月羽輝夜編⑤ そういうわけにはいかないのです!



 月羽の女子力アップ作戦、一日目。

 俺たちの学校の前にほとんど直角に近い長くて急な坂がある。俺と月羽は毎朝七時半に登校し、その坂をダッシュで往復することにした。

 これは体力をつけるのと同時に、健康的に脂肪を燃やしてスタイルを良くし、心身共に自信をつけるための特訓である。

「さあ頑張って! まだまだ行けるよ!」

「は、はいっ!」

 体操服と紺の短パンに着替え、運動部でもないのにランニングをする二人。周囲からは稀有なものでも見るかのような視線を捧げられる。その視線に耐えるのも特訓のうちだ。

「はあ、はあ……」

 スローペースなのに、開始十分で息が上がる。

 運動不足の身体に一時間近いランニングは正直かなりキツイ。が、辛いのは月羽も同じ。月羽だけに辛い思いはさせられない。俺も気合を入れて足裏に力を込める。

 ふと顔を上げれば、今日も雲一つない青空が広がっている。

 暑い。

 汗がどんどん流れ出て、前を行く月羽の体操服が透けていく。

 ブラの色は白!

 さりげなく見つめるくらいなら、役得として許されよう。ていうか、これくらいないとやってられん。

「そ、そろそろ切り上げようか」


 ホームルーム十分前、俺たちは肩で息をし、ゾンビのように足を引きずりながら、校舎に入ってすぐのトイレに向かう。そこで、着替えるのだ。

「……あ、あの、一時間目は体育ですよね? 着替えなくてもいいんじゃ」

 月羽が空っぽになったスポーツ飲料のペットボトルをゴミ箱に押し込める。

「いや、だめだ。なぜなら着替えるのは制服じゃない。俺の体操服だからだ」

「ふえっ? そ、それはどういう――」

 ゴミがパンパンらしく、ペットボトルが弾かれて廊下を転がった。

「男に慣れる訓練だよ。今輝夜ちゃんが気軽に話せる男は俺だけだ。だけど、出来るのは話すところまで。きゃつと付き合うにはそれじゃだめ。足りない。次のステップに進むには、男の肌に慣れるしかないんだ。だから、俺の体操服を着るんだよ。それを着てなんとも思わなくなった時、輝夜ちゃんのコミュ力と男への免疫は増している」

「な、なるほど? でも、そしたら宮原くんの着替えが――」

「ノープロブレム。なんの問題もないさ。俺は輝夜ちゃんのを着るからね」

「な、なるほど。わかりました。では早速着替えてきますです長官殿!」

 お互いの着替えが済むと、見計らったかのようにチャイムが鳴った。

 慌てて教室に飛び込むと、まだ担任は来ていなかった。

「おっす相棒。中古ショップで昔のすっげえエロいゲーム入手したんだが、やるか?」

 海堂がのこのこやってきて、右手を上げる。

「おお海堂! 魅力的な話だが今はソレどころじゃない。さ、輝夜ちゃん」

「は、はいっ」

「返事はサーイエッサーだ!」

「さ、サーイエッサー!」

「よし! いけ!」

 月羽が一歩前に出て、気をつけの姿勢を取る。海堂が首を傾げる。

「お、おはようございます海堂閣下!」

 ビシッと敬礼。おっぱいが揺れる。

「おはよう月羽ちゃん。ナニコレ? なんの遊び?」

「遊びではない。特訓だ」

「へえ。面白そうなことやってんな」

 海堂がニヤニヤして敬礼ポーズをとったままの月羽を見る。恥ずかしいのか、疲れてるせいなのか、顔が真っ赤だ。それでもポーズを崩さないのだからたいしたものだ。

 担任がやってきて、席につけーと促した。俺と月羽は顔を見合わせて頷き合い、それぞれの席へと撤退した。


 男子の体育は室内バスケであった。

 俺は月羽の汗でびっしょりと濡れた運動着を身につけ、準備運動に勤しむ。

「もう汗だくか、相棒」

 立った状態からの屈伸運動をしながら、海堂が問う。

 この運動着には名前が縫い付けられていないので、ばれる心配はない。

 俺は堂々とこたえる。

「ああ。夏だからな。蒸し暑い体育館にいれば服くらい濡れる」

「それもそうだな。で、相棒。本当に『私立やんやん女学園~出会って三秒でマジヴィンヴィン~』はやらんのか? 服以外も濡れちまうぜ?」

「……やる。いつも通りこっそりロッカーに入れてくれ」

「わかったぜ相棒。ふっふっふ。お主も好きよのう」

 海堂が悪代官を気取って笑う。

 俺はああ暑い暑いと汗を拭うふりをする。襟の部分で口元を拭い、匂いをかぐ。

 湿っている。さてこれはどっちの汗だろうか。ひょっとしたら俺は月羽の汗とキスを?

