羽月輝夜編⑨ Q:女の子は処女膜を破って美しくなりますか? A:いいえ、まどろっこしくて、苦しくても、恋は幸せなんだって叫びたいのです



 まるで夢でも見ているかのようです。黒宮さんほどではないけれど、女の子たちから好かれているかっこよくて優しい小野くん。甘いマスクを持ちながら、少しも嫌味を感じさせない王子様の中の王子様。そんな彼と輝夜なんかが一緒にいるなんて。

 て――また輝夜なんかと思ってしまいました。宮原くんに知られたら怒られますね。可愛いんだから自信もてと。

 でも相手は小野くんです。

 輝夜より可愛い女の子をいくらでも選べる雲の上のようなお方です。そんな神様みたいな方と肩を並べて、自信もてだなんて。恐れ多くて死んじゃいます。

 心臓バクバクで余裕なんて欠片もない輝夜とは違い、小野くんはこうして一緒に歩いている最中も

「暑くない? 飲み物買おっか?」

「どこか行きたいところあったら行ってね」

「疲れてる? 休もうか?」

 と気遣ってくれます。なんだか余裕を感じます。

「い、いえ……大丈夫、です」

「そう? 遠慮しなくていいんだよ?」

「お、小野くん、が行きたいところなら、その、どこでも」

「俺は月羽さんとならどこでもいいんだけどなー」

 ゲーム喫茶と書かれた看板の前を通過します。

 気になったけれど、女の子がゲームなんて引かれたらどうしようと思って、行きたいなんて言えません。

 ああ、宮原くんだったらむしろ誘ってくれるのに。

 宮原くんと行きたいなあ。

 なんて考えちゃう輝夜はどうしようもないへたれです。せっかく小野くんと一緒にいるのに。

 どこかに入ることもなく、ただ校内をうろつきます。小野くんの話に頷くくらい出来ない輝夜。つまらないと思われているのでしょうか。いっそその方がいいのかもしれません。


「ちょっと休もうか? あっちにさ、いい休憩スペースがあるんだよね」

「は、はい」

 どうやら疲れていると思われたようです。

 小野くんは周囲の視線も物ともせず、輝夜と歩幅を合わせて堂々と歩きます。

 そうして連れてこられたのは、今はもう使用していない体育倉庫でした。

 古い跳び箱とマットの他には何もありません。

 確かにここなら誰にも見つからずゆっくり出来るかもしれませんが、なんだか薄暗くて不気味です。

 二人で中に入ると、小野くんが扉を閉めて鍵をかけました。

 鼻をつく埃の匂い。何一つ光のない漆黒の世界。

 ちょっぴり怖くなって、輝夜は小野くんの顔をみました。しかし、暗闇のせいで表情がわかりません。

「確かここにスイッチがあるんだよね」

 いつもとなんら変わらない小野くんの声だけが聞こえます。

 数秒ほどたって、頭上で白い光がチカチカと点滅し、蛍光灯がつきました。

 小野くんの顔には爽やかな笑顔が貼り付けられています。

 小野くんはゆっくり輝夜に近づき、両肩に手を乗せると言いました。


「えっちしよっか」


「えっ?」

 今、彼はなんと言ったのでしょうか。

 驚いて訊き返すと、今度はゆっくりと

「えっち……しようよ? ね?」

 と言います。

 聞き間違いではないようです。

「だめかな? いいよね? 優しくするからさ」

 小野くんの指が優しく輝夜の髪を撫でました。

 声も表情も少しも変化してないのが不気味に感じ、拳をぎゅっと握りました。

 そして、顔が接近してきました。

 小野くんの唇がすぐそこに。

「いやっ」

 気がつけば小野くんを突き飛ばしていました。小野くんは尻餅をつき、目をパチクリとさせます。

 ああ、嫌われた。恋人同士ならきっと普通なことなのに。輝夜に意気地が無いばかりに。

「大丈夫。大丈夫だよ? 俺、慣れてるからさ。怖くないよ? 知ってる? 女の子はね、処女膜を破って美しくなるんだよ。俺のために美しくなっちゃおうよ?」

 安心させようと言ったのでしょう。

 それでもそういうことはしたくない――と思ったのですが、怖くて口に出せません。

 輝夜なんかがこんなことを言うのは生意気かもしれませんが、純粋で純情なおつきあいをしたいのです。

 はじめてのキスまでたっぷり時間をかけて、付き合って一年目の記念日とか、クリスマスとかの大切な日にファーストキスを交わすような――まどろっこしくて、苦しいけれど、キュンキュンしちゃうような恋。切なさに恋して、恋に恋して、その辛さすら幸せなんだって思いたいんです。そして、思いを伝えて報われた時、嬉しくって泣いちゃうような恋――。

