第4話


「悪かったな、灰」

「…は?」

目を開く。其処は真っ黒な空間で…しかし暗いわけじゃないらしく、自分の手足を認識出来た。

声のした方向を見るとそこには…自分に所々似た男が立っていた。

「…お前、この世界の…仁か」

どうやらここは…夢の中か、死の淵か、そういう何処か、なのだろう。

「その通りだ。…全部見ていた」

「…幽霊?」

「…少し違うが、まぁそんなもんだ。何が原因か知らんが、意識だけはこの世界にずっと残ってた。といっても、俺以外の死者と話せた試しもないし、実際どうなってんのかよくわかんねぇんだけどな」

なんだそれ、と肩を竦める。顔や腕の傷は勿論、鍛え上げられた肉体、目、かつての彼のように黒い髪…そして雰囲気、笑みと…灰とは全くもって異なっていた。

「それで、要件は」

なんとなく察しながらもそう尋ねる。すると仁は一呼吸置くと…頭を下げた。

「タマネを…そしてフィーリアを、助けてやって欲しいんだ」

目の前で頭を下げた“自分”に、彼は驚いた。

…こいつは、俺とはやはり違うんだな。

「…当たり前だ。フィーリアには、返しきれない恩がある。そのフィーリアが助けて欲しがってるなら、喜んで手を差し伸べるさ」

フィーリアは紅に雇われて仕事をしてるだけ?違う、それ以上の…金では決して得ることができないものを、貰った。

だが…どうすればいい?

今の彼では役立たずもいいところだ。最低限、一対一で、防御に集中すれば防ぎきれる程度にはならなければならない。だがそれには…時間が足りない。次にタマネが攻めてくるのが何時なのかも解らないのだ。もしかしたら明日かもしれない。そんな中で、急にそれだけ強くなるのは不可能だ。

「…俺に残ってる力、経験…お前に託す。ああ安心してくれ、記憶とかは引き継がせないから、お前自身が変わるわけじゃない」

妙な言い回しだが、彼には伝わったらしい。ようするに洗脳したりしないからね、ということだ。…文字を読めるようにされた時といい、少し恐ろしい。

死んだお前にそんなことができるのか?尋ねようとも思ったが、できるから言っているのだろう。

「と言っても…悪いが、俺は諜報員、忍者とかスパイとかの類いだ。戦闘に関しての技術も無論あるが…タマネに勝てるなんて期待はしないでくれ。それに…力も殆ど残ってない」

タマネは、自分よりも強い…と言っていたが実際には違うらしい。或いは何か…理由があるのかもしれないが。

「…それで良く救ってくれなんて言えたな。絶対勝てないじゃねぇか」

溜息をもらし首を振った彼に、仁は少しムッと来たらしい。

「…なんか口悪くないか?」

「あ?…あー、悪い。…そうだな、最初に言っておく。俺はお前が思ってる程良い奴じゃない。好きな奴は全力で助けるが、嫌いな奴には慈悲なんて一切かけやしない。要するに、人によって見せる態度が両極端なんだ」

スラスラと、抵抗もなさそうに語る灰。

…この仁は…いや、灰は、俺とはやはり違うらしい。

嫌いな相手でも多少の繕いは入れる彼と、一切許さない彼。それはもしかしたら逆もあり得たかもしれない、紙一重な違いから生まれた大きな差だった。

「…そうか。だが、フィーリアが悲しむようなことはしないだろう?」

ああ、と頷く灰に、ならいい、と笑顔を見せる。

「俺の作った武器がある。それを上手く使え。それと、俺がお前に渡せる程残ってるのは…多少の武器の扱いと、体術、筋肉の使い方。だがお前自身の体つきが変わるわけじゃないから注意しろ」

「解ってる。今は強化に頼ってるが…元の世界に帰ったら、筋トレ漬けの予定だ」

そうしろ、と頭をふる彼は、話が逸れたな、とまた話し始めた。

「後は気配の断ち方とか、身のこなしとか…潜入に使う物。ここら辺は最初から多少できるだろうが、ある程度自分の体に馴染ませないと、大きな効果は無い。…今は別に良いか。魔法の方は…悪い、新しく与えてやれる程の力は無い。だからお前が覚えかけの治療と…強化、投影の強化。ここら辺はよく使ってたから、まだできる。…コツを直に教えてやるんだ、ちゃんとものにしてくれよ」

