第5話


そもそも…あのifはつまるところ、俺が来なかったら起こらなかった筈なのだ。確証はない。可能性は決して0にはなり得ないのだから。だが…あの時フィーリアに触れた結果が、あの時見た光景なら…(彼女に触れたら、彼女は将来こうなるぞ、という意味での通告だったなら…)自分がいなければ、彼女達はこんな最悪な再会はしなかった。


紅には連絡を入れてある。仁の言葉を伝え…最悪の事態には頼む、その時までバレない距離で、手出しはしないでくれと。


「そういえば、あいつには尻尾も耳も生えていなかったけど…」

「私の家は、お父さんが獣人で、お母さんが人間なんです」

夜道を歩きながらそんな話をする。準備は万全。“何処か”にしまう力は、成る程中々便利だった。

「そういえばさっきの地下は何処だったんだ?」

「あれは…実は、灰様の家の地下なんです。私は本当に偶然見つけただけで…何のために使われたのかも…」

…意外にあの仁も闇が深そうだった。


「姉さんとか、お姉ちゃんとか、呼び方変えてるのはまたどうしてだ?」

「ぇ、えっと…姉さんと普段は呼ぶようにしているんですが…昔からの癖で…」

えへへ…と照れたように頬をかく。すると何か思い出したらしい。急に頭を下げだした。

「そういえば…申し訳ありません。私、偶に敬語が崩れてしまって…」

「別に気にしなくていい。そもそも、別に使わなくたっていいんだぞ?」

「そういう訳にはいきません。あなたは…っ、か、灰様は…」

急に言い換えた彼女は頬を上気させ、なんでもありません、と話を強引に終えた。


「それから…一応言っておく。俺は、フィーリアが思ってる程いい奴じゃない。嫌いな奴に慈悲なんてかけやしない、人によって両極端になる奴なんだよ。だから…あいつに容赦はしない。刃が届きそうなら、例え傷が残ろうとも届かせる。まぁ…手加減なんてしようものなら一瞬で俺は塵になるんだが」

「…はい、解ってます。私も…覚悟はできています」

今日の事を噛み締める。そしてまた…手が震える。姉と、自分よりもずっと強い、最愛の姉と、戦わねばならない。彼女が自分に突き刺したあの鋭い目が、瞼を閉じると見えるのだ。

「…フィーリア」

「…はい、どうしましたか?」

目的地が見えてきた。街を出て少し行った先のそこには、特になんの変哲もない、ただ一本の桜の木が生えていた。

「…連携技とか、してみないか?」

前後の話の脈絡なんて関係無しな提案に、ポカンと目を見開いた。

「ただ挟み討ちとか、前衛後衛分担とかじゃなくて…もっとこう、あるだろ?」

恥ずかしげも無くそう、空を見ながら話す彼は、何処か少し寂しさを帯びていた。

伝わらないか…?と頭を捻る彼の横顔を見て

「くすっ…はいっ!私と灰様なら、きっとできますっ!頑張りましょう!」

彼女は考えることを変えた。

…これは、1ヶ月の成果を確認するテストなんだ。私と灰様が、お互いに解りあえているか。もしそれがキチンと出来たならきっと…お姉ちゃんにも伝わるはずだから。


桜の木の根元に正座をするタマネの前に、2人が姿を現した。

「…来ると思いました。しかし…紅様も連れていないとは、正気ですか?」

「必要ないからな。俺とフィーリアさえいれば、お前になんか負けはしない」

睨みつけてきたタマネに睨み返す。鋭い眼光同士がぶつかり合い、殺意に呼応するかのように風が吹き荒れる。

「…姉さん」

「貴方に姉呼ばわりされたくないわ」

その言葉に、もうフィーリアは動じはしない。ナイフをどこからともなく取り出し、構えた。

「…灰様を傷つけたこと、許しません…!」

キリッとした瞳は、しかし灰やタマネのものとは違い、殺意など少しも篭っていなかった。

腰に携えた硝子で出来た、刀と小太刀の二振りを抜刀した。それらは…仁の最も得意としていた武器達だった。

タマネもそして武器を構える。それは硝子で作られた…しかしどこか先程までのものとは異なる二本。どちらも無くしてしまったから、自力で創ったのかもしれない。

「…行くぞ」

「了解ヤー!」

2人はお互いを一度見合い、そして全速力で駆け出した。


タマネが2人に向けてナイフを投げる。灰はそれをスライディングで躱すと、減速することなく上へ、起き上がりつつ跳んだ。フィーリアはナイフを軽々横にステップで避けると、炎を出現させ、それをタマネに向けて放つ。

