黒宮麻衣編⑤ 私と君だけのラブソング
新しい部を作るには三名の部員と、顧問の教師が必要となる。海堂を巻き込んだ俺達は、生徒会権限を行使し、一度も顔を出したことのない生徒会顧問の名を書類に記すと承認スタンプを叩きつけた。
「なんか自演っぽいよなあ」
と海堂。
「演劇部らしくていいじゃないか」
と俺。
運悪く空き教室が見つからなかったが、どうせメンバーは同じだ。俺達は部の活動場所を生徒会室と定めた。
「文化祭までもうあまり日数がない。今からオリジナルの劇を行うのは困難なので、既存の劇をやろうと思う。異論はあるか?」
部長・黒宮麻衣がホワイトボードの前に立って言う。
普通のマジックペンを使っているのに、筆で書いたかのような達者な文字が踊っている。
第一回 演劇部作戦会議――と。
「異議なーし」
「異議なし」
海堂と俺は声をハモらせた。
仮に時間があったとして、俺と海堂に脚本は無理だ。国語の成績でC判定しか取れない俺達に書かせるのならば、まだ掲示板にスレでも立てて、安価で作った方がマシというもの。ともすれば、必然的に脚本家は黒宮になる。これ以上彼女の仕事を増やすのは得策ではない。
少なくとも、俺はそう考える。
「だが残念だよな。もう少し前から行動してれば、オリジナル劇も出来たのにな。なあ相棒? タイムマシンでも転がってねえかなー」
海堂が頭の上で手を組み、ぼやいた。
どうやら海堂の方は、自分のことしか頭にないらしい。
「いやいや海堂くん。仮にタイムマシンがあってもそれは無理な相談だ」
「どういうことです、黒宮先輩?」
俺が代わりに訊ねる。
「バリントン・J・ベイリーは『時間衝突』の中で言っている。宇宙は人為的に加えられた変化に無関心だ、と。どこに<いま>があるかにも頓着しない。なにを変えようとも、なにも変わらない」
「よくわからんな、相棒?」
「いちいち同意を求めるな……俺もわからんが」
「要するに、過去に戻って何かをしたって今は変わらない。過ぎたことを悔やむより、今は文化祭をどう楽しむかを考えよう――ということだ」
「さすがは生徒会長。つまり、凄く盛り上がってみんな楽しい劇をするには、ストリップショーがいいってわけだ」
何をどう聴いたらそんなふざけた話になるのか、俺は海堂の頭を心配に思った。
まあ、黒宮のストリップショーを見てみたいという気持ちはある。あるけれども、そんなのだめ絶対。黒宮の大切な部分を目にしたことがあるのは俺だけ。未来永劫それでいい。
「ふむ。だが劇は三人でやるのだぞ? つまり、海堂くんも脱ぐということかな?」
「それはまずい。俺が脱いだら一面ゲロまみれの大惨事だ。トラウマを刻んじまう。しゃーない。ストリップは諦めよう」
「ゲロって、お前自分で言っててむなしくならないか?」
「別に。事実だからな!」
何故か得意そうに言うと、海堂はカバンから数学の教科書を取り出し、開いたまま顔に乗せた。
それで寝るつもりか。ゲロ量産機のくせにカッコつけたがりめ。
「けどやっぱり、前々から準備してきた部と比べると、見劣りしちゃいそうですよね」
「それは要するに比較の問題だ。我々は我々のできる事をすればいい」
「できる事、ですか」
俺にできる事。脚本以外。演技自体は三人でやるのだろう。それ以外? 裏方とか?
