水無月ことね編ファイナル 最高のパートナー



 講堂の半分ほどが人で埋まっている。俺がギターを持って舞台に現れると、歓声が一瞬だけ湧き上がりすぐに消えた。

 観客たちの目当てはことねなのだ。彼女がいないことを知り、落胆の空気が場を支配する。

 わかっていたことだ。

「こんにちは、第二軽音部です」

 なるべく背筋を伸ばすよう意識し、自己紹介をする。

 心臓が高鳴っている。

 ギターを構える。

 心臓が高鳴っている。

 静まり返る会場。前から三列目の席に、妹のルリリと海堂を確認。

 心臓が高鳴っている。高鳴りすぎている。

 だがそれでも引くことはできない。引くつもりはない。ただ全力で、弾くだけだ。

 やけにうるさい鼓動をかき消すように、俺はギターを奏でた。歌った。ことねと二人で作った、大切な曲を。魂の叫びを撒き散らした。

 半数以上の客が退席した。終わってからの拍手も渇いたもので、酷い出来だったと第一軽音部には揶揄された。彼らの出番になるなり、新たな層の観客で席が埋まっていく。

 すべて、わかっていた結果だった。俺達は前座にすらなり得なかったのだ。

「お疲れ様」

 観客側に回ると、ことねが隣に着き言った。

「ことね、大丈夫なのか?」

「熱は一応下がってる。まだ無理は出来ないけどね。はじめてのライブの感想はどう?」

「……悔しいよ。こうなるのはわかっていたのに、それでもやっぱり悔しい」

 舞台を見る。

 まだまだ素人同然の俺から見ても、彼らの力強い演奏は輝いて見える。実力の差は大きい。ギターにベースにドラム、キーボード、そしてボーカル。一人一人がことねと同等かそれ以上の力をもっている。

