月羽輝夜編⑥ お姫様抱っこで相合い傘です?



 窓から零れる暖かな午後の陽光。白いノートの上で踊る木の葉の影。冷房の効いた図書館。耳に届くのは紙のめくれる音と、カリカリというシャーペンが紙上を走る音のみ。

 俺は正面の席で、せっせと勉強に取り組む輝夜を見つめた。

 淡い水色のワンピースの上に、桃色をした半袖のカーディガンを引っ掛けている。

 大きな黒い瞳で穴があくほど問題集を見つめては、答えを律儀にノートに書く。ある程度解いたら答え合わせをし、一喜一憂。意外と表情が豊富である。

 俺はというと、日曜日の昼間から美少女を眺めていられるなんて、俺もえらくなったもんだなあ――と解いてもいない問題集をめくる。

 ふと輝夜と目が合う。彼女の頬が赤く染まった。視線が熱すぎたらしい。

「ど、どうしたんですか?」

「ああ、ちょっとここがわかんなくてさ」

 数学の問題集を指差す。

「どこですか?」

 輝夜は身を乗り出すようにして、開かれているページを覗き込んできた。

 胸元が強調され、俺は生唾を飲み込んだ。

 谷間は見えるがブラまでは見えない。うーん残念。

「ここはですね」

 輝夜が丸っこい字を俺のノートに書いて、解説をはじめる。赤子に教えるように、一から十まで丁寧に書いていく。細かくて読みづらかったが、そこらの参考書よりも詳しくてわかりやすい。

「おっと」

 肘で消しゴムを押してしまい、床に落とす。

 テーブルの下に潜り込むと、白い太ももがすぐそこにあった。

 こ、これは……。

 スペインの沈没船「アトーチャ号」から四億ドルに匹敵する財宝を見つけ出したという、かのトレジャーハンター・メル・フィッシャー。彼すら仰天するほどの素晴らしいお宝が、俺の眼前にある。

 そう、輝夜は大胆にも股を開いて座っているのだ。

 にも関わらず、太もも同士が触れ合っていて、パンツが見えそうで見えないもどかしさ。

 これぞ内股の防衛ライン。

 あともうちょっと足を開いてくれれば、お宝と対面できるというのに!