長々とした説明も、一語一句逃さずに耳に入れた。

「っと、そうだ。ついでに…お前がいちばん必要な力も」

コホン、と咳払いを一つ。いい加減疲れたのかもしれないが、大事なことなのだろう。

「俺には物を“何処か”に隠し持つ力があった。総重量丁度100kgまでなら何個でも、刃物だろうが食べ物だろうが隠し持てる。直径5mを超えるものは隠せない。ただ…例えば海の中に入ろうが、隠し持っていた物は濡れない」

それはつまり……どういうことだ?

「よく解らないだろ、だから…“何処か”に隠し持つ力。これさえあればまだ、多少戦えるだろ」

…美味しすぎる提案に、多少疑いを持つ。だがそれでも…フィーリアが信じた彼を信じよう。

「…解った。じゃあ、頼む」

そう受け入れた灰に、ホッとした笑みを零す。

「っとその前に…お前も、フィーリアがそうならないようにしろよ?」

からかうようにそう忠告をしてきた仁に、数秒何のことかと考えたが…理解した。

「…別に、フィーリアとはそういう関係じゃない」

そう、彼から見たら…フィーリアは人間じゃない。

…あんなのと同列に並べてはいけない。そう、もっと…あいつと同じような…。

「…そうか」

「というかてめぇ…笑い事じゃないだろ。何でお前、あんな風になってんだよ。そもそもお前がちゃんと…」

説教を垂れようとしたところで、そんなことを言っても仕方ないことに気づいた。今はできるだけ早く、目を覚まさなければ。

「最後に一つ。その髪、目…。お前は“灰身滅智”の力を、解ってるのか…?」

指摘されて、何となく髪に触れる。この力は…灰身滅智、というらしい。この髪、瞳はやはり…人が持つ物じゃないようだ。

「…何があったんだ、お前は」

悲しい…親が死に、天涯孤独になった子供を見るような目が、灰に刺さる。

「答える気はない。お前だって解ってるんだろう?こうなるってことが、どれだけの意味を持っているのかを」

その言葉に、黙るしかなかった。そう…その力をこの世界の彼も持っていたということは…そういうことなんだから。

「まぁ…そうだろうな。一応言っておく。それを使っている間は学習能力も上がるし、身体能力も大きく伸びる。だがその力は…心にクるんだ」

「…そうか。…俺は、戻し方も知らないんだ。まぁそもそも…戻す気はないが」

…いや、戻し方というか、五分もその状態でいたらぶっ倒れる筈なんだが…。

苦笑いを通り越して、薄ら寒いものを感じた。

…紅と同じ様な表情をするんだな。

「…そうか。俺は…タマネとフィーリア、紅に…お前が知らない沢山の人にも助けられて、何とかその力を使っても、生きていれた。…どうしても辛くなったって、死ぬなよ」

「…ああ、解ってる。…というか、早くしてくれ」

はは…悪い悪い、と乾いた笑顔を見せる。

もういい頃みたいだしな、と何か確認するようにそう呟くと

「んじゃ、最後に伝言。紅には、約束を守れなくてすまなかったと、フィーリアには、これからも頑張ってくれ、タマネには…光あれ、と」

覚えたか?と照れ臭そうに微笑んだ彼が、少し羨ましかった。

「ああ、ちゃんと…伝える」

任された、と頷くと、仁は一歩近寄り、閉じた右手を差し出した。意図を察した彼は、その右手に自身の右手をぶつける。

トン、と小さな音が響く。そして…よく笑う仁は何か企むような笑みで

「なら…とっとと目を覚ませっ」

笑わない彼に高速の猫騙しを浴びせた。



飛び起きた彼に、ビクンッ!という擬音の見える程驚き飛び跳ねたフィーリアは、一瞬固まったが…すぐに認識したのか、涙の跡がまだ見える中、感極まったのか、泣きながらに飛びついてきた。

