水無月ことね編③ Loveで世界をぶち壊せ!! 宇宙一のミュージシャン!?



 昨夜は徹夜でギターの練習に励んだ。そのせいで、俺は午前の授業を全て睡眠に費やしてしまった。

 成績は悪いし勉強もあまり好きではない俺だが、別に不真面目というわけではない。

 俺は友人からジュースと引き換えにノートを借り、昼休み全てを使って必死に写した。同じく熟睡していたらしい海堂は、俺が相手にしないせいか他の男共とゲームをするのに忙しい。

 俺はゲームと空腹の誘惑を振り切り、試験のあとで補習でもくらいやがれと海堂を呪った。

 放課後、俺が部室を訪れると既にことねがギターを弾いて待っていた。

 脚を組んで座り、サイドテールをぴょこぴょこ揺らしながら楽しそうに弾く。今日は何故か赤いハッピを着ている。

 ことねのセンスはわからない。

「――というわけで、今日は昼を食べてないんですよ」

「練習熱心なのはいいけど、ちゃんと授業も受けなさいよね」

 呆れたように言い放ち、自分の鞄をごそごそとさぐる。中からクッキーの箱を取り出して、俺に放った。

「ほら、あげるわよ」

「おお! ありがとうございますことね様」

 俺がおあづけを受けていた犬ようにがっつくと、ことねは続きを弾きはじめる。

 指がめまぐるしく動く、アップテンポのかっこいい曲だ。

「ところでことね先輩は歌ったりしないんですか?」

「ことねでいいわよ」

「え?」

「先輩って呼ばれるの、苦手なのよね。なんか距離感じるじゃない? だから、呼び捨てでいいわ。敬語も禁止ね」

「ああ、なるほど。いやでも、急に下の名前はちょっと」

「むぅ。何よ、嫌なわけ?」

 じっと俺を睨む。

 ああ、ジト目もなかなかどうして興奮する。

「そういうわけじゃないですよ」

「なら言いなさいよ」

 女の子を下の名前で呼ぶことなど、多分今までなかった。しかも相手は年上。緊張する。緊張するけども、考えてみればこれはチャンスだ。呼んで許されるのなら、いっそ思い切ってしまおうか。

