水無月ことね編⑤ や、やだ。恥ずかしいからぁ、あんまりみないでぇ



「それで俺が家に帰るとことねが言うんだ。『ご飯にする? 夕食にする? それともディナー?』って」

「いや、相棒。それ全部一緒だぞ」

「俺が『お前が欲しい』って言うと『まだダーメ。クスクス。デザートはぁ、食後のお・た・の・し・み。だよ?』とウインクするわけ。じゃあお風呂って言うと、服を脱いでタオルを巻いて入ってくるんだ」

「身体の洗いっこか! 素手で洗っちゃう系か!」

「甘いぜ海堂。同じ湯船に向かい合って入るんだよ。狭いからな。当然抱き合う形になる」

「だ、抱き合うのか。するとあれか、相棒。胸とか股間とかもうあれか、あれだな?」

「ああ。当たりまくりのビンビンだ。当然タオルは濡れてスケスケ。ピンクのぽっちが丸見え特捜部。俺は『や、やだ。恥ずかしいからぁ、あんまりみないでぇ』っていうことねの口を本気ちゅーで黙らせ、水分を吸って重くなった髪に指をからませ――」

「ほ、本番か! 大人の階段を上ったのか! 君はもうシンデレラではなくなるのか水無月っちゃああああん!」

「――そこで目が覚めた。部屋で鳴り響く『衝動』――すなわち、B'z。携帯のアラームだった」

「あらー。そいつは残念」

 三時間目終了後の軽い休み時間、俺と海堂はいつものようにバカトークで盛り上がっていた。

 時計を見ると、次の授業まであと三分しかない。念のためここらで用を足し出にも行こうか。

 そう思って腰を上げかけ、俺はギョッとした。

 すぐ横にことねが立っていたからだ。

 両の腰に手を当て、目を尖らせて俺を見ている。何故か、黒いエプロンをつけている。

 背の小ささと童顔のせいで、幼女にしか見えない。

 とか考えてる場合ではなく!

「こ、ここ、ことね……? ど、どうして一年の教室に――」

「用があるから来たのよ。悪い?」

 トゲのある声。風船のごとくぷうっと膨らむ頬。明らかに不機嫌。まさか、今の会話を聞かれた?

 助けを求めるべく海堂へと視線を転じさせる。すると海堂はお手上げだとでも言いたげに、両手を上げてわざとらしく肩をすくめやがる。

 わかっていたさ、こいつが肝心なときに役に立たないのは。

「あのさ、一応言っておくけど、今のは夢の話だからな? 仕方ないだろ? 夢を見ちまったんだから」

「……別に何も言ってないんだけど?」

「いや、だって、怒ってるじゃん?」

「怒ってないわよ!」

 バンッと机を叩く。俺と海堂はびくっと身を震わせた。

 周囲の視線が俺たちに集まる。

 痴話喧嘩か、というヒソヒソ声も耳に届く。もっと小声で喋れ野次馬共。

 さすがにことねも恥ずかしかったのか、頬を赤くさせる。赤くさせながらも要件だけは済ませにかかる。

「昼休み」

 ツーサイドアップを形成しているリボンを片方、ほどく。紐を指で摘み、俺の眼前でひらひらさせながら続ける。

「……昼休み、調理室に来て。今調理実習やってんだけど、ちょっと作りすぎちゃいそうなのよね。あんた部員なんだし、食べるの協力しなさいよ。いい? 絶対だからね!」

 一方的に告げると、早歩きで教室を出て行く。甘酸っぱいレモンの香りが後に残った。

 部員は関係ないじゃないか、と思わないでもないが、嬉しい申し出だ。良しとしよう。

 海堂が例のごとく憎たらしい笑みを浮かべ、俺を肘で小突いた。

「相棒、妄想の現実化も近いぞ」

「そ、そうか? って妄想じゃなくて夢だ夢」

「夢か。叶えろよ」

「いやそっちの夢じゃ――」

 チャイムが鳴り響き、俺は弁解を諦めた。トイレには行きそびれてしまった。もってくれよ俺の膀胱。



 さて待ちわびた昼休み。俺は破裂寸前だった膀胱を救うべく、便器に向かって尿を高速射出させた。身も心もスッキリしたところで、約束通り調理室を訪れる。

 覗きこむと、知らない顔ばかり。当然な話だが、全員二年、年上だ。ちょっと入り辛いなぁと入り口で止まっていると、背中を軽く叩かれた。

 驚いて振り向くと、生徒会長の黒宮麻衣がいる。

「どうした? ことねに呼ばれたんだろう? 入れ入れ」

 と背中を軽く押してくる。

「く、黒宮先輩もなんですか?」

「私はことねと同じクラスだ。さらに言えば同じ班でもある」

 そう言って、躊躇していた俺の袖を引っ張り、ことねのテーブルまで強引に連れて行く。女なのに力が強い。

「あら、来たんだ?」

「よ、呼ばれたからな」

 俺は頭をかいて、躊躇していたことをごまかす、

「ま、座りなさいよ」

 俺がことねの正面に陣取ると、黒宮が隣に腰を下ろした。

 テーブルには人数分のチャーハンとレモンパイ、豚汁、サイダーかなにかの入ったグラスが置かれている。これら全てが超可愛い先輩たちの手によって作られたのかと思うと、よだれが止まらない。