 夢、見すぎなのでしょうか。

 一般世間の男女にとって、キスは挨拶程度の軽いものなのでしょうか。

 輝夜が首を横にぶんぶん振ると、顎を掴まれました。

「じゃあキスだけでも、さ? すぐに俺に酔っちゃえるから。ね?」

「……い、いや……です。や、やめて…………ください……」

「やめないよ。だって俺、月羽さんが好きだもん。それとも、月羽さんは俺が嫌い?」

 もう一度首を振って否定します。

「じゃあいいじゃん。好きってことは、キスしたいってことでしょ?」

 好きはキスしたいということ?

 本当にそうなのでしょうか。

 確かにキスに憧れることはあるけれど、こんなに簡単にしていいものなのでしょうか。

 輝夜は自分と小野くんがキスをしている場面を想像してみました。何故でしょう。しっくりきません。永遠にしたくならないような、そんな気さえします。

 だとしたら、輝夜は小野くんが好きではない?

 何故か脳裏に宮原くんの姿が浮かびました。

 もしかしたら輝夜がおかしくて、小野くんは正しいのかもしれません。

 いえ、きっとそうなのです。

 だけど――。

 それでも、宮原くんなら――私が唯一心を許せる彼なら、きっと輝夜のこの気持ちを理解してくれるはずです。輝夜のことを大切に思ってくれる。輝夜も、宮原くんになら、キスをしてもいいし、もっと理解したいと思う。

 ――ああ、つまり、そういうことだったんですね。

「輝夜ちゃん!」

 叫び声と共に、金属製の扉が内側に倒れました。ドーンという激しい音に驚き、肩を震わせました。

 宮原くんでした。宮原くんが扉を蹴り飛ばして入ってきたのです。

「宮原? どうしたんだいこんな――」

「どうした? どうしただって? お前がどうしたんだよ小野ォッ! お前、お前ぇっ、か、かかか、輝夜ちゃんに! 輝夜ちゃんに何してんだァッ!」

 宮原くんはすぐさま小野くんの肩を掴み、輝夜から引き離しました。

「何ってキスだけど?」

「き、きき、キスぅ? ばかなっ、ばかなっ、ばかなっ! まだ早いだろ! だってお前ら、くっついてまだそんなっ! ばかなぁっ!」

「少し落ち着きなよ? 恋人なんだから、キスくらい普通でしょ?」

「ふ、普通? 普通なのか? いや、でも、確かにそうかも。いや、だがしかし、やっぱり、なあ輝夜ちゃん?」

 輝夜はこくこくと頷きました。

「ほら見ろ。輝夜ちゃんだってまだ嫌だったんだよ! 早い。早いですよキスは!」

「そうなの? 月羽さん?」

「……は、はい。その、ごめんなさい……」

「そっか。じゃあ別れよう」

 途端、めんどくさそうに頭を掻きます。

 それから出口に向かって歩いていきます。

「えっ? お、おい小野っ! キスできないから別れるって、お前の愛はそんなもんかっ」

「そんなもんだよ。ちまちましたのってさ、苦手なんだよね。俺、がっつり肉食系ですから。でもそーゆーの? いいんじゃない? 俺はいいと思うよ? ごめんね月羽さん。けど君と宮原、お似合いだよ。少し、羨ましいよ」

 宮原くんは最後まで爽やかな笑みを浮かべ、去っていきました。

 どうやら輝夜はふられたみたいです。

 なのに不思議です。凄く安心してしまいました。

「ごめん、輝夜ちゃん。俺のせいで……」

「いいんです。それに嬉しかったです。来てくれて……」

「輝夜ちゃん……」

 それでもまだ身体の震えが収まらなくて、俯いてしまいます。すると、宮原くんが輝夜をぎゅっと抱きしめてきました。宮原くんが相手だと、凄く凄く安心できちゃいます。

「……よかったら残りの文化祭、一緒に回りませんか?」

 多分、今の輝夜は顔が真っ赤です。見られるのが恥ずかしくて、抱きしめられたまま、顔を宮原くんの胸で隠したまま、言いました。

「ああ! さっきゲーム喫茶なるものを見つけたんだ! 一緒に行こう!」

「はいっ!」

 やっぱり、輝夜には宮原くんしかないみたいです。

 一緒にいてこんなにも笑顔になれる人、彼だけですから。



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