「こ、ことねっち」

 口にしてから気付いた。これは結構恥ずかしいぞ、と。

 俺は顔が熱くなっていくのを感じた。

「あ、やっぱり今のなしで」

「恥ずかしいんなら言うなっての」

 ことねがギターの手を止めて、ため息をつく。

 やめておけばいいものを、俺は次に閃いた呼び名を試してみることにした。

「じゃあ水無月だからミナリン。あ、みっちーもいいな」

 背中がゾクゾクした。

 段々恥ずかしいのが快感になってきたようだ。ひょっとしたら俺はMなのかもしれない。

「だから顔赤くして言うなっての。こっちまで恥ずかしくなるじゃない」

「素直にことねと呼ばせて頂きます」

「よろしい」


 再び演奏を始めることね。身体が小刻みに揺れている。全身でリズムをとっているのだ。楽しそうに弾く人だなあ、と俺は見惚れる。

「で、歌は?」

「歌わないわよ」

「そうなのか。ことねの声、結構好きだから聴きたかったんだけどな」

「名前呼ぶのには照れてたくせに、好きとかは簡単に言えるんだ?」

「ん? おかしいか? だって本当のことだぞ。好きだって思ったから言ったんだ。俺はことねの声も演奏も好きだ――」

 ガチャリ。不意に部室のドアが開く。

「――大好きなんだ!」

「やあことね。家庭科の授業でパンケーキを焼いたんだが」

 俺が叫ぶのと来客が入室するのはほぼ同時であった。

 来客は黒宮だった。

 俺が驚いて振り向くと、黒宮がニヤニヤする。

「すまない。邪魔したようだ。パンケーキは置いておくぞ。ごゆっくり、青春ボーイ」

 黒宮は皿を床に置き、俺を一瞥してから撤退していった。

「…………」

「……食べれば? お腹すいてるんでしょ?」

「怒った?」

「別に……?」

「………………パンケーキ、食べます?」

「……うん」

 俺は皿に添えられていたナイフでパンケーキを両断し、片方を素手で掴んだ。

 ことねは一本しかないフォークで食べる。

 ハチミツがたっぷりで、甘くて美味しいパンケーキだ。空腹なこともあって、大変美味しい。

 俺は告白を勘違いされた恥ずかしさを忘れ、幸せを身に染み込ませていた。

「……仕方ないから歌ってあげるわ」

 完食したところで、ことねが言った。

「マジすか!」

「その代わり!」

 ビシっと俺の顔面に人差し指を突きつける。

「笑ったら死刑だから。いい?」

「笑わないよ」

 俺がハンカチで口を拭いながら答えると、ことねは深呼吸し、いつになく真面目な顔つきをした。

 そして、ギターを奏でながら歌い始める。

 透き通る、水のような声だった。

 と思ったのは一瞬。恐ろしく音程の外れたとんちんかんな歌声が部室に反響し始める。ギターは上手いのに、歌は音楽の斜め上をロケットで爆走している。そんな感じ。酷い音痴だ。

 声は綺麗なのに実にもったいない。

「Break!  Break!  Love and repaint!  Love great fucking world and destroy!」

 最後は飛び切り派手に音をかき鳴らし、演奏が終わった。

 俺は手を叩き、ブラボー、と叫んだ。

「なんの曲?」

「オリジナル……的な?」

 やや頬を紅潮させ、答える。

「それで、どう、だった?」

「よかったよ」

「本当に? お世辞だったら怒るわよ?」

「本当さ。まあ確かに、歌はうまくないな。けど、一生懸命さは伝わった。感動したのは事実だ」

「……ふうん。けど、一生懸命なだけじゃやっていけないのよ」

「プロ、目指してるんだよな。そういえば第一軽音部にいないのはなんでなんだ? あ、無理に答えなくてもいいんだけど……」

「音痴だからよ。みんな、私の歌をバカにした。その癖練習には不真面目。なかには上手い奴もいるしちゃんとやってる奴もいる。仮にも有名な部だからね。けど、一生懸命さでは私だって負けてなかった。負けてなかったのよ」

「大半の連中はことねの熱血についてこなかったし、にも関わらず歌はバカにしてきたってとこ?」

 ことねがギターをしまいながら頷く。

「そ。私は負け犬なのよ。幻滅した? 辞めるなら今のうちね」

「なら見返してやろうじゃないか! 俺とことねでユニット組んで、あいつらを見返してやろうぜ! 目指せ世界一、否、宇宙一のミュージシャン!」

 ことねはしばらくの間目を丸くさせていたが、すぐに苦笑し、言った。

「まだろくにギターも弾けない素人が、ナマ言っちゃって」

「俺の長所は有言実行だぜ。なんなら、ボーカルを担当しようか?」

「いいわ。その提案、乗ってあげる。その代わり、やるからには全力よ?」

「望むところだ。朝練も自主練もなんでも来やがれってんだ!」

「いい覚悟じゃない」

「ああ。とりあえず、一回やってみようぜ。さっきの聴いて、だいたいどんな歌かわかった」

「そう? なら――これが歌詞だから、歌ってみて。弾くから」

「おう!」

 俺はプリントを渡され、やる気に満ちた返事をした。

 と、意気揚々とはじめた俺たちであったが、五分後には頭を抱え込むことになった。

 なんと俺は彼女以上の音痴で、しかも英語の歌詞が読めなかったのだ!

「すまん……」

「いいわよ別に。どうせ練習するんだし」

「お、おう。とりあえず、英語の発音から教えてくれ」

「こりゃ先が思いやられるわね」

 ことねがだるそうに呟いた。



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