ナイフを再び創り出したタマネはそれをX字に切り裂く。炎で覆われた視界が晴れたその時に、フィーリアのナイフがタマネの顔面目掛けて振るわれる。予想通りとでも言うようにそれを防ぐと、空から背後に回り込んでいる最中の灰の、飛びながら武器を持ち替えての槍での突きを、ナイフの胴で防いだ。

「ちっ…」

2方向からの同時攻撃を防いだタマネは、力任せに2人を押し返した。

空中でバランスが崩れた灰の元にナイフが投げられる。それも…二本。彼は“何処か”から1mサイズの盾を、槍を戻すのと同時に瞬時に取り出す。それで片方は防げるが…。

彼は信じ、その盾に右ストレートを放つ。盾はナイフを弾くと同時にタマネへと迫り、もう一つのナイフは…変則的な動きで且つ音速のナイフと衝突することで軌道をずらされ、彼にぶつかることはなかった。

飛ばされた盾をタマネはバックステップで回避、フィーリアはブーメランのようにナイフを回収しつつ灰の元へ。彼の手を引き後ろへ跳んだ。

「悪い、助かった」

「いいえ…驚きました。あそこまで動けるようになっていたなんて」

タマネは武器を創り出す…かと思いきや、黒い霧に覆われた、深い闇色のダガーを取り出した。

「あ、れは…?」

「…あの武器は、どんな物でも切り裂ける姉さんの魔剣…いよいよ本番、です」

まじかよ…と冷や汗が流れ出る。あの魔剣に対しては…武器で受けることも許されないということだ。

「…灰様は後方支援をお願いします」

「…フィーリア、いけるのか?」

自分でも前衛を張れなさそうなことは解っていたが…それでも、悔しい。

「…どうでしょう。ですからどうか、支援をお願いします。私1人では恐らく無理でしたが…灰様が、いてくれますから」

微笑むと、フィーリアはタマネに向かって駆け出した。


遠距離支援…そう言われても、出来るのは投影と強化、治療のみで…銃を創るとか、ナイフを投げるとかしたとして…それがフィーリアに当たってしまう可能性もあった。なら…!


互いの攻撃を交わし合う攻防が続いていた。しかしやはり、実力的にも武器の性能的にも、タマネの方が上手らしい。

武器にばかり気を取られていたフィーリアの右手に、タマネが鋭い蹴りが炸裂した。

「ぃつぅ…」

武器が手から零れ落ちる。その隙を当然タマネが逃すはずもなく…心臓狙い、重心を固めた一撃が迫る。

「投影っ…!」

迫るナイフの真下から、突如壁が立ち上がった。2人の間を割いたそれは、フィーリアに迫る魔剣を妨げた。

「灰様っ!」

「合わせるぞ!」

壁がタマネの蹴りで壊される寸前、数十のナイフたちを灰が投影、其処彼処に浮かび上がる。

強化を全開にしたフィーリアがそれらを瞬間移動が如き速度で蹴り飛ばす。それと同時に壁が完全に崩れ落ち…タマネの周囲全方位から、ありえない軌道を描いて飛んだナイフ達が襲いかかる。

それらを、タマネは氷魔法を全方位に展開してつららを飛ばすことによって防ぐが…全方位を覆ったことはつまり、目を瞑ったことと等しい。

フィーリアの手に持ったナイフがタマネに迫る…が、お見通しだとでも言うかの如く、タマネもまた魔剣を構え、2人の剣がぶつかり合おうとした。

…一度に幾つものナイフを、加えて自分から離れた位置に創り上げるというトンデモ芸当で、彼の残り魔力はスッカラカンだった。残る魔力を振り絞り強化を使い、上に跳ぶ。そして彼は“何処か”から、切り札を取り出し、それを全力で投げ放った。