 俺は月羽のためにやっているつもりであったが、内心ドキドキもしていた。



 今日の体育はテニスです。

 輝夜はコートに着いてからも、宮原くんの体操着を着ていることが気になって、ドキドキしながらずっともじもじしていました。しかし、先生が来るとそれどころではないということを思い出します。

 輝夜は球技が苦手なので、いつもならコートの隅で壁打ちをするフリをしてことなきを得ます。

 でも、今日はそういうわけにはいかないのです!

 宮原くんからいろんな人に話しかけろと言われたからです。

 別に彼に言われたからというだけが理由ではありません。輝夜だって、本当は友達がほしいのです。でも、自信がないから。一人では行動には移れませんでした。

 けれど宮原くんは言いました。

 人は案外、他人のことは見てなかったりする。失敗したと思っても、すぐ忘れられる。だから堂々としてろ――って。

 輝夜は一理あるかもって思いました。輝夜も自分のことばっかり気にして、他の人の失敗なんて覚えてませんから。

 だから、勇気を出して声をかけることにしました。相手は美術部の女の子たちです。見た目は可愛いけど、輝夜と同じで運動があまり得意ではなく、少数のグループでつるんでいる人達です。まだ話しやすい気がします。

「あ、ああああのっ」

 輝夜が震える声で話しかけると、なんだろう、という顔をしてこちらを見ます。

 ヘンに思われてないかな。いつもの悪い思考が頭をよぎります。

「れ、練習、その……一緒、してもいいですか?」

「いいよ。輝夜ちゃんだよね? 嬉しいな。輝夜ちゃんから話しかけてきてくれて」

「ほ、ほんとですか? 嬉しいです!」

「うんうん。私達も嬉しいよー。クスクス」

 美術部の皆さんは輝夜を受け入れてくれて、一緒にラリーなどをしました。

 輝夜が盛大に空振って、ボールを胸で弾いたら、

「なんだこのけしからんおっぱいは!」

 といって輝夜の胸を後ろから揉んできました。

「ふふーん。見た目以上にありますなあ。輝夜ちゃん、君ってば何カップあるの?」

 なんて、頬をスリスリして聞くのです。

 ああ、漫画か何かで見た光景です。これって、もう友達として受け入れられたってことでしょうか。

「ところで輝夜ちゃんさ、今朝校門の前で走ってたじゃん? あれ、なに?」

「と、特訓です! その、自分に自信つけるための」

「へえへえ。輝夜ちゃんってば面白可愛いねー」

 いつの間にか練習を放棄して、コートの隅でお喋りに花を咲かせます。

「一緒にいた男子、宮原だよね?」

「付き合ってるのー?」

 なんて、興味津々で聞いてきたりもしました。

 まさか、私なんかが宮原くんと付き合うなんて。輝夜は首を横に振って否定しましたが、皆は輝夜の背を叩いて、

「自信持って! 輝夜ちゃんならいけるいける。あいつ、絶対輝夜ちゃんに気ぃあるよ」

「そ、そうですか?」

「そーそー。てか、でもなきゃ早朝ランニングに付き合ったりなんかしないって」

 そう言われるとそうなような気がしてきます。

 でも宮原くんの顔を思い浮かべると、やっぱり違うような気もしてきて。

 そもそも輝夜の好きな人は別にいますし、それは宮原くんだって知っているのです。

「宮原くんは優しいから。きっと困ってる輝夜のことを放っておけなかったんです」

「そうかなー。ぜーったいそうだと思うんだけどなあ」

 なんて盛り上がっていたら、先生に見つかってサボるなって怒られちゃいました。

 みんなは慌ててコートに戻ります。その中に自分もいるってことが、なんだかおかしくって輝夜は笑いました。

 結構彼女たちもミスをしましたが、どんまいと言いあって誰も咎めません。終いにはまたチームを組む約束をして、ライン交換までしちゃいました。

 どんなに悩んでも変われなかった自分が、急激に変わっていく。チャンスをくれた宮原くんには感謝してもしきれません。

 今日のお昼は宮原くんの好きなおかずを聞いて、明日にでも持っていってみようと思います。喜んでくれるといいなあ。宮原くんは優しいから、何を作っても喜んでくれるだろうけど。ふふ。



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