水無月ことね編⑦ 吸血鬼だぞー



 極めて衝撃的な事実は、ことねが学年三位の成績を誇る優等生であるということだった。


 改造制服に鋭い目つきという観点から、当初は彼女を不良ではないかと疑っていた。その実結構優しくていい娘なのだと判明した今でも、正直なところ頭はあまりよろしくないと思い込んでいた。

 だから、同意を得られると思って何気なく言ってしまったのだ。

「夏休みが毎回補講で潰れるのは辛いよな。その分練習とか遊びの時間が減っちゃう」

 と。

 するとことねは心外だとでも言いたげに、

「私は一度も補講なんて受けたことないけどね」

 と平べったい胸を張った。

「というか、あんた補講常連なの? 勉強してないんでしょ。だめよ、そんなの」

 などと予期せぬ方向に話が進み、結果的に図書館で勉強を教わることになった。

 勿論、俺のためではなく練習のため、という理由で。

 相変わらずのツンデレっぷりである。

 日曜日の午後、俺は半ば強制的に図書館へ呼び出された。自動ドアの前で佇むことねは、遠目でも目立つ恰好をしていた。黒い二段式フリルのペティコート。ボタン部分と袖にフワフワしたこれまたボリュームのあるフリルがついた、ワイシャツのような白い服。漆黒のティアラ。ぱっと見メイド服ともとれる恥ずかしい恰好である。

 貧乳でもエロさを出せる衣装だ。

「来たわね」

「ああ、おはよう。もう昼だけどな」

 自動ドアが開くと、心地良い冷気が身体を包んでくる。

 休日なため、館内のソファは涼むことを目的とした高齢者や子どもで埋まっている。だが運良く、テーブルは確保できた。

「何が苦手なの?」

 向かい合う形で座し、教科書を並べていると訊ねられた。

「全部、かな」

「今から全部は厳しいわね。要点だけ教えるから、頭に叩き込みなさい」

「数学は?」

「出そうなパターンだけ暗記して」

 ことねは感覚で解いていくタイプらしく、教え方がわかりやすいとは言えなかった。俺は次々と教えられる情報を丸暗記すべく何度も暗唱し、ノートに書きなぐった。

 教わった範囲から問題が出れば解けるようになるかもしれないが、理解したわけではないので応用が来たらジエンドだ。試験が終われば覚えた箇所も吹き飛びそうな気がする。

 それでも俺は必死こいて頭に叩き込んだ。

 その間ことねは自分の勉強も行っていた――のだが、十六時を回ってくると、俺の後ろに移動し、背中を指でなぞり始める。

「何してんの?」

「文字書いてんの。勉強飽きた」

「あ、飽きたって、ことねが言い出したんじゃ」

「別にいいでしょー。ね、それよりなんて書いたか当ててよ」

 つつつ、と指がスライドしていく。

 くすぐったい。

「はい、なんだと思う?」

「……愛してる」

「当てたらジュース奢ってあげる」

「シュークリーム」

「……正解」

「ジュースだな?」

「十回勝負だから。一回でも負けたらジュースはなしねー」

 小学生か――と突っ込みかけて、言葉を飲み込む。

 胸はヘタしたら小学生以下だ。

 再び指が動く。動きまくる。縦横無尽に背中を駆け巡る。

 十秒、二十秒――まだ書いているだと!

「長いんだけど」

「わかったぁ?」

「全然」

「答えは『祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり』でしたー」

「もっと短い文でお願いします」

「ならギリシャ語書くわ」

「ジュース奢る気ないよね?」

「うん!」

 清々しいほど元気に答え、今度は俺の真横に並ぶ。と思いきや、テーブルと身体との間に割り込ん来て、ちょこんと膝の上に座った。少しだけ首をひねって、超至近距離で俺の顔を見つめる。

「な、何してんの?」

 彼女の温もりと甘い香りにくらくらし、かろうじて正気を保ちつつ問う。

「なんだっていいでしょー」

 と言って、抱きついてくる。ああ、胸の感触は感じられないが、それでもやっぱりドキドキしてしまう。ことねが両手を俺の首の後に回してくる。

 なんて小さくて、温かくて、柔らかい身体なのか。

 これで胸さえあれば。

 いや、胸があったらそれはもうことねではない。胸のないことを気にしている女の子。うむ、定番だが悪くない。

 ならばいっそいじって、殴られてみるべきか。

「ん?」

 俺はことねのノートの脇に置かれている箱に気づく。

 ウイスキーボンボンの箱だ。

「お前、まさか……あ、あんなので酔ったのか?」

「んー? 酔ってないよー?」

 よく聴けばちょっと呂律が回ってない。

 一層ロリっぽさを出している。

 こんなの夜の街に放ったら大変なことになるぞ。

「いや、酔ってるだろ」

「酔ってないっつーの」

 ぷうっと頬を膨らませる。

 ちくしょう可愛い。

「がおー、吸血鬼だぞー」

 かぷり。

 俺の首筋に噛み付く。甘噛みだ。

 舌と歯の感触がくすぐったい。

 と思えば、そのまますうすうと寝息を立て始める。

「なんてやつだよ」

 呆れながらことねをお姫様抱っこする。

 初めてやったが案外うまく抱けるものだ。そのまま向かいの席に座らせる。

 とりあえずお菓子は没収しておく。ことねのためだ。致し方ない。

「んん……」

 彼女の口元からよだれがたれてくる。

 ひょっとして、今なら舐めてもお咎めがないのでは?

 邪な考えが脳裏をかすめ、頬を両手で叩く。

「それじゃ変態じゃないか!」

「あっれー? にいちんじゃん」

 不意に耳に馴染んだ声が聞こえ、振り返る。妹だった。

「ルリリ。何やってんだこんなところで」

「それはこっちの――」

 ルリリの視線がことねを捉える。

「にいちんのロリコン! どどど、どうしよう? 警察? 警察に連絡?」

「落ち着けアホ。こう見えても学校の先輩だ」

「先輩? 歳上なの?」

「ああ」

 ルリリが疑うような目を向ける。

 確かにことねの容姿は幼い。制服を身に着けていないと、高校生だと照明のしようがない。勝手に彼女の荷物を漁って学生証を探すわけにもいかないし。

 ルリリがそっとことねに近づき、あろうことかスカートを捲った。

「なっ!」

 黒い下着があらわになる。

 ルリリはさらに下着すら引っ張って、中をのぞき込んだ。

 俺は生唾を飲み込むが、下着の中身までは見えない位置にいる。

「ふむふむなるほど。信じるよ」

 ルリリはスカートを戻すと、

「それじゃごゆっくりー」

 と手を振って立ち去ろうとする。

「ま、待て! 何を見た! 何を見たんだ!」

 俺はルリリの腕を掴んで引き止めた。

「何興奮してんの? にいちんキモいよ?」

「うぐっ」

 手を離す。

「ウソウソ。じゃねー」

 ししし、と笑って本棚の向こう側へと消える。

「マジで何を見たんだ」

 ちらりとことねを見やる。

「うぅん……私の歌を聴けー……」

「……勉強するか。補講食らうわけにはいかないもんな」

 そんなこんなで、努力のかいあってか、赤点だけはぎりぎり免れたのであった。



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