 だがいつまでもテーブル下にいては怪しまれる。俺は泣く泣く消しゴムを拾い上げ、地上へと帰還する。


「静かなのって落ち着きます」

 輝夜が自分の問題集に目を落としたまま、言った。

「お前はそうなんだろうな。俺はもう少し賑やかな方が好きだ」

「ゲーセンですか?」

「まあ、そうだな。けど、こういうのもたまには悪くない」

 一通り解けたので、答えのページを開く。

 奇跡だ。七割も当たっている。輝夜の教え方がうまいおかげか。

「……な、なら、試験が終わった後もたまに来てみませんか? ゲームギアとか持ってきますよ?」

「そうだな。誰にも邪魔されずゆっくりデート出来るしな」

「で、デート……ですか」

「なんてな。お前がデートしたい相手は別にいるもんな」

「ううっ。そんなにからかわないでくださぃ……」

 輝夜が顔を赤くさせ、スカートを両手でぎゅっと握る。

「しかし輝夜ちゃん、髪綺麗だよね。手入れとかしてるの?」

「い、いえ、なにも。そういうの、あまり詳しくなくて……」

「へえ。勿体無いなあ。俺は妹がいるから少しくらいなら髪結んだりとか出来るよ。してみよっか?」

「ほんとですか? お願い……してもいいですか?」

「勿論さベイビー」

 俺は頷いて、輝夜の右隣に移動した。

 ガラス細工にでも触れるかのように、そっと彼女の頭を撫でた。柔らかくてスベスベの髪が、指と指の間に滑り込む。

 俺はそのまま輝夜の髪を手櫛し、髪のなめらかな感触を楽しんだ。

「どんな髪型にしましょうかお嬢様?」

「おまかせします」

「かしこまっ」

 手始めに、髪を上の方で丸めて団子にしてやった。携帯端末で写真を撮って見せてやると、器用なんですね、と笑う。

 次に両サイドのもみあげ部分を三つ編みにする。

「あ、これなんか可愛いです」

「じゃあこの路線でいこうか」

 三つ編みにした髪を後ろにもっていき、グリグリと毛束を丸めて団子状にする。そして、こんなこともあろうかとポケットに忍ばせていた、赤いリボン型のバレッタでまとめる。

「ハーフアップだ」

 写真を見せると、目を輝かせてくれた。

「わあ! すごいです! 宮原くんてほんとにいろいろ出来るんですね!」

「まあ、な。このバレッタは妹のだから、あげるよ」

「え? でも、いいんですか? 勝手に」

「いいよいいよ。ろくに使わない癖にいっぱい持ってるから」

 笑って言ってやると、納得したのか頷く。

 息抜きもしたので勉強を再開する。

 久々に集中し、気がつけば太陽の光がオレンジ色になっていた。

 俺が背伸びをしていると、

「今思い出したんですけど、今朝、不思議な夢を見たんです」

 輝夜が切り出した。

「どんな?」

「輝夜が宮原くんと親しくならなかった世界の夢です。その世界では宮原くんは生徒会長さんと親しくやっていて、一緒に文化祭まで出ちゃうんです」

「俺が黒宮先輩と? はは、ないない。次元の違う人だよ」

「でも、お似合いでしたよ。輝夜なんて入る隙がないくらいに……」

「夢の話だろ? それで、じゃあその夢では輝夜ちゃんはどうしてたの?」

「一人、だったんですけど。海堂くんが友達になってくれて。それはそれで嬉しいんですけど、でもなんかやっぱり寂しくて」

「海堂ねえ。まあ現実では俺は何があっても輝夜ちゃんの友達なわけだし、変な心配することないよ」

「はい! あ、海堂くんは黒いネコを抱いてました」

「あー、あいつネコ飼ってたな。案外予知夢だったりしてね」

「宮原くんがやっぱり私を見捨てるってことですか?」

 目をうるうるさせる。

「ごめん、冗談だよ。俺達の絆は永遠だ」

 頭を撫でて言うと、よかった、と笑う。

「さて、そろそろでよっか。閉館時間も近い」

「ですね」


 出口に向かうと、なんとバケツをひっくり返したような雨が振っているのではないか。天気予報のお姉さんは一日晴れだって言っていたのに。

「うわぁ、俺傘持ってないよ」

「あ、あの、折りたたみならありますよ」

 輝夜がポーチから水玉模様の傘を取り出す。

「良かったら……入ります?」

「ほんと? サンキュー輝夜ちゃん」

 俺は輝夜よりも下の位置を掴み、同じ傘に入った。

 しかし、そこは小さな折りたたみ傘である。入りきらず、俺も輝夜も肩を濡らしてしまう。

「これじゃ風邪引いちゃうかな。輝夜ちゃんが使いなよ」

「いえ、それでは宮原くんが」

 とお互いに譲らない。

「よし、こうしよう。輝夜ちゃんは傘を持ってて。俺は輝夜ちゃんをお姫様抱っこするから。そうすれば二人収まりきる」

「ふええっ? そ、そんなこと……」

「さあ早く! このままでは二人共風邪を引いてしまう!」

 ちょっと強めに言うと、恥ずかしそうに胸をおさえながらもこくりと首を振るう。それを合図に、俺は生まれて初めてのお姫様抱っこに挑戦した。

 何度も何度も妄想し、抱き枕相手に練習だって重ねてきた。綺麗に抱き上げることは出来たが、意外と重い。

「あ、あの、重くないですか?」

「全然」

 俺は強がって笑顔を見せる。

 傘を持つ役は輝夜に任せ、俺は歩き出す。

 太腿のすべすべした感触に対し、ニヤケ顔を耐えるのが辛い。

「何してんのにいちん」

「わっふる!」

 唐突に聞こえた声に驚き、輝夜を落とした。

「ひゃっ」

 輝夜が尻からアスファルトに転がった。

「うわああああああごめん輝夜ちゃん」

「い、いえ、大丈夫です」

「あーあ。私のせいじゃないからねー」

 ルリリが友達と一緒に俺を追い越していく。

 気まずくなって、結局もうお姫様抱っこは出来ず、普通に相合い傘をして俺達は駅まで向かった。夢にまで見たシチュエーションなのに、満足に楽しめなかった。


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