が無いのは勿論、普段街を歩くことすらままならない。それらを合わせても…合計で数億奪い取れたのは、灰身滅智を覚醒させたことでの被害者具合のアピールの成果と、覚醒したての灰身滅智による弁護力の賜物だろう。

「…ただ、それだけだ。俺はもう…世界中に、人外ひとならざるものだと知られている」

彼女の瞳に映る彼は…何処にも辛そうな様子を持っていなかった。…最早悟っているのだろう。…もうどうでもいい。結果どうなろうと…知ったことか、と。

結論を告げた彼の瞳に映る彼女は…涙を堪えつつ、彼を真っ直ぐ見つめていた。

………。

「…一つ提案がある」

彼は“何処か”にしまっていたらしい、財布を取り出し机に置いた。

提案、という言葉に彼女は顔を上げた。

「この中にある銀行のカードの中に、一生遊んでられるだけの金が入っている。…俺を殺したって誰も困りゃしない、お前なら簡単に隠蔽だって出来るしな」

「なにを…」

先を予想できてしまったのかフィーリアが立ち上がる。

「実力で言っても俺は絶対にお前には勝てない。だから…お前は、俺を殺せる。それなのに俺といる意味は…無いだろう」

立ち上がったフィーリアと目が合う。憎悪や嫌悪など感じられない…しかし彼の弱った瞳はそれを、壊れた精密機器を見る目のように見せた。実際には…どちらかといえば、捨てられた子犬、大きな失敗をした友人に向けるものだったが……。

「灰様は…私がそんなことをすると、お考えなのですか?」

黙る。…今更繕っても遅いだろう。

「…するわけない、そんなの解ってる。だが…俺はもう、心から100%信じることはできない。何処までいったって、何を渡されたって、誰かを完全に信用することはない」

首を振りながら、謝るようにそう言葉を立てた。

…根本的に弱い彼は、しかし自殺をしたことはない。それは…まだ、死ぬわけにはいかない理由があるから。

「…私は、貴方のメイドです。私はお金が欲しくて、生きたくて、この仕事をしているわけじゃないんです。…辛い人がいたら助けたいから、今を生きているんです」

…答えを聞き、彼は机ごと財布を“何処か”にしまうと、大きく足を伸ばして組み、疑るように彼女を見つめた。

「…それは何故。誰かを助けて…最期に誰が救われるんだ」

「私が救われます。…助けなかったら後悔する、そんな時なら、あなたも助けるのですよね?」

だから…私は、もしかしたら…“他人”が好きなのかもしれませんね。

照れたように笑みを浮かべた彼女の笑顔は眩しかった。それは…眩しすぎて腹の立つ、目覚めの朝日と良く似ていた。

「…ふざけるなよ」

小さく漏れた悲鳴は彼の心の音だった。しかし冷静になった彼は、瞳が帯びた血の色を手で隠し、自身の心を諭す。

「…他人が齎すのは利益よりも不幸の方ばかりだ。いいか、あの世界でどうだったかは知らねぇが…言っておく。この世界ではクソみたいな、いなくていい人類ばっかだ。不幸を他人のせいにする奴、自分さえ良けりゃいいと思ってる奴、騒音を奏でることしか脳がない奴、自分が美しいと勘違いした間抜け…数え切れねぇ…。……ぁぁ…なんで俺は、こんな……世界に…」

組んだ足を解き片手で頭を押さえる彼へ、彼女は黙ってただ歩み寄り…彼の隣に座り、手を取った。

「それでも例えば…あなたの好きな音楽を奏でる人、あなたの好きな絵を描く人は、居なくていい…わけじゃありませんよね?」

「…ああ」

「もしあなたが助けなかった隣の人がその人だったらどうするのですか?」

「…ならもし、お前が助けた隣の奴が、お前の命を狙う輩だったらどうするんだ」

彼女の想いと彼の想いがぶつかり合った。疑問は即ち答えで、2人の在り方は相反していた。だが…夜の闇の中でも姿が見えるように、朝の光の中でも影が見えるように、互いに全てを否定することはできなかった。