裏方か――俺は手のひらをポンと叩いた。
「俺裁縫は得意ですよ。よく妹の破れた服を縫っていたので」
「ほう。君には妹がいるのか!」
「そうッス。こいつの妹、中三なんすけどね、結構可愛いっスよ。ルリリちゃんって言って、こいつには合わないくらいの美少女だ」
海堂が教科書を少しだけ持ち上げて、隙間から俺を見た。
長い付き合いだ。海堂の考えていることくらい手に取るようにわかる。
「まあ確かに妹はモテるな。だが残念だったな海堂。奴は彼氏を作らない。何故かって? 相当なお兄ちゃんっ子だからだ!」
「どうかな相棒。密かに俺に想いを寄せているからかもしれないぜ?」
「はは、まっさかぁ。あいつ、視力はいい方だぞ?」
「はははは。恋は盲目っていうんだぜ?」
俺達が向かい合って牽制するように高笑いをしていると、黒宮が咳払いをした。
「話を戻そうか。衣装の件は宮原シンくんに任せるとして、問題はなんの話をやるのかということだ」
「ロミオとジュリエットなんてどうです?」
海堂が海堂にしては珍しくまっとうなことを言う。
「ド直球だな。だがいいんじゃないか?」
黒宮がホワイトボードに書いて、俺を見る。異論はなかった。俺は頷く。
「ふむ。ならば決定だ。さっそく図書室から資料を借りてこよう」
黒宮がホワイトボードを押す。すると板がくるっと半回転し、『資料採取』という文字が出てきた。
図書室で本を焦っている間、黒宮が訊ねてきた。
「君達はいつからの友達なんだ?」
俺は手にしていたシェイクスピア全集を棚に戻し、彼女を見る。
「確か小学校に入るちょっと前ですね。俺がルリ――妹と木から降りれなくなってるネコを助けたんですよ。そしたらそのネコが海堂ので、後日お礼に来たんです。それが出会いですね」
「ほう。彼はどうやって家を調べたんだ?」
「相棒の家の辺り、結構相棒の顔を知ってる大人がいるんすよ。俺の親が聴いて回ったらしいッス」
棚の向こう側から海堂がこたえる。
「なるほど。そういえば昔私もネコを助けたことがあったな。青と赤のオッドアイをした、黒い猫だった」
「俺が助けたのも黒猫でしたね。そういう偶然、あるんですね」
「運命を感じるな?」
「う、運命……ですか?」
「出会うべくして出会ったのかもしれないということだ。そして二人は運命的な恋に落ち……」
黒宮が祈るように手を組み、目を瞑る。
彼女の長いまつげに、俺の目は釘付け。
「悲劇によって引き裂かれる」
「引き裂かれちゃうんですか」
「それこそロミオとジュリエットのように――なんて、さすがにロマンチストすぎるか。私と君はそんな関係ではないしな」
「……ですね」
「君が望むなら、なってもいいが」
「またお得意の冗談ですか?」
「どうだと思う?」
「さあ。でもそうやって油断していられるのも今のうちですよ。すぐに、冗談で好きなんて口にできないくらい、メロメロにしてあげます」
「楽しみにしておくよ」
黒宮が笑い、薄い本を引き抜く。パラパラとめくってみて、俺に渡す。
「これなんてどうだ? 過去に誰か生徒が、短い劇用にまとめ直したものらしい」
「……まあ、手っ取り早くはありそうですね」
「劇の中身の方はもう仕方ない。代わりに衣装や小道具にこだわろうではないか」
「ですね。黒宮先輩に似合うとびっきりの衣装、作って魅せますよ」
「あー、それなんだが、今度から私のことは下の名前で呼んでくれ。その方が信頼感が増す気がするだろう」
「な、なるほど。じゃあ黒み――ま、麻衣……も、俺のことをシンって呼んでくれますか?」
「し、シン……これでいいか?」
「ワンモアプリーズ」
「シンくんだーいすきっ」
黒宮がいつもの凛とした声とは百八十度異なる、脳がとろけるような甘い声を出した。
「もう一回! もう一回です!」
俺は録音するべく、慌てて携帯端末を取り出す。
「却下だ。録音なんてされたら、さすがに恥ずかしい」
「そんなぁ」
「ふふ、君は本当にからかいがある。襲って食べてしまいたくなる」
俺は耳を疑った。
襲いたいなんて、冗談なのだろう。黒宮が冗談好きなのはもう十分理解した。
しかしながら、膨らんでしまう。良からぬ妄想が膨らんでしまう。
ベッドに縛り付けられた全裸の俺。黒宮はセクシーな笑みを浮かべ、俺の上に馬乗りになって
『ま、麻衣……』
『抵抗しても無駄だ。君はもう私だけのモノなのだから。さあ、その綺麗な声で喘ぎ、奏でてくれ。私と君だけのラブソングを』
胸に舌を這わせる。
黒宮は長く美しい黄金色の髪をかきあげると、戻るぞ、と言った。
我に返った俺は、頷き、それから思い出したように本棚の裏側を覗きこんだ。
海堂が窓の外を眺めている。
「あのさ」
振り返って俺を見る。逆光のせいか、眩しくて海堂の顔を直視出来ない。
「おまえら、完全に俺がいること忘れてたよな。ていうか、ここ他にも人いるんだけど?」
俺ははっとして、観覧席を見た。一番近くの席に、ゲーム雑誌を開いている男集団がある。彼らはまるで親の敵でも見るかのように、俺を睨んでいる。
十中八九ファンクラブの方々であろう。殺気が突き刺さる。
「こりゃ夜道が怖いな、相棒」
海堂がくっくと笑って俺の肩を叩き、廊下に向かう。
俺は出入口へと視線を転じさせた。黒宮が壁に背を預け、腕を組みながらニヤニヤしているではないか。
なにが恥ずかしい、だ。
こうなることをわかっていて、彼女はあんなセリフを言ったのだ。
どうやら俺と彼女との間には、まだまだ埋まりきらない差があるらしい。
俺はがっくりとうなだれ、海堂を追いかけた。
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