「光あれ、だ…!」

彼が投げたのは…タマネが回収しそこねた、ヒビの入った硝子のナイフだった。そのナイフは、フィーリアのナイフとタマネの魔剣がぶつかり合う丁度間に放たれ…それはナイフと魔剣で一刀両断される。ナイフから、仁の込めた光が溢れ出した。


フィーリアは僅かに反応が遅れたタマネから武器を掠め取り、遠くに投げる。

「っ…仁様…どう、して…!」

なんとか相手を捉えようと、憎らしそうにしながらも目を開こうとするタマネ。

パシンッ!という鋭く盛大な音が鳴響いた。その音の正体は…フィーリアが、タマネの頬を思いっきりビンタしたからだった。

「っ…」

「灰様と仁様は別人です!いい加減にしてください!」

ポカンと間抜けに口を開けたタマネは、ようやくまともに目が使えるようになったらしい。その日初めて、フィーリアを瞳の中心に捉えた。

「私達のご主人様は、もういないんです!それなのに…ただ、同姓同名で、瓜二つ、それだけで同じだなんて…!あなたは…北神 仁という名前を持って、見た目が 北神 仁 様のものだったら、誰だっていいって言うんですか!?」

自身の思いを叫ぶ彼女の心は、ようやくタマネに届いたらしい。唖然としていた彼女もその言葉の意味を、自分のしたことを理解したタマネは…

「…ごめんなさい」

頭を地に付け、そう謝った。

「…灰様、お姉ちゃんを…許して下さいますか?」

「…ああ、もういい。頭を上げてくれ」

その一言で、完全に緊張は切れたらしい。頭を上げたタマネに、フィーリアは押し倒すような勢いで抱きついた。

「…ごめんなさい、フィーリア。灰様…。酷いことを幾つも言ってしまって」

「いいんです。こうしてまた…仲直り出来たんですから」

…相変わらず子供ね、と安心か懐古か、溜息を零すと…優しく妹の頭を撫でた。

「…仁様にもきっと失望されましたわ」

下を向きポツリと出たその言葉には、灰がすぐに切り返す。

「寝ている間、会ったんだ。それでこの、隠し持つ力を手に入れた。そして…お前に伝言を頼まれた」

信じられないものを見るような目で顔を上げる。真っ直ぐ見た彼女の瞳には…哀しさとか辛さとかが幾つも見えていた。


「『光あれ』と」

その一言が、タマネに昔を思い出させる。

それは彼が出かけ際にいつもタマネに言う言葉だった。一風変わったその挨拶は、照れ臭いのか…なら止めればいいのだが、タマネだけにはいつもそう言っていた。

…闇を抱えていた私を受け入れてくれた貴方が…私の光だったのだけれど…。

仁から貰った武器はもう無い。だが…心には確かに、光おもいでがあった。それの存在を改めて感じた彼女の瞳に光が戻った瞬間…彼の体が少しずつ透け始めた。

そうか…やはり。

「…灰様?」

それを見たフィーリアが不安気に駆け寄る。そして彼女は…それが魔法とは違う次元にあることに気がついた。

「タマネ、紅に…本当に世話になった、ありがとうと伝えてくれ」

「…承りました」

頷き一度頭を下げ、タマネは歩き出した。

「…ビンタの跡凄い残ってたな」

「ほ、本気でしたから!…って、そうじゃなくて!」

未だ状況を飲み込めていないフィーリアの慌てる様子が、なんとなく嬉しかった。

…彼女が変わらずに済んで、よかった。


「…1ヶ月だけだったが、楽しかった」

唐突な、さながら別れの挨拶じみた言葉に固まってしまい、声が出ない。

「俺がこの世界に来たのは…俺の目の前に、死んだ目で倒れていたフィーリアが視えたからなんだ。お前に触れたら、こっちに来た」

彼女の思考は追いつかず、聞きたいことは山ほど湧いていたが…尋ねられずにいた。

「そしてその光景が、この世界で起こらないと確定したなら多分…この世界から弾き出される」

辿り着くはずだった結論に触れてこの世界に来た。しかしその結論に至らなかったなら…その前提の仮定自体が違うと否定されるのではないか。そして、あの時視た消え逝く自分は…つまり、そういうことなのだろう。