どうやら眠っていたのは、いつものベッドの上らしい。外は暗く、一日中寝てたであろうことが伺えた。

「か、かいさまぁ!大丈夫ですか!?私が解りますか!?」

ぶんぶんと肩を揺すられ、目覚めたばかりの頭がガンガンと痛む。

「フィーリア、痛いから…!勘弁してくれっ」

「あっ、す、すいませんっ!嬉しくって…」

その後聞いた話だと、かなり強い毒を入れられていたらしい。生死を彷徨うこと1日、フィーリアはずっと側にいてくれていた。

…自分の無事を喜んでくれる彼女の存在がとても…眩しかった。

寝ている間に起きたことを話す。そして…確かに、身に覚えのない筈なのに、体が覚えている…そんな感覚が幾つもあった。フィーリアが紅に連絡を入れ事情を話し、幾つかの武器を送ってもらった。

「そう、ですか…これからも…。はいっ、私…もっともっと、頑張りますから!」

フィーリアにも伝言を伝えた。涙の後には、晴れた笑顔が表れる。彼女にはそちらの方がよく似合っていた。

「そういえば紅は?」

「紅様は周囲の捜索です。姉さんは、転移の魔法が使えるんです。だから少し難しそうですけど…」

辛そうに俯く彼女の、心の理由を考える。捕まえられるということは…当然、裁きを受けるということになる。

「…被害者が、彼奴に罪が無いと言えば、彼奴は無罪になるのか?」

「かい…さま…?」

灰の問いに顔を上げる。その目は困惑を帯びながら、希望も見ていた。

「…フィーリアが許してやってほしいっていうなら許す。俺個人としては、一発は殴らなきゃ気がすまねぇが…」

思い出しても腹が立つ…。小さく舌打ちをした彼の様子に、しかし彼女は胸が鳴っているのを感じた。

「いいん…ですか?姉さんは、灰様を監禁した挙句、毒で殺そうとしたんですよ…?その腕の傷も深すぎて…治っていませんし…」

そう言われて初めて、深く切られた右腕の、傷跡が深く残っていることに気づいた。

「これは魔法では治らないのか?」

「…はい。姉さんの付けた毒は魔法に耐性があって…だから、治療も中々難しかったんです」

試しに治療の魔法を試してみたが…効果はなかった。

申し訳なさそうに頭を下げるフィーリア。それでも、正直に伝えてくれた彼女を責めることなどできはしない。

「別にいいさ。それに、もっと目立つものがあるしな」

自分の髪を指差す。元通りの調子に戻った体、肩を回して状態を確認していると …

「ーーーッ!」

鋭い痛みが頭に刺さる。この感覚は…?

ーーーフィーリアは1人、戦闘を繰り広げる。愛する姉…しかし最早、一度戦うしかないことを決意した彼女はナイフを構えた。そして…地に伏せたのは、彼女の方。姉にはやはり…全力をぶつけられなかった。虚ろな目は光を映さず、流れるのは血か涙か。ナイフの刺さる、音がした。

ーーーフィーリアと灰は歩く。フィーリアには心当たりがあったらしい。彼には…未だ力は大してないが、受け継いだ物たちがある。しかしその果てに…自分の消え逝く姿を見た。


片方には心当たりがあった。それは…この世界に来るきっかけにもなったif。そして…消え逝く自分。…つまり。

「…フィーリア」

「はい?」

「お前…タマネの居場所を知ってるだろ」

ビクン、と思いきり肩が揺れた。目を見開き、灰と目が会う。

「…はい。でも、どうしてそれを…?」

「能力の説明はしたよな。…お前がタマネに挑んで負ける姿が見えた」

その…未来の結果を告げられ、少し固まった後

「…そう、ですか…。でも!可能性が1%でもあるなら私は…!」

苦笑い、そして決意を目に宿し、彼に訴えかける。止めないでください、と。

「もしお前が死んだら、俺はあいつを許さない」

同じく瞳を合わせ決意を示す。

「じゃあ…でも、どうしたら…」

負けません!と返してくるかと思ったが…どうやら、フィーリアも、勝てないと何処かで解っているようだった。

もし大人数で殴り込みにでも行けば、説得なんて起こらないだろう。例え殴り飛ばしても、もしかしたら自爆じみた攻撃をされる可能性もある。…相手に余裕を与えることが大事なのだ。

「俺も行こう。2人なら…勝機はある」

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