「…殺した命は戻りません。つまり…あなたが殺した隣の人の命は戻りません。ですが…私が殺さなかったその人の命は在ります。…そうです、よね?」

この哀れな世界に似合った正論を突きつけられ、彼は黙って顔を上げた。

「それは…相手がお前より弱かったらそれで良いが、もし強ければお前が死ぬことになるかもしれない。そこまでいかなくとも…その相手にお前が傷をつけられるような事があったとして…それでも、先制しないで良かったと、そう…言えるのか?」

加えて言うなら…やられるまでは何もできやしない、哀れなこの国と…その思想は通じ合っているんじゃないだろうか。

困ったように、しかし予想できていたらしい彼女は…それでも小さく頷いた。


…解りあえない。いや、だが…解って欲しい。…悪いがこちらから同調することはできなさそうだった。だって…そうだろう?俺は何も…間違ったことを言っちゃいないんだから。

この世界のヒトに諦めを持った彼の、新たな希望。2人が隣で歩き出す為には…まだ言葉を交わす必要があった。

「……あの世界での俺と、今の俺…全然違うだろ。…それはそうだ。今、俺は…機嫌が悪い。あの世界の人達は本当にいいやつばっかで…それなのに汚い口を利くのはおかしいだろ。だが…今、お前はもうこの世界の住人だ。なんで…なんで、来てしまったんだ。ここから先、お前が…俺のことをより良く思うことは決して無い。人が殺せるなら俺はこの世界の人間の過半数を殺すだろう。…それでもお前は隣で笑えるのか?」

最早彼の言動に驚きはしない。…半ば冗談だと思っているから?違う。彼女は…灰身滅智の恐ろしさを知っている。

「…そんな状況にならないよう、止めてみせます。メイドは常に、御主人様の為を最優先に考えて動きます。そして私が止められたなら…その時は、きっと貴方を笑わせてみせます」

敵対通告は、しかし彼女の曲がりようのない意思で…真っ向から否定してくれることが、彼には何故か嬉しくもあった。

「…なら、止めてくれ」

「はいっ!」

どうかその明るさで…助けてくれ。その言葉が喉より先に出ることはなく…彼は気がつくと喉元を抑えていた。それを不思議そうに見上げた彼女を誤魔化すように立ち上がる。冷蔵庫の中を開き…作り置きしていた麦茶を二つのコップに注ぎ、机に置こうとして…“何処か”にしまっていたことを思い出した。片方のコップをフィーリアに差し出す。

「大分長く話して、喉、乾いてきただろ?」

「あ、ありがとうございます…」

フィーリアに渡すと再びソファにもたれかかり、一息入れて喉を潤した。

「…灰様」

「ん?」

「灰様のこと…これからは御主人様マスターって、呼んで良いですか?」

ソファに向かい合い茶を飲んでいたその状況からの、脈絡なんてあったものではないそのお願いは、逆に彼の肩を揺らした。

「別にいいけど…何か特別な意味があるのか?」

「…メイドは、唯一お仕えする方のことを、御主人様、主、マスター…等、それらのいずれかで呼びます。ゲストのことを名前や姓で呼ぶんです」

「ああ…成る程…?」

幾つか疑問が湧いたが、尋ねるよりも先にフィーリアが答える。

「姉さんはメイドでありながら結婚して、名前で呼んで欲しいと頼まれていましたからそうしていました。それと…あの世界では、私の雇用主が紅様で、御主人様が灰様で…よく、解らなかったと言いますか…」

照れ臭そうに口元に手をやる彼女は…もしかしたら、自分“だけ”の主人をそう呼ぶのに憧れていたのかもしれない。

そして、そう呼ぶということは…先程までの話を聞いても、それでもついてきてくれる、ということだった。

「…ああ、なら…そう呼んでくれ。俺もそう呼ばれるの…嫌いじゃない」


「はいっ、……マイ、マスター」


嬉しそうに微笑んだ彼女の今日一番の笑顔が…純粋に彼を照らし、暖かな気持ちにさせた。


その呼び方は、彼の背中にくすぐったさを感じさせたが、仁はなんとか我慢することにした。

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