「あれ? そういえば黒宮先輩、この前調理実習とかで確か――」

「嘘よ、あれは。あの後問い詰めたら、私のことが心配だとか言って、部室に訪れるきっかけ作りのためにパンケーキを焼いたのよ」

「君達に美味しく食べてもらおうと思ったのは事実だ。邪魔をしたのは悪かったよ」

「別に邪魔とかそういう問題じゃないのよ」

「ああそうか。すまないな、気が利かなくて。席を外すから二人っきりで楽しみたまえ」

 黒宮が自分の皿を持って、立ち上がる。

「ちょ、ちょっと」

 ことねが制止しようと袖を掴もうとするも、ひらりとかわされる。ごゆっくり、とニヤニヤしながら黒宮は別のテーブルに割り込んでいった。

「もう、麻衣ちゃんのバカ……」

「仲良いんですね」

「……ま、まあね。中学からの付き合いだし。それより早く食べなさいよ」

「あ、ああ。いただきます」

 チャーハンをすくって食べる。さすがはことねと黒宮の手作りだ。店に出しても十分通用する味に、俺は感動して涙を流した。

「うまい。うまいよ! マジでうまいよ! 二人とも料理得意なんだな」

「えへへ。まーね。といっても、麻衣ちゃんに料理教えたのは私なんだけど」

「へえ。凄いなあ。俺は全然料理出来ないよ。今度俺も家庭科で、肉とか野菜とか切る試験あるんだけど、やばいんだよな。唐揚げ用の肉とか、まっすぐ切れなくて」

「あー、慣れてないとそうかもねー……私はうまく切れるわよ?」

「さすがだなあ。家庭的な女の子って、凄く魅力的だよ」

「ふふ。でしょでしょ? でも、ほら、あんたも肉くらい? 切れないと試験まずいんじゃない?」

「そうなんだよなあ……」

「…………教えてあげよっか?」

「え? マジか!」

「言っとくけど、仕方なく、よ。補習でもくらって部活の練習できなくなったら困るからね。私のために教えるのよ。勘違い、しないでよ?」

「それでも嬉しいよ! ありがとうことね!」

 俺はことねの両手を掴んで、ぎゅっと握りしめた。

「……わ、わかればいいのよ。ともかく、今度の日曜日、予定あけときなさいよ? ところで、さっき話してたあんたの友達、アレなんて名前なの?」

「友達? ああ、海堂か。海堂湖根だ」

 俺は彼女の手を離し、答えた。

「こねって、変な名前ね。ネコみたい」

「まあな。ネコといえばあいつ、黒猫を飼ってたな。といっても見たのは随分昔で、今もいるのかはわかんないけど。海堂がどうかしたのか?」

「別に。ただ、どっかで会ったような気がしてね」

「するってーとゲーセンか? あいつも結構ゲーセンいくぞ。俺がはじめてことねを見かけた時も、一緒にいたぞ。そういやアイカツをはじめたと言ってたな。俺達がプリクラ撮ってたとこ、見てたらしい」

 それをネタに今朝さんざんいじられたのだ。

 奴が一階にも出没するようになったとは、ことねとゲーセン行くときは場所を変えたほうが良さそうだ。

「ふうん。ならゲーセンで見たのかなぁ……」

「ま、まさか、あいつに惚れちまったのか……?」

「は? なわけないでしょ」

「じゃ、じゃあ、俺に……惚れてるとか?」

「……っ! ば、ばーか。自惚れんな。あんたの夢の通りになんか、絶対ならないんだっつーの」

「ですよね……って、やっぱり夢の話聞いてたのか」

「ばっちり聞こえてたわよ、変態」

「くっ」

「あ、ちょっとまって」

 ことねが席を立つ。どこに行くのかと思っていると、調理台からフライパンを持って戻ってくる。そして俺の皿に追加のチャーハンを山のように盛る。

「はい、これも追加ね。マジでうまいチャーハンなんだから、これくらい余裕でしょ」

「……作りすぎたのは本当だったんだな」

 てっきり俺のために作ったのを隠すための言い訳だと思っていたのに。

 まだまだことねをモノにできるのは遠いらしい。

 出口の見えないラブラビリンスにとらわれ、俺は肩をがっくりと落としてスプーンを山に突き立てた。

 ひょっとしたら指輪でも入ってないかなと期待したが、何もなかった。



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