月羽輝夜編⑦ らめぇ、そ、そんなに突いたら、赤ちゃんの部屋に――




「す、すすす、好きでふっ! つ、つつ、付き合って――くだひゃいっ」

「もっと大きな声で! 相手の目を見て!」

「好きです! つ、つつっ、つううっ――ぐすん」

「次!」

 輝夜がノートのページを捲る。

「ら、らめぇ、そ、そんなに突いたら、赤ちゃんの部屋に――って、これ、なんか違いませんか?」

「もっと恥ずかしいセリフになれることで告白くらい余裕でこなしちゃおうぜ、という特訓だ。さあ次のセリフ!」

「な、中に出してぶふはぁっ」

 盛大に噛み、涙目になる。

「うーん。ちょっと休憩しよっか。ジュース買ってくるから、休んでて」

「は、はふぅ……」

 輝夜がベンチに崩れるように座り込む。


 期末試験を無事乗り越えた俺達は、早朝のランニングに加え、放課後の告白練習を実施することにした。

 方法は単純。誰もいない屋上で輝夜がひたすら告白のセリフを吐く。俺がそれを録画し、繰り返し見せる。

 映像には言葉のアクセントや立ち振る舞いを客観的に分析させるという意味もあるが、それ以上の役割も持っている。

 恥ずかしいことをしている自分を眺め、その恥ずかしさに慣れるという役割だ。

 無論、短期間でまったく恥ずかしげもなく告白できるようなレベルに達するのは不可能だ。それに、淡々と告白されたらちょっと嘘っぽい。故にそこまで成長させるつもりはない。