「…嫌です」

突然告げられたそのお別れは、彼女の心を大きく揺らがせる。スカートの端を握り締め、地に生える揺れる背の低い草のみを視界に入れた。

「…」

「灰!」

その時、遠く離れた場所から7冊の本が投げつけられた。投影強化、治療、属性魔法エレメンツ3巻、転移、操作、召喚…様々なそれらをなんとか全てキャッチする。

飛んできた方向を見ると…遠くから見ても解る筋肉と角が特徴的な紅と、ビンタ跡をなんとか消したらしいタマネがいた。伝言を数分足らずで伝え、頭を下げるタマネは…成る程流石、フィーリアの姉だった。

「元気でな!!!またこっちに来いよ!!!」

とてつもない大声は、もしかしたら街まで届いたかもしれない程で…後で苦情を言われるのが自分だということも意識に無いらしい。

受け取った本たちを“何処か”にしまう。わざわざそんなことをしでかしてくれた気持ちが…嬉しかった。

「ああ!!!絶対また、会いに行く!!!」

同じく叫び返す、するとまさか返してくるとは思わなかったのか、キョトンとした後に微笑み、紅は更に叫ぼうとして…タマネのチョップが入った。寸前で止められてタマネを睨むも、睨み返され…紅は手を振り別れを告げた。

…ここまで叫んだのは、生まれて初めてかもしれない。ひりひり痛む喉を抑え、フィーリアに向き直った。

「…また絶対来る。方法は…まだ解らないけど、なんとか使いこなして」

だから顔を上げてくれ。その言葉から数秒…顔を上げたフィーリアの目からは幾つもの涙が流れていた。

「私は…まだ、もっと…灰様に仕えていたいです!仁様じゃない、私だけの…御主人様マスターに。だから…お願いしますっ。…いか、ないで……!」

涙ながらのその懇願の後、抑えきれなくなったフィーリアは彼を、離さないとでも言うかの様に抱き締めた。薄れ行く体でもまだ、感覚はあって…異性に初めて抱き締められた彼の心臓は一度大きく飛び跳ねた。

「…悪い。でも…もし連れて行くことができたとしても、俺はフィーリアを連れて行きたくない。勿論できるなら一緒にいたいが…俺の居た世界は……辛すぎる」

慣れない手で抱きしめ返す。…帰る場所のことを思い出すと、溜息が出そうになった。

…嫌だ、帰りたくない。あんなくそみたいな所に…どうして。

それでも…顔を上げる。上げるしかないからだ。最後は、ちゃんとした姿を見せたいからだ。

「どれだけ辛くて苦しい世界でも…貴方さえいてくれたら、私は…」

泣き噦る彼女は頭を彼の胸元に押し付け首を振った。そして彼を見上げ、瞳を合わせ…形振り構わず、想いの全てをぶつける。

「そんな辛い世界で生きる貴方の助けにっ…!私はなりたいんです!そんな世界で生きていても、笑って帰って来れる場所に…!」

みるみる彼の体は薄れ行き…奥の桜の木から散る、月明かりに照らされた桜色が彼の体の奥に見えた。

「…あり、がとう」

彼女の言葉が心に染みる。白く尽きた筈の心が…涙に触れて僅かに蘇る。

彼の声に顔を上げたフィーリアが見たのは、彼の右の紅い目から伝う一粒の涙。

彼女は締め付ける想いを更に強めて彼を抱き締め…彼もそれを返した。

桜の散るその場所で、彼はその世界での“結論”を迎えた。

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