「……でも、楽しかったよ。またやりたいって思う」

「そ。それを聞けて、安心したわ。どう? 少し気分転換に出し物見ていかない?」

「そうだな。そうしよう」

 俺達は講堂を抜け出し、互いのクラスへ立ち寄った。

 俺達は部の出し物を優先するため、クラスでの仕事は任されていなかった。それでも衣装だけは用意されていたので、そいつに着替えることにした。

 俺は燕尾服で、ことねはバニーガールの格好。お互い趣旨は違えど、喫茶店の衣装である。

「こういうのってさ、やっぱり……その……む、胸が大きくないと似合わないわよね」

 ことねが恥ずかしそうに胸を隠す。

 ほとんど真っ平らであることねの胸では、衣装がぶかぶかすぎて見えてしまう。なので詰め物を仕込んでいるのだが、それでもやはり貧乳は貧乳だ。

 が、俺は親指を立てた。

「いや、似合ってるよ。他の奴がどう思うかはわからない。だが俺にとって、そいつは最高だ。究極にセクシーでキュートなうさぎちゃんだよ」

「そ、そう。ありがと……」

 俺は通りすがりの他校の制服を着た男たちを呼び止め、写真を撮ってもらうよう頼み込んだ。

 執事とバニー。並んでピースする。

「写真、送ったよ」

「うん。壁紙にする」

 ことねが嬉しそうに携帯端末を見つめる。

 それからお化け屋敷や焼きそばなどの定番ものを見て行き、京風たこ焼きなる出し物を一つ購入した。

「私、まだ体力完全じゃないのよね。だから力でないの。ふぅふぅして?」

 弱っている時だからこそ甘えたがるのだろう。

 俺は爪楊枝を受けとると、たこ焼きに突き刺し息を吹きかけた。

「あーん?」

 ことねが小さな口を開ける。そっと入れてやる。

「はふぅっ」

 吹き出した。

「す、すまん。まだ……熱かったか?」

 首を横に振るうことね。

「ううん。違くて、か、辛いのぉ」

 涙目で訴えてきた。

 ダッシュで自販機のポカリを買い、渡す。すると今度は一口目でむせ、

「これ、あったかいんだけど……?」

 とじっとりした目線を俺に捧げた。

「ええっ、確かに冷たいってなってたぞ」

「飲んでみなさいよ」

 突き出される飲み口。

 これは関節キスだ。

 俺は口の中いっぱいにたまったツバもろとも、熱いポカリをぐびぐび飲んだ。

「……熱いな、確かに」

「なんか、散々ね」

 ことねが笑う。

 つられて笑い返す。

「そうだな」

「でも、なんか楽しい」

「楽しいことならこれからもいっぱいある。もうすぐ夏休みだしな」

「そうね。夏休みよね……」

 ことねが遠い目をして天井を見上げる。俺はたこ焼きを食す。なるほどかなり辛い。熱いポカリで喉を潤そうとすれば、辛さが増して感じられる。軽い拷問だ。

「ねえ? 夏休みはさ、水着に着替えて浜辺でライブなんてのもいいと思わない? サンサンと輝く太陽の下で、負けないくらいに眩しくて熱い音楽かきならすの」

「水着か。いいなー、楽しみになってきた」

「でしょ? それでね、新しい水着、一緒に選んでくれる?」

「俺のを選んでくれるなら」

「お安い御用よ。この私のセンスに脱帽しなさい」



 十九時。空が夜の闇に覆われた時分、校庭の真ん中には薪を積み重ねて出来た高さ数メートルの塔が置かれた。木のカケラに炎が投じられ、茶色の塔はその身を真っ赤に燃え上がらせ、ゴウゴウバチバチと派手な音をかき鳴らす。

 多くの生徒たちは紅蓮の塔を囲うように集まり、校舎のスピーカーから流れる音楽に合わせて踊ったり、または雑談をしたりと楽しんでいる。

 そんな賑やかな光景を、俺とことねは部室の窓から眺めていた。

 電気はつけていない。

 それでも室内は明るく感じられる。

 今宵の空には満点の星地図が広がっている。

 開け放たれた窓からは爽やかな夜風が流れ込み、白いカーテンとことねの長く黒い髪を揺らす。

 そんな彼女を横目に、俺はもう堪えきれなくなっていた。

「ことね」

「な、なによ」

 ことねが視線を向ける。

 月と焚き木の明かり、双方が混じり合い彼女の横顔をオレンジ色に、美しく照らす。

 勢いに任せ、俺は想いを言葉に変えた。

「お前が好きだ」

「えっ」

「お前の歌声も、演奏も、料理も、笑顔も、ちょっとめんどくさいところや実は結構優しいところ、弱味を見せるのが下手な不器用なところも、小さな身体で頑張ってる姿も、全部全部――好きだ」

「シン……」

「だから! 俺と! 音楽でも、未来の家族としても、ずっと側にいてくれ! 俺の最高のパートナーになってくれ!」

 校庭から届く賑やかな声。

 頬を撫でる夜風。

 激しく脈打つ心臓。

 俺は背筋を大粒の汗が流れていくのを感じた。

「目、瞑って?」

「え?」

 やがて発せられた彼女の言葉に、俺は瞬きする。

「いいから!」

「お、おう」

 殴られるのだろうか。

 手に汗握って待ち構えていると、唇に柔らかい感触。

「えっ」

 驚いて目を開けると、彼女の顔がすぐそこにあった。

「これが答え……」

 ことねが一歩下がる。

 まだ、唇が生暖かく感じられる。

「えっと、つまり?」

「鈍いわね! つまり、私も……その……あ、あんたのことが……好き……ってことよっ!」

「こ、ことね…………」

 気づけば俺は涙を流していた。

「私の魂(ハート)をこんなにも狂わせたのは、音楽以外ではあんたがはじめてよ。だから、責任とってずっと一緒にいなさいよね?」

「ああ、ああ! 約束する。約束するよ! ずっと、ずっと一緒だ。愛してるよ、ことね」

「私も。愛してるわ、シン」

 今度は俺から、ことねの唇に自身の唇を押し付けた。

 レモンの味など感じられない。緊張して、興奮して、味などわからない。

 しかしながら、わかることはある。

 今この瞬間がとてつもなく幸せだということ。

 ここからがスタートであるということ。

 そう、ここからはじまるのだ。

 恋も。夢も。

 俺とことねの、新しい日々が。


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