 しかしながら、今のままでは相手に意図が伝わらない恐れがある。

 そこそこ緊張し、恥ずかしそうにしつつも相手には告白が伝わる。

 これこそがベストなラインではなかろうか。

 オレンジジュースと爽快ビタミンを買って戻ると、輝夜がベンチから腰を上げた。

「もう一回お願いします!」

「そうか? じゃあ、別パターンいってみようか」

「は、はいっ」

 輝夜が顔を火照らせながら、深呼吸を繰り返す。

 その度に胸が揺れる。

「ず、ずっと前から……あなたの事を見ていました。私と、その、つ、つつ――」

「頑張って!」

「――月が綺麗ですっ!」

「うん。そのパターンは伝わらなくて気落ちするパターンだから、だめ」

「……は、はい。でも、やっぱり輝夜じゃ無理ですよ」

「そんなことないイケるイケる諦めないで! 輝夜ちゃんは可愛い! マジ可愛いペロペロしたい髪の毛もふもふしたい! だから自信持って!」

「う、ううっ」

「はいここでハイパー自己分析ターイム!」

 俺が動画を再生させる。

『ら、らめぇ、そ、そんなに突いたら、赤ちゃんの部屋に――』

 すると輝夜がオレンジジュースを投げた。

 顔面にもろにくらい、俺は後ずさる。

「痛いよ輝夜ちゃん?」

「こ、ここ、この動画はダメです。ダメですぅ」

 と声を震わせ、動画を削除してしまう。

 ああ、勿体無い。

「……よし、わかった。ならば俺が手本を見せよう! 海堂!」

 俺が指を鳴らすと、屋上と校舎内とを繋ぐ鉄の扉が開かれる。

 海堂が一人の女生徒を引き連れ、入ってきた。

 予め頼んでおいた練習台だ。

「なに? なんの用なの?」

 黒いパーカーを羽織り、改造された二段重ねのスカートを履いた、ロリ系の美少女である。しかも黒髪ポニテ。結構可愛い。しかし貧乳。

「そこらへんを歩いていて暇そうだから連れてきた。水無月さんって言うらしい」

 海堂が耳打ちする。

「そうか、ご苦労であった」

 事情までは説明されていないらしく、水無月さんが訝しむような目を俺に向ける。

 俺はゆっくり彼女に歩み寄り、

「好きです! 俺を貴方の犬にしてください御主人様ぁっ!」

 土下座した。

「えっ」

 水無月さんが声を裏返らせる。

「さあ! この卑しい犬っころを踏み踏みしてくださいその美しきアンヨでぇっ! ハアッハアッ」

 ドキドキしながら御褒美を待っていると、パタパタと駆ける足音がする。

 恐る恐る顔をあげると、水無月さんが出口へと全力疾走していた。

「あー、相棒? さすがに今のはドン引きだわ」

「そうか。海堂、事情の説明を頼む」

「了解したぜドエム犬」

 海堂が逃げた水無月さんを追いかける。海堂はやる時はやる男だ。俺が明日から全校生徒に変態という名誉あるレッテルを貼られることだけは、阻止してくれよう。

 俺は立ち上がった。

「とまあ、今のは悪い例だ。輝夜ちゃんが普通に告ってもこんなことにはならないから安心していい」

「は、はぁ」




 そして翌日。運命の日がやってきた。

 早朝。俺は輝夜が徹夜して書いたというラブレターをターゲットの下駄箱にセットし、屋上に向かった。

 給水塔の影に隠れ、フェンスに寄りかかっている輝夜を見守る。待つこと十数分。

 屋上に例のイケメン野郎小野が現れた。

「話ってなにかな?」

 白い歯を輝かせ、憎き爽やかスマイルを浮かべる。

「あ、あのっ、か、私は――月羽輝夜って言います」

「うん。知ってるよ」

「それで、そのっ」

 口をパクパクと動かすも、言葉が出てこない様子。

 もどかしい。察しろよイケメン野郎。俺は拳を握りしめる。

 輝夜が俯く。今すぐ駆け出して抱きしめてやりたいが、それは出来ない。俺はただのキューピットにすぎないのだ。

「あのさ、実は俺も月羽さんに伝えたいことがあったんだ。いいかな?」

「えっ? あ、はいっ」

 輝夜が顔を上げる。期待と不安の入り混じった顔だ。

 何を言うつもりか。余計な発言をして輝夜を困らせたら、殴ってやろう。

「俺、月羽さんのことが好きなんだ。だから、俺と付き合ってください」

 イケメン野郎が頭を下げた。

 バカな。

「――え? あっ! は、はいっ! 私も好きです! こちらこそよろしくお願いしますぅっ」

 お互いに頭を下げあう奇妙な絵面。

 顔を上げたのは同時だった。

「ほんと? よかったー。ふられるんじゃないかってドキドキしたよ。怖かったー」

 小野が胸を押さえてわざとらしく息を吐く。

「じゃあさ、今度の文化祭一緒に巡ろうよ!」

「はいっ!」

 小野は文化祭を記念すべき初デートにさせるという約束を交わすと、去って行った。

 放心したように空を仰ぐ輝夜。

 俺は慌てて給水塔から降り、友の元へと駆け寄った。

「やったね輝夜ちゃん!」

「はいっ! すべて宮原くんのおかげです! ありがとうございます!」

 眩しい笑顔で俺に抱きつく。胸が当たる。

 いつもならハアハアしちゃうところだけど、今回ばかりはそんな余裕が無い。

 ホームルーム開始五分前を意味する予鈴が鳴った。

「あ、輝夜お手洗い行きたいので、先に戻ってますね」

「ああ。お疲れ様」

 輝夜が去った後、俺は全身に疲労感を覚え、ベンチに腰を下ろした。

 輝夜の恋を実らせるという目標は達した。これは俺にとっても、輝夜にとっても、喜ばしいことだ。

 だがしかし!

 俺は胸にぽっかり穴が空いたような、虚無感を感じていた。

「心のどこかで失敗すればいいって思ってたのかな」

 輝夜は俺のことを恋愛対象とは見ていない。

 そんなことは百も承知のはずだったのに、なんだかひどく悲しい。

 もう、告白練習もランニングもする必要はなくなった。

 輝夜はこれからも俺と友達でいるつもりだろう。俺だってそのつもりだ。だけど、彼氏でもない男が、彼氏のいる女の子と四六時中べったりしているわけにはいかない。

 会う機会は減らさなければならない。

 それがきっと輝夜のためになるのだ。

 なに、寂しいのは少しの間だけだ。すぐに輝夜は小野から離れなくなる。

 あいつは俺よりもイケメンなのだから。

 そう――心から思っているはずなのに!

 だからここまでやってきたのに!

 何故胸が苦しいのか!

「なあ恋の神様よ。見てるんだろ? これで、よかったんだよな? 俺、間違ってないよな?」

 恋の神様は答えない。

 わかっている。そんなモノは存在しない。わかっているのに、どうしたことか。信じてもいない神にすがりたいというこの心境は。

「俺はなんて情けない男なんだろうな……」

 チャイムが鳴いた。

 俺は急ぐ気になれず、ぼんやりと青空を見上げ続けた。



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