月羽輝夜編② 彼女の唾液と魅惑のピンクスティック


 その日も月羽は一人、教室の隅っこ、廊下側の席でひっそりと弁当箱を広げていた。


「気になるんだろ?」

 コンビニのカレーパンを行儀悪くくちゃくちゃさせながら、海堂が言った。

 海堂には先日の出来事を話している。海堂が俺の右肩をぽんと叩き、

「行ってこいよ」

 と顎で彼女を指した。

「そうだな。悪い。行ってくる」

 俺は素早く弁当箱を閉じると、月羽の席まで駆けた。

「つ、月羽さんっ!」

 月羽がびくりと身体を震わせてから、俺を見上げた。

 既に目が潤んでいる。脅そうとしているみたいで、心が痛くなる。何もしていないのに。


「あのさ、よかったらでいいんだけど、一緒にお昼、食べない?」

「……え?」

 月羽は口元まで運んでいった箸をその場に止めて、首を傾げる。

「お昼。一緒に。ダメかな?」

「……お昼? 輝夜が、み、みみ、宮原さん、と?」

「宮原でいいよ。シンでもいい。ダメかな? ほら、この間ゲームの話したでしょ? また話したいなあって思って」

「……で、でも」

 月羽がきょろきょろと辺りを見渡す。

 いつもぼっちな自分が急に男子と昼を一緒にしたら、目立ってしまう。からかわれるかもしれない――とでも思ったのだろうか。

 先日会話を交わしてみて、彼女が根っこから一人を好んでいるわけではない、ということは理解できたつもりだ。ただ彼女は不器用なのだ。怖がりなのだ。本当は心置きなくおしゃべりが出来る仲間がほしい――と思っているはずである。

「人目が気になる? だったら空き教室行こうよ。ね?」

「……そ、それなら」

 月羽がゆっくりと、音を立てずに椅子を引く。そろそろと身を低くしながら教室を出ようとする。後を俺が続く。弁当を持って一緒に出るのだから同じことだと思うのだが、まあ指摘する必要はないだろう。

 それに、誰も俺達を注目してなどいない。男子も女子も仲間と雑談しながらメシを食うのに忙しい。


「って月羽さん! 弁当忘れてるよっ」

 俺が置きっぱなしの弁当箱を持ち上げると、

「あわわ、すすすすいませっ」

 あたふたと手を動かしながら振り返り、半開きの戸に額をぶつけた。

「あうっ」

 ぶつけた箇所をおさえながらうずくまる。

 なにこの小動物抱きしめたい。

 俺は湧き上がる欲望を沈めながら、そっと彼女の頭を撫でた。指に絡む髪が滑らかで、気持ちイイ。

「だ、大丈夫、月羽さん?」

「は、はい。スミマセン……」

 俺がピンク色をしたネコの顔をモチーフにした弁当箱を手渡すと、頭を思いっきり下げた。勢い余ってネコさんからウインナーがこぼれ落ちる。タコさんウインナーだ。

「うおっ」

 俺史上類を見ない反射神経で、ウインナーをキャッチする。

 どうやら月羽はドジっ娘らしい。

 そっと弁当箱に戻してやると、

「す、スイマセン……」

 ぼそぼそっと言った。

「そこはありがとう、だぞ」

「は、はいスイマセ――」


 再び謝りかけた月羽の唇を、人差し指で塞ぐ。


 柔らかい唇の感触にドキマギしつつ、海堂とやったイケメン練習は無駄じゃなかったな、と誇らしくなる。

「ん? 海堂?」

 俺はハッとして後ろを確認する。

 海堂が携帯端末を向けながらニヤニヤしていた。

 ジーザス! 写真に撮ってやがる!

「い、行こう月羽さん! 昼休みが終わる!」

「は、はひっ」

 俺はこんな日もこようかと目星をつけていた、社会科教室に足を運んだ。




 社会科教室なんてもの、一度足りとも授業で利用したことがない。そこは名ばかりの物置だ。スペースがクラスルームの半分以下だが、二人で飯を食うなら十分すぎる。

 俺は地球儀や巨大地図などがつめ込まれたダンボール箱の山をどかし、机の上に弁当箱をセットした。


「じゃあ食べよっか」

「……は、はい」

 月羽が同じ机の上にネコさんを置く。それから近くの椅子を引っ張ってきて、俺の隣に座した。

 俺が驚いていると、月羽はまたも首を傾げた。

「いやさ、てっきり机と机をくっつけて食べるつもりでいたから」

「……え? ああっ、そ、そうですよねっ。すすす、すいませんっ、気付かなくって――」

 立ち上がろうとする月羽の手首を、俺は素早く掴みとった。

「いやいやいいって。このままで。食べよ食べよ。ねっ?」

「……は、はい」

 頷き、着席し直す。

 ずっと一人で飯を食ってきたのだ。わからなくても仕方ない。仕方ないし、むしろ嬉しい。


 月羽の弁当はなんとも可愛らしい中身であった。

 ケースがネコなら中身もネコ。箱の半分ほどを白いご飯が占めていて、海苔で目とか口とかが描かれている。ご飯がネコの顔を形成しているのだ。ネコライスの上にはウインナーにミートボール、玉子焼き、そして桃色の串で団子のごとく三つ繋げたミニトマト。串は持つ部分がハート型に成っている。

 月羽は箸を随分と低い位置で握り、おかずをそっと摘んではハムハムと少しずつかじる。

 食べ方に、牛丼特盛りで魅せたような勢いが感じられない。ダイエットのせいだろう。

 だがこれはこれでありだ。ハムスターのように一生懸命かじる姿も可愛らしい。


「――っと、俺も食わないとな――って、おお? しまった! 箸教室に忘れたぁっ!」

 月羽のことばかり考えて、自分のことをないがしろにしてしまった!

 これでは月羽をドジだと笑えない。

 笑うつもりはないけれども。

 困った俺を見かねてか、

「一本、使いますか?」

 と月羽が箸を差し出してきた。


「今、なんと?」

「一本だけなら、どうぞ……」

 月羽が頬を赤く染めながら、目線を斜め下に落とす。

 それはつまり、自分の唾液が付着した箸を舐めてください――ということか!

「……あの、すいません。嫌ですよね、やっぱり……」

「いやいやまさか! むしろご褒美!」

「ご、ご褒美?」

 どうやら違ったらしい。ただの親切心だ。

 妄想のし過ぎである。自重しろ俺。


「でもそれじゃ月羽さんが食べにくくない?」

「輝夜は大丈夫です。慣れてますから」

「どんな慣れだよ。でもまあ、それなら遠慮なく借りるよ。サンキューな」

「は、はい……」

 俺は受け取ったピンクの箸を見つめ、しばし硬直した。

 月羽にその気がなくとも、これはやはり間接キスである。間接的にとはいえ、知り合って間もない男女がすぐにキスなどと。月羽は不安そうに俺を見ている。

 これ以上躊躇えば、またいらぬマイナス思考を働かせてしまう。

 ならば月羽のためにも、箸を使わせていただこうではないか!

 覚悟を決め、俺はふりかけご飯を魅惑のピンクスティックでかきこんだ。


「うっめえええええええええ!」

 なんだかんだで嬉しいものだ。俺は脱間接キス童貞に震え、涙を流した。


「そ、そんなに美味しいんですか?」

「ああ。腹が減ってるからな」

「そ、そうですか」

「月羽さんの弁当もうまそうだな。それ、手作り?」

「いえ、これはマ――お、お母さんが」

「なるほど。月羽さんのお母さんは、月羽さんのことを大事に思ってるんだね。愛が伝わってくる弁当だ」

「はい。小さいころからよくしてもらって」

「仲いいんだね。月羽さんは料理しないの?」

「あまり……」

「それは残念だ。月羽さんの手作りだったら、食べてみたかったんだけどなあ」

「……ますか?」

「え?」

「……その、た、食べますか? 食べたいのなら、明日、作ってきます」

 月羽が俯いたまま、ぼそりと言った。俺は彼女の手を取り、ぜひとお願いした。同時に翌日の昼も共にする約束をした。俺の青春